君であって、君じゃない
陽明社の窓から部屋の中を照らす斜陽が、か細くなっていく。
少女はコウキに向けて温かみのある柔らかな笑顔を見せ、兄と呼んだ。
ハルはその言葉に困惑し、コウキと少女の顔を交互に見やる。
同じようにコウキも困惑の色を隠せない顔をしていた。
「あ~…、やっぱりそういう反応になっちゃうよねぇ。もう一度言うね。サクラだよ、兄さん」
困り顔をして半笑いを浮かべながら少女、サクラは言った。
コウキは開いた口を無理やり閉じて引き締めると、サクラを見据える。
「…サクラは死んだはずだ……」
思い出したくない思い出が頭を過ぎる中、苦い言葉を絞り出すように惨劇の結果を口にした。
顔も口の中も苦々しくなってきたとき、サクラが小さく笑った声が聞こえる。
コウキが辛い気持ちによって口を塞ぎそうになりながらも、必死に口にした言葉を楽しそうに笑ったのだ。
「あ、兄さん、ごめんね。私は死んでないよ。死にかけはしたけどね」
「…どういうことだ?」
「言った通りよ。妖魔に殺されかけた…けど、助けられた。あの金髪の男にね」
「あの不死人か!?」
微笑みを浮かべたまま語るサクラの言葉に、コウキは乱れる心を落ち着かせることができなかった。
コウキの強い声を受けながらもサクラの微笑んだ顔は崩れず、大きく頷く。
「不死人…、シュライクって言うんだけど、その人に助けてもらったの。…私も不死人になってね」
笑みが消えて真面目な顔をサクラは見せ、真剣な口調でコウキに言った。
コウキの口がまた開いては、言葉が出せず震えている。
「妖魔に襲われて、肉をえぐられ、いたぶられ、最後の時を待っていたわ。その時に彼が現れたの。妖魔を引き裂き、死にかけの私に不死人の力を与えてくれた……」
少し遠い目をしながら語ったサクラは、すぐに目をコウキに向けた。
まだ驚きに捕らえられているコウキに微笑み、口を開く。
「あの時は本当に怖かった……。兄さんが命がけで助けてくれたのに、それに応えられなくて。2人とも死んじゃうなら、兄さんと一緒に死にたかった……。そう思ってたみたいよ。記憶の中の私はね」
最後の言葉にコウキだけでなく、ハルも違和感を感じ、疑問のある顔をした。
サクラが口にした思い出に胸を痛めていたところに、最後の言葉が他人事のように聞こえ、コウキは不快感をあらわにした。
「記憶の中、だと?」
「うん、記憶の中のサクラがね。不死人って厄介な者なの。同族を作ることができる……、なんて言うけど簡単なことじゃない。不死人になるためには、その人に無理やりねじ込むの。その人が経験した、そして引き継いだ何百年間の記憶を一瞬でね……」
「何故、そうなる……?」
サクラの言葉にコウキは理解はしつつあったが、どうしても聞く必要があった。
記憶が勝手に増えていってしまうことが、どういうことを指しているのかを。
「膨大な記憶…、嬉しい事も、悲しい事も、楽しい事も、辛い事も……。まったく知らない他人が経験した記憶が自分の中に、自分の事のように入って来るの。自分が誰だか分からなくなるぐらいにね」
「なら、…お前はサクラじゃない……」
「そうなるのかなぁ……。兄さんとのことは覚えてるよ。でも、それも他人事のように感じる……。しばらくは自分が何者なのか分からなくて、ずっと混乱していたの。で、落ち着いて今の私になった訳。…兄さんの知っている私じゃないよねぇ、多分」
サクラは苦笑いを浮かべた。
コウキが口にしたようにサクラであり、サクラじゃない者。その人が、その人でなくなる程の負荷に耐えきれないと不死人にはなれない。
運が良くなのかは分からないが、サクラは耐えきり、サクラの記憶を持つ者がコウキの前にいる。
それがコウキには不快な者としか思えなかった。
サクラの体を使って、汚らわしい者に変えてしまったようにしか思えない。
「お前はサクラじゃない…、妖魔だ」
「そうね…、そうなるよねぇ。他の妖魔とは少し違うかもしれないけど、人じゃないもんね」
