閑話 私の名はアルブレヒト 01
私は、アルブレヒト・カウフマン。いや、今はただのアルブレヒトだ。メガド帝国の貧乏男爵家。そこの三男として私は生を受けた。
貴族とはいえ、貧乏男爵家の三男だ。その未来は決して明るいとはいえない。ただ、幸運なことに私は頭が良かった。
他の人より早く言葉を話し、文字を理解した。
それを見た両親が、少ない財産の中から私の家庭教師代を捻出し、高度な教育を授けてくれた。私は首席で官僚学校を卒業し、同期の誰よりも出世が早かった。
メガド帝国は実力主義的な部分があり、官僚制が整っている。貴族の領地に中央から官僚を出向させ、領地経営を厳しく監視している。
そのため中央集権が進んでいた。
出向先の貴族と癒着し、私腹を肥やす官僚もいた。しかし、官僚の犯罪は厳罰とされており、多少の金銭を懐に入れるぐらいではわりに合わない。
貴族の権力は弱体化され、官僚の権力が強化されていった。
官僚は出向先の貴族に身分差で無理難題を通されないため、一代限りの名誉貴族として貴族に任命される。官僚としての役職が上がると、一代貴族に陞爵される。
平民から大臣へと上り詰め、侯爵に任命された人物もいる。実力さえあれば一代限りとはいえ、成り上がることができるのだ。
そのため、みな必死に働く。権力争いで足を引っ張り合ったりもするが、国を傾けるほどの愚か者はいない。
メガド帝国の官僚は優秀な人材が多く、他国を併呑することで巨大化した国をうまく管理している。
メガド帝国では官僚学校を卒業すると、各省庁を順番で回り、適性を判断されてから配属される。
そこで私は、文官の花形部署である商務省で功績を残し、研修期間が残っているにもかかわらず、商務省へ配属が決定した。
戦争相手とはいえ、小国家群を通してリーガム王国とは取引がある。
私は在学中からリーガム語を習得しており、通訳を挟まないスムーズなやり取りを行うことができた。
そこで才能を発揮した私は、通商部門で多額の利益を上げた。
そのことで商務大臣に気に入られた私は、出世コースを歩むことになる。程なくして私は、名誉士爵に任命された。
貧乏男爵家出身ということで、官僚学校では上位貴族に嫌がらせも受けた。それでも必死に勉強し、花形部署へ配属され、大臣に気に入られている。
人生の絶頂だった。
官僚は武力を持つ必要がないため、ある程度のレベルで冒険者を伴ったレベル上げを止める。
武力が必要なときは人を雇えばいいだけだ。大金を積み、冒険者を雇い必死にレベルを上げている同期を見て愚かだと思った。
知識を蓄え、コネを作り、出世する。
そうすればわざわざ大金を払い、苦労をしてレベルを上げなくても、人を雇うだけで武力など手に入る。
非効率的な作業に時間を浪費する同級生を尻目に、私は知識を蓄えた。
商務省の官僚になり、ある程度役職が上がると、商人たちが付け届けをよこしてくる。便宜を図らずとも勝手に金品を渡してくるのだ。
これを受け取るぐらいでは罪に問われず、そのぐらいの利益の享受はお目こぼしされている。商人からの付け届けは官僚としての給料をはるかに超える。
商務省が花形部署とされているのは、単純に実入りがいいからだ。権力は金を呼び、金は権力を呼ぶ。大金が手に入り、実家にも多額の仕送りができた。
嫡男である兄は私にペコペコと頭を下げ、必死に媚を売っていた。
三男など予備にもならない。そんな私に大金を使い、家庭教師を雇ったことを兄は面白く思わず、ずいぶんと苛められた。
その兄がペコペコと頭を下げている。自尊心が満たされた。
私を苛めていた学校の同期たちも、商務大臣のお気に入りになった私に必死に媚を売っていた。
自分たちが貧乏男爵の三男と馬鹿にし、散々いじめていた相手に頭を下げる気持ちは、どんなものだろうか。
想像するだけで、たまらない快感を覚えた。
大金を手にし、貴族に任命され、上司に気に入られている。周りはペコペコと頭をさげ私に媚を売る。そんな環境で私の人格が歪むのに時間はかからなかった。
私は尊大で傲慢になった。
