邂逅(かいこう)
帝都から離れた、低所得者が営みを築いている場所にシュライクは足を踏み入れた。
帝都とはまた違って、生々しい臭いが多い。土の粉っぽい臭いもあれば、甘く柔らかな食卓に並ぶ料理の匂いや、人の排泄物の臭い。
人が生活する中で生み出される臭いが、この場所には充満している。
シュライクは鼻が良い自分を恨みそうになるが、そのお陰でここまで来ることができた。
鼻で笑うように、空気を鼻の中で散らして、多くの臭いを嗅ぎ分ける。
「喜べ、見つけたぞ」
暗闇の中で傍にいる少女に向けて、右側の口角をつり上げた。
笑みを浮かべたまま、シュライクは鼻を鳴らして、住宅街に潜む闇の世界の者に近づいて行く。
・ ・ ・
コウキはハルを源平食堂まで送り、踵を返して家路につく。
すでにバレてしまったことを変に隠すようなことをしてしまえば、更に情けない事になると判断し、コウキはハルと並んで、家まで送り届ける形となった。
話した内容は他愛のないものだが、ハルが一つ一つを楽しそうに語る姿を見ていると、何故だかコウキの気持ちが少し安らいだ。
コウキの中では、あまり感じるものではない。自分を出せた相手から感じるものだろうと、自分を納得させた。
家までもう少しという所で、左手の曲がり角からぼろ布をまとったものが何度も転がり、地面に突っ伏した。
何が起きたのか、コウキはすぐに周囲に注意を払う。右手の鞄を静かに地面に置いた。
左脇のホルスターからリボルバーを抜き、服で隠しながら周囲をうかがう。
転げてきた何かは、更に転がるように慌ただしく立ち上がろうとする。
それは人だった。いや、人ではなく怪しい目の色をした、妖魔だ。
妖魔が体勢を整える前に、リボルバーの撃鉄を上げて、速射の体勢に入る。
脇を締めて腰の位置までリボルバーを持ち上げ、撃鉄に左手を添えると、目にも止まらぬ速さで火薬が爆ぜる光と音を弾き鳴らした。
数発の銃声が、1発分に聞こえる程の速さで放たれた弾丸は、高速で妖魔に襲い掛かる。
だが、銃弾は妖魔に届くことはなかった。
銃弾は妖魔ではなく、突如姿を現した謎の男の指の間で捕まっている。
「ほう…、腕の良い狩人のようだな。あれほどの早打ちで、急所と思われる場所を的確に狙えるとはな……」
謎の男は左手を目の前に上げると、指の間にある銃弾を指で弾きながら、感慨深げに言った。
謎の男は、鮮やかな金髪に華美な装飾が施されたシャツ、上質な生地の赤いマントを羽織っている。
その恰好とは似合わない流した蓬髪が、男の優雅さと怪しさを混在させていた。
コウキは男の行動の真意が分からなくとも、敵と捉えて素早く針を指で弾く。
まず見えない速さと小ささで針は男の顔を目掛けて、突き刺さろうと飛び掛かった。
「ふん…、我の話を聞かず、このようなマネを……。死に値するぞっ」
顔の直前で謎の男が針を指先で捕まえると、楽しそうに指の合間で針をいじるように回している。
だが、言い終える瞬間、針をそのまま返すように指で弾き返した。
気付けば目の前に迫る一筋の光に、コウキは何とか反応する。
すぐに手で針を握り止めると、どっと冷や汗が吹き出し、思わず数歩後ろに下がった。
「くっ」
口から気後れした声が漏れ出る。
コウキの最短で最速の攻撃と同等か、それ以上の攻撃に距離を置かずにはいられなかった。
「益々、面白きヤツだ。どれ、我が遊んでやろう。おい、そこのヤツは捕えて持ち帰れ」
男が曲がり角に向かって声を掛けると、ムチのような物がぼろ布の男に絡みつき宙を舞うと、見えない場所に落ちて行った。
コウキはそれを見て、意識を切り替える。あの妖魔よりも、この男が問題で、こいつも妖魔の可能性があるからだ。
スーツに仕込んだクナイを両手で握ると、軽く構えて男に対峙する。
順手で握っているクナイの右手を前に軽く出して、軽く揺らした。
いつでも得物に飛び掛かかることができるように、クナイが生き物のようにうねって見える。
「良いではないか…、益々面白い。では、行くぞ」
男が戦いの開始を告げるような声と共に、コウキの視界から消えた。
