トゥロン05
Previously on YazinTensei(前回までの野人転生は)
港らしき場所には巨大な船が見える。
前方の視界がすべて都市で埋め尽くされている。
なんてシステマチックな入市なんだ
トゥロン恐るべし。
子供が暴行を受ける描写があります。ご不快に思う方はお気をつけください。
おのぼりさん丸出しで、周囲をキョロキョロと見渡す。やべぇ、高層建築がある! 今までは、2階建て以上の建物を見たことがなかった。
トゥロンではそこら中に4~5階ぐらいはありそうな建物が建っている。しかし、文明豊かな町というわりには、景観がごちゃっとしている。
無計画に拡張を続けました、といった感じだ。
初めてロック・クリフに入ったときも、色々な匂いが混ざった生活臭にえずいた。トゥロンでは単純に悪臭でえずいてしまった。パピーも辛そうだ。
原因はスラムだ。ロック・クリフのスラムと違い、排泄物の匂いや腐敗臭が漂ってくる。大都市として避けられない負の部分だ。
町に入ってすぐこの匂いとはパンチが効いてやがる。俺は匂いから避けるように足早に歩く。
すれ違う人の身なり、人種は様々だが、人族しか見かけない。ファンタジー世界というより、中世ヨーロッパをイメージしてしまう。
入り口からずんずん進み、漸く匂いがマシになった。
まだ鼻に匂いが残っているようで、嫌な感じがする。ごまかすように、鼻をつまんでフガフガやっていると、子供とすれ違った。
俺はすばやく、すれ違った子供の手を掴む。
俺に掴まれた子供の手には、俺の財布(革袋)が握られていた。おのぼりさん丸出しでキョロキョロしていた。いいカモに見えたのだろう。
俺が命がけで稼いだ金だ。地球で稼いだ金とは重さが違う。いっそ手を握りつぶしてやろうか? 俺は掴んだ手に力を込める。
「いぎぃ」
メキリと骨が軋み、子供が悲鳴を上げる。
俺は子供をしっかりと観察した。裸足にボロボロの服。細い腕。ガリガリに痩せた体。どれだけ風呂に入っていないのだろう、饐えた匂いが漂ってくる。
途端に、俺の中に発せられていた怒りは霧散してしまった。胸が締め付けられる。日本ではここまで貧しい、追い詰められた子供を見たことがない。
募金のCMなどでガリガリの子供の写真が出てきたりする。かわいそうだとおもうが、自らの少ない稼ぎを寄付しようなどとは思わなかった。
自分を含めた多くの人がそうだった。所詮は対岸の火事。俺だって生活は楽じゃない。寄付する余裕なんてない。そうやって罪悪感に蓋をしてきた。
だが、目の前で見てしまった。TV越しの遠くの出来事ではなく、目の前に困窮している子供がいる。人から金を盗まないと生きていけない子供がいる。
ロック・クリフ、グラバースどちらにもいたはずだ。だけど、視界に入れないようにしてきた。そんな子供は存在しないと目を逸らしてきた。
今まで散々見捨てたくせに、目の前にいるだけで心を痛めるのか? 反吐が出る偽善者め。自分の中の冷静な部分がそう語りかける。
理屈じゃないんだ、なぜか悲しいんだ。心の中で感情が訴える。
風呂に入れてやり、綺麗な服を着せ、飯を食わせてやる。ある程度まとまった金を渡して別れる。自分はいいことをした。これで枕を高くして眠れる。
そんな単純な思考回路なら楽だった。だけど、そんなことをしたら逆に危険だ。
この子供が殺されて、金や服を奪われ、裸でスラムの路上に死体として転がっている未来が容易に想像できる。
自分ではどうにもできない。一生面倒を見るわけにもいかない。一生とは言わず、自立できるまで支援する? PTメンバーに誘う? 孤児院を運営する? どれも不可能だ。
俺は物語の主人公のようにチート持ちでもなければ、大金持ちでもない。自分の生活すらままならない。
そんな状態で、お荷物を抱えて生きていけるほどタフじゃない。それにキリがない。どこまで助ける。何人助ける。
子供の手を掴みながら、高速で思考が巡る。早く対処しなければいけない。多くの人が見ている。
このまま何もせず、金だけ取り返す。そんなことをすれば、甘いやつだと噂が広がる。ガキのスリに執拗に付け狙われる。
日本でもそうだ。強引な訪問販売などに引っかかった奴は、家に業者だけがわかる暗号を刻まれて、骨の髄までしゃぶられる。
やれ! 野人。手を握り潰せ。冷酷な部分がそう叫ぶ。やめろ! 相手は子供だぞ! 俺の倫理観がそう叫ぶ。
日本で空手の指導をしていたとき、道場に子供たちがいた。あの子達の笑顔がなぜだか浮かんでくる。
