やっぱりへん
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ドクン、ドクン。
心臓の音が聞こえる。
静寂の中、鼓動だけが静かに響いている。
俺は震える唇を開くと、あえぐように息を吸う。
震える指を動かして……パチンと耳元で指を鳴らした。
怖ッ! こっわッッッ!!
あっぶねー! マジ、あっぶねー!!
反社担当のヤジン、怖すぎんだろ! 意識を乗っ取られかけたやんけ!
パピーをモフってリラックスしたところで、じわりじわりと俺の心の隙間を攻めるように語りかけるやり口。
汚いな、さすが反社きたない。
素人が別人格の形成なんて難易度の高い行為に手を出すべきじゃなかった。
もう少しで取り返しのつかない事態になるところだった……。
最初に思いついたときは、いいアイディアだと思ったんだけどなぁ。
それに、人格のスイッチを切り替えるってなんか格好いいじゃん。
中二心がくすぐられたんだよね。
今になって考えると、そうとう追い詰められていたんだと思う。
軽いノリでやっていいことじゃないし、もっと慎重になるべきだった。
ただ、当時はまともな思考ができないほど余裕がなかったのだ。
適当に思いついたアイディアがさも素晴らしいかのように。まるで、それしか正解がないかのように錯覚してしまった。
悩みを簡単に解決する魔法のプランなんてものは存在しないのに、そういったモノにすがってしまったのだ。
考え方も短絡的だし、やり方もよくなかった。
汚れ仕事を別人格に押し付けるようなやり方はよろしくない。
別人格とは言え自分自身だと思っていたが、自分と分けて切り離した時点で別人なのだ。
自分が嫌な汚れ仕事を他人に押し付ける……それは、卑怯者のすることだ。
俺は、そんなマネをするヤツが嫌いだったはずなのに……。
俺はいつの間にか、そいつらと同じ卑怯者に成り下がっていた……。
いつも反省と自己嫌悪を繰り返しているが、今回は特にひどい。
後悔で頭がどうにかなりそうだった。
主導権を渡さず、自分がやりたくない汚れ仕事を押し付けられる。
そんな扱いを受ければ、反社のヤジンが俺から主導権を奪い返そうとするのは当たり前の話だ。
自分では、『芯』の部分はぶれていないと思い込んでいた。
だけど、俺は自分が思っているより芯がふにゃふにゃのクソ野郎らしい。
はぁ~~。
思わず、ため息が漏れる。
反省も後悔もいくらしてもしたりない。
しかし、今は落ち込んでいる場合じゃない。
俺を取り巻く環境は依然として厳しい。
『落ち込んでいる余裕』なんてモノは今の俺には存在しない。
落ち込むのは、もっと安定した状態で余裕ができてからやればいいのだ。
とりあえず心のなかで一区切り付ける。
何度もやらかしているせいで、切り替えだけは上手くなった。
やらかしている証拠なので誇れはしないが、生き残るのに役立っているのはたしかだ。
今は何も失わずに事態を収拾できた幸運を噛みしめることにしよう。
それにしても、反社のヤジンが言ったことは耳が痛かった。
さすが自分の別人格。俺の痛い部分を的確についてきやがる。
子供への歪んだ執着……か。
ああ、そうだ。反社のヤジンが言った通りだ。
多少前世の倫理観も関係しているが、俺が子供たちを気遣うのは『自分のため』だ。
変に善人ぶってその部分を否定するつもりはない。
ただ、その感情の源泉が『元の世界に帰りたい』『異世界で変わってしまった自分を前と変わらず受け入れてほしい』そんな思いから来ていることは気付かなかった。
色々と吹っ切ったつもりだったが、まったく吹っ切れていなかったらしい。
未練がましいとは思わない。
前世とはつまり、人生のすべてを過ごしてきた場所なのだ。
そこでの暮らしも、関わりのあった人々も、そのすべてが恋しい。
人生を楽しんでいたとは口が裂けても言えない。死にたくないから惰性で生きてきた。人に誇れない、そんな人生であった。
それでも、俺は確かにそこで生きていた。
前世には俺のすべてがあったのだ。
恋しくないわけがない。帰りたくないわけがない。すべてを取り戻したくないわけがない。
だけど、もう帰れない……帰れないんだ。
反社のヤジンが言った通りだ。
俺はもう変わってしまった。
平和な前世で生きるには、俺の価値観はあまりにも危険だ。
言葉通り、死ぬような経験をして変わってしまった価値観。
それを元に戻すことは難しい。
今の状態で日本に帰ることができたとして、俺は社会に溶け込むことができるだろうか?
理不尽なクレームに遭遇したとき、俺は相手を殴らずにいられるだろうか?
強盗などに襲われたとき、徹底的に相手を破壊してしまわないだろうか?
一年や二年は必死に我慢できるかもしれない。だけど、十年二十年、いや……死ぬまで我慢できるだろうか?
おそらく無理だ。どこかのタイミングで爆発してしまう。
それに、そうやって極端に抑圧された状態で生きることは幸せだろうか?
おそらく、そこに幸せは存在しない。
この世界で生き抜くため、この世界の価値観に染まったのだ。
なのに、今さら別の世界で平穏に生きたいなんて虫がよすぎる。
まさか、反社人格に正論パンチでぶん殴られるとは……。
ベッドで横になりながら感情を整理していると、パピーから回路が届く。
『ヤジン、へんじゃなくなった! けど、やっぱりへん!』
「はは、そうか変か」
いつもごちゃごちゃと考え事をしている俺はパピーからすると変に映るのかもしれない。
「おいで、パピー」
パピーを呼ぶと、部屋中に体を擦り付ける作業を止めてテテっと軽やかにベッドまでパピーが移動する。
そして、一気にジャンプするとベッドに寝ている俺にダイブしてきた。
パピーは軽いが、そこそこの高さが出ていたので軽い衝撃を感じる。その重さがなぜか嬉しくて、パピーを強めに抱きしめた。
「なぁ、パピー。今日はすごく疲れたんだ。このまま、一緒に寝てくれるかい?」
俺がそう尋ねると、回路を通してパピーの感情が伝わってくる。
『うん、いいよ!』
「ありがとな、パピー」
俺はパピーの頭を優しく撫でると、静かに目をつぶった。
「おやすみ、パピー」
『おやすみ、ヤジン』
体に伝わるパピーの温もりを感じながら、俺の意識は安らぎへと包まれていった。
カクヨム様で先行公開。
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