トゥロン16
Previously on YazinTensei(前回までの野人転生は)
ナール草や虫下し用の毒草を見かけるが、無視して進む。
昆虫の針は恐ろしいほど機能的だということもある。
魔素の影響を昆虫も受けているからだと思う。
樹液ちゃん、しっかり蟻を追い払ってくれよ。
はっきりと境目があるわけじゃない。ただ、なんとなく深層に入ったと感覚でわかった。植生や気配察知に感じる反応に違いはない。
肌感覚というか、なんとなく空気が違う気がした。
魔素の濃度を感覚で察知したのかもしれない。俺の勘違いという可能性もあるが、こういった原始的な感覚は馬鹿にできない。
危険地帯だと、最初からわかっていたはずだ。今更引き返すことなどできない。
移動しようとして、何時もと体の感覚が違うことに気付いた。知らず知らずのうちに、体に力が入っていたようだ。
俺は深呼吸をして体をほぐす。手や足の指をワキワキと動かし、末端を刺激することで体の感覚をなじませる。
ビビるな、平常心だ。パピーに目線をやると、真っ直ぐ俺を見つめ返してくれる。見かけはちっこいが頼りになる相棒だ。
自然と笑みがこぼれ、こわばっていた体がほぐれていく。圧迫感を感じていた森の様相も、何時も通りに見えるようになった。
空を覆うように伸びた木々の葉が光を遮り、森を薄暗くしている。木々の隙間から溢れる木漏れ日は、幻想的な美しさを感じさせる。
人の手が全く入っていない原生林。
長い年月を掛けて形成された森は、樹齢を重ねた太い木が多い。巨大な木々は、自分のちっぽけさを思い知らされるほど、圧倒的な存在感を示している。
その巨大な木に向かい、ジャンプをしてしがみつく。そして、小さな突起を足がかりに上へと登っていく。
パピーも爪をうまく使い、木の上へと移動していた。ある程度の高さまで登ると、フードにパピーを入れる。
そして、猿のように木から木へと飛び移る。
逃亡先の山で、木から木へと飛び移る練習は重ねていた。あのときは、我が家へ続く痕跡を残さないために行っていた。
その経験を生かして、木の上を移動することにしたのだ。
森での採取依頼を成功させる自信はあった。その根拠のひとつが、木の上を移動することだ。蟻塚は大抵地面に作られるものだ。
もちろん、例外はあるかもしれない。何らかの理由で木の上に蟻が大量に生息している可能性もある。
ただ、地上を歩くよりは安全なはずだ。情報屋から入手した情報にも、蟻が木の上に巣を作ったという話は聞かなかった。
木の上を移動する。レベル補正で身体能力が向上した冒険者なら、誰でも出来そうな移動方法だ。
しかし、実際やるとなると難しい。
俺のような軽装で森に入る人間は珍しい。大抵の冒険者はそれなりに重量のある装備をしている。
斥候役は軽装かもしれないが、深森狼が徘徊する危険な森に、戦闘能力が低いと言われている斥候がソロで入るなど自殺行為だ。
重い装備を着たまま、不安定な木の上を移動する。足を踏み外したり、枝を踏み折ってしまえば、それなりの高さから落下してしまう。
落下すれば、当然怪我のリスクは高い。落下音も周囲に響く。
もちろん、爆音というわけじゃないが、普段の森では聞かない音だ。音量は大したことがなくても、普段聞き慣れない音というのは耳によく残る。
重い装備、不安定な足場。怪我のリスクにモンスターの注意を引いてしまうリスク。それらの理由から普通のパーティーでは厳しいはずだ。
俺は軽装の上に、木から木へと飛び移るのに慣れている。通常の冒険者ならこうはいかないだろう。
俺だけが通行可能な特別なルートという訳だ。
木々を移動しながら、気配察知を使ってモンスターを避ける。多少遠回りになっても構わない。
正確なマップがある訳じゃないが、ファモル草とギーオの群生地の場所は聞いている。ギーオは特定の木の根元に生える習性があるため、発見は容易だ。
ファモル草は、ギーオの群生地を少し進んだ場所にあるそうだ。
