剥がれる仮面
コウキは食堂から外に出てきているハルに見せる顔を、すぐさま余所行きの柔らかな顔に変えた。
ハルは心配そうな顔というよりは、思い詰めたような暗い顔をしている。
コウキは見せてしまった冷たい顔を隠すように、目を細めて笑顔を見せた。
「もう大丈夫だよ。まだ質が悪いヤツがいるもんだね。まいったまいった」
肩をすくめて軽く嘆くように言いながら、源平食堂に向かって歩き出した。
そのままハルの横を通り過ぎようとした時、横から不意に言葉を掛けられる。
「どっちが…、どっちがコウキさん、なんですか……?」
震えた声でハルは、コウキの目を見つめて聞いた。
恐る恐る聞いた声とは違って、どこか芯が通った目をハルはコウキに向けている。
質問の意図をコウキはすぐに理解すると、張り付けた笑顔のまま返す。
「どっちがって……、見たままだよ? ちょっと怖い顔もできるけど、それぐらいできないと帝都で仕事はできないよ」
また肩をすくめ冗談めかしてハルに言うが、ハルの目からは納得の色が見えない。
コウキはあくまでも作った笑顔を見せたままだ。
「最初に助けてもらった時も、前の時も、今日も……。コウキさんの顔は違いました……」
ハルはまだ小さい声ながらも、自分の記憶の中のコウキのことをハッキリと伝えている。
その言葉にコウキの顔に張り付いた笑顔が、少し剥がれそうになった。
・ ・ ・
「いらっしゃいませ。あ、コウキさん、こんばんは。サヤちゃんは先に帰っちゃいましたよ?」
愛らしい声でハルは店に入った客に向けて招く言葉を発した。
その客がコウキだと分かると、ハルは今日あったことを話す。
ウメに夕飯を頼もうとしたが事情があり頼めず、サヤにお金を渡して1人で食事に行かせたのだ。
「ちょっと仕事が立て込んでてね。先に帰したんだ」
コウキはお得意の余所行きの笑顔を見せながら、優しくハルに言う。
ハルはコウキの笑顔に合わせるように、同じく柔らかな笑顔を見せて頷いた。
「そうだったんですね。相変わらず黙々といっぱい食べてましたよ」
「本当に大飯食らいというか……。食費が大変だよ」
適当な世間話をハルとして、夕飯を食すと家路につくために源平食堂を後にした。
少し離れた所まで歩いたところで、ガラスが割れる音が響いてきた。
それも1枚ではない。更に響くのは陶器類が割れる高い音だ。
コウキはそのまま立ち去ることも考えたが、体が前に進もうとしなかった。
何かに引っ張られるように、音の出所と思われる方に足が進む。
何度も響く高い音に続いて、物をぶちまけたような様々な音が一斉に重なる音までが、夜の住宅街に鳴り響く。
家から何事かと顔を覗かせる者がチラホラといる中、音の出所に向かうのはコウキだけだった。
音の出所が源平食堂だと分かると、引っ張られる力がなくなり、コウキの思いだけで足が上がり駆け出す。
目に入って来た光景はガラス戸がほとんど破壊されて、食堂の中が全て見えた。
店の中は見るも無残な程に、めちゃくちゃに荒らされている。
そんな中で次に目に入ったのは、男がハルの着物の中に手を突っ込み、体をまさぐっている光景だった。
コウキは叫ぶことなく、ただ足に力を込めて食堂の中に飛び込むと、ハルに絡みつく男の鼻を目掛けて大振りの拳で殴り掛かった。
「ぶぇがっ!」
男は痛みを訴える言葉ですらない声を上げると、体がふらつき、後ろに倒れようとした。
鼻血が垂れるより早く、コウキは男の後ろに回りこみ、ハルの体に張り付いていた手を力任せに引き抜く。
ハルから剥がした掌を掴むと手が曲がってはいけない内側へと全力でねじりながら、両肘までねじり上げる。
張りつめたゴムを引き千切るような音を上げながら、男の両肘付近の筋肉が次々と切れ、たるんでいく。
コウキの腕は止まらず、そのまま更に力を込めて、絞り上げると肘から血を拭きだし、切れた筋肉が絡みついた骨が飛び出した。
「げぇあぇ! ぎゅあぁぁぁ! いぎぎぎー! あぎゃぁぁぁ! あばばばばがー! ひぃひぃひぃ」
男が痛みに悶えて、気持ちが悪い声を食堂の中に響かせる。
コウキは地面に突っ伏して、もがく男に一瞥もくれず、振り返った。
