陽明社
コウキとサヤは帝都から離れた住宅地に居を構えている。
やや古びている木造平屋ではあるが、手入れの行き届いている家で、かび臭さなどはない。
家には寝室が2つと居間が1つ、台所と便所のある、ありきたりな家である。
コウキとサヤはそれぞれが別の部屋で寝て、食事は居間で取る。
特にこれと言って特徴がない平凡な家に、特異な闇の世界に生きる者が住んでいるのだ。
コウキは玄関に人が近づく気配で目を覚ました。
その足音を確認して、布団から出ると浴衣をただして居間に向かう。
「あら、コウキさん、おはよう」
「おはようございます、ウメさん。毎朝、ありがとうございます」
ウメと呼ばれた腰の曲がった老婆は、コウキが雇った使用人のようなものである。
家の食事や掃除を頼むため、近くの住人に頼んだのだ。
そんなウメに対して、コウキは笑顔を見せて、明るい声を出した。
これは完全に余所行きの顔であり、本来のものとは大きく違っている。
「サヤちゃんはまだ寝てるのかしら?」
「でしょうね。ウメさんのご飯ができた時には、匂いに釣られて起きるでしょう」
ウメはコウキの言葉を聞いて頷きながら、笑顔を見せている。
食事の準備はウメに任せるとして、コウキは外に行き外の空気を吸う。
陽の光に照らされた世界は、闇の世界と真逆で、怪しげな空気など微塵も感じない。
「おお、コウさん。少し朝遅いんじゃないかい?」
「シゲさん、おはようございます。時間にうるさい職場じゃありませんから」
「はっはっ、羨ましいねぇ。じゃあな」
都市部とは違い、踏み固められた土の上を、人々が仕事に向かうために進む中、のんびりと朝を迎えているコウキは異質だ。
表稼業ではないので、起きる時間などは関係ない。顔見知りに挨拶をしつつ、今一度大きく呼吸をする。
米の甘い香りが漂ってきたので家に戻ると、サヤが浴衣をだらしなくはだけて、寝ぼけ眼を引きずったまま寝室から出て来ていた。
コウキは毎度の事ながら、飯の匂いにつられて起きてきたサヤに少し呆れつつ、居間に腰を下ろした。
・ ・ ・
コウキとサヤは食事を終えると服を着替え、家を後にした。
朝に多くの人々が向かった都市部に向けて2人で並んで歩む。
コウキは先日、妖魔を倒した際に手に入れた骨のような物をポケットの中でいじっている。
妖魔。古今東西あらゆる土地で現れる怪物の総称である。
ことこの国でも、鬼や狐、天狗など、多くの妖魔伝説が語り継がれている。
その姿形は千差万別であり、必ずしも同じ種族が生まれるわけではない。
だが、見た目や襲撃方法などの特徴が似ていることから、一括りにされている場合が多い。
何が元となって生まれたかは分からないが、人が元になったのもいれば、自然発生的に生まれた者達もいる。
そんな妖魔となった者達の最大の共通点は、夜に力を発揮することだ。
昼間は影に、人ごみに、隣人に溶け込み、夜にその本性を現す。
人を食すのが主目的だが、何故、他の生き物でなく、人に仇なすのか分からない。
分からない事づくめの妖魔だが、言える事は人との関係は良好なものではない。
そんな人の世界に潜み、人に仇なす妖魔をコウキは屠っている。
世界中にいる狩人の1人として。
歩みを進めていると、少しずつ街並みが変わってきた。
アスファルトで道が舗装され、大きな商店や小さなビルディングが見えてくる。
そのまま先に進めば、活気の溢れた街中に入り、路面電車がうるさく走る大通りに行ける。
だが、コウキとサヤが目指す場所は、街の中心からは外れた場所にある。
舗装された道を進み、小さな3階建てのビルの1室が仕事場だ。
コンクリートで作られたビルからは、砂っぽい臭いが漂っている。
その中をコウキ達は進み、ビルの1室を躊躇なく開ける。
開けた部屋の扉の横には『陽明社』とやや古ぼけた木彫りの看板がぶら下がっていた。
「あ、コウキさん、サヤちゃん、おっはようございま~す」
短髪で人懐っこい顔をしている男が、満面の笑顔を見せ、冷たい顔をしているコウキに挨拶をした。
コウキとそう歳は変わらないだろう青年は、折り目正しいスーツを着て、机で何かを書いている。
「ああ」
コウキは無表情かつ、冷たく暗い目をさせたまま、青年に向けて一言だけ発した。