私は外見も多少、人より優れていた。金持ちのエリートで外見も良い。私は女性にモテた。人格が歪み傲慢になった私は、女性を物のようにあつかった。
それでも女性は次々に私に群がってくる。
私はそんな彼女たちを蔑み、ただ自分の快楽を得るためだけの、使い捨ての道具にした。どんな女でも簡単にモノにできた。
あるパーティーで私に靡かない女に出会った。
辛うじて美人とも呼べなくもない、そんなレベルの女だった。私が今まで抱いてきた女に比べると、一段も二段も落ちる。
高貴な生まれなどではない。家族だけで細々とやっている小さな商店の娘で、私がその気になれば次の日にでも店は潰れている。
そんな小さな商店の娘が、私に靡かなかったのだ。
私はひどくプライドを傷つけられ、意地になってその女を口説いた。どれだけ高価なプレゼントをしても、ほかの女なら頬を赤く染め瞳を潤ませるような美麗美句を並べても女は落ちなかった。
ある日私は、そこまで私を拒むのなら、なぜデートの誘いを断らない? そう尋ねた。官僚の貴方に逆らうと両親に迷惑が掛かるから、女はそう言った。
私は酷くプライドを傷付けられた。
カッとなった私は、女を無理やり押し倒しコトに及んだ。さめざめと泣く女の声を聞いて、私は罪悪感に蝕まれた。
それから女のことなど忘れたように日々を過ごした。だが、喉に引っかかった魚の骨のように、ズキズキと何かが痛んだ。
ある日、私は女の商店を訪ねた。女は小さな店で一生懸命働いていた。汗を流し、手を傷つけながら必死に働いていた。
女が必死に働いても、私が商人から受け取る付け届けの金額を得るためにはどれだけの日数が掛かるだろうか。
以前の私なら、鼻で笑っていたはずだ。なのになぜか、彼女の流す汗が尊いものに感じた。
私は彼女に謝罪することに決めた。
今更あやまって許してくれるとは思わない。彼女はもう忘れたいかもしれない。自分が楽になりたいだけかも知れない。それでも彼女に謝罪したかった。
花屋で彼女に似合いそうな花を買い、高価とは言えないが、彼女に似合うブローチを買って彼女を訪ねた。
頭を下げようと思ったが、変なプライドが邪魔をして素直に頭を下げられない。なんとか声を出し、花をぶっきら棒に渡した。
「あの時は悪かった。これ、受け取ってくれ」
彼女は花がパァっと咲くように笑顔になり、ありがとう、そう私に言った。
「心のこもっていない高価な贈り物より、貴方がちゃんと私を見て選んでくれた物の方がうれしいわ」
その瞬間、私は恋に落ちた。初めて人に恋をした。それから私は派手な女性関係をすべて清算し、彼女と少しずつ愛を育んだ。
歪んでいた私の性格は少しずつ修正されて行き、心は穏やかさを取り戻した。
ある日、大臣が私に言った。君は仕事は完璧だが、最近、私生活が荒れていた。性格も傲慢になっていた。正直、君のことを切ろうと思っていた。
だが、君は落ち着きを取り戻した。人は急に金や権力を手にすると変わってしまうことがある。ほとんどの人間は、そのまま戻れない。
君は戻ってこられた。自分を見失っても戻ることができた。そういう人間は貴重だ。一度も変わらない人間の方が信用できるのは確かだ。
だが、そういう人間が変わってしまうと脆い。君は一度、欲に飲み込まれた。だが戻ることができた。君は信用に値する。これからも頼むよ。
そう言って大臣は私の肩をポンと叩いた。私は羞恥と感謝で体が震えた。大臣は私のことを見ていたのだ。傲慢になった私の醜態を。
そして彼女に救われた。彼女が私を引き戻してくれた。おかげで大臣に見捨てられずにすんだのだ。
大臣への申し訳なさと彼女への感謝が私の胸を満たし、今までに味わったことのない複雑な感情に私は飲み込まれていた。
それから私は必死で働いた。大臣への恩義を返すために、彼女との愛を育むために。順調に出世し、名誉男爵へと陞爵した。
責任のある仕事が増え、忙しくもやりがいを感じていた。そして彼女との結婚を意識しだした。すべて順調だった。やさしく、穏やかで満ち足りた日々。
だけど世界は、やさしくも、穏やかでもなかった。
あの日、私はすべてを失った。