トゥロン11
Previously on YazinTensei(前回までの野人転生は)
やばいヤマはゴメンだぜ。
「おい。舐めんじゃねぇぞ」
何このかわいい生き物。
ここからはモンスターの領域。油断せずに進むとしよう。
トゥロンから見て北の森。この森に来るのは初めてだ。木々は青々と茂り、木漏れ日が差し込む。鼻に感じる香りは、いつもの森の香りだった。
この森に来るのは初めてのはずなのに、帰ってきた、そう思う。
搾取される社会的弱者。そんな身分から開放され、ただの野人として生きることができる。この開放感がたまらない。
町で受けたあらゆる抑圧から開放される。権力なんて複雑な物じゃなく、一個人の才覚で生き死にが決まる。森はシンプルでいい。
それでも、長い時間文明から離れれば、文明が恋しくなる。
そして、町に着けば帰ってきたと思うのだろう。森にも町にもいい部分と悪い部分がある。美味しいとこ取りなんて出来はしない。切り替えが大切だ。
今はこの開放感を楽しむとしよう。
斥候を兼ねた先頭はパピーに任せている。俺も気配察知で周辺を警戒するが、基本的にはパピー任せだ。
獲物の追跡、場所の選定、攻撃方法。全てをパピーにゆだねる。
金には余裕がある。期限がある依頼でもない。パピーが一人で生きていけるように狩りの訓練を施す。
まだ子狼のパピーには難しいかもしれないが、パピーは学習能力が高い。
知識は一通り教えた。二人で狩りもした。後は主導的に計画を立て、狩りをこなす経験だけだ。それさえできれば、パピーは一人でも生きていける。
パピーが一人で生きていけるようになれば、安心して命を懸けて戦える。もちろん、死ぬつもりなどないが、命に執着しすぎると逆に危険なこともある。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。という言葉があるように、本当の意味で命を捨てて活路を見出す事態があるかもしれない。
心残りは生きる原動力になる。傷を負って食料もない。そんな絶望的な状況でも、大切な人を思うと力が湧いてくる。絶望に立ち向かう勇気になる。
それは大事なことだ。だけど、戦いの中では己を殺す必要もある。心残りという生への執着が、逆に命を失う原因にもなりかねない。
大切な物を持ちつつ、いつでも命を捨てる覚悟をする。そうした相反する気持ちを持つことが必要になる。
自然と文明。生への執着と捨て身。何事もバランスが重要だ。
パピーの後を付いていくと、開けた空間にたどり着いた。そこには泉が湧いている。透き通った綺麗な水。泉の底を見ると、地下水が湧き出ていた。
あそこから、岩に濾過された綺麗な水が常に湧き出ているみたいだ。この水の綺麗さなら、直接飲んでも大丈夫かもしれない。
泉の水というより、底に顔を近付けて、湧き出る地下水を直接飲む感じだ。冷たい新鮮な地下水が喉を潤す想像をして、喉がなる。
地下水をがぶ飲みしたい衝動に駆られるが、リスクを犯す必要はない。
ぐっと我慢して、革袋から匂いの移った水を飲む。もう少し上等な品だと匂いは移らないんだけどな。海のモンスター素材を使っているので値段が高い。
防具にいくら掛かるかわからない現状では、我慢しなければいけない。
パピーが選択した狩りの方法は待ち伏せだった。水場で待ち伏せをして、水分を補給しにくるモンスターを仕留める。そういうプランのようだ。
選択としては及第点だ。待ち伏せ場所の選択もいい。水場にはクレイ・ボアや 剣鹿の足跡も見える。獲物は確実にいる。
水場はまれに、森の奥から格が高いモンスターが現れることがあるが、パピーの感知力なら接近される前に気付けると思う。
