真相は闇の中へ
「うぉえぇべぇぇぇ~~…、うえぇ~…、え~……」
月と星と電灯が放つ、3つの光が闇に支配されないように輝いている。
貨物船の船首付近で海に上半身を乗り出した影が、海に向かって口から何かをばら撒いている。
ひとしきり海と船体に向かって、吐しゃ物を出すと影は腰が砕けたように、情けなくへたり込んだ。
「もう…、ヴァンさん、何度も言っているでしょう? せめて、船尾から吐いてくださいよ。こっちの気分まで悪くなっちゃいますって」
青い作業着からもたくましさが分かる体形の髭を蓄えた男が、呆れ顔をしてヴァンという男を見て言った。
言われたヴァンは、全身をダークグレーの服で身を固めているためか、ただの影がうごめいているようにしか見えない。
「いや、分かっていますよ? 分かってはいるんだけど、僕も、おうっぷ!」
ヴァンは言葉を言いきる前に、口を大きく膨らませると、また海に目掛けて胃の中身を吐き出した。
何度か続けると少し落ち着いたのか、船べりに捕まりながらも、何とか立っている。
「一度、陸に上がるとすぐこれですからねぇ。慣れる前に着きそうですよ?」
青い作業着の男が、ヴァンに向かって諦めるような感じをしている。
そんなヴァンに言いながらも、見ているのは電灯の集まった光輝く場所だ。
同じくヴァンも目を向ける。海風が吹き抜ける中、貨物船は帝都の港へ向かっていた。
・ ・ ・
コウキはライゾウの屋敷に呼ばれて、応接間で待たされていた。
前とは違って、座布団は4つ用意されており、その1つにはハヅキが座っている。
コウキの前にすでに座っていたハヅキが、たれ目を少し下げて甘い笑顔を見せてきた。
少し経つとライゾウとゼンスケが部屋に入ってき、前と同じようにコウキの前にライゾウは腰を下ろしてあぐらをかいた。
ライゾウの険しい岩のような顔がコウキは見据えている。それを見てライゾウの言葉を待つ。
「わりぃな、また呼んじまってよぉ」
ライゾウの顔に亀裂が入るように、険しい顔が笑顔に変わった。
声の響きから、コウキは悪い話ではないことであることに、体の強張りが取れた。
「それで? ライゾウさんの依頼は終わったと思うが?」
周りにいる者達を無視するように、コウキはライゾウに思ったままのことを言った。
前はその言葉づかいに反応したゼンスケは動かず、ハヅキからも動きはない。
「ああ、終わったんだがぁ…、後味が悪い話がいくつかあってよぉ」
急にライゾウが顔を尖った岩肌のように変えると、コウキに低い声で言った。
コウキは変わらずの無表情だが、ライゾウが言う程の後味の悪い話に心の中で身構える。
「その話ってのは?」
「まずは俺達へのガサ入れはなくなった。これはコウちゃんが、あいつ等をふんじばってくれたお陰だ。その上、ウカジの愛人は知ってか知らずかさらっちまって、更には利用したことで、逆に立場が悪くなった」
「悪い話じゃないな」
「こっからだ。まずはやつ等が女をさらって売ったってやつだが、どうやら妊娠させて売っていたようだ」
ライゾウの話に思わずコウキは顔をしかめそうになった。
ヤクザの精のはけ口扱いとは聞いていたが、売るために妊娠をさせるなど、胸くそが悪くなってきている。
嫌な気分を吐き出すように口を開く。
「ゲスな話だな」
「ああ。何でか分からねぇが、そうらしい。まあ、そんな商売はする気はねぇから、そこはサツに任せたんだがぁ……。高警が出張ってきやがってな、その話は終いになった」
カタギの人間を傷つける気がないライゾウらしく、その場所や商売をやつ等から奪うような真似はしなかった。
だが、警察よりも上位の権限を持ち、独立した組織である高等警察、略して高警がそこを押さえて情報を遮断したことにわずかだか顔をしかめる。
コウキにとっては許しがたい気持ちしか湧かない。
人を物扱いにし、更に望まぬ生を与えて、売りさばくなど、人を辱め殺す以上に辛い思いをさせる。
もし、キョウコを押さえることができなかったらと思うと、憎しみすら湧いてきている。
それ程までに怒りを覚えそうな事に高警がしゃしゃり出てきた。
そうなると、この一件の末路は大抵、決まってしまったようなものである。
