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イラつきを抑えるため、リビングのソファーにドカッと腰を下ろす。
静かに呼吸しながらゆっくり思考を回していると、徐々に気持ちが落ち着いてくる。
能力的にイグナーツが適切だと思ったが、能力ではなく性格の部分で合わなかったのは予想外だった。
自分に人を見る目が無いのは知っているが、さすがに少しへこむ。
今回のすれ違いは、俺と構成員たちの歪な関係が表面化したのが原因だ。
俺は、正規の構成員から徐々に信頼を勝ち取って事務所のトップになる。そういった通常のプロセスをすっ飛ばして、いきなりドミニクを含めた上の独断でトップに座った。
真面目に下積みをやっていた構成員からしたら、いきなり見ず知らずの人間が自分たちをすっ飛ばして上の人間になったことになる。
俺が逆の立場なら『ふざけんじゃねぇ!』そう思って当然だ。
ましてや、イグナーツは期待の幹部候補生。
ドミニクの後釜は自分だと思っていても仕方がない。
自分たちをすっ飛ばして上になった人間が、エムデンやドミニクのような一目見ただけで『存在感』が半端ない人間ならまだ諦めがついたのだろう。
ところが、だ。
ドミニクの後釜に座ったのはチビの弱そうな蛮族野郎。
狂っていて、多少頭が回るかもしれないが……それだけ。
そんなやつに、上から指図されるのは気に食わない。
その感情は理解できる。
結局のところ、この事務所の構成員は納得して俺の下についたわけではなく『ドミニクがそう言ったから』納得しているに過ぎない。
弱肉強食が根強いこの業界で、上に取り入って地位を得たカス野郎の風下に付くのはまっぴら御免なのだろう。
気持ちは分かるが、この業界でそれを表に出しちゃおしまいなんだよなぁ……。
よく言われる『たとえ白でも上が黒といえば黒』ってのが当たり前の業界だ。
それに、権力者ってのは猜疑心が強い。常に裏切りを警戒していて、疑心暗鬼に陥りやすいのだ。
馬鹿の故事で有名な、最悪の宦官と呼ばれる趙高は皇帝に鹿を馬だと言って献上した。趙高におもねる奸臣は鹿を馬だと言って皇帝を騙そうとした。
鹿は鹿であると皇帝にはっきり告げた忠臣は、後に趙高によって粛清されることになる。
上の気分次第で簡単に殺されてしまう環境では、気高い志やプライドはマイナスに働く。
心の中で納得はできていなくても、それを押し殺す『忍耐力』や『柔軟性』が必要なのだ。
イグナーツは、その部分に適正がなかった。
もしイグナーツが忍耐強く柔軟な思考ができる人物なら、ここに座っていたのは俺ではなくイグナーツだったのかもしれない。
部下の足りない部分ばかりを嘆いてもしかたがない。
この問題の根本的な原因は俺にある。
ようは、舐められているのだ。
『俺個人』を部下たちが認めない限り、反発はかならず起きる。
今回のケースも、提案したのが俺ではなくドミニクならイグナーツは素直に応じたはずだ。
彼らはドミニクの顔色をうかがっているだけで、俺のことなど眼中にないのである。
それならどうすればいいか? 力を見せつけるしかない。
嫌でも目に入るほど、俺という存在を巨大化させるしかないのだ。
凶暴性は十分見せつけた。これからは武力を、単純な個人の強さをアピールする必要がある。
今回は手順を間違えた。いきなり本命のイグナーツに話を持っていくべきではなかったのだ。
俺に反骨心旺盛な適当やつを選んで、逆らった瞬間そいつを血祭りに上げる。
そうやって、事務所の部下たちに『ルール』を思い出させてからイグナーツに話を通すべきだった。
そうすれば、内心は気に食わなくても指示に従ったはずだ。
せっかくドミニクが期待して事務所のトップにしてくれたのに、管理職としての経験不足からミスを犯してしまった。
イグナーツとの関係修復は……おそらく不可能。
あいつはヘマをやった上に、みなが内心舐めている俺にあっさりとやられた。
あの部屋の扉がいくら分厚くとも、暴れれば物音ぐらいは聞こえる。
そして、あの部屋には俺とイグナーツ以外はカールさんしかないのだ。
カールさんは事務方で戦えない。
そうなると、イグナーツは俺に秒殺されたことになる。
リビングにいた奴らも馬鹿じゃない。状況から、中で起こったことぐらい想像できる。
ドミニクの『お気に入り』を怒らせたこと。チビの蛮族にあっさりやられたこと。
今回のことで、イグナーツの株は著しく下がった。
一目置かれていたイグナーツは馬鹿にされ、侮蔑の視線に晒される。露骨に舐めた態度を取られることもあるだろう。
プライドの高いイグナーツは、さぞ屈辱に感じることだろう。
そして、その怒りの矛先は原因である俺に向く。
はぁ、身内に厄介な爆弾を抱えちまった。
うまいこと使い潰すか、徹底的に『躾け』て逆らえないようにするか……。
最悪『消えてもらう』必要があるかもしれない。
厄介なのはイグナーツだけじゃない。事務所に所属する部下たちも誰一人信用できないのが現状だ。
俺ではなく、俺の頭越しにドミニクの顔色をうかがい、俺に不満たらたらでリスペクトの欠片もない奴らと安心して仕事なんてできねぇ。
ドミニクが許してくれるかもしれない。そんな風に判断すれば、俺を後ろから刺し殺して立場を奪うことにまったく躊躇など感じない連中だ。
危険に備えなければいけない。
隙を見せてはいけない。
存在を大きく見せなければいけない。
研ぎ澄まされなければいけない。
大きく、強く、鋭く。
ヤジンという存在そのものを、俺はアップグレードする必要がある。
カクヨム様で先行公開。
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