出会えた者と亡くした者
コウキは空き地で師匠である、長い髪を頭の後ろで縛っている男と向き合っていた。
背丈も師匠と変わらず、鍛え磨かれた体も両者とも一歩も引けを取らない。
コウキの手には2本の短い木剣を持ち、師匠は長い一振りの木刀だ。
「さっさと来い」
師匠が見下すような目と声をコウキに向けると、その通りに体を反応させた。
駆け出しながら、身を低くして、師匠の懐に潜り込もうとする。
だが、それに気付いたように師匠は横に飛び退くと、木刀をコウキ目掛けて振り下ろす。
手加減を一切感じさせない空を切り裂く音を立てた木刀を、コウキは2本の木剣で押さえた。
「ふん…、少しはマシになったなっ!?」
コウキは師匠の木刀を押さえながら、わき腹に蹴りをねじ込んでいた。
「くっ、のぉ!」
師匠も同じくコウキに向けて足で攻撃を仕掛ける。突き出された前蹴りが、コウキのみぞおちを狙う。
筋肉の鎧が薄いみぞおちを足が貫こうとした瞬間、コウキは片足で飛び退き、師匠から遠ざかった。
一瞬の攻防。コウキも師匠も、修行とは思えない緊迫感の中で、それぞれが繰り出せる技を打ちあっている。
そのどれもが流れるような動きなのは、日頃から研鑽、鍛錬を続けたことで、意識せずとも最適な攻撃手段を選択し、反射的なものとなったからだ。
更にお互いが持つ技術をぶつけ合いながら、時が過ぎていく。
体中が汗まみれになった時、師匠が木刀を肩に乗せて、一呼吸した。
「ちっ! 結構やるようになったな……。今日はもう終いだ。夜は店に行くぞ。夕飯の準備はいらん」
師匠が振り返り、頭の後ろで結んだ髪の毛を揺らすと、家路についた。
コウキは師匠の背中を見て、少し離れて付いて行く。
木造のボロ屋に帰ると、庭で師匠が体の汚れを落としている。
玄関の戸を開けると、居間の隅にサヤが静かに座っていた。
コウキは黙ってサヤを見つめる。
上品な人形のような顔立ちをしているが、目の色は違う。
光がない。曇り、濁っているため池のような色をしている。
身動き1つせず、言われたときに言われた行動をする。全てが人形のように思えた。
「今日は飯はない……。残り物だが、これを食え」
食卓に木のおひつを置き、漬物を小皿に乗せた物も置いた。
いつも通り返事をしないサヤを見て、師匠と同じように体の汚れを落としに庭に向かう。
・ ・ ・
いくつもの店の軒先にぶら下がる赤い提灯が辺りを照らす中、多くの男達が顔を赤らめ、上機嫌な声で語り合っている。
コウキは師匠の少し後ろに付くように歩くと、なじみのある大きな遊郭の前で足を止めた。
師匠は躊躇なく入り、その後に付いて、とろけるような光を放つ店の中に足を踏み入れる。
店の中に入ると、師匠と番頭がすでに話しを済ませているようで、師匠は着物を着た女性に促されて店の奥に進んだ。
コウキも同じく促されるまま、部屋に向かう。
部屋に通され少し経つと、伏し目がちな女が1人入ってくる。
いつもコウキはこの女を頼んでいた。口数が多い女ではないからだ。
女はコウキの横に座ると、酒を注ぎ始める。
黙って食事を取り、酒を飲み、女はまた酒を注ぐ。それの繰り返しだ。
会話らしい会話もない。ただ知っているのは、どちらも良い環境で育った訳ではないということだ。
いつかどうなりたいなどの未来の話はしたことがなく、お互いに話せることがないのかもしれない。
コウキと女は最低限の会話を済ませて、布団で寄り添い、抱き合う。
どちら共、お互いの事に興味がないような、淡泊さを感じさせるものだった。
コウキは何の感情も湧くことなく事が終わり、便所に向かうために座敷を出る。
便所で用を足し終えると、師匠が部屋から出て、どこかに向かうのが見えた。
コウキは付いて行くのではなく、同じように向かっていく。
師匠が向かった先は遊女達の寝所である。
人気のある者達であれば多少は良い寝床であろうが、師匠が入った場所は木の板張りの上に、布団が敷かれているだけの場所だった。
普通であれば、布団で敷き詰められているであろう場所に布団は1つしかない。
何人者遊女が過ごすはずの寝所に、1人しかいない者の元へ師匠が行く。
コウキは窓の隙間から、その光景を覗いていた。
「アサヒ…、体調はどうだ? また薬を持ってきたぞ」
師匠が普段だしている声とは思えない優しい響きをさせ、布団の中にいる者に声を掛ける。
「ああ、兄様……。今日は少し楽なんです。きっと兄様が来てくれるからだったんでしょうね……」
か細く、儚く散って行きそうな声で、アサヒは言う。
それを聞いてか、師匠がうっすらと微笑んだ。
コウキにとっては不思議ではない。これを前にも見たことがあった。
なじみの女にそれとなく聞いたところ、いつ頃からか体の調子を崩し、ドンドン痩せ細って行ったらしい。
そんな女を置くわけにはいかないと、追い出そうとしたときに、たまたま師匠が現れた。
師匠は大枚をはたいて、ここに置いて面倒を見てもらうようにお願いし、度々ここを訪れては、金と薬を置いて行く。
おそらくは魔精骨で得た金と薬であろう。だが、魔精骨の薬でも治癒できないとなると、重い病気であることが分かる。
「そうか、それは良かった。土産も持ってきたんだ。柔らかいから、食べやすいぞ」
「ありがとうございます……。ああ…、本当に兄様と会えたことが夢のようです」
「夢じゃない。これからももっと話そう。元気になったら、色々なものを見に行こう。もうお前は1人じゃないんだ」
一度は分かれた兄妹が悲惨な状況になりながらも、また出会えた。
奇跡のようなこの状況に、コウキは下唇を知らず知らずに噛み、部屋から離れる。
コウキが味わった絶望的な状況とは違う。
破けた着物におびただしい量の血と、削られた肉が飛び散った跡が森の中で見つかった。
それだけがサクラの全てであり、サクラと分かる痕跡しか残っていなかったのだ。
サクラを1人で死なせた。どうせならば2人で死にたかった。
妖魔から妹を守れるなどとバカなことを考えず、手を離さずに最後まで握り続けて果てる事ができたら、どれだけ良かっただろうか。
仇は師匠が討ったのかもしれないし、生き延びているのかもしれない。
どちらにせよ、どの妖魔がやったのか分からない中、コウキが取れる選択は限られていた。
『お前はさっさと街に出て、下働きでも良いから真っ当に生きろ』
サクラの死を確認した後に、師匠が冷たく言い放った言葉を思い出す。
コウキはその言葉に首を横に振った。
何度も横に振って、師匠の目を強く見つめた。
『お前の妹の仇がどうなったか分からん。こんなことを続ければ、いずれは喰われて死ぬ。そんな世界だぞ?」
言葉多めに師匠は語った。それに大きく何度も頷く。
視界が滲み、温かい涙が頬を伝っていくのを感じた。
サクラが流したであろう最後の涙は、温かいと思うことなく流れ続けたと思うと、胸が熱くなった。
この胸の熱さをただぶつけたい。サクラが感じたであろう恐怖を妖魔どもに、味あわせたい。
仇など考えず、見つけた悪しき妖魔の全てを殺す。
闇に潜む者達を殺し続けるため、獰猛で熟練した狩人となる。
コウキには、それだけが生き残った自分に科せられた使命としか思えなかった。