一般警察とは違い、犯人やそれに関する情報は遮断されて、事件は闇に葬られるだろう。
「高警が出張って来たとなると、流石においそれとやつ等の島に手は出せねぇ。というか、やつ等はほとんど捕まって解散状態だがな」
「とりあえず、面倒な事態は避けられたが、別の厄介なヤツが出てきた、という話か。となると……」
「さっすがコウちゃん、話が早くて助かるよ」
コウキがこれからのことを思案していると、それを察したかのようにライゾウは顔色は崩さず、低い声のまま楽しげに言った。
畳を見る様にコウキは首を気持ち下げた。何をどうすべきか、大体の想像がついている。
「捕まえたやつ等は早々に始末して、隠ぺいすべきだろう。幸い、襲撃を高警は察知できてはいないし、証拠になるような物は残してはいない」
「だな。ま、実はそこはもう済ませてあるんだ。わりぃ」
「いや、ライゾウさんの判断は正しい。…それで、座長は残しているのか?」
「おう。コウちゃんの考えを聞いてからと思ってな」
下手に足が付きそうなヤクザ達は、すでに始末したことをライゾウはコウキに教えた。
だが、コウキにとっては座長の存在が重要だ。行方不明になっていることは、盛大に取沙汰されている。
ライゾウ達の迷惑にならないように、消すことも可能ではあるが、重要な人物でもあるのだ。
扱い方を思案していると、横からハヅキが首をコウキに向けた。
「座長を始末して、海に浮かべとくのはどうだ?」
大胆な話をハヅキは顔色を変えず、たれ目に因って笑みを浮かべるように言った。
ハヅキの行動が危険なものではないのかをコウキは確認する。
「それは不味いんじゃないのか?」
「足が付かねぇようにはできる。それにあいつは普通じゃない。何か裏があるんじゃないのか?」
「裏はある……。だが、かなり深い闇だ」
「なら、座長の件で高警がどう動くかを遠くからでも、探りを入れてみちゃどうだい? こちとら高警が去ってくれねぇと、やりづらいことも多い」
ハヅキは呆れ顔で両手を肩の位置まで上げて、肩をすくめた。
座長の持つ、人を操るような力。それを与える切っ掛けはウカジだが、力を与えたのは何者か分からない。
コウキはそこに踏み入るか悩んでいるが、ヤクザ者達には高警の権力と実行力が厄介であることは理解していた。
「分かった。で、そのまま浮かべるのは不味いんじゃないのか?」
「ああ、それはヤツの金目当てで襲ったように仕立て上げたヤツを、一緒に浮かべるさ」
「それは一般人か?」
ハヅキが軽い口調で解決策を言った事に対して、コウキは暗い声でハヅキに向けて確認をする。
それを受けてハヅキは少し呆れ顔をして、口角だけ上げて口を開いた。
「怖い顔すんなって。ろくでなしで、こさえた借金を女房や子供に払わせては、また借りる。うちの金で十分楽しんだんだ、それでチャラにしてやろうじゃないか」
言葉を口にしている途中で、ハヅキの目が険しいものに変わった。
ハヅキにとって嫌な話なのだろうと、コウキは見抜くようにして聞き、頷く。
「それなら問題はなさそうだな」
「後の面倒も任せとけって。親父、それで良いか?」
今まで黙って話を聞いていたライゾウに向けて、ハヅキは親しみを感じる温かな声色で訪ねた。
コウキもハヅキの言葉に合わせてライゾウを見ると、目を閉じて固い岩と化したライゾウがいる。
「確かに高警は厄介だ……。だが、下手に手を出すのは……。いや、このままでは……」
ライゾウは独り言を呟きながら、横に体を揺らしている。
今にも岩が転がって行きそうなぐらいに、大きく体を揺らしていたのを終えると、目をゆっくりと開いた。
「ハヅキ、それでいくぞ。死亡時期や死に方をちゃんと調整しとけよ」
「分かってるって。そこら辺は抜かりなくだぜ。ってことだ、お兄さんよ。あんたはそれを追うも良し、放置するも良しだ」
ライゾウとハヅキの間で話が付くと、ハヅキはコウキに目をやり、あとは任せるように投げやり気味に言った。
闇深い場所で何かが起きていることは間違いない。だが、それに手を出す必要があるのかが判断できない。
コウキは判断ができないならば、流れにしばらく身を任せることを選んだ。
「分かった」
一言でコウキが伝え終わると、応接間に張りつめていた空気が少しだけ和らいだ。




