開戦
夜が作り出す闇を柔らかく溶かす様な満月の灯りが、帝都に優しく降り注いでいた。
帝国陸軍軍事研究所の地下室では、活動の限界を迎えた死体と、死体から注がれた汚らわしい力で絶命した女の処理が行われていた。
全員が慣れた手つきで作業を進めている。死体は死体であるが拘束具で縛られ、2つある解剖室の1室に運ばれて行く。
絶命した女は別の解剖室に運ばれ、腹を裂かれて、子宮にて命を育んでいた者の生れの果てである眩いばかりの赤い液体を抽出されていた。
それらの作業を率先して行う者達が少なからず、この研究所にはいる。
トウマは軽快な手つきで2つの死体を扱う者たちに寒気を覚えた。
己が行っていることが国を支えるものである。その信念を持っても、人の生だけではなく、その子供の生まで利用する。
毒を食らわば皿まで、とはいうが、死体の持つ欲求なのか本能なのか。
そのどちらにせよ、ただの女よりも子供を孕んだ女に強い力を与えるのは、自分の半身だった者の出自が放つ神々しさへの怨念のようなものかもしれない。
トウマはそのどちらか分からぬ死体の思いを利用している自分達も、死体と変わらないのではと、一瞬だけ自嘲した。
現在、研究所の1室にミハエル達が控えている。
ヤツ等も興味を示してはいるが、表だって何かをしようとはしなかった。
トウマも動きがあればすぐに死体を別の場所に動かすことができるように手筈は整えている。
最悪、死体を破棄することもできる準備はしていた。
あくまでも最悪の状況になった場合であり、できるのならばこのまま管理下に置くのが一番だと考えている。
トウマは手に持っている鋭利なひし形の刃物に目をやった。
その刃物は精製して間もない様な白く煌くような光沢を見せている。
「これが千年以上も前の物とはな……」
トウマは独りごちると、刃物を天井から吊るされている電灯の光に向けて上げる。
ひし形をし、先端だけが尖れて鋭利な物は人を貫く力を見せていた。
照らされた刃物見て、感傷に浸っていると、電灯が揺れ、埃が上から散ってくる。
更には体を震わせる振動まで伝わってきた。
耳を澄ませてみれば、トウマは戦場で何度も聞いた音が響いていることが分かり声を上げる。
「ダイナマイトか!?」
・ ・ ・
「よ~し、いいぞぉ! 一旦、中止だ。やばいヤツ等が来たら、バンバン投げちまいな」
商用トラックの荷台でハヅキは仁王立ちしながら楽しげな声を上げた。
顔も笑みを浮かべており、緊張感は感じない。
コンクリートの壁で守られていた研究所にダイナマイトで壁の一部を崩壊させ、敷地内に何本もダイナマイトを放り込んだ。
鼓膜が破れんばかりの爆発音を上げ、地面をえぐり、天高く砂を飛び散らせる程の威力を間近で見て、ご機嫌な口笛を上げる程にハヅキは楽しんでいた。
「ハヅキ兄さん、俺はどうしたら良いんですかい?」
着流しに刀という、一昔前の出で立ちでゼンスケがハヅキに問いかけた。
鋭い眼光が満月の力を得たように、更に鋭利なものへと変えている。
「お前はとりあえず俺達の援護だ。こっちまではなかなか来れないとは思うが、来たらやってくれ」
「分かりました。兄さんの傍におりやす」
ゆっくりと頭を下げたゼンスケは、ハヅキが立っているトラックの傍に立つ。
その光景を見ながらハヅキは少しだけ声を上げて笑った。
「いやぁ、親父がお前を重用する訳だ。頼もしくて、尚更面白くなってきたぜ」
「ありがとうございやす。ご期待に添えるよう、励みます」
「おう、期待してるぜ。あとはこいつも期待できそうだな」
ハヅキはニヤつきながら、自分の横にある布をかぶせている物を軽く撫で、低く笑った。
・ ・ ・
ミハエル達は研究所の2階にある1室で、闇夜の静寂を破壊する爆音に素早く反応し、動き始めた。
「ミハエル様、まだシュライクが来てません。あの爆発は囮では?」
背は小さいが、丸っこい坊主頭がそのまま体中に取りついたような筋肉の塊な男が怪訝な顔をして言う。
