思い出
塵となって空中に舞うクリムの姿をヴァンは冷ややかに見ていた。
当面の敵は始末したことを示すように左手の短剣を袖の中に戻した。
ヴァンはそのまま研究所に足を向けると、後ろからけたたましいクラクションの音が響く。
音の出所に目を向けると、正門の近くに止められたトラックの荷台から軽やかに下り立つハヅキがいた。
「いやぁ、外国人のお兄さん、これ助かったぜ。流石に貴重な物を借りっぱなしってのは申し訳ないからよ」
ヴァンに向かってひょうひょうとした口調と、軽い笑顔を浮かべて近づくと、手にしていたサブマシンガンを差し出した。
ハヅキの手からヴァンは受け取ると、微笑みと軽く笑い声を上げる。
「律儀な方ですね。こんな戦いに手伝っていただいて、感謝の念しかありませんよ」
「まっ、お兄さんに借りがたくさんあったしな。これでチャラってこった」
「コウキさんにはもっとお礼を言わないと行けませんね」
「そうしといてくれや。じゃ、いい加減、俺等は逃げっからよ。あとは頑張ってくれよな」
軽い笑みと共に片目を閉じて、カッコつけるようにゆったりとトラックにハヅキは向かった。
ヴァンの左手に握られたサブマシンガンが銀色に染まって行く。
手にしたサブマシンガンに向けて優し気な目を送った。
ヴァンが猟犬として送ってきた生の中で、他の者と共に戦うことは少ない。
だが、今回は違う。バラバラな思考でありながら、1つの目的のために全員が死力を尽くしている。
銃のグリップを強く握り、研究所に鋭い目をヴァンは向けた。
「ええ……、頑張らないといけませんね。皆さんが頑張って下さっているのですから」
サブマシンガンを肩に乗せて誰ともなく言ったヴァンは、研究所に歩みを進めた。
・ ・ ・
隔壁に閉ざされた部屋の中でクロオを含めて、数名の研究員が体を震わせていた。
「わ、私達はど、どうなるんでしょうか?」
わが身を守ってくれる隔壁に目をやり、恐怖で舌が回っていない様子だ。
「私に聞くなぁよぉ。きっと大佐が何とかしてくれるはずだぁ」
粘っこい喋り方で恐怖に震える研究員を、微力ながら安心させようとしている。
そんなクロオの言葉に研究員は何度も頷き、体の震えを堪えようと顔を引き締めていた。
クロオは思い出したかのように、バックにいれてある刃物を取り出した。
出来立ての短剣のようなものは怪しい光を放っている。
その光にクロオは思わず生唾を飲み込んだ。
死体に近づき、掛けられた白布を剥ぎ取る。
枯れてはいるが、四肢は繋がっており、人としての形は保っていた。
例えるならばミイラだが、茶色ではなく紫色をした不気味なミイラだ。
その姿を確認したクロオは白布をかぶせようと手を出した時、何かがクロオの手を掴んだ。
目を向けると、そこには死体から伸びた左手があり、掴まれたクロオの手を死体とは思えない力でひし形の刃物ごと、引き寄せようとする。
「ひっ!」
思わず声を上げ息を呑むと、すぐに左手に力を込めて引きはがそうとする。
だが、それを意に介さないように、着実に死体は己の体に引っ張られていく。
「だ! 誰か! こいつを止めて、」
振り返り研究員に目をやった時、眩い光が背中越しに部屋を照らしだした。
クロオはその現象を知っていたため、振り返って見ることができない。
実験で使用したとき以上の輝きを放っている事から、何が起きているのかが分かると体が震え始める。
「やっと元の体に戻れたか……。礼を言うぞ」
後ろから掛けられた声には嫌でも畏敬の念を持ちそうな、穏やかで力強いものだった。
その声に思わず頭を垂れて、懺悔をしたくなる程に荘厳な響きもある。
とても死体からでは想像できなかった声に、クロオは後ろにいる人物が何者であったかを再認識した。
「だが……、私の体を散々いじくりまわしたことには罰を与えねばな」
クロオは後ろの者が向けた言葉だけで、心臓が苦しくなり、足の力が抜けきったように地に膝を着いた。
体が極寒の地で薄着でいるような程に震えると、温かいものが頭に触れる。
その温かさにクロオの体の全てが満たされると、それが一瞬で強烈な寒気に変わり襲われた。
「いぎゃぁぁぁぁ! さっ! さむいぃ! 怖いっ! 痛いぃぃぃ! あああああぁぁぁぁぁぁ!」
クロオは目を見開き、口を全開にして断末魔の叫びを上げると、涙や涎だけでなく穴という穴から液体を垂れ流し、絶命した。
・ ・ ・
シュライクは腕組みをし、白い壁で四方を囲まれた実験場の中にいた。
足元には軍人の死体がいくつも散らばっている。
死体の場所までたどり着いたが、軍人に邪魔をされて、あと一歩のところで逃げられた。
作戦通りであれば、コウキとの挟み撃ちになるだろうが、シュライクは腕組みをして動かなかった。
シュライクの背後からけたたましい音を立てて、金属が何度も跳ねて至る所に当たる耳に悪い音が聞こえた。
振り返るとドアが無くなっていることから、全力でドアを蹴破ったことで部屋の中で飛び跳ねたのだろう。
ドアのない入り口から金色の剣を持ったミハエルが、肩を怒らせて現れた。
すぐに実験場のシュライクに気付くと、計器と強化ガラスで塞がれている所にむりやり剣で入口を作りだす。
新たな入口からミハエルは、苦虫を潰したような顔をして入ってくる。