それとは別にサヤは無言ではあったが、綺麗にお辞儀をしている。
部屋には見た目からも分かる、安物な木造の机が2つある。
机の上には乱雑に書類が重なっており、そのどれもが文字でびっしり埋まっている。
部屋の隅には応接用として、光沢があり木目が見える重々しいテーブルと、2人掛けのソファが2脚ある。
コウキは椅子に座りながら、机に散らばっているいくつかの紙をめくって目を通す。
一緒に来たサヤはソファに座って、何やら本を読んでいる。
「コウキさん、コウキさん。昨日はどうでした? 情報通りでしたか?」
青年は書き物を止めて、コウキに向けて楽しげに質問をした。
その質問にコウキは紙に書かれた文字に目を通しながら答える。
「ああ。書かれた内容と一致していた。微妙なヤツだったが」
そう言うと、コウキはポケットから妖魔が残した骨らしき物を取り出し、青年に放った。
何の前振りもなく、突然投げられた物を青年は慌てて手で受け取る。
「もう…、少しは何か言ってくださいよ。って、確かにあんま大きくないですし、色も微妙ですねぇ」
「調査書にはもう少し大物的に書いてあったな」
「ですよね。ビビったんでしょうね、きっと」
青年は骨の様な物を見てコウキに言うと冷たく返され、それに応じるように冗談めいて返した。
「ビビッて悪かったなぁ。うちのもんが苦労して調べてんだぞ?」
ドアを勢いよく開け、青年に向けて角ばった顔の男がドスの聞いた声で言った。
くたびれた感を漂わせているスーツに、キチンと締めたネクタイと中折れ帽子をかぶった中年でガタイの良い男が険しい顔をしている。
「うえ!? いやぁ、モリタカさん、すいません。言葉のあやと言うかぁ……」
モリタカという強面の男から、青年は目を逸らしながら苦し紛れなことを言う。
逃げに走った青年に、モリタカは更に強い視線を向けた。
「はっ! こっちも命張ってんだ。多少の間違いだってあらぁな。おい、コウキ。カズマのしつけぐらいしとけ」
モリタカは自分達の仕事の大変さを改めて教えるように、カズマという青年に厳しい口調で言うと、コウキに目を向けた。
「モっさん、こっちも助かっているが、情報が命だ。お互いにとってな」
「分かってんよ。ったく、警察だって忙しいんだぞ。ほれ、謝礼金だ」
モリタカは胸の内ポケットから茶封筒を出すと、コウキに押し付けるように差し出した。
その動作とは反対に、コウキはゆっくり手を伸ばして受け取り、机の上に置く。
「モっさん、情報はないのか? 何も持って来てはいないようだが?」
「んなにしょっちゅう情報はねぇよ。下手な情報で決めつけて襲っちまえば、牢にぶち込まれんぞ?」
「それは勘弁だ。なら、今の情報だけで可能性が高いやつを狙ってみるか」
「仕事熱心なのは良いがやり過ぎんなよ? こっちも腕の良い狩人を失いたくないんでな」
モリタカからもたらされる警察が収集した妖魔の情報を元に、コウキは動こうとしている。
だが、確証がなければ誤って、一般人を傷つけかねない。
国から認められた狩人は、武器の携行など一定限度の許しはあれど、一般人を傷つけてしまえば簡単には許されない。
コウキは手練れの狩人であるため、下手なことをされて牢にぶち込まれるようなことになれば大きな損となる。
警察としても、良好な関係を築いたままでいたいのだ。
「お、そうだそうだ。サヤちゃん、ほれ。シベリアって言うお菓子だ。美味いらしいぞぉ」
険しい顔から頬が緩むような顔に変わりながら、サヤに向かってお菓子の包みを渡した。
サヤはモリタカが差し出す袋を受け取ると満面の笑みを浮かべている。
「モリタカさん、ありがとうございます」
サヤはお礼を言い、深々と頭を下げる。
それを見てモリタカは満足そうな笑顔を見せている。
普段は怖く厳しい警官ではあるが、子供に優しく、特にサヤには優しい。
「いいってことよ。じゃあ、何か分かったら持ってくるぞ。無茶すんなよ」
サヤに向けた笑顔から一変して険しい顔になり、コウキを指さし念押しをした。
そのまま振り返り、ドアを開け、けたたましく閉めると、陽明社の階段を下りて行った。
「コウキ、源平食堂に行きたい」
サヤが昨日、コウキと約束した食堂へ連れて行くよう、催促をする。
コウキは少しため息を吐き、椅子から立ち上がると陽明社を後にした。