晴れない心
寝静まった夜を叩き起こすように、重々しい銃声が鳴り響いた。
港には普段であれば、波が当たっては戻り、泊めている船が軋む重い音が闇の中を支配する。
だが、今日の港には銃声が響く。
コウキとサヤの目の前には、上半身がカニを水平にし、下半身はヒレ付きの足以外は人のように見える者がいる。
見た目からカニ人間としか言えないような妖魔と相対しているコウキは、ショットガンを折り、弾の排きょうと装填を素早く終えた。
左手にクナイを持つと大きく振りかぶって、一直線に投げ放つ。
通常であれば肉体に深々と突き刺さるクナイが、軽く動かした妖魔の左手に当たると、少しだけ留まり地面に落ちた。
カニに似ているだけでなく、カニ同様の甲殻を持っているのか、リボルバーで遠くから撃っても、固い殻を粉砕するものではなかった。
コウキはクナイを防いだことで死角になる、妖魔の右側を走り抜けながら、水平2連ショットガンを素早く腹部に撃ち込む。
2発の散弾を間近に受けた妖魔は少しだけ体勢を崩しながら、反撃のために大きく尖ったはさみをコウキに向けて振るった。
すでに距離を取っていたコウキに苦し紛れの反撃は届かず、見合う形で対峙する。
ショットガンは銃声同様に、近距離で当たれば肉体が破裂するであろう力を持つ。
そんな力でも破壊できない甲殻を見て、舌打ちをし、銃弾の装填に取り掛かる。
妖魔の動きは決して早くはない。コウキは戦うに当たって、不利な条件はない。五光稲光を使用するという選択を取ればである。
しかし、コウキにその素振りはない。サヤは少し離れた所で控えている。すぐに取り出せないことはない。
だが、使おうとはしない。コウキの中で、この程度の妖魔を手持ちの武器で倒せなければ、との思いが湧いている。
それは先日の外国の者と思われる男に、完膚なきまでに叩きのめされた。
それもあっての、今の戦い方になっている。
改めてコウキはショットガンを構えて、妖魔を見据える。
妖魔もコウキを見て、向かってくるのを待ち構えるように、落ち着いて立っている。
あとは狙う場所はここしかないと判断すると、円を描くように相手の周りを走り、空いた左手でクナイを投げる。
妖魔はその攻撃を無視するかのように、コウキを目で追い続けた。事実、クナイは体に当たり弾かれただけだ。
円を描いていたコウキの足が地面を踏みしめた時、その足を軸にして直角に曲がり、妖魔へ猛進する。
コウキの素早さと思わぬ動きに妖魔の反応は遅れたが、どちらに逃げようとも逃げられないように、両手を水平に構えて、コウキが走り抜けるであろう瞬間に手を交差させた。
空気を鈍く切り裂く音を立てて、振るわれた固く尖ったはさみ付きの手は、空を切り裂いただけで何も得たものはなかった。
左右のどちらかに避けるであろう、コウキに合わせた攻撃であるはずが、何の手応えも妖魔は感じず困惑するように目をしばたいた。
思わぬ事態に、体をよじってコウキを探すため、固まった体を緩めようとした瞬間に、妖魔は何かを見たのか動きが止まった。
「おい」
しゃがみこんだコウキは立ち上がると、目と鼻の先にいる妖魔に声を掛けた。
妖魔の振るった手がそのままなので、妖魔に抱かれるようにコウキは立っている。
予期もしなかったコウキの出現に妖魔の動きが固まった瞬間、ショットガンを口にねじ込み1発撃つと、更に突っ込んで2発目を口内深くでぶちまく。
コウキはショットガンを妖魔の口から抜き出し、すぐに距離を取った。
ショットガンに張り付いた粘っこい液と肉片が、妖魔に痛撃を与えたことの証明のように見える。
棒立ちの妖魔が後ろ向きに倒れて、完全に動かなくなった。
コウキは少しだけ肩を落とすと、散って行く妖魔を暗い眼差しで眺めている。
「ねぇ、使わなくて良かったの?」
妖魔が散ったのを確認してか、サヤがコウキのすぐ傍まで来ていた。
サヤの口にした言葉は純粋な疑問であることが分かるコウキは、目を閉じて返す。