「何故……、何故、生きている! 貴様は死んだはずだ! 俺が殺したはずだ! 何故だ!?」
「いちいち吠えるな。見たままだ。我は生きている。貴様に殺されてなんぞおらん」
「何故だぁぁぁ!」
シュライクの言葉に激高したミハエルは駆け出し、大きく剣を振るう。
だが、その剣はシュライクがいる場所とは全く違う場所の空を切り裂いていた。
「やっと死んだか……」
「何度言わせれば良い。我は死んでおらんぞ?」
「なっ!?」
シュライクの問いかけに驚きの反応をし、急いで振り向く。
だが、その先にもシュライクはいない。
「くそぉ! さっさと死ねぇ! 死ねぇ! 死ねよあぁぁぁぁ!」
シュライクのいない空間を何度も切り裂いては吠えて、また切り裂く。
だが、空気が斬られるだけで何も起きず、実験場にはミハエルの滑稽とも取れる、怒りに任せた斬撃の舞を見せている。
「ミハエル、種明かしをしてやろう。貴様は我の鎌で体中を何度も切りつけられた。その斬り付けた場所を我が占拠する。時間は掛かるが、今の貴様は我の傀儡だ」
「何を! 言っている! 殺して、殺して、殺して…殺し尽くしてやるぅぅぅ!」
「無駄だと言っておるだろう。お前の視覚も乗っ取り済みだ、頭の中もな。あまり思いたくはないが、ヴァンがお前を撃ち抜いたことで貴様の頭を容易に切る事ができたぞ」
シュライクの言葉がミハエルに届いているのか分からない程に、ミハエルはただただ剣を振り回している。
1人で駒のように回り続けて、最後には足がもつれて床に転がった。
「何故、何故、何故、何故……」
「もう語る必要もあるまい。貴様は我に操られていた。それだけだ」
「そ……、そんなことが……。あって…、たまるか……」
「ふむ…、面白いことをいうな。あってたまるか……か。我らの現状と同じだな。不老不死など、あってはならぬ存在だ。まさに我らがそれを体現しようとしているのだ」
床で大の字に寝転がっているミハエルに向けて、感慨深げにシュライクは自分達の存在を否定した。
「じゃあ、俺達は……」
「生まれたからには仕方がなかろう。だから生きるのみだ。そして、そのまま死んでいく。それを受け入れれば、妖魔であってもこの世界の生き物であろうな」
「だが、王が死ねば……」
「それも仕方がなかろう。盛者必衰の理だ。いつかは衰え、亡ぶときは亡ぶ。だが、永遠を求めるのは違う。衰えても輝くための方法を考えることこそ、生きている事の証ではないか?」
ミハエルの言葉には怒りはなく、ただ力無くシュライクとの対話を続けている。
そんなミハエルにシュライクは見下す様な事はせず、向き合って己の考えを伝えていた。
「そうか……。それがお前の考えか……」
「そうだ。我らにも……、俺達兄妹にも訪れていたことだ。これで最後だ。……お前の中に残っていることを祈ろう……」
「なっ!? んぁぁぁぁぁ! ぐふいぃぃぃぃあああぁあぁあぁ! ふぁ! ふぁ! うあっ! あああぁぁぁぁ!」
シュライクの言葉が終わると、急にミハエルは頭を抱えてもんどりうった。
口から発せられる痛みによる悲鳴が実験場にこだまする中、シュライクは腕組みをしてそれを見ている。
「思い出したか? 俺達、3兄妹がどう生きていたのか……。戦災孤児の生き方など、数える程しかない。物を奪い、金を奪って命を繋ぐ。それを俺がお前達と生きるために率先してやった。
恨みなど無い……。どれだけ辛くても3人で笑えたのだ。その笑顔があれば、俺はどんな苦痛にでも耐えきれる自信があった」
ミハエルが絶叫する中、シュライクの独白が続く。
「だが、俺達は選択を誤った。俺達を助けてくれた者達は、俺達を実験材料として心臓を埋め込んだ。奇しくも生き残ったのは、俺とお前だけだった……。
アンナは助からなかった。耐えきれなかった……。別人になってもいい。生きていて欲しかった……」
床の上で暴れまわっていたミハエルが今は小さくなり、うめき声を上げている。
その姿を見てシュライクは少し目をうつむけた。
「お…、お姉…ちゃん……?」
「お前の中にまだ残っていたか、安心したぞ。どれだけ記憶の奥深くにあったのか……。死の限界まで思い出せないとはな……」
「お兄ちゃん……、お姉ちゃん……、ごめん……。僕がお願いしなかったら……、ごめんなさい……」
「怒ってはいない。アンナもな。いつだってアンナは俺とお前の喧嘩を止めてくれる優しい妹だった。だから怒ったりはしない」
ミハエルの目から涙が溢れだし、口から洩れる声もしゃくり声へと変わって行く。
後悔し、懺悔をしている弟にシュライクは優しい言葉を掛け、微笑んだ。
「先に2人で行って待っていてくれ。俺もいずれ、お前達の元に行く。そしたら、また3人で話そう、遊ぼう、美味しい物を食べよう。笑い合おう……」
シュライクの言葉を聞いたミハエルの涙にまみれた顔が微かに笑った。
脳にかつて埋め込まれた記憶を、何重にも追体験をさせられたミハエルの中で最後に見れたのは、3人での光景なのかもしれない。
その顔に浮かんだのは安堵の表情であった。
「お兄ちゃん……、ありがとう……」
最後に一言だけ残すと、ミハエルは散って行く。
ミハエルが散った先にシュライクは手を伸ばして、強く握り締めた。
「ミハエル……、ありがとう。皆との思い出を忘れないでいてくれて……」




