約束
窓ガラス越しに届く電灯の光と、計器類が放つ色鮮やかな光がトウマを照らしていた。
トウマの目の前では、吐き気をもよおし、胸くそが悪くなることが行われていた。
灰色の死体が下腹部がやや丸みを帯びた女に馬乗りになり、欲求のまま動いている。
女はすでに声を上げることができない程に疲れ切り、呆けた顔をしている。
今までは死体が地べたを這いながら、女に絡みつき、時間を掛けて女に溶け込むような感じであった。
死体と生者が交わるという、気分が悪くなるものが終わると、死体は活動を停止する。
それに合わせるかのように、女は下腹部を押さえ、痛みに悶えて絶叫し、死ぬ。
その死体から取り出した液体が現在の人造妖魔の基となっている。
始めは女に反応したことから、普通の女をさらって死体に与えていたが、その時に取り出せたのは黒い液体であった。
黒い液体から製造できた妖魔は、ほぼ妖魔に近く、場合によっては制御不能な者もおり、扱いに苦労した。
きっかけはたまたまだが、女を死体に与えた時にいつもと違うものが採取されたため、研究を重ねて現在の方法に至った。
それだけでも不快な気持ちになるが、今は更に不快なものとなっている。
死体が活性化し、ほぼ人と同様に交わる。
いや、人以上に残酷だ。
女を物以下に扱うように押えつけ、自分の欲望のままに蹂躙し、女が反応をしなくなっても自身が満足するまで止めない。
これが国を救うためだと言い聞かせても、沸き上る拭えない不快感と同情を禁じ得なかった。
「いやぁ~~、素晴らしいですねぇ。少し与えただけでこれですかぁ。もっと研究したくなりますねぇ~」
クロオが粘っこい口調で、目の前で繰り広げられる惨劇とも取れるものを見て感慨深く言った。
汚らわしく見える歪んだ笑顔と三白眼に怪しい色が宿っている。
「扱いには気を付けろ。下手に使うには危険すぎる代物だ」
「分かってますよぉ。う~ん、でも使いたいですねぇ。今まで以上に素晴らしいものができるでしょうから……」
「今ので十分だ。実験でも危険だったではないか。使用量を間違うな」
トウマがクロオの要望を頑なに却下すると、嫌悪感を持ちそうな顔を更に汚いものにするように口を尖らせた。
目の前の光景とガラスの先に見える光景のどちらも不快でありながら、ここまでしないと国を守れないと必死に自分に言い聞かせる。
・ ・ ・
「犬が嗅ぎつけたぞ」
全てのカーテンを閉めているホテルの一室で、シュライクとミハエルは深刻な空気を発していた。
カーテンの隙間から覗く陽の光が2人の神妙な顔を薄く照らしている。
シュライクは先に口にした言葉を体現するように、鼻を鳴らした。
「ということは、もう少しで襲撃してくるでしょうね」
「だろうな。夜間にこちらから攻めたいところだが、巧妙に動き回っている。やはり待ち伏せになるであろうな」
あごの下に手を当てて眉間にしわを寄せるミハエルと、腕組みをしてシュライクは顔をしかめていた。
どちらも厄介事を抱えているように見える。
「そうですね。覚悟を決めないといけませんね」
「ああ。我等の何人かは消されるかもな……」
「そうならないために、あなた達もこちらに合わせてください。勝手な戦いをされれば、余計な被害が増えかねません」
「黙れ。言われんでも分かっている」
同族同士で共闘するのが当たり前のことを、シュライクとミハエルは確認し合った。
どちらの顔も険しいもので、合図があれば今にも噛みつきあわん雰囲気を漂わせている。
あまりにも無益としか思えないことを終わらせるように、シュライクは椅子から静かに立ち上がる。
「では、我は監視を続けに行く。貴様らは研究所の狭い部屋でくつろいでおけ」
見下ろしながら、蔑むようにシュライクは言うと、ミハエルが睨み返す。
「……そうしましょう。今は犬の対応が何よりも優先されるのですから」
当たり前の言葉を返されたシュライクは鼻で笑い、外に出るために体の向きを変えた。
ドアに向けて歩き出そうとした時、シュライクは振り返り、いつもと違う目でミハエルを見つめる。
「お前はこの体になった時、我以外に覚えていないのであったな?」
「今更、何ですか? 腹立たしいことに、あなたが兄ということは覚えていますよ」
「そうか……。我も腹立たしいぞ、憎らしい弟よ」
兄弟で憎み合うような会話を交わすと、シュライクは改めてドアに体を向けた。