「ああ、問題ない」
コウキは男に負けたことがしこりとなって、妖魔に五光稲光を使わずに戦って勝ちたかった思いを伏せた。
だが、勝って魔精骨だけを残した妖魔の残りカスを見ても、それが何にもならなかったことを知った。
・ ・ ・
陽明社の中ではいつもの3人とモリタカが珍しく静かに話していた。
「コウキよぉ、何か裏でヤバい事になってそうだが、何か知ってんじゃないのか?」
声を潜めたモリタカがコウキに机越しで、できるだけ近づき聞いた。
「何か…か。モっさん達もある程度は察しが付いてるだろ?」
「ああ、高等のやつ等か……。いきなり出しゃばって来て、捜査資料やら何やらを全部持っていきやがったからな」
「それがヤバいことだ。事実、俺も何日か付けられた」
モリタカは汚いものを吐き出すように言うと、顔を不愉快そうに歪める。
だが、コウキの言葉を聞いて、目を見開き、驚きの色が隠せなかった。
「おいおい…、お前、何か関わったのか? やべぇ事に首突っ込んでねぇか?」
「多少はな。だが、証拠はない。それに高警は俺の監視を止めた。腕の良いヤツか、裏の世界のヤツか、しらみつぶしに調べているんだろう」
いつもであれば怒鳴りながら聞くことを、モリタカは静かに問いただした。
それにコウキは事実を多少は伏せながらも、嘘を吐かずに返す。
モリタカは近づけた顔を離し、腕組みして唸り出した。カズマも珍しく真剣な顔をしている。
「まあ、何をしたかは聞かねぇ。とりあえず高等のやつ等が飽きるまでは、慎ましくしとけよ」
「ああ。ただ、これで事件はなかったようなものだな……」
モリタカの言う通り、下手に睨まれることのないよう、コウキも賛同する言葉を発する。
しかし、あまりの後味の悪さによって、思わず口から本音が漏れてしまった。
コウキの物悲しい言葉を聞き、モリタカは頭を軽く数回かいて、真面目な顔に変わる。
「やつ等は異常な程の秘密主義だからな。その上、権力まで傘に着られちゃあ、俺達じゃ何もできねぇ……」
モリタカはコウキから顔を逸らして、苦渋に満ちた顔をし、憤りを隠せない声色で言う。
警察として解決し、犯人を衆目の目にさらして、被害者やその家族の無念を晴らしたい。
そんな思いがモリタカの中にあるのかもしれない。
だが、相手が悪すぎる。上位の権限を持たれている時点で、例え犯人を上げることができたとしても、公表されるかも分からない。
ただ闇に葬られるか、何かに利用されるかもしれない。どちらにしても、普通警察は辛酸を舐めさせられるだけだ。
モリタカを慰める訳ではないが、下手な不安を与えないために口を開く。
「こればかりは仕方がない、国が相手のようなものだ。俺は一狩人でしばらくは通すことにする」
「だな。くれぐれも気ぃ付けろよ?」
「ボロは出さん。モっさんも気を付けてくれ」
モリタカが静かに陽明社を後にすると沈黙が訪れた。
細かいことは分からないが、カズマも裏の世界を知っている。
この事態の深刻さを分かって、口を閉じているのだろう。
コウキは椅子に深くもたれ掛けると、目を閉じて、思案の海に入る。
妊娠した女性が何故、必要とされたのか。
新興のヤクザを使ったのは、トカゲの尻尾切りにし易いためか。
そして、ウカジを使って、座長に妖魔に近い力を与えた者達は誰なのか。
そのどれもが隠されるか消されるか、近づけないか。
何れにしても、手を出すべき案件ではないとコウキは改めて思い、目を開けた。
「カズマ、もう少しで締切だ。キョウコに文句を言われる前に、終わらせるぞ」
「あ、はい。いや、カニの妖魔って…焼いたら美味いんですかね?」
コウキはいつもの調子に戻して、平常運転の陽明社に戻すような言葉を口にした。
それにカズマも乗っかるように軽口を叩いて、笑顔を見せる。
サヤはモリタカからの土産のどら焼きを食べ終わると、本を読み始めた。