ダルマのような顔付きと同じ体形に合わせた特注のシャツも、生地が悲鳴を上げそうな程に張りつめている。
「ふむ……。バルドロ、申し訳ありませんが、今の爆発の、」
更に数度の爆音が響き、研究所を震わせた。
言葉を遮られたミハエルは露骨に嫌な顔を見せ舌打ちすると、再度バルドロに向き直る。
「裏手から何かが攻めているようです。ここの警備の者達が相手をするでしょうから、確認だけしてヴァンでなければ戻ってきて下さい」
「はい、分かりました。急ぎ行きます」
バルドロは岩が坂道を転がるように、うるさい音を立てながら部屋を出る。
その後ろを付いて行こうとした者がいた。
「あなたまで行く必要はありませんよ?」
「そう? 1人より、2人の方がいざって時は良いんじゃないの?」
ミハエルは冷たい目を自分の横を通り過ぎようとしたサクラに向ける。
見る者を凍り付かせ、口が開けなくなりそうな冷たい眼光を受けながらも、サクラは軽々とした口調で返した。
「シュライクが来るまで、あなたにはいてもらわなければ困ります」
「あ~、人質? 担保? 保険? まぁ、どれでも良いけど、シュライクが私程度に情を掛けるとは思えないけど?」
何度も右へ左へと首を傾げて、思いつく言葉をサクラは口にし、最後に笑みを浮かべた。
ミハエルは変わらず冷たい目をしているが、サクラから目を離して窓に目を向けた。
「それもそうですね……。では、バルドロと共に探ってください」
「分かった。じゃあ、行ってきます」
顔を背けてミハエルは淡々と言うと、その背中に向けてサクラは笑顔で頷きドアを開けて行った。
・ ・ ・
研究所の正門の2名の警備兵は裏手から鳴り響く爆音に身構え、裏手の騒ぎに気を引かれていた。
警備兵が爆音に気だけでなく耳も捕らわれていたため、接近に気付かなかった物があった。
爆音に消された重々しいエンジン音を鳴らし、ライトを消したトラックが守衛所に向けて猛然と突っ込もうとしている。
警備兵は慌てて小銃を構えて運転席に照準を合わせた時、戸惑いが生まれた。
トラックの運転席には誰も乗っておらず、引き金を引く相手がいないことに気付いた時には目前まで迫っていた。
「うわぁっ!」
「逃げろ!」
タイヤに狙いを変える間もなく警備兵はトラックの突進から逃れると、トラックはそのまま守衛所と正門の間にめり込むように追突する。
追突の際のへしゃげた車体が鳴らした金属音と、コンクリートの一部を破壊した音だけが響くと、正門は静けさを取り戻し、裏手から響く爆音だけが聞こえる。
警備兵が顔を見合ってから頷くと、1人の目の色が緑に変わり、右手が鋭い鉤爪のよう変化した。
その鉤爪をドアと車体の間に掛けると、別の角度から1人が小銃を構える。
意を決してドアを引っぺがした妖魔化した警備兵と、小銃を構えた警備兵はただ目を丸くした。
その目が次に集中したのはシートに取り付けられた巨大な木箱で、警備兵が体を引こうとした時に急激に膨れ上がり炸裂する。
轟音を響かせた爆発によってドアを開けた警備兵はもちろん、小銃を離れた位置で構えていた警備兵も体が吹き飛び、四肢を粉砕されて、辺りに散った塵芥の一部となった。
裏手から鳴り響いた爆発音以上の音を立てたトラック爆弾は正門とコンクリートの壁を粉砕して、研究所への新たな入口を作った。
「上手くいったようですね。コウキさん、しばらくはお任せしますよ」
「ああ、任せろ。サヤ、気をつけて付いて来い」
ヴァンが軽く笑みを浮かべたのに対して、コウキは頷き、サヤを見て言う。
サヤも頷くと、コウキは壁の影に隠れていた所から素早く動き出した。
いくつもの銃と肩掛けの弾倉入れを身にまとった重武装のコウキが、サヤより先に穴が開いた壁を抜けて行く。
「お、彼も動き出したようですね……」
ヴァンが夜空を見上げるように顔を上げると、夜空を舞うようにシュライクが研究所の敷地内へと消えていった。




