帝国陸軍技術研究所
帝都の中心部から1台の車が遠ざかって行く。
進む道は全てアスファルトで舗装されており、中心部を離れて行こうとも、そこはまだ帝都の中だということを教えてくれる。
小一時間ほどの道のりを終えて辿りついた場所は、2階建てのコンクリート造りの建物だ。
だが、普通のビルなどよりも厚みがあり、角ばって色味のない武骨な建物となっている。
周りにはコンクリート製の壁と上に鉄製の棒が屹立しており、侵入者を妨害するため、尖端は鋭利な物で揃えられていた。
目の前にある門も、形は洋式で格式が高そうなアーチ状の門だが、固い金属であることを隠すことのない色味が建物の番人を勤めていることを伝えてくる。
門の前の詰所から1人の軍服を着た兵士が車に近づく。
運転手は中にいる者が何者かを説明しようと、車の窓を下げ始めた。
「失礼いたします。ご身分を証明していただける物をいただけますか?」
兵士は引き締まった顔と声で運転手に向けて問うと、運転手は軍隊手帳を兵士に渡す。すぐに兵士の顔色が変わった。
車の後部座席にいる人物に対して姿勢をただし、素早く敬礼をする。
「失礼いたしました! すぐに門をお開けいたしますので、しばらくお待ちください!」
目を合わせるのも恐れ多いと言わんばかりに、目を後部座席から外して大きな声を上げると、すぐに門に向かった。
施設を守るための番人が少し錆びついた金属音を響かせて口を開けると、車はその中に飲み込まれるように入って行く。
施設の敷地内は広く、芝生や色とりどりの花が植えられており、外から見た時の堅苦しい感じが幾分か和らいでいる。
緩いカーブを曲がって施設の入り口に到着すると、運転手がエンジンを切り、素早く後部座席のドアを開けた。
運転手はドアを開けると、軽く頭をさげたままの姿勢で後部座席の者が出て来るのを待つ。
開かれたドアからおもむろに足を出して、地を踏み、腰を上げる。
息苦しい空間を出ると、施設の入り口に目を向けた。
『帝国陸軍技術研究所』と、仰々しい木彫りの縦書きの看板がぶら下がっている。
「ああ、トウマ大佐、すみません。お待たせしてしまいましたか?」
白衣を着た、気の弱そうな男が音を立てるように研究所から走ってきた。
訓練されていないのか、弱々しい敬礼を慌ててする。
「いや、今着いたばかりだ。そんなに急ぐ必要はない。いつものことだ」
「そうですか、良かったぁ。あ、申し訳ございません。トウマ大佐、すぐにご案内いたします」
トウマの顔は固いままだが、口調は柔らかい。
それに白衣の男は安堵の表情を浮かべ、慌てて我に返ると手を出し、トウマを促した。
研究所の中では白衣を着た者、軍服を着た者が入り乱れて、やや騒がしい。
その者達は忙しさに追われているにも関わらず、トウマの姿を見ると姿勢をただし、敬礼をする。
軍の規律が守られていることを密かに喜びながら、気弱な白衣の男と廊下を歩き、階段の前で止まった。
陽の光がさす2階にではなく、味気ない電灯が照らす地下へと足を進める。
地上と違い、空気が悪くなってくる地下に進む階段を下り続けると、閉じられた目出し穴がある鉄の扉が現れた。
気弱な男が強くドアを叩くと、目出し穴が横に開き、ぎょろりとした目が暗闇の中で光っている。
鼻で笑うような音がすると、扉を頑丈に閉じているであろう鍵が、いくつも解放される音が地下に響く。
気弱な男は体を引いて、トウマに道を譲った。それを目だけ動かして確認し、中に入る。
部屋の中は決して狭い訳でなく、地下室としては上の研究所に負けない大きさで作られている。
その中には、いくつもの計器や、研究用の機械、その結果をまとめているであろう書類などが、部屋には散見された。
ただでさえ地下という息苦しい場所が、更に息苦しさを増している。だが、トウマは何食わぬ顔で中を歩き、1枚の大きなガラスの前に立つ。
「クロオ、今はどの程度の頻度で作成できている?」
トウマは窓ガラスに目を向けたまま、白衣を着ているクロオという男に声を掛けた。
声を掛けられたクロオは、背が低く、髪が散らばって禿げており、三白眼の目を細めて、低く嫌な笑いをしている。
