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操り人形の糸を切る

 コウキは失踪者の最後の共通点となる、大衆演劇小屋の前に立っていた。


 小屋と言われるが、安っぽく小さなものではない。

 建てられてから100年以上は経っている、大きな黒塗りの木造建物だ。

 多くの時代を乗り越え、修理や修繕を加えて、建物の外観は変えず同じ場所に立ち続けている。


 その佇まいからは近代化の波が押し寄せる中、その波を物ともしないような力強さを感じさせていた。

 それは長年の歴史から培ったこの国の文化を伝えるものと、それを取り巻く群衆による熱気だ。


 熱気を放っている群衆は、演劇を楽しみに集まった者達である。

 娯楽は増えつつあっても、昔から続いた文化からはなかなか逃れられない。


 そんな大衆の娯楽である演劇で今、空前のブームが到来していた。

 ありきたりな剣劇ではあるが、主演である座長の色気が女のみならず、男ですら見惚れてしまう程のものだという。


 「突っ立ってないで中に入りましょう。券は持っているんだから」

 「ああ、そうしようか」


 キョウコに促されるまま、コウキは作り物の笑顔で頷き付いて行く。

 群衆をかき分けながら中に入ると、外観から感じた以上の力強さをコウキは感じた。

 1階には所狭しと人がひしめき合い、2階からも多くの人が、演劇の始まりに期待し身を乗り出さんばかりに待ちわびている。


 辺りを見回しているコウキは肩を軽くつつかれると、キョウコが手招きしていた。

 多くの者が集まっている狭い場所では、大声を上げないと相手に届かない。

 だが、この演劇小屋の中では特に顕著で、大声なんぞ消えてしまう程に、皆が期待に胸を膨らませた気分のまま声を上げていた。


 キョウコが指さした先の座布団にコウキは座る。

 この小屋に妖魔の残滓がないかを確認するため辺りを見回しているコウキに、キョウコが耳元へ口を近づけた。


 「コウキくんは演劇を見たことある?」


 コウキは振り向き、目の前にいるキョウコを見据えて首を横に振った。

 キョウコは少しだけ身を引くと、目を逸らしている。

 それが何かをコウキが考える前に、彩りのある音が流れ始めた。


 演劇が始まったようで、語りが演劇小屋に響くと、主演の座長が舞台袖から現れる。

 その姿にコウキは思わず惹かれそうになったが、慌てて心の中で踏みとどまった。

 今まで感じたことがないものに対して、心が動かないように強い気持ちできつく押さえつける。


 我に返ると隣のキョウコに目を向けた。目をとろけさせて、舞台を見続けている。

 小屋の中を見回すと、座長が放つ異様な魅力に他の観客も同様の目をしていた。


 演劇は何てことのない勧善懲悪もので、コウキは特に気分が盛り上がることなかったが、終わった時には周りから拍手が鳴り止まない。

 座長が舞台を去る際に、コウキ達へ流すように目を向けた気がした。それにもコウキは違和感を覚える。


 男から発せられたものは、普通の人間であり得るものなのかをコウキは思案した。

 熱を帯びた顔をした観客の拍手が鳴りやまない中、コウキだけが手をあごに当てて目を閉じている。


    ・    ・   ・


 演劇小屋を出て、帝都の大通りをコウキとキョウコは並んで歩いていた。


 コウキはかぶっていた笑顔の仮面を外して、前だけを見ている。

 目だけは前で、頭の中ではあの男が離れなかった。


 「コウキくん? コウキくん!」


 キョウコが強くコウキの名前を呼んだことで、コウキは顔色を変えず目を覚ました。

 横を向くと不機嫌そうなキョウコが、コウキの顔を見据えている。


 「もう…、せめて相槌くらいはしてよ。演劇はどうだった?」

 「ああ。あんなものか」

 「…酷い言葉ね。せっかく、人が苦労して用意してあげたのに」

 「感謝している」


 変わらず不機嫌な顔をキョウコはし、コウキを少し責めた。

 対してコウキは最低限の言葉を返す。


 コウキの返事が不満なのか、キョウコは顔をコウキから逸らした。

 理由が分からず、コウキは少しだけ困惑したが、すぐに頭を切り替える。


 「キョウコはどうだったんだ?」

 「え? 最高だったじゃない。座長の色気って言うのかしら。見ていると、とろけそうだったわ」


 演劇を思い出すようにキョウコは目を遠くしながら語る。

 しばらくはキョウコの演劇の感想を、コウキは聞かされた。


    ・    ・   ・


 帝都から少し離れた場所にある、文化住宅が集合している住宅地にコウキは来ていた。


 コウキ達が住んでいるような木造の古い作りではなく、この国の家屋を基礎に外観や中身に洋風な要素を取り入れた、文化が混じりそこなったような住宅だ。

