出会い
陽明社のあるビルから出て、街の中心部から遠ざかって行く。
コウキの前をサヤは気持ち早く、お目当ての店に向けて歩みを進めていた。
辺りを見回せば、肉体系の労働者が多く見当たる。
この街は急激に発展している。これも先進国の仲間入りしたことが大きい。
そこらかしこにビルが立ち並び、この国中の物だけでなく、外国の物でも手に入るようになってきている。
だが、中心地から離れていけば、コウキ達が住んでいるような木造平屋の住宅地も多い。
今回目的としている場所はそんな急成長する土地と、停滞している土地の合間にある。
「コウキ、いっぱい食べて良い?」
前を歩いているサヤが振り返り、コウキに柔らかな笑顔を見せている。
「好きにしろ」
笑顔のサヤと違って笑顔など微塵も見せず、ぶっきらぼうに返事をした。
その返事に満足したのかサヤは前に向きなおる。
地面のアスファルト舗装がなくなり、土に変わり始めて少しした所で源平食堂が見えた。
サヤは気が逸るのか早歩きに変わり、目的地に一直線に進む。
その姿をコウキは後ろから眺めながら、近くの路地に目をやる。
少しだけ頭の中を思い出が過ぎった。
・ ・ ・
2年前。コウキは家路につくため、煌々とした明かりで照らされる街から、か弱い光を放つ街灯がぽつりぽつりとある住宅地を歩いていた。
報告書を仕上げるため、帰るのが遅くなるので、サヤは陽がある内に帰しておいたのだ。
もう少し早く終わるかと思っていたが、何かと厄介なものであったので、まとめるのに手間取ってしまった。
「ひっ! …ん~! ……ん~ん……」
夜もいい時間になりそうな頃、路地の奥から悲鳴ではなく、驚きによってかろうじて出せたか細い声が聞こえた。
それはすぐに、声の出し場のないくぐもった声に変わった。そのことから良いものではないことは分かる。
コウキは足早に声の出所に向かうと、男が少女を地面に押さえつけて、手で口を塞いでいる。
暴漢かとも思ったが、漂って来た気が普通の者と違うことを感じ取った。
コウキはすぐに、手首に仕込んでいる太くて長い針を抜くと、指で弾く。
「いってぇ! んだ、誰だ!?」
妖魔と思われる男の尻に針が刺さると、思わぬ痛みに少女を押さえたまま声を上げて、コウキに顔を向ける。
その声は言葉づかいもあるが、下品な響きをしていた。
その声と共に体をコウキに向けた瞬間、男の額に一筋の光を放つ物が突き立つ。
「いってぇぇ! ふざけんなよ……。てめぇから先に食ってやる!」
コウキの返事は針を弾き飛ばすことだった。
威勢が良い声を男は上げると、手足が細く伸びて四つん這いになる。
その姿はまるで手足の少ない蜘蛛のようだ。
コウキは四つん這いになった瞬間、蜘蛛の様な妖魔に最小限の動きで、また針を弾く。
「いえげぇぇぇぇ! あぁぁぁ! ふざけんな…てめぇぇぇぇ!」
眼球に深々と刺さった針による痛みに悶えて顔を振るった妖魔は、コウキへ怒り剥き出しの顔で向きなおる。
その時、妖魔の片目が捉えたのは、尖って鈍い光を放った物だった。
「ぶぇえぇぇぇ! えあぁぁぁ! えあぁぁぁ!」
妖魔の残った片目と、口の中にクナイが刺さった。
顔面の中でも特に痛みが強い箇所を集中的に狙い、その全てが的中している。
それを何事もなくコウキはやり抜き、ゆるりと妖魔に向けて歩き出した。
妖魔は呂律が回らず言葉にならない叫び声を上げながら、絶命の瞬間の虫のように地面でもんどりうって、うごめいている。
その気味の悪い光景を見せている妖魔に対して、コウキはスーツの左脇に手をさしこみ銃を取り出して向けた。