心臓の音がヤケにうるさい。動かなければ、決断しなければ。俺が苦悶していると、気配察知で男の動きをとらえた。
激しく動揺していたこと、動きの対象が自分ではないこと。それらの理由で反応が遅れた。現れた男が棒を振るって子供の頭を殴る。
子供の手から俺の財布がぽとりと落ちた。
男は、倒れた子供に殴る蹴るの暴行を加え続けた。俺は財布を拾い、その光景を眺めるしかできなかった。
止めろ! そう叫んで、男を止めることも。生ぬるいと男に割り込み、さらにひどい暴行を加えることもしなかった。
暴行を加えられた子供の悲鳴が止み、ピクピクと痙攣しながら動かなくなった。
「いやぁ、災難でしたね、旦那」
男は軽薄そうな笑みを浮かべながら近付いてくる。
「あんたは誰だ?」
自分でもびっくりするほど、間抜けな返答だった。
「名乗るほどの者じゃありやせん。ここらへんは手癖の悪いガキが多いんでさぁ」
男はそう言うと、ニヤニヤとしながら子供に視線を向ける。
「そのようだな」
俺は、男と会話をしながら真意を探る。こいつは何者だ? 衛兵ではない。町の自警団でもなさそうだ。
「そこのゴミはあっしが始末しときやす」
男がそう言ったとき、仄暗い感情が見えた。
欲望、怒り、そして俺への侮蔑。俺を馬鹿にしている。子供への対応を躊躇した温いやつだと思っている。
確定だ。コイツはガキの元締めだ。冷静になってみれば、派手に殴っていたが、急所を外している。
このまま有耶無耶にしようとしている、そう感じた。そして、気配察知を通して、路地から多くの人間がこちらを窺っているのがわかる。
俺の対応を見ているのだ。温い対応をすれば、カモだと認定される。腹が立ってきた、クソが。どいつもこいつも人を食い物にしようとしやがって。
何より自分に腹が立つ。何を躊躇している。裏ギルドの連中は子供を鉄砲玉に使う。覚悟を決めなければいけないと、森で思っていたはずなのに。
自分の甘さに反吐が出る。
相手が子供だとか、そんなことに気を使ってられるほど俺は強くなったのか? 違うだろ。
下剤を仕込まれた、クソ漏らしにすら苦戦した雑魚じゃねぇか。しっかりしろ野人。俺の行動ひとつでパピーにも危険が及ぶんだぞ。
俺は怒りを拳に乗せ、ニヤケ面の男をぶん殴る。
「俺様の獲物を勝手に奪ってんじゃねぇ」
人目が多い。空手の技術を使うわけにはいかない。身体能力に任せた力ずくのパンチ。俺の行動に意表を突かれた男は、まともに拳を受ける。
顔面を殴られ、倒れた男に追い打ちを掛けるように顔面を踏みつける。
「うぎゃあああ、やめてくれ、やめ」
俺は男の懇願を無視。死なない程度に手加減して、顔面を何度も踏みつける。鼻が潰れ、歯が折れ、頭が地面にバウンドする。
男の心にたっぷり恐怖を刻み込んだあと、倒れている子供に近付く。気絶しているように見えるが、呼吸や唾液の嚥下などから、狸寝入りだと思われる。
つまらない同情心で心を曇らせた。コイツは犯罪者だ。
立場の弱い子供だ、犯罪行為でしか生きられないかもしれない。悪い大人に強制されたのかもしれない。
だが、そんなことは関係ない。
敵には容赦しない。情けないことに今、覚悟が決まった。てめぇには見せしめになってもらう。
「おいガキ、寝たフリしているのはわかっている。相手が悪かったな」
俺がそう言うと、子供は弾けるように飛び起きた。そのまま逃げ出そうとする子供の腕を掴み、ヒネる。
肘が裏返しになり、ピンと伸びた。そこに肘を叩き込む。人通りの多いメインストリートに子供の悲鳴が響き渡った。
周囲の人間は足も止めない。一部の人間がニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら見ているだけだ。
俺は腕をへし折られ、のたうち回っている子供に裸絞を掛ける。意識を失った子供を適当に裏路地に放り投げた。
元締めの男の懐をあさり、金目の物を回収。同じように裏路地に放り投げる。
さすが大都市だ。初っ端からかましてくれる。しかし、俺は運がいい。相手がスリでよかった。
あれが暗殺者なら、子供相手に動揺して殺されていたかもしれない。安全な状態で覚悟が決まった。俺は本当に運がいい。
だけど、腕をへし折られた子供の悲鳴が耳にこびりついて離れない。クソ、イラつくぜ。クソガキも、ガキを食い物にする大人も、無力な自分も、腹が立つ。
俺は最悪な気分で、メインストリートをあてもなく歩いた。