「何故、そんなことを言う……。人ではないなら、妖魔だろう」
「兄さん、不死人ってね、自分の同族を作る時、自分の心臓をくりぬいて相手に埋め込むの……。死が遠いだけで結局は死んでいく者が、1回の命を犠牲にして作るの。
まさしく命がけの行為になるわ。人が子供を産むときの命がけと変わらない。自分の命を懸けて、同族を作るの。妖魔って一括りにして良いものなのかなぁ?」
サクラは神妙な面持ちで語り、最後はコウキに疑問を投げかけた。
その言葉に返す言葉を無理やり作り出したコウキは言う。
「例え、そうだとしても、お前達は人を襲う。サクラが襲われたように」
「人間も変わらないと思うけどなぁ。何かを襲って、奪って、命を繋ぐ。妖魔にだって、生きる権利はあると思うよ?」
「そんなものはない! 母さんも、村の皆も、サクラだって……、妖魔に殺されたんだ! 人を殺す妖魔を生かす理由はない……」
かつての惨劇がまたコウキの中で蘇る。コウキは手を放したことで、サクラを殺した妖魔を憎んでいる。弱かった自分と同等に憎んでいる。
例え、サクラが。サクラだった者が生きていたにしても、心の中にこびりついている己の不甲斐なさと憎しみは消せない。
サクラは困り顔をして腕組みをし、コウキを見つめている。
「確かに兄さんの中では、そう思っても仕方がないと思うわ。私も同じ立場になれば、人間を殺すことに命を燃やすと思う。でも、もう良いんじゃないの? 過去に縛られて生きていかなくても」
「皆の無念を晴らすまで、俺は止まれない……」
「無念かぁ……、晴れないと思うよ? 一生ね」
コウキの心の中にサクラの言葉が重く圧し掛かった。
確かに晴れた気はしない。いつ晴れるともしれない。一生晴れない気はしていた。
コウキは自分でもどこかで思っていたことをサクラでない者に指摘され、苦しみから目を背けるようにサクラから目を逸らす。
「あまり言うのもどうかと思ったけど…、あの妖魔はこの国が製造した妖魔よ。実験に失敗して、取り逃がしてしまった。…その内の1体は父さんよ」
逸らした目を丸くし、心の中のざわめきが一層激しくなった。
父が奪われて失くした穏やかな世界。それを何とか取り戻そうと必死になった自分達の世界を、父が奪いに来た。
そんなことが信用できるはずもなく、コウキは敵意をむき出しにした目をサクラにつきつける。
「適当なことを言うな! 妖魔を殺せば、散って無くなる。誰が誰だか分からないはずだ!」
「…調べた結果よ。シュライクは、この国が人工的に妖魔を製造していることを察知し、調べていた。その過程で手に入れた資料に記載されていたの、父さんの名前がね」
「そんなこと……、信じられるか」
「信じなくても良いよ。所詮は妖魔のたわごとだと思って……。私はただ、兄さんに会いに来ただけだしね」
最後に見せたサクラの笑顔が、コウキの知っているサクラの顔と重なって見えてしまい、また目を背けた。
サクラでない者が自分のことを兄と呼び、家族のことを言う。不快でありながらも、どこか郷愁に駆られてしまう。
「何故……、俺に会いに来た……?」
「…私の記憶がうずくの。多分、どうしても伝えたい事だと思う。兄さん、最後まで私のためにありがとう、って……。死ぬ間際に思ったことだよ」
他人から聞いた記憶を語るように、大した思いもこもっていない声色でサクラは言った。
だが、コウキには過去のサクラが残してくれた思いが詰まった言葉としか聞こえず、顔を歪ませて、こぼれそうな涙を押し止めていた。
「もし、私のために辛い思いをして狩人になったのなら、昔の私は喜ばないと思う。今の私でも、そう思うから……。普通の生活を送って欲しいかな。それじゃ……」
笑みを浮かべながらも、哀愁を漂わせたサクラは静かに陽明社を後にする。
残されたコウキは堪えきれなくなった目から涙が零れ落ち、知らず知らずにハルの手を握り締めていた。