仕留めた後の処理も、水場があるので楽になる。パピーソロになると、解体の必要はない。また違う選択になるのだろうが……。
待ち伏せは奇襲が狙えるのが利点。欠点は自分のタイミングで獲物を発見出来ないこと。獲物が来るのをひたすら待つしかない。
そして、待ち伏せ最大の難点は……。
とにかく退屈なことだ。じっと息を潜めて獲物を待つには、緊張感を保ちつつも、疲れないギリギリの脱力が必要。
そのため、パピーに癒やされて緩みすぎたり、獲物を待ち伏せるために最大限集中するのも難しい。退屈だと感じる余裕はあるが、暇を潰すほど気も抜けない。
だから俺は待ち伏せがあまり好きじゃない。
だからこそ、この状態に慣れる必要がある。パピーに任せて良かった。自分で計画を立てたなら、この選択肢は取らなかった。
自分では考えないこと。経験しないことも経験できる。自分以外の存在というのは、とてもありがたい。
パピーを撫でたい衝動に駆られたが、グッと我慢した。
なんとも落ち着かない状態に四苦八苦していると、パピーから微かな緊張が伝わってくる。少し経つと、俺の気配察知にも反応があった。
マジかよ。パピーの方が俺より索敵範囲が広い。匂いによるものだろうか? とにかく、あっさりとパピーに抜かれたことに軽いショックを受ける。
今はそれどころじゃない、集中しないと。
気配察知が捕らえた反応は、剣鹿の群れだった。気配隠蔽を発動したまま、群れが近付いてくるのを待つ。
しばらく待っていると、泉に群れが近付いてくる。
群れ全体の数は10体ほど。雄の群れだ。肉の味は雌の方が美味しいが、角が高く売れるので雄の方がありがたい。
ただ、オスの角は危険だし、魔法も使ってくる。群れ全体に襲いかかられたら命はない。剣鹿は基本臆病で、襲撃されると逃げる傾向にある。
それでも、パニックを起こして襲いかかってくる可能性がある。
剣鹿はモンスターだ。モンスターは個体差が大きく、その行動はあくまでも傾向に過ぎない。以前に剣鹿を襲撃したときも、一体が反転して襲いかかってきたことがあった。
地球の鹿に当てはめて考えるのは危険だ。
さて、パピーはどう指示をだす。剣鹿は足が速い。下手なタイミングで仕掛ければ逃げられる。
群れ全体で反撃されれば危険だ。
襲撃されたとき、剣鹿がどういう反応を示すかも想像できない。群れは獲物が豊富だが、同時にリスクもはらんでいる。
パピーが経験をつむにはいい機会かもしれない。
あまりにもリスクが高い作戦なら中止すればいい。不測の事態が起きる可能性はあるが、リスクは避けられない。ある程度のことなら俺がフォローできる。
俺がそう思っていると、パピーから想定外の指示が届く。なるほど、やってみるとしよう。
しばらく身を潜め、剣鹿の警戒が緩むのを待つ。水場は危険なため、完全に気を抜くことはない。ただ、安全な時間が続けば気を抜く個体が現れる。
雄で群れを作るのは、若い剣鹿だ。経験不足から警戒心が甘く、群れに弛緩した空気が漂い初めた。
そのとき、パピーが茂みから飛び出した。群れの方ではなく、全く別の方向に向かって走る。剣鹿がパピーに気を取られた瞬間。
俺は投擲スキルを使って、黒鋼のナイフを投擲していた。
油断していた若い個体を狙う。前足の少し上、心臓めがけてナイフが投擲される。群れの端にいた個体の心臓に、吸い込まれるようにナイフが刺さる。
心臓にナイフが刺さった剣鹿は悲鳴を上げながら走り出す。その悲鳴を聞いた群れは、一斉に逃亡を開始する。
心臓にナイフが刺さった若い雄の剣鹿は、ナイフが刺さったまま、十数メートル走って息絶えた。
すごい生命力だ。俺は慎重に近づき、死亡を確認する。