「2週間に1回、と言った程度ですねぇ~。いや~、女達よりもあっちがダメみたいですねぇ~」
いやらしい含み笑いをしながら、クロオもトウマと同じようにガラスの前に立った。
眼鏡の中の瞳が濁って、腰が大きく曲がったクロオがトウマの横に並ぶと、同じ人間なのかと思われる光景だ。
「やはり薬を使ってもダメか? 色々と研究をしているのだろう?」
「ダメダメェ~、薬品研究部のやつ等には、期待なんてしちゃダメですよぉ~」
トウマがクロオに目を向けて確認すると、クロオは大げさに顔の前で手を振って、またいやらしい笑みを浮かべた。
やや不快な笑みからトウマは目を外して、ガラスの先に目をやる。
「となると、今の状況は変わらない…か」
「でえすねぇ~。私達も研究はしてますが、これ以上は時間が掛かりそうでぇ」
「そうかもしれないが、できるだけ速やかに効率よく生産できるようにするのだ。我が国のためにな!」
クロオは残念そうな響きをさせると、トウマはそれを叱咤した。
トウマの中では先日のミハエルとの話が、頭からこびり付いて離れない。
この国の行く末を左右する大事な物を、一部とはいえ渡すことに抵抗している。
「あ、ちょうど始めますがぁ、見て行きますかぁ~?」
いやらしさの中に、下品さを感じる粘着質な声でクロオが聞いた。
軽く目を閉じたトウマは、踵を返して体を扉に向ける。
「何度も見た。変わりがあれば見るが?」
「いえぇ~、何も変わらない、素敵なものですよぉ~?」
「…失礼する」
トウマは顔を少し歪めながらも、不愉快さを消した声で返した。
背中越しに、女性の悲鳴が聞こえる。
恐怖におびえ、絶望を間近で感じ、少しでも希望を探りたい。
そんな悲痛な叫びがしばらく続くと静かになり、ついで聞こえるのは荒い吐息だ。
その光景に魅入っているだろうクロオ達を置いて、トウマは闇深く淀んだ世界から出るための扉に向かった。
・ ・ ・
コウキはサヤと共に喫茶店にいた。
コウキはコーヒーを頼み、新聞に目を通す。
サヤはアイスクリームを口に入れては、体をよじって、笑みを浮かべている。
新聞には大小さまざまな事件が報じられる中、特に政治面が大きく取り上げられていた。
軍事行動推進派がかなりの勢いを持って、他勢力を押しつつある。
他勢力も抵抗しようと、休戦協定を結び、一致団結して臨んでいるが、どうにも雲行きが怪しい。
2度の大戦があり、極度に疲弊した状態から完全には立ち直りきったとは言えないのが現状だ。
そのような状態でありながらも、軍事行動推進派が勢力を持っているのだ。
発言力を持つ者達は他国を植民地にしてしまえば、自分達の利益になるため、賛成する者が多いのも頷ける。
だが、一般の国民はどうか。政治に対する興味はあっても、政治に関われる者は限られている。
それでも少なからずは国民の今の窮状を嘆き、軍事行動を控えようとする者もそれなりにいるはずだ。
「だぁかぁらぁ! 何度も言っているだろ!? 後手に回れば負けるんだよ。攻めて攻めて行かないと!」
男の大声が喫茶店内に響いた。全ての客がその男に目を向けると、ばつが悪そうな顔をした。
その後も何やら熱心に軍事行動に対する熱意を、話し相手に伝えようとしている。
男の言葉の端々に聞こえたのは、ウカジの名前だ。
街頭演説を聞いてみたら、その正当性を分かりやすく教えてくれるというものだった。
コウキは改めて新聞に目を通す。いつの間にかウカジが軍事行動推進派の中核になりつつある。
いくら顔が良く、話も上手い者でも、海千山千の政治家達を差し置いていけるものなのだろうか。
コウキはそのことも、また闇深い世界が絡んでいるような気がしてならなかった。
「ねぇ、コウキ、」
「好きにしろ」
「ありがとう。すみませ~ん、アイスクリームもう1つお願いします」
サヤの質問の意図をすぐに察知して、新聞を読みながら適当に返すと、喜びを隠しきれない声で注文を頼むのが聞こえた。
新聞紙を挟んで、アイスクリームを待ちわびて笑顔を浮かべているであろうサヤに対して、コウキは新聞記事の『戦争』という単語に眉をひそめる。