 ただ、その目新しさからか所得が良い者達で構成されており、金持ちの屋敷が立ち並ぶ場所程ではないにしても、清潔感が漂う住宅地だ。

 その中にある1つの小さな家を、コウキは静かに見据えていた。


 コウキ達の住む古い住宅地と違って、新しいためか街灯が多い。

 煌々と照らす街灯の下では、コウキを闇に隠すことは難しい。

 明るい街灯の下で暗く表情がないコウキは、想像したくないことに備えていた。


 夜中になると人々の生活は休止し、住宅地には静寂が訪れる。

 聞こえるのはコウキ自身の微かな呼吸と心音だけだ。その静寂が突如、破られた。


 1つの家から引き戸が音を立てると、コウキはすぐに音の元に歩き出す。

 コウキは向かった家の玄関に辿り着いた所で、思っていた人物と相対した。

 寝間着姿のキョウコが体をふらつかせながら、外に出て行こうとしている。


 「こんな時間に、何をしに行く?」


 低く暗い声でコウキは、キョウコに問いただした。

 聞かれたキョウコは何も返事をしない。コウキの存在を無視して、ただ歩こうとする。


 「キョウコ、待て」


 コウキはすぐにキョウコの肩に手を掛けると、何も言わず手を振りほどかれた。

 コウキは少しだけ呆気に取られると、キョウコの目の前に回りこむ。


 歩くだけのキョウコの目から生気を感じない。

 それが何を意味するのかコウキは判断をして、体をきつく抱きしめた。


 「行くな。行けば死ぬぞ」


 低くたしなめるような声でコウキは言う。

 それでもキョウコはコウキの腕の中で、暴れるようにもがき続けた。


 「くそ…、思った通りか」


 コウキは独りごちると、スーツの内ポケットから、紙片で包まれた物を取り出した。

 片手で器用に開くと、粉がまとめられている。それをコウキは全て口に含んだ。


 口の中にある唾液だけではなく、更に滲み出てくる唾液を使って、粉を舌でかき混ぜる。

 薬がネバついた唾液に十分に混ざったと判断し、コウキはキョウコのあごに手を掛けると、顔を固定した。


 動かすことができなくなったキョウコの唇に、コウキは自分の唇を押し付ける。

 それだけではなく、舌を使ってキョウコの口をこじ開けて、コウキの口と繋がるようにした。


 コウキは唾液で混ぜた物を、舌を使ってキョウコの口の中に流し込む。

 熱烈な接吻のようにコウキは口の中に含んでいた物を、キョウコの舌に絡めながら最後まで送り続けた。


 全てが終わり、コウキは唇を離すと額に片手を当て顔をしかめる。


 「くっ……、これはちょっとまずいか」


 思わずコウキの口から弱気な言葉が出てしまう。

 それは目の前にいるキョウコが、コウキを見つめる目に因ってだった。


 今まで焦点の合わず、虚ろな目をしていたキョウコの目の色が変わっている。

 コウキを見つめる目は潤んで、甘くとろけていた。


 コウキは何が起きているのかを理解し、この先の事も分かってはいるが、自分の体の変化にも気付いていた。

 急いでキョウコの腕を引っ張ると、家の中に連れて行く。


 中に入ると文化住宅らしく、障子で四方を仕切られた部屋は少ない。廊下と壁が部屋を小分けする様に仕切っている。

 廊下を進みのドアを開けると、キョウコの居室と思われる場所だった。


 コウキは獰猛な獣のように息が荒くなり、目が剥き出しになりそうな、湧き出る感情を必死で抑える。

 自分自身との格闘を続けている中、キョウコがコウキの体に手を回して、胸に顔を埋めてきた。

 コウキはその温もりによって、また頭の中を揺さぶられると、コウキの中の獣が顔を出そうとしだす。


 その獣を己の内に引き戻すように、コウキは歯を食いしばり、目を潰さんばかりにまぶたに力を入れて踏ん張る。

 胸から、耳から、鼻から伝わるキョウコという存在が、コウキの全てを何度も狂わせようとしてきた。


 ベッドが目に入ると、あとはキョウコを寝かせるだけだと少し安堵し、口を開けて一息吐いた。

 吐いた息が途中で止まる。コウキの口を温かく柔らかなものが覆ったからだった。

 不意な事に開いた口を閉じれなかったコウキの口の中に、キョウコの舌が入り込む。


 混じり合った舌から伝わった味にコウキは目を大きくする。

 コウキが口内の唾液で混ぜた薬を飲ませた一部が、キョウコの口内と舌に残ったままであった。

 コウキの舌に甘く絡みついたキョウコの舌から唾液が伝わり、自分の唾と共に体の中に取り込む。


 コウキの心の奥に必死に閉じ込めていた獰猛な獣が、キョウコをエサとみなして荒々しく襲い掛かった。

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