「アンナ……」
シュライクは独りごちると顔を少しだけ苦くし、歩き出した。
・ ・ ・
コウキはトラジから貰った紙の束を1枚1枚に目を通して、別の紙に何かを書いている。
この量の紙を見こなすのは難しいため、要点だけを簡潔にまとめたものを作成していた。
武器の扱いには慣れと理解が必要だ。ただ、細かなことまで理解するには時間が掛かる。
如何に武器の使用の練度を上げるか。コウキの中でこれが一番手っ取り早いと判断した。
「コウキさん、あの…、入っても良いですか?」
コウキの背後のふすまから、ハルが遠慮気味に声を掛けてきた。
わざわざ夕食を作って、片付けまでしていたハルのことをコウキは失念しており、呼び掛けに目を丸くする。
「…ああ、構わない」
何とか立て直して言うと、ふすまがゆっくりと開けられ、ハルがしずしずと歩きコウキに近づく。
コウキの前で正座をすると、柔らかな顔から少し強張った顔に変わった。
「あの、私が聞いて良いのか……」
「聞いて構わん。言える事は言う」
「では、その……、危ない事をされようとしてませんか?」
何かを察したようにハルは恐る恐るコウキに問いかけた。
「いつも危険なことはしているが?」
「いえ、そうじゃなくて、いつも以上…、というか、覚悟っていえば……。死…ぬかも、とか」
コウキはハルの言いよどんだ言葉に内心では驚きが満ちて、思わず顔に出そうになる程であった。
ハルには不死人との決戦については、何かを匂わせるようなことはしていない。
サヤにも念押しはしていた。それでありながら、ハルは何かを感じ取ったのだ。
「死ぬ気はない。死ぬ気で戦うが、死なん」
ハルの目を見て、コウキは心から言える事だけを言った。
だが、ハルの目には納得の色は浮かばず、不安げな瞳になり、顔も曇って行く。
「死なない…ですよね? いなくなったりしませんよね?」
瞳を潤ませてハルは懇願するようにコウキにすがりついた。
コウキの眼前に、今にも泣き出しそうなハルの顔がある。
「死なん。いなくなったりもしない。…必ず帰るから待っていろ」
「信じて良いんですよね? 帰ってきてくれますよね?」
コウキの浴衣を何度も引っ張り、口にした言葉が本当の事かを確認している。
その姿がコウキには辛く、苦しく、胸が締め付けられた。
かつて父が国に奪われた時、その帰りを待ち続けた時に感じたものだ。
大事な人が去ることがどれだけ悲しい事か。
大事な人が帰るのをただ待つだけの時間が、どれだけ辛いことかを知っている。
コウキにできることは何か。思いついたことは1つだった。
「ハル」
コウキは一言だけ呟くと、ハルの体を抱きしめて優しく口づけをする。
突然のことに驚いたのかハルの体が大きく跳ねたが、すぐに落ち着きを取り戻し、甘い口づけに身を委ねた。
長く続いた口づけも離れてしまえば、コウキにとっては一瞬のことのように思え、名残惜しく感じている。
「俺は死なん。お前を悲しませる気はない。だから…俺に抱かれろ。帰らなかったら、抱くだけ抱いて逃げたと吹聴して、俺をバカにしろ。
俺は死んでも、人からバカにされる気はない。……必ず帰るから、俺を受け止めてくれ」
ただひたすらに真っ直ぐな目を向け、ハルに自分の思いを告げた。
目の前のハルは呆気に取られた顔をし、間を置いて噴き出し、笑いを堪えるために必死に肩を震わせている。
どう反応したら良いのかコウキは分からず、曖昧な顔をして悶えているハルを見る。
「……コウキさんって、そんなこと言うんですね。……すごくバカにしますからね。だから、必ず帰ってきて下さい……」
零れ落ちそうな笑みを浮かべたハルはコウキの思いを受け止めると、再度口づけを交わした。
コウキはハルの体を支えながら、ゆっくりと畳の上に倒し、着物を丁寧に解くと女性らしい肉付きをあらわにした。
コウキも浴衣を剥ぎ、ハルに体を寄せて肌を重ねる。
吸い付くような柔らかな肌が、コウキを更に引き寄せるように体を密着させ、優しい口づけを何度も交わす。
甘くとろけるような瞳をしているハルをコウキは見据えた。
「俺を好きだと言ってくれたお前に、俺をバカにするような事は絶対に言わせない。だから、安心して待っていろ」
ハルに向け、優しく温かみのある声を発したコウキの顔は、ほんの少しだが微笑んでいた。