適当な木の棒を拾い、穴を掘る。腐葉土が堆積した土は柔らかく、レベル補正で強化された力であっという間に穴が掘れた。
剣鹿に刺さったままのナイフを引き抜く。引き抜いたナイフで首を切り、血を抜く。あまり血が出ない。
一瞬不思議に思ったが、胸をナイフで切り開くと大量の血が流れた。
心臓から大量出血していたようだ。中に血が溜まって表に出なかったのだろう。そのまま内臓を抜き、穴に入れる。
食べられる内臓もあるが、買取はしてくれないので捨ててしまう。鹿の肝臓は美味いが、処理に手間が掛かる。
今日は普通に肉を食べよう。高価な角も手に入れたので、肉を売って金を稼ぐ必要はなくなった。ガッツリ食べてしまおう。
角のサイズはそこそこだ。群れを作るのは若い剣鹿なので、特大サイズとはいかない。
それでも貴重な品だ、これらは高く売れるだろう。
高価な角を慎重に切り落とすと、木の蔓を使い剣鹿を縛り泉に沈める。やはり水場が近いと処理が楽だ。
パピーが帰ってこないので、心配になって様子を見に行くことにした。パピーが走った方向に向かうと、気配察知に反応があった。
パピーに近づくと、自分の仕留めた剣鹿を運ぼうと四苦八苦しているパピーに遭遇した。自分でも仕留めたのか、すごいな。
剣鹿の右後ろ足は、足首あたりから千切れている。あそこに噛み付いたのだろう。止めは首に一撃。首の一部が抉れている。
頸動脈を切ったのか、血溜まりが出来ていた。まさか、パピー単体で仕留めるとは……。これで俺がいつくたばっても安心だ。
「ヘイ、パピー。グッガール、グッガール」
俺は誇らしげにこちらを見るパピーを、ガシガシと乱暴に撫でた。
「わんわん!」
パピーは興奮しながら、手に頭を擦り付ける。
ひとしきりパピーを撫でた後、パピーの仕留めた剣鹿を運んで解体する。角が二対か……思わぬ収入に顔がほころぶ。
さっきと同じ解体作業をしながら、俺は驚いていた。まさかパピーが飛び道具を使った作戦を立てるとは。
いくらスキルがあるといっても距離がある。成功する確率は低かった。
今回はたまたまうまく行ったが、同じことをもう一度やれば、失敗する確率の方が高いだろう。
群れが大きいから、安全策を取ったと思った。
しかし、実際は二段構えだったようだ。パピーが飛び出して、意識をそらす。そして、剣鹿たちが逃げるであろう進行方向に身を隠す。
群れが逃げるために走ると、当然体力のない剣鹿は群れの最後尾になる。その剣鹿を、待ち伏せしていたパピーが襲撃する。
俺のナイフが外れても、パピーが逃げてくる剣鹿を仕留められるので、肉がゲットできるというわけだ。
パピーが相手にするのは、逃げることに意識を取られた群れ最弱の相手だ。比較的リスクが少ない状態で戦える。
俺の持っている手札を正確に把握する能力。剣鹿の逃亡方向を正確に予測する能力。自分よりも大きな剣鹿を確実に仕留める能力。
パピーはあらゆる能力があると証明してみせた。
作戦も、俺が立てる作戦よりよっぽど優秀だ。安全な遠距離攻撃と、能力の劣る最後尾の獲物狙い。リスクを削り、獲物を確保する確率もある程度高い。
俺の投げナイフは当たれば儲けもの。メインの狙いは最後尾の剣鹿狙いだったようだ。
頼りになる相棒で嬉しいような、子狼に負けていることが悲しいような、なんともいえない複雑な気分だ。へこんでいる場合じゃない。俺は気持ちを切り替える。
パピーが優れているのなら、俺も相棒としてもっと上に行かなければいけない。肉が冷えるまでの時間、技術を磨くとしよう。
気配察知に反応はない。技を見られる心配はなさそうだ。俺は精神を集中させると、集中力を高めた。