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在りし日の思い出

 小川がさらさらと流れる音を聞き、眠気を引きずりながら目を開けた。


 少し離れた先には小川が太陽の光を受け取り、川の流れを光で描いている。

 心落ち着く優しい風景と、肌を滑らかに触れていくような風を受けて、川べりで寝そべると、うたた寝してしまった。


 柔らかな空気が包む世界の中にいることを再確認すると、また目を閉じ耳をすませて、その世界に身を委ねよう体を地面に預ける。

 その世界を満たしていた音の中に、草を踏みしめる音が入りこんで来たので、目を開けて首を向けた。


 「もう、お兄ちゃん! 男の子なんだから、畑仕事をしなさいっ!」


 髪を2つに分けて三つ編みにしている妹が、目をつり上げながら顔を膨らませんばかりにして声を上げていた。


 「ごめんごめん。もうちょっとしたら行くからさ」

 「ダメ! 私と一緒に行くの!」


 詫びる気を感じない軽い口調で謝ると、妹は信じる気がないようで逃げ道を塞いだ。

 苦笑いを浮かべながら立ち上がると、もう一度小川を眺める。


 流れる水は穏やかそのもので、ここの光景のどこにも物騒なものを感じない。

 ただ、周りの世界は違う。何の理由があって戦っているのか分からないが、父が戦争に駆り出された。


 今まで家族4人で食卓を囲み、この穏やかな世界の中にいたはずが、父がいなくなると、それだけで厳しい冬のように寒くて物悲しい雰囲気になった。

 そんな中、せめて自分だけはと明るく振る舞っている。母も妹も同じだろう。皆がいつか戻ってくる穏やかな世界を信じて、笑顔を出して頑張っている。


 「お兄ちゃん!」


 小川を見つめて呆けていたせいか、厳しい声で目が覚めた。

 慌てて妹に笑顔を見せて近づくと、頭を撫で、手を繋いで畑へと向かう。


 繋いだ手を見て、妹の顔、サクラの顔を見る。

 不思議そうに自分を見るサクラの顔は、先程とは違って柔らかく穏やかなものだ。


 笑顔を見せると、サクラも歯を見せるように満面の笑顔を見せてくれた。

 それを見ると、サクラが近くにいてくれる、それだけで世界が穏やかに見えてしまうのではという気持ちが湧いた。


 前に向き直ると、世界が一変していた。


 目の前に広がっているのは、闇が覆う世界と、その世界を拒むように赤い光を放ち、焼けていく家だけだった。

 そこかしこから響く悲鳴だけが耳を越えて、頭の中を支配していく。


 頭の中で反響し続ける悲鳴に思考が止まり、ただ目の前の光景を呆けて見ている。

 その状態が後ろから押し飛ばされる衝撃で大きく変わった。


 地面に前のめりに倒れた体を起こして、何事かと振り返る。

 そこには母が笑みを浮かべたまま、地べたに倒れていた。

 母から目が離せないでいると、口から血が流れ出すの見て体が凍りつく。

 何が、どうして。また頭の中が埋めつくさせられそうになった時、服を軽く引かれて我に返る。


 横にはサクラが震える目で自分を見ていた。

 周りの光景だけでなく、目の前の母の光景にサクラは耐えきれなくなっている。


 「サクラ、行くぞ!」


 すぐにサクラの手を掴み、歯を食いしばって、震える足を何度も叩きつけ、立ち上がった。

 まだ上手く立ち上がれないサクラの手を引きながら、出せる限りの力で森の中に逃げ込んだ。


 森を抜ければ街道に出る。そこまで逃げたら、サクラは助かる。

 穏やかさを奪われた村から、せめて自分にとって穏やかな世界を与えてくれるサクラだけは助けようと走った。


 サクラを振り返ることなく、ただ引っ張り続け、あの世界から逃げるために走り続ける。

 道なんてものはない森の中に無理やり道を作るように、草木をかき分ける。枝葉に服が掛かろうと、体が切られようとお構いなしだ。

 そのかいもあってか、森の切れ間から街道が見えた。普段であれば寂れた街道が、光輝いて見えるほどに喜びが込み上げてくる。


 「サクラ、もう少しだから」


 振り返りサクラを見ると、息も絶え絶えながら、なんとか頷いた。

 あともう少しと自分にも言い聞かせ前に向き直ると、先程まではいなかった大きな人が立ち塞がっている。