大口径の銃弾を撃ち出せる、外国製の大型リボルバーを妖魔が痛みに悶え、せわしなく動く頭に向けて引き金を絞る。
6発の腹に響くような銃声が住宅地を突き抜けた。妖魔の顔には6個の風穴が開いている。
動き続ける狙いづらい頭を的確に打ち抜く。コウキはできて当然のようにあっさりと始末し終えた。
「あ、あ、あ、あの……」
暗闇で地べたに座り込んでしまっている少女が、コウキに向けて何とか言葉を出そうとしていた。
少女の顔をまだ恐怖で引きつらせているが、大きな目をして目尻が少し垂れている。
女性らしいやや丸みのある体で、髪は長く伸ばした物を三つ編みにしていた。
笑みを浮かべれば少し垂れ目がちの顔から、人の心を温かくするようなものを発しそうだ。
そんな少女にコウキは一瞬目を向け、すぐに銃に弾薬を補充して左脇に戻し、妖魔の死骸に近づく。
散って行く妖魔の死骸を見下ろしながら、現れた骨のような物を掴む。
そのままスーツのポケットに突っ込むと、また少女を見る。
「大丈夫か?」
「あ、あ、は、はい…はぁぁ~~」
少女は言葉に詰まりながら無事であることを伝えると、安堵の声だけではなく、気が抜けきった感じのする声を上げた。
「はぁ~…あ!? やだ…私……」
呆けた様な声を上げたと思うと、急に我を取り戻した声を上げた。
少女はコウキから目を背けると、少し落ち着かない様子で体をもじもじさせている。
「立てるか?」
「あ、いえ、あ、その」
少女がコウキを見ては目を逸らすを繰り返す。
それを見てため息とは言えないが軽く息を吐き、少し肩を落として、右手を差し出した。
コウキの差し出した手を少女が恐る恐る握ると、軽々と引っ張り上げる。
その力に少女は驚きの声を上げると、引っ張られる力のままコウキに倒れ込んだ。
「あ! あの、ごめんなさい……。すいません、ごめんなさい」
コウキの胸にもたれ掛かる体勢になった少女は、慌てて体から離れた。
体から離れて少女はまた顔を背ける。コウキは鼻で大きく息を吐き、目を瞑ると家路につくため振り返る。
街灯の下まで歩いた時に後ろから視線を感じて振り返ると、少女がコウキを見ていた。
「助けていただき、ありがとうございました。本当にありがとう…ござ…い……」
少女の口から出たお礼の言葉は、涙交じりになり、最後はか細く消えていった。
「気にするな」
いつもと変わらない、無表情の冷たい目をして、少女に向けて抑揚なく言う。
コウキはそう言いつつも、少女の体に怪我がないかを素早く確認した。
質素な着物が土で汚れているが、股から足に掛けて少しだけ湿っている。
少女がへたり込んでいた場所も湿りを帯びている。
仕方がないことだと言わんばかりに、また目を閉じて鼻から大きく息を吐いた。
「どこだ」
「えっ?」
「どこに住んでいる? そこまで行ってやる」
閉じた目を開いて、少女にコウキは問うた。
まだ体が上手く動かないであろう少女に向けて声を掛ける。
コウキの言葉に少女は何度も頷くと、コウキの元に足早に近づき家を指さす。
少女が向けた指に従って、コウキは少女と共に歩き出した。
・ ・ ・
サヤが源平食堂の引き戸を勢いよく引くと、食欲を刺激する香ばしい匂いが鼻に届いてきた。
嬉々として店内に入ると、早々に椅子に座って、お品書きに目を通している。
少し遅れてコウキが店内に入ると、男性の活気のある太い声と、女性の愛らしい声が聞こえた。
「コウキさん、いらっしゃいませ」
かつて妖魔に襲われていた少女、ハルはこの店の娘だ。