死の恐怖
Previously on YazinTensei(前回までの野人転生は)
あれから順調に冒険者としての活動を続けている。
灰色狼の討伐依頼だった。
「ゴンズの兄貴! 新手が森から来る、数は10体だ!!」
「10体だぁ! どうなってやがんだちくしょう!」
俺は雄叫びを上げながら、アルと戦っている2体の灰色狼へと攻撃を仕掛ける。
俺に反応した灰色狼が1体、俺に向かって走ってきた。四足歩行の生物と戦った経験など無かった俺は、少し戸惑った。だが、生物の急所は大体同じだ。
相手が低い位置にいるので、攻撃方法は限定される。しかし、対処できないことは無い。そう思い灰色狼の顔面に、右足でローキックを放った。
灰色狼は蹴りに反応する。素早くブレーキを掛け、蹴りをかわす。俺から見て右斜め前に避けた灰色狼は、蹴りを空振りして隙ができた俺へ飛び込むと、股間を狙って噛み付き攻撃をしてきた。
そこはあかん! あせった俺は蹴りを放った勢いのまま、左方向へ倒れこみ、転がりながら距離を取る。
反応が早い。思ったよりも厄介だ。下からの攻撃がこんなにも対処しにくいとは……。たしかにそこらへんの冒険者なら太刀打ちできない、というのも納得だ。
焦って蹴りが大振りだった。コンパクトに蹴ることを心掛ける。
さっき放った蹴りは真っ直ぐ踏み込み、踏み込んだ軸足を外側に捻りながら、体重を乗せてスネを叩き付ける蹴り方だった。
最もポピュラーな蹴り方で威力も出やすい。しかし、今は威力よりもスピードだ。集中して灰色狼の予備動作に集中する。
生き物の多くは移動するとき、後ろ足で地面を蹴って推進力にしている。四足歩行の生物でも同じだ。後ろ足の『タメ』を見れば攻撃のタイミングが読める。
俺を中心に円を描くようにサークリングしながら、徐々に灰色狼が距離を詰めてくる。
距離が縮まり灰色狼の攻撃範囲に入った。その瞬間、グッと後ろ足をタメたのがわかった。
俺は左足を外側に90度開いた状態で小さく踏み込む。軸足を捻りながら体重を乗せるのではなく、すでに開いた状態で踏み込み、筋力と体重移動で威力を出す蹴り方だ。
ミ〇コ選手などがこの蹴り方をしている。
瞬発力に優れた選手が使わないと威力が出にくい。その上、体重を乗せる為に上体を蹴る方向に傾ける必要がある。
上半身を蹴るときは傾きが大きくなるため、蹴る場所を読まれやすいという欠点がある。
ミ〇コ選手は途中まで同じモーションのミドルとハイ、パンチのフェイントを組み合わせることでその欠点を消していた。
俺の相手は人間ではないので、予備動作でばれるなどの心配は必要ない。
軸足が開いた状態で蹴ると、どうしても軌道が外回りになりやすい。スピードが欲しかった俺は、意識しながら最短距離の軌道を描くように蹴りを放つ。
スピード重視だが当てるだけの蹴りではなく、しっかり体重を乗せ、威力も意識した俺の蹴りが灰色狼の首に直撃した。
ゴキリと骨の砕ける感触が足から伝わってくる。顔を狙ったのだが、想像以上に灰色狼のスピードが速く首に当たってしまった。
だが、顔を蹴るより効果的だった。ミスをしたがよい結果につながった。灰色狼の動きを頭の中で上方修正しつつ、結果的に一撃で仕留めることができた幸運に感謝した。
威力も意識したが、あくまでもスピード重視。カウンターで当たったとはいえ、一撃で倒せるとは思っていなかった。
スピードはすごいが耐久力は低いらしい。これで耐久力も高かったら絶望しかなかった。
俺が1体倒している間に、ゴンズとキモンのペアも1体倒していた。
最初の5体のうち残っているのは、アルと戦っている1体だけになった。残りの1体を素早く倒して撤退したかった。
残念ながら時間切れらしい。
森から10体の灰色狼が飛び出してくる。俺は腰から右手でナイフを抜くと逆手に持ちサウスポーに構えた。
森から現れた灰色狼たちは縦横無尽に走り回り、ゴンズたちは混乱していた。
俺は気配察知で背後からの攻撃も対処できる。だが、縦横無尽に走り回る灰色狼に目が付いていかない。
これはまずい。嫌な汗が背中に浮き出る。灰色狼の襲来に混乱していると、森に1体の灰色狼が残っているのが気配察知でわかった。
なぜ、こない? そう考えていると、森の気配がゆっくりと移動を始める。灰色狼は動き回りながら徐々に距離を詰め、俺たちを包囲する範囲を狭めている。
じわりじわりと距離を縮める灰色狼に、恐怖心が湧き上がってくる。俺は腰を深く落とし、いつ仕掛けられてもいいように集中する。
森に一体だけ残っていた灰色狼が姿を現した。灰色狼は明らかにでかい。他の灰色狼より一回りは大きかった。