 ここまで駆けてきた足が急に力を失い、崩れるように地面にへたりこみそうになった。

 絶望が心を支配し、恐怖が体を締め付ける。全てが目の前の大きな人によってもたらされた。


 いや、人ではない。暗くて大きな人のように見えるが、目がリンゴのように赤く丸く、飛び出て光っている。

 人でもなければ動物でもない。それが分かると、それ以上は何も考えないように地面を見た。


 怪しく、荒々しい息遣いが耳に届く。耳は音を遮ってはくれず、鮮明に汚らわしい吐息と足音を響いてくる。

 何もできず、何も分からない時に、手の中に温もりがあることに意識が集中した。


 サクラが自分と手を繋いでいる。サクラがいてくれることが、自分にとって一番大切なことだと気付いた。

 体の震えは止まった。足も震えることなく立っている。目を地面からヤツに向け、睨みつけた。腹に力を込めて、全てを出しきる。


 「サクラァァァ! 逃げろぉぉぉ!」


 サクラの手を放して、わき目も振らずにヤツに向かって走り、飛び着く。

 足にしがみつき股をくぐり、腕にぶら下がって背中にしがみ付くと、頭に向けて拳を叩きつける。

 無駄な抵抗、蛮勇、悪足掻き。何と捉えられようが、全てはサクラを、自分が望んだ世界をくれた存在を守るために全力を出した。


 何度目かの拳を叩きつけると、振り下ろした手を握られて、宙に飛ばされそうな勢いで背中から引きはがされた。

 腕を強く握り締められたまま、ヤツは自分を目の前にぶら下げると、大きく振りかぶって宙に放り投げた。


 今まで感じたことのない浮遊感に戸惑い、すぐに地面に吸い込まれるように落下する。

 地面が直前まで迫ったところで視界が暗くなった。


 目が薄く開くと、また光景が変わっていた。

 厳密に言えば変わっていない。


 ただ、街道近くの脇にいる自分の少し先に、男と少女が立って、森を見据えていた。

 男は長い髪を頭の後ろでまとめて、馬の尻尾のようにし、青い袴に黒い羽織を着ている。

 女の子はそのまま髪を伸ばしただけで、すれた感のある着物を着ていた。


 「何かいるかと思えば、色々いるな……。おい、出せ」


 男が少女を軽く小突くと、少女の首が前に傾く。

 その首から白く光る柄が現れると、男は無言で引き抜いた。


 「ああぁぁぁぅぅぅ!」

 「ふん……。さて、稼がせてもらおうか……」


 少女が上げた悲鳴に対して、男は顔色を変えず一瞥もすることなく、すぐに森に目をやった。

 次の瞬間には男はおらず、何が起きたのかも分からない。


 分からないづくめのことばかりで、地面に転がったまま、ただ何かが起きているのを見ている。

 その中の1つに異変が起きた。少女の息が荒くなり、胸を手で押さえ始めたのだ。次第にそれが酷くなっていく時、男が急に姿を現した。

 男は現れたと思っていると、少女のうなじに光る刀を差しこんだ。


 「うううぅぅぅ! …うぅ」


 少女が今まで抱えていた苦しみに加えて、更に苦しい声を上げたのを見て、思わず口を開いた。


 「その子…痛がってる……」


 何とか絞り出す様に言うと、男が自分に気付き、近づく。

 近くまで来ても、男は見下ろすだけで何も言わない。ただ、顔と目は冷たく見えた。


 「あの子は…、」

 「いつものことだ」


 男は冷たくぶっきらぼうに返すと、しゃがみこんで自分の顔の前に近づく。


 「この先の村で何かあったのか?」

 「はい……」

 「なるほど。通りで何体もいた訳か……」


 男は自分の言葉を聞いて何度も頷いて、何かに納得している。

 今まで思い出さなかったことを思い出した。サクラのことだ。


 「あの…、森の中に…女の子は……?」

 「いなかったと思うが。…いや、いたとしても今は不味い。休める場所に行く」


 男は立ち上がりながら、森を眺めて淡々と言った。


 「え……? でも、」

 「夜に動くな、だ。…お前、何て名だ?」

 「コウキ…で…す……」


 男に名前を告げた後、コウキは脱力し、意識を失った。

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