視界では分からなかった。だが、触覚、肌は感じていた。体勢を深く下げて、突撃して来ている殺気を。
目を移していては間に合わない。
コウキは近づく殺気が膨れ上がるのに合わせて、左のひざ蹴りを殺気に向けて繰り出した。
とっさの対応ながらも、足から腰に伝わる回転が膝に破壊力を上乗せし、殺気を打ち壊せる程の力で叩きつける。
コウキの膝に固いもの同士がぶつかり合う鈍い音と、肉の持つ柔らかい触感が伝わってきた。
「ぐぬっ!? なかなか痛い事を!」
男の声にコウキはすぐに視線を下に向けると、男が膝蹴りによって顔を歪められ、同じように笑みで顔を歪めている。
背筋に鳥肌が立ちそうな時、コウキは宙に浮かべられ、闇が覆う空を見ると、次は地面が見えた。
地面にそのまま叩きつけられるのを回避するため、コウキは後頭部を押さえながら体をまるめて、地面に落ち、無様に何度も転がる。
宙に投げられたことで距離が開いた。すぐに立ち上がりスーツの中に手を入れた時、後ろから強烈な力を感じ背中が粟立つと、慌てて前に飛んだ。
ほんの少しだけ前に飛んだ体を追いかけるように、背骨がくの字に曲がりそうな程の力が襲うと、更に前に突き飛され、強烈な痛みがコウキの背中に走った。
「ぐわはっ! かあぁぁ…、うぅぅぅ……」
背後からの思わぬ襲撃と衝撃によって、コウキは肺の空気を全て吐き出す程に悶絶する。
這いつくばりながらも体を男に向けると、男は笑みを浮かべた。
楽しそうなのは笑みだけではなく、拍手までし始めた。
まるでコウキが披露した何かを褒め称えるように、優雅な雰囲気をかもし出している。
「人の身で我の動きに対処できるか。まだまだ差はあれど、面白きヤツだ」
態度だけでなく、言葉でもコウキを褒めてきた。
男の言葉からコウキはまだ男は本気でないことを理解し、思わず歯を食いしばる。
「さて…、まだやれるか?」
男は拍手を止めて、顔の笑みを薄めながらコウキに向かって近づいて来る。
コウキは這いつくばりながら、何とか男に向かって行った。
だが、それも途中までで、鞄を置いた場所で止まった。
目だけは男に向けて冷たいものを送ってはいるが、男は意に介さず一歩ずつ踏みしめるように近づく。
「どうした? ここまでか?」
「ああ。ここまでだ」
コウキは鞄に手を伸ばし、側面の隠し穴に手を突っ込むと、轟音と共に鞄が破れ、男の体に複数の穴が開く。
鞄に忍ばせていたショットガンから更にもう一発放つと、、鞄の底に隠していたリボルバーを取り出し、這いつくばりながらも連続撃ちを華麗に繰り出した。
大小いくつもの銃弾が放たれ、突風が吹きすさぶような攻撃が男に襲い掛かると、すぐに辺りが静寂に包まれる。
男は立ち尽くしていると、ゆっくりと後ろに向かって地面に引かれて行った。
コウキは張りつめていた空気がなくなったことを感じて、大きく息を吐く。
体に残る痛みに抗いながら立ち上がり、銃弾の補充を始めると、また拍手が鳴り響いた。
思わず銃弾を1つ地面に落とす。
銃から目が離せず、銃弾を装填することもできず、コウキはただただ驚愕していた。
「力の差を見せつけられても、抗おうとする顔は実に良いものだ。この国に来て、一番楽しい時間だったかもしれん」
男の声をコウキは耳で捉えたまま銃に弾を必死に込めると、強張った体に喝を入れて、男に銃と共に向く。
コウキが見たのは、男が膝が直角になるまで体を倒した状態で留まって、胸の上で拍手をしている姿だった。
男はその体勢から、倒れ行く流れを逆回しするように、ゆっくりと元の位置まで戻していく。
呆気に取られながらもコウキは男に目をやる。男の服はぼろ布の様に、いくつも穴を開けて血に染まっていた。
顔にも銃弾が当たったであろう血の跡が張り付いてはいるが、血の流れは止まっている。
「…何故、生きている?」
「貴様が知る必要のないことだ。他愛もない遊びだったが良かったぞ、礼を言おう」
男はそう言い、闇が覆う空に向けて飛び上がると、コウキがかつて囚われた恐怖に近いものと共に消え去った。