「灰色狼の上位種だと!」
アルが驚愕の声を上げる。ただでさえピンチなのに上位種だと! ゴンズたちパーティーは、俺を含め激しく動揺した。
その動揺を突くように、灰色狼たちがいっせいに攻撃を仕掛ける。一撃を加えては離脱する、嫌らしい攻撃だった。
群がって噛み付くのではなく、牙や爪ですれ違いざまに傷を付けて離れる。正面に気を取られると後ろから、下に気を取られると上から飛び掛ってくる。
縦横無尽に暴れまわる灰色狼に、浅いながら複数の傷を付けられる。致命傷には程遠い、しかし痛みで集中力が途切れる。
出血も今はたいしたことはないが、時間が経つと危険だ。
俺は被弾覚悟で防御を捨て反撃にでる。後ろから飛びかかってきた灰色狼に、振り向きざま、首筋を逆手に持ったナイフで振り抜く。
首の動脈を切られた灰色狼が大量に出血する。俺が攻撃している隙をついて、別の灰色狼が俺の足に噛み付く。
俺は噛み付いた灰色狼の後頭部に、逆手に持ったナイフを突き立てた。俺がナイフを突き立てた隙を突いて、別の灰色狼が首筋に噛み付こうとする。
噛み付きを寸前でかわしたが、爪で左の目の上を切られる。出血が目に入り視界が塞がれた。やばい、このままじゃ殺される。
異世界に来てから実感が無かった。ホブゴブリンと命がけの戦いをしても、どこか他人事のようだった。
自分のことなのに、自分のことじゃないような。そんなふわふわした感覚だった。自分がゲームの登場人物にでもなったような現実感の無さだった。
しかし、今は違う。リアルに想像してしまった。自分が殺され、死体を灰色狼にむさぼり喰われている想像を。
異世界に来て初めて、本物の死の恐怖を感じた。俺は体が震え、動きが止まってしまう。その隙を見逃さず灰色狼が二体、俺に飛びかかってきた。
まるでスローモーションのように、世界がゆっくりと流れる。迫り来る灰色狼の牙。
嫌だ! 死にたくない。殺されて、死体を喰われるなんて絶対に嫌だ! なんで俺がこんな思いをしなきゃいけないんだ。
命がけで人を救ったのに、全裸で危険な森に放りだされた。1年以上森をさ迷い、村人に殺されかけ、人を殺し、やっと着いた町は犯罪者の吹き溜まり。
せっかく転生したのに、不幸なまま死ぬのか? 冗談じゃねぇ! こんなところで死んでたまるか! 逆にこいつらを皆殺しにしてやる。
そう思った瞬間、体の震えが止まった。ゆっくりと流れる世界の中、俺は動き出す。
左右から飛びかかってくる灰色狼に、右手のナイフを突き立て、左手の貫手を低い位置から突き上げる。
右手のナイフが背中に突き刺さり、左の貫手がゾブリと灰色狼の柔らかな腹を突き破る。その感触を左手に感じた瞬間、世界は速度を取り戻した。
予想外の反撃を食らった灰色狼たちの動揺が伝わってくる。
守勢に回ってもジリ貧だ。上位種が参戦する前にできるだけ数を減らしておきたい。俺は腰に下げている袋から硬貨を一握りすると灰色狼に投げ付けた。
レベルの恩恵で身体能力が強化されているため、散弾銃とまではいかないが、かなりの速度で硬貨が広範囲に散らばる。
硬貨をくらった灰色狼がキャインと悲鳴を上げる。俺は硬貨をくらって動きの止まった灰色狼へと飛び込み、斜め下へと正拳突きを放つ。
拳がめり込み、灰色狼の牙を砕きながら顔を破壊する。牙の破片が拳に食い込み傷を作るが、気にしている場合じゃない。
俺が攻撃を仕掛けた隙を突いて、噛み付こうとした灰色狼に手首のスナップを使って物を投げるフリをする。
灰色狼は、さっきの硬貨攻撃を警戒して攻撃を止め、回避行動を取った。
だめもとでハッタリを利かせたが、灰色狼が反応してくれて助かった。あのまま攻撃されたら危険だった。
灰色狼の数が減り、ほんの少しだけ余裕ができた俺は周囲を確認する。
ゴンズたちは1体仕留めた様だが残りの4体に苦戦していてこっちの援護どころではなさそうだった。
狼の狩りは弱い獲物から狙う。アルと戦っていた1体と追加で4体、計5体がゴンズたちを足止めしている。
その間に、一番小さく弱そうな俺を倒そうと残りの5体が襲ってきたのだろう。ボスはなぜか高みの見物を決め込んでいた。
首をナイフで切った灰色狼は失血死したのか動かない。後頭部にナイフを突き立てた灰色狼も死んだのか動かない。
俺に同時に飛びかかってきた2体と、顔に正拳突きを食らった1体は弱っていた。しかし、まだ動けるようだ。
手負いの獣は恐ろしい。俺は極限まで集中する。
3体が俺を囲みながら円を描く。徐々にサークルを縮めながら間合いを詰めてくる。緊張感がピークに達した、そのときだった。
