事件は闇深く
ビルとビルの合間が作り出す影に身を潜めるように、コウキはキョウコに体を近づけて話しをしていた。
周りから見られても、いぶかしがられるものではない。
通じ合った男女は人目がない所で、2人の世界に浸ることは不自然な事ではないのだ。
「その話、本当なの?」
「ああ、聞いたところではな」
「ウカジが座長と繋がってて、座長はヤクザと繋がってて、ヤクザはウカジに取り入ろうとした。ってことよね?」
声を潜めながらキョウコは聞いて来たが、驚きと半信半疑の色は隠せなかった。
コウキも直接座長の口からは聞いてはいないが、ハヅキの言う通りであればそうなる。
キョウコはあまりのことに頭を抱えて、ため息を吐いた。
「とりあえず悪い人達が知らず知らずの内に、三角関係になっていたって事ね」
「そうなるな」
頭でまとめて口にした言葉に、キョウコはまた頭に手を当てた。
思いもよらぬ展開に頭を抱えているのだろう。事実、コウキもこのような繋がりがあったことに驚かされた。
コウキは呆れているであろうキョウコに向けて、分かったことを伝える。
「人身売買された女性だが、拉致される手口はキョウコの件と同じで間違いない」
「そう……。じゃあ、無意識で……」
「何故、あの座長がそんな力を持ったかなんだが、きっかけはウカジの声掛けだ。だが、それ以降は別だ」
キョウコは自分も同じ立場になりかけたことと、なった人達に対して同情するように、沈痛な面持ちになった。
コウキはその気持ちを察しながらも、話を続けるために口を止めない。
「ウカジ以外の人物。そいつが座長に、粘ついた赤い液体を持ってきたそうだ。それを注射したことで、力が使えるようになったらしい」
「いったい誰が……。いえ、それよりもその液体ね。そんなのが出回れば、大変なことになるわ」
「ああ。だが、大きな騒動になるようなことは起きてはいない。それに行方不明事件も警察が動き出しているが、これといった情報はない」
謎の液体を摂取することで異能力が手に入る。それが出回ってしまえば、大問題になるとキョウコは危惧している。
だが、コウキはハヅキやトラジなど裏の世界に詳しい人間から聞いても、共通していそうな事件など出て来てはいないとのことだった。
キョウコも多くの伝手を持っているが、それでも思い当たる事がなさそうなところを見て、コウキは顔を引き締め、キョウコの目を見据えた。
「これから先は全く読めない。とにかく、俺が依頼した件は片が付いた。お前への依頼はここまでだ」
「あら、心配してくれるの?」
「茶化すな。…何かは分からんが、嫌な感じがする」
キョウコが上目づかいで、楽しそうな悪い笑みを浮かべてコウキを見た。
その笑みをコウキは避けると、実際に自分が感じ取ったことを伝える。
一連の流れが何かに繋がっている気がしていた。それがかなり深く大きな所であれば、これ以上の深入りは不要だ。
闇深い場所なら、そこに住む者達からの情報をコウキは待つしかない。
「分かったわ。それじゃあ、今まで通り、出版社の記者のままで通すから」
「そうしてくれ。…もし、何かしようと考えた時は、俺に連絡しろ」
「やっぱり心配してくれてるじゃない」
思わずコウキは口から本音を漏らしてしまい、それにキョウコはまた楽しそうな顔をして返してきた。
向けられた眼差しに対して、コウキは何とか目を逸らし、ため息を吐いて目を瞑る。
「ああ」
・ ・ ・
陽明社のドアを無言で開けると、カズマとサヤがコウキを迎えた。
「お帰りなさ~い。キョウコさんと何を話してたんですかぁ?」
「コウキ、お帰り。今日、源平食堂に行きたい」
帰ってきて早々、下世話な話と自分本位な要求をしてきた2人を、コウキは軽く冷ややかな目で見ると、自分の机に向かう。
椅子に腰かけ報告書に目を通す。最近、コウキの妖魔狩りの量が減っていた。
別件に掛かりきりだったこともあるため、情報が溜まっている。
コウキはこの情報の渦から、1つの真実を見つけなければならない。
「ねぇねぇ、何の話をしてきたんですかぁ? 教えてくださいよぉ」
「いつも通りだ。裏の世界の情報を少し貰った」
「え~、本当ですかぁ? 何か違う気がするなぁ」
カズマはいやらしい笑みを浮かべて、コウキの顔を見ている。