ギーオが生える木が立ち並んでいる場所は、他の場所と明らかに植生が違うため、遠くからでも発見しやすいと情報屋は言っていた。
ただ、その地域は毒蟻の蟻塚が多い場所でもある。希少で見つけにくいのではなく、採取自体のリスクが高いため塩漬けになっている依頼だ。
ファモル草はギーオの群生地ほど蟻塚地帯にはなっていないが、蟻塚地帯を抜けた先にある。それにファモル草の群生地にも蟻塚がない訳じゃない。
移動距離がギーオよりあるため、こちらはこちらでリスクが高い。
慎重に木の上を移動していると、森の一区画だけ地面の色が変わっていた。あそこがギーオの群生地か……。
赤茶色の土に針葉樹が密集して生えている。
その地帯だけ、赤いペンキを土の上にぶちまけたような色をしていた。茶色、赤茶色、赤色が混じった薄気味悪い色をしている。
その土に、蟻塚と思われる小山が点在していた。
地面の色が変わる境界線には木が生えていない。俺は慎重に着地をして、周囲を確認する。
地面には蟻が列をなして移動していた。
俺は蟻を刺激しないように、慎重に移動した。そして、針葉樹に登る。木の上に蟻はいなかった。
情報通り、木の上に蟻が巣を作るといったことはなさそうだった。それでも油断せず、慎重に確認してから次の木へと飛び移る。
この針葉樹は松だろうか? 松の根本に生えるってマツタケっぽい。こちらの世界でもマツタケは高級品なようだ。
食べると美味いだろうか? いや、マツタケって味自体はそうでもなかった気がする。油断はしていないが、そんなことを考える余裕すらあった。
木々を移動しながら、根本を確認する。ギーオらしきキノコがモリモリ生えている。人間が誰も取りに来ない上に、蟻に守られているからだろうか? とにかく、依頼にあった5本は余裕で揃えられそうだ。
これだけ大量にあるのだ、大金を稼ぐチャンスだ。
そう思ったが、踏みとどまった。あまり大量に持ち帰ったら値崩れしてしまう。特殊な処理が必要な素材だし、数がさばけるかもわからない。
幸いマツタケと違い、旬や生えている時期などは決まっていない。一年中生えているようだ。焦ることはない。
俺は蟻がいないことを慎重に確認してから、下に降りる。欠けたりしていない綺麗なギーオを、慎重に採取する。
木々を移動しながら、依頼の倍。10本を採取して、この場を離れる。赤土から離れ、俺はふぅと息を吐く。
蟻のサイズは普通だった。それに、刺激さえしなければおとなしいものだった。
油断する訳じゃないが、意外と楽勝じゃないだろうか? これは大儲けするチャンスかもしれない。
慎重に木々を移動していると、草原地帯に出た。ここがファモル草の群生地だ。森にポッカリと穴が空いたように、草原地帯が現れた。
ここで昼寝をしたら最高だろうな。眼の前には、思わずそう思ってしまう風景が広がっている。草原には様々な花が咲き乱れ、緑の絨毯に彩りを加えていた。
爽やかな風が吹き抜け、サワサワと草を揺らす。鼓膜をくすぐる優しい音色。真上からは陽の光が降り注ぎ、花々を美しく照らしていた。
草の爽やかな香りに交じる、花々の甘い香りが俺を優しい気持ちにさせた。思わず気を抜きそうになる自分に喝を入れ、俺は警戒を続ける。
これは恐ろしい罠だ。
見るからに危険そうな赤土地帯を越えると、そこには素敵な草原が広がっている。誰でも思わず気を抜いてしまうだろう。
だが、ここは危険地帯だ。それもとびきりの……。
何の遮蔽物もないこの草原で、深森狼に発見されれば襲撃は免れない。
草原の緑は深森狼の体を覆い隠してしまう。深森狼に気付いたときには、すでに包囲されている。そんな事態に陥るかもしれない。
甘い香りを放つ美しい花に引き寄せられれば、花の蜜を集めに来た蟻に毒針を刺されてしまう。
自然界が作り出した天然の罠なのか? 性格が悪い神の悪質ないたずらなのか? 俺には判断出来ない。
ただ、この場所がとびきりの危険地帯だってことは分かる。明らかに人間を殺しに来てやがる。
最悪の事態になる前に、採取を済ませてここから去ろう。俺は逸る気持ちを抑え、慎重に動き出した。