心に触れる
コウキはハルを連れだって、薬を調達のため、ゲンの営む整調薬房の前に立つ。
戸を引くと、柔和な笑顔のゲンの妻が迎えてくれ、コウキは余所行きの顔で挨拶をした。
ついでハルが頭を下げると、微笑ましい顔でコウキを見る。
「コウキちゃん、珍しいわねぇ。もしかして、決まったお人かしら?」
ゲンの妻はハルを見ながら楽しそうな声を上げた。
コウキは余所行きの顔が剥がれそうになるのを何とか堪える。
「そういう仲ではありませんよ。ちょっと2階に上がらせてもらいますね」
さっさと話しを切り上げて、ゲンがいる2階へと逃げるように階段へ向かう。
慌ててハルが付いてくるが、それすらも置いて行った。
2階に上るとゲンが調剤をしているのか、背中を丸めた姿が見えた。
「おい、ゲンさん」
1階で疲れたのか、普段以上にぶっきらぼうな言い方でゲンに声を掛けた。
「ぬお!? んだよ、毎度毎度ビビらせんなよ。…何!? 何で女を連れてんだ!?」
ゲンの言葉に思わず舌打ちをしたくなるのを堪えていると、ハルが横に並び挨拶をした。
簡単な挨拶に所望する薬のことをハルは伝えたが、ゲンはコウキとハルを交互に見ている。
「は~…、お前さんも身を固める気になったかぁ。こりゃ、めでてぇなぁ」
「そんなことは一言も言っていない。…ったく、ゲンさん、今回の分だ」
ヤニで黄色くなった歯を見せびらかすように、満面の笑みを浮かべたゲンを他所に、コウキは魔精骨を差し出す。
受け取ったゲンは職人らしく、先程までとは打って変わって、真剣な眼差しで魔精骨を眺める。
「ほぉ…、なかなか良いじゃねぇか。じゃ、早速、」
「…先に魔精骨入りの軟膏を貰えるか?」
「んあ? こないだ渡したじゃねぇか。もう無くなったのか?」
「いや、この子の親父さんが腰痛を患ったらしくてな。それ用だ」
ゲンの疑問にコウキは落ち着いて返したが、ゲンの表情がいやらしいものに変わる。
「何だ、お前さんも、結局、」
「親父さんには世話になっている。それだけだ」
コウキはゲンの言葉を遮り、目を逸らして静かに返す。
それにもゲンはいやらしい笑みを浮かべて、1人で何度も頷いていた。
・ ・ ・
コウキとハルは喫茶店に入り、足を休めていた。
「あの…、本当にお代は良かったんですか?」
ハルは気が引けた顔をしながら、コウキに向かって聞いた。
「何度も言っているだろう。いらん」
「でも、これって高いんですよね? それをタダでいただくなんて……」
「親父さんが休んでしまったら、うちの大飯食らいがうるさい。それだけだ」
遠慮しているハルに向けて、目は逸らしながら冷たくあしらうように返事をした。
その言葉を聞いてかハルは少し目を伏せ、下から覗くようにコウキを見る。
「…あの、サヤちゃんとは……、どんな関係なんですか?」
サヤのことを気に掛けた言葉に反応したのか、ハルはサヤとコウキの関係に恐る恐る踏み入ろうとする。
問いかけにコウキは持ち上げたコーヒーカップをソーサーの上に戻した。
「お前には関係ない」
目を見ず、これ以上は語ることがないとでも言わんばかりに、固く冷たい声で言った。
「関係…ない、ですよね。…そうですよね」
「…ああ」
目を伏せ、声には悲しげな響きを含ませたハルの言葉をコウキは聞き、言いよどみながらも冷たく押し返すための言葉を口にした。
2人の空間に沈黙が流れ、聞こえるのはコーヒーカップがソーサーと重なる際の、陶器が触れ合う高い音だけだ。
目を伏せたまま紅茶に手をつけないハルを見て、コウキはため息を吐く。
言う必要があるのか。頭の中で過去の記憶が過ぎり、胸が苦しくなってくる。
癒えることのない苦しみがコウキの心を刺激し、顔が強張ってきた。
誰にも言わなかった思い出を口にする。
嫌だった記憶を整理して他人に話すなど、更に自分を傷つけるだけだと思いながらも、湧き出し始めた記憶は止まらない。
心の中を満たし、吐き出し口を求めるように、口から辛い過去が這い出ようとしていた。
「…前にお前は、俺のことが…好き……、だと言ったな?」
沈黙を破った言葉にハルは伏せた目を上げて、コウキを見つめる。
「はい…、好き…です」
「そうか……。どうして、そういう気持ちになる?」
言葉に詰まりながらも、コウキの問いかけにハルは真摯に答えた。
そんなハルに対して、コウキは更に問いかける。自分が知らないこと知ろうとしていた。
「えっと…、その…、ごめんなさい。分かりません……。でも、コウキさんといると嬉しいんです。本当です! 優しさが伝わってくるようで、胸が温かくなるんです……」
コウキを見つめた目を逸らさず、コウキが求める気持ちについて、思いつく限りの言葉をハルは出していた。
ハルの真っ直ぐな言葉とは裏腹に、コウキは少しだけ顔をうつむけて表情を曇らせる。
コウキは過去の自分を省みた。少年時代の綺麗な記憶など、とうに薄れてしまい、残っている記憶は殺伐としている。
ハルが感じるような気持ちが分からず、困惑することしかできなかった。
「…すまない。どういう気持ちか分からん……」
「いえ、ごめんなさい。こんな言葉じゃ分からないですよね……」
曇った表情が晴れないコウキにハルは正直に伝えると、同じように表情を曇らせた。
少し間を置いてコウキは目だけを上げて、ハルのことを見る。
曇った表情が胸に刺さり、締め付けるように痛くて、苦しくなる。
何となく覚えている感情だった。それはかつて、コウキの父が去り、家族の雰囲気が暗くなった時の表情と同じものであることに気付く。
家族が減り、暗く寂しい雰囲気の時、自分は何をしたのか。
母は、サクラは何をしたのか。それは皆が無理をしながらも、穏やかな世界を作るためにしたことだ。
「…ハル、笑ってくれないか?」
思わぬコウキの問いかけに、ハルは目を見開きながら顔を上げた。
コウキは普段の無表情ではあるが、真剣さが伝わる顔と声にハルは戸惑いを覚えている。
「そ、その、えっと」
「……俺を見ろ」
コウキの期待にハルはすぐに応えることができなかった。
戸惑っているハルを見て、コウキはかつての自分が家族に振りまいたものを思い出す。
顔をひきつらせ、頬の表情筋が痙攣するように震え、上げた口角もぎこちなく、笑顔とは程遠いものだった。
これがコウキが嘘で固めた笑みではなく、今見せることができる本当の笑顔をハルに向ける。
コウキが苦心する中、ハルが肩を震わせ、口を手で押さえながら必死に笑いを堪えていた。
ハルはひとしきり悶えると柔らかな顔をして、コウキを見つめる。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
笑顔をコウキに向けて、お礼を述べた。
その笑顔をコウキは知っている。過去の自分に向けてくれたサクラの笑顔を思い出した。
「…今から話すことは誰にも言うな、サヤにもだ。俺だけの記憶だ。他の誰も知らない記憶なんだ……」
コウキは絞り出すように言葉を並べて、心を満たしてしまった苦しい記憶を口から語り始めた。