高みの見物を決め込んでいたボスが、俺に向かって走り出す。それに合わせて3体が攻撃を仕掛けてきた。
左手に噛み付こうと飛びかかってきた灰色狼を、手刀で叩き落とす。バキリと首の骨が折れた音がする。
その瞬間右足に痛みが走る。右足に噛み付かれた。3体目がトドメとばかりに、首筋に牙を付きたてようと飛び掛る。
俺はカウンターの頭突きで、首筋を狙った灰色狼を迎撃する。額に牙の破片が刺さり出血したが、幸い右目の視界は塞がれなかった。
俺の反撃はそこまでだった。
傷を負った灰色狼たちが命がけで作った隙を、ボスが見逃すはずが無い。
足を噛み付かれ動けない俺は、飛び掛られたボスに圧し掛かかられるように倒れた。
ボスは倒れた俺の胸を前足で押さえ、首を噛もうとする。俺は必死に両手で顔を掴み、噛み付かれないように顔を押す。
胸元に置かれた前足の爪が革鎧と鉄板を切り裂き、俺の胸を浅く傷付ける。痛みに顔を顰めながら、必死にボスの噛み付きを防いだ。
腕と胸がパンパンに張り、力が入らなくなってくる。このままではまずい。ナイフを離したのが不味かった。
圧し掛かられたときに、爪で腕を切られナイフを離してしまった。武器で戦うことに慣れていない弊害がでた。
普段から武器を持って戦うことに慣れていたなら、傷を負っても武器を離したりはしなかっただろう。
もう腕に力が入らない……。ボスに首を噛み付かれる映像が頭を過ぎる。
死が重たくのしかかり、ジリジリと精神と肉体が削られていく。筋肉に乳酸が溜まり、腕が鉛のように重く感じる。
追い詰められた俺の脳は、焼き切れるほど高速回転を始める。何か、何かないのか。何かにすがるように、解決策を思案する。そして、ひらめいた。
俺はボスの顔を押さえていた右手を離す。噛み付きを首を捻ってかわしながら、相手の首に抱きつくように左手を回す。
必死に抱きつきながら右手で懐をあさる。服の裏地に防水加工した小袋を縫い付けてある。それを千切った。
左手だけで暴れるボスに必死にしがみ付きながら、俺は息を止め、目をつぶり、右手に持った小袋をボスの鼻のあたりに叩き付けた。
ボフリと粉が舞い、ギャンとボスが悲鳴を上げる。俺はその隙を逃さず、胸の上に置かれていた前足をキャッチ、左足でボスの右後ろ足を押す。
ボスがバランスを崩した瞬間、アームドラッグでバックに回り、裸絞を仕掛ける。
後ろから覆いかぶさるように体重を掛けながら、パンパンになった腕に鞭を打ち、首を絞め上げる。
ボスは首を絞められたまま立ち上がり、俺を振り落とそうと暴れる。まるでロデオだ。
俺は必死にしがみ付きながら首を締め上げる。早く死んでくれ! 限界が近い俺は祈るようにそう思った。
どれくらいの時間、我慢比べをしていたのだろう。おそらく、そんなに長い時間では無いはずだ。
だけど、俺には終わりの見えない地獄のような時間だった。
徐々にボスの動きが鈍り、最後は動かなくなった。死んだフリだったらどうしよう。モンスターは呼吸する必要が無かったらどうしよう。
そんな恐怖から、ボスが動かなくなった後も首を絞め続けていた。ボスの体から完全に力が抜けても首を絞め続け、念のためにと首をへし折っておく。
ボスの首をへし折って、漸く周りを見る余裕ができた。
ボスを倒して気が抜けたが、俺はハッとした。
俺の足に噛み付いていた灰色狼がまだいるはず。そう思って周囲を見渡した。
俺の足に噛み付いた灰色狼は、貫手を食らって腹に穴が開いた状態で激しく動いたのが致命傷になったらしく、腹から腸をはみ出させて死んでいた。
俺を襲った灰色狼が全滅したことで、漸くゴンズたちを気に掛ける余裕ができた。
ゴンズたちを見ると、最後の1体を相手にしているところだった。加勢しなくても大丈夫だな。あの様子なら最後の1体をすぐに倒すだろう。
そう思った瞬間、ストンと体の力が抜けた。
俺は座り込んだまま立てなくなってしまった。そのまま、ボーっとゴンズたちが最後の1体を倒すのを見ていた。
最後の灰色狼を倒したゴンズたちが近付いてくる。俺のミスのせいでゴンズたちを死の危険に晒してしまった。
下手をしたら、このまま殺されるかもしれない。襲われても戦えるように立とうとしたが、体が言うことを聞かない。
俺は座り込んだまま、近付いてくるゴンズたちを見ていた。
用語解説
アームドラッグ
レスリングやブラジリアン柔術などで使われる技。
相手の腕をたぐって背後に回る。
色々なやり方があるが、今回はボスの前足を引っ張りながら後ろ足を蹴ることでバランスを崩させ、その隙に背後に回った。