その笑みを跳ね返すように、コウキは無表情を更に冷たくして返した。
苦笑いを浮かべ始めたカズマを放って、コウキは報告書に目を通す。
文字で埋め尽くされた情報の中から、必要な情報を抜き出し、その光景を頭で再生する。
その世界に妖魔の動きが感じられるか。かなり集中力がいる作業をコウキはしていた。
「ねぇ、」
「夕飯に行ってやる」
「うん、ありがとう」
満面の笑顔を見せているサヤを横目に見て、コウキはすぐに報告書に目を戻した。
・ ・ ・
帝都の街路樹のように立ち並ぶ街灯と比べて、寂しいぐらいに少ない街灯がコウキ達の住宅街の道を頼りなく照らす。
コウキの前を歩くサヤは上機嫌なようで、足取りが軽く、スキップでもしそうだ。
源平食堂で胃袋の量以上に食べたであろうサヤの身軽さを、コウキはいつも通りの無表情で見ている。
2人の家までもう少しという所で、コウキ達の行く先から向かってくる影があった。
街灯に照らされたのはハルだ。普段は食堂で割烹着を着ているためか、コウキには少しだけいつもと違って見えた。
「あ、コウキさん、サヤちゃん、こんばんは」
「ハルさん、こんばんは」
笑みを浮かべたハルは軽く会釈したのに対して、サヤはしっかりとしたお辞儀をして挨拶を返した。
コウキはその光景を見ながら、ハルが手に持っている風呂敷の包みに目をやる。
「コウキさんも、こんばんは。…どうかしましたか?」
サヤに浮かべた笑みをそのままに、コウキにハルは挨拶をした。
だが、コウキの目が自分に向いていないのが分かったのか、ハルは質問をする。
何となく見ていたコウキは特に動じることなく、ハルへと目を戻した。
「ああ。…それは?」
コウキはハルに手短過ぎる挨拶と質問をした。
それだけで理解したのか、ハルは風呂敷の包みを顔の近くまで上げて、笑顔を見せた。
「出前…、という訳じゃないんですけど、ご飯を届けて欲しいってお願いがあったんです」
「そうか」
包みの中身を確認したコウキは、それに対する関心がなくなった。
少し不思議そうにハルは首を傾げたが、また笑顔を見せて姿勢を正す。
「それでは、失礼しますね。サヤちゃん、またね」
「はい。ハルさん、お気をつけてください」
小さく手を振るハルに、サヤはまたお辞儀をして返事をする。
コウキのことをハルは少しだけ見て、目礼といった感じで去って行こうとした。
「サヤ、先に帰っていろ。食堂に忘れ物をした」
コウキの言葉にサヤが反応して顔を見る。
しばらく見つめると、サヤは頷いて家まで小走りして行った。
「忘れ物ですか? もう夜になりますから、明日にされても良いんじゃないんですか?」
「…いや、今日がいい」
コウキがハルを見ず、口にした言葉に、ハルは曖昧な顔をして何となく頷く。
ただ、コウキは動かない。動こうとはしなかった。
立ち尽くし、体の向きも変えなかったコウキは、ハルの視線を感じる。
「あの、コウキさん?」
「考え事をしている。…先に行け」
ハルからの問いかけにコウキは目を閉じて、ぶっきらぼうに返答した。
目を閉じたコウキはハルの足音が聞こえず、目を開ける機会をうかがっている。
コウキは動きがないことに焦らされていると、動きではないものが聞こえた。
耳に届いたのは、ハルが小さく笑った声だ。可愛らしい笑い声につられたコウキは薄目で見る。
口を手で隠して、肩を震わせながら出た笑いなのだろうと、コウキは冷静に分析した。
ただ、何が面白いのかは理解できないでいる。
「何がおかしい?」
「い、いえ、おかしくないです。嬉しいです……。じゃあ、先に行きますね」
笑いが治まったと思われるハルにコウキは曖昧な顔で問うと、ハルは微笑みを浮かべて優しい口調で返してきた。
街灯の下をハルが進むのを見て、コウキは体の向きを変え足を踏み出すと、ハルの足が止まる。
「何だ? 忘れ物か?」
コウキの暗い声がハルに届くと、ハルは振り返り笑顔で頷いた。
「はい。コウキさんを忘れてました」
満面の笑みでハルはコウキに向けて、楽しげな声で返してきた。
コウキは考えが丸わかりになっていたことに自分に辟易するように肩を落とす。
頭に手をついて大きく息を吐くと、ハルを照らす街灯の下に向かった。