好き放題やって思い通りに破壊できる快楽に、さぞかし酔っていたと思われる男達の顔が凍り付いていた。
「な、何だ、てめぇ! こらぁ!」
一瞬の光景で体を縛り付けた物を、振り解くように大声を1人の男が上げた。
男の仲間だとコウキは確信し、陳腐な恫喝をした男に飛び掛かる。
高々と飛び上がったコウキの姿をあんぐりと口を開けて見上げていた男は、あごの下に迫るしなった蹴りに気付くことなく、口を無理やり閉じられた。
強烈な蹴りが襲った口からは粉砕された歯の欠片が転がり落ち、舌を噛んだことにより血が垂れている。
男は白目をむき痙攣していた。
この光景も一瞬の出来事であった。
残った者は2人。恐怖を感じる前に、驚愕が先に来たような顔をしている。
やっと恐怖が訪れたのか、1人が素早く踵を返して逃げようとしたのを、事前に察知したようにコウキは飛んだ。
駆け出した男に近づくと、体を地面に滑らせて男の足を掴む。
コウキに捕らえられたため、体がつんのめりそうになった男は一瞬、宙で体が止まったが、後ろ側に引き戻されるように倒された。
地面に仰向けに倒れた男の、右足の踵とつま先をコウキは握り締める。
「ひぎゃぁぁぁ! あぁぁああしあがぁぁぁ!」
コウキは男の右脚をねじり切ると、そのまま立ち上がり膝を足で踏みつけ、関節が曲がらない上に向けて引っ張り上げる。
足の筋肉をねじ切られ、膝の骨を破砕された男の足は、コウキによって軟体動物のようにだらしない足に変えられた。
夜の住宅街に男の絶叫がこだまする。この男の口も黙らせようとコウキが片足を上げた時、周りからいくつもの気配を感じて足を地面に下ろした。
「いやはや……。やるねぇ、お兄さん。いや、やり過ぎかな?」
明らかに一般の者と違う、ヤクザと思しき男達が数名でコウキを囲んでいる。
その中から1人、コウキに向けて一歩前に足を進めた男がいた。
髪を長くし、首の後ろで縛っており、垂れた目とすかした顔の男が、仕立ての良いスーツを着ている。
周りの者達から感じる気配より圧倒的なものを感じ、コウキは顔を向け神経を集中させた。
「こいつ等の仲間か?」
コウキはすぐに周りの男達との距離を測り、真っ先に始末する対象を見極める。
一瞬で力量を計りきると、やはり声を掛けてきた男の力が群を抜いている事に気付き、改めて集中した。
声を掛けたヤクザは、その行為を察知したのかどうかは分からないが、肩をすくめて口を開く。
「その逆だ。こいつ等は最近調子に乗っている組のヤツ等でな。そこの食堂の大将は、ここ等一帯のまとめ役なんだが……」
「見せしめに狙われたと?」
「だろうな。こっちに真っ向から喧嘩を売るとは…、若いってのは怖いねぇ」
ヤクザは冗談めかした言葉を口にしながら、店の中とコウキの足元でもがいている男を見る。
地面に倒れている男を見たとき、ヤクザは目を見開き口を開けようとしたが、更に見開かされた。
「ぶぶぅっ!」
コウキは全く目もくれず、男の顔を踵で斜めから踏みつけた。
鼻と口とあご。顔面の大事な部分が固い地面にいることで、衝撃のほとんどが男の顔に集中した。
うめき声を上げて、もがいていた男は短刀を握ったまま、今度は声を上げることなく動きも止まっている。
「いやはや……。あんたが何者かは知らないが…、流石にやり過ぎかな」
「なら、頭を潰すか?」
「いや。そうしても別のヤツが、地盤を引き継ぐだけだろう。やる時は完全に締めるか、力を見せつけて籠絡させるかだな」
ヤクザは地面に転がっている男を足で小突きながら、闇の世界について語った。
コウキはあまり知らない世界だったこともあり、少しだけ関心し、苛立った心が少しだけ落ち着く。
「で、こいつ等…、あと店にいるやつをどうしたら良い?」
「そこは任せとけ。目には目をってやつだ。ほぼ、お兄さんのお陰だがな」
「なら好きにしろ。俺は帰る」
「あっとぉ、一応、親父には伝えておく。礼もあるが、お兄さんの存在も大事だからな」
ヤクザにコウキの存在を知らせることについて、特に拒否感もなく頷く。
源平食堂に目を向けると乱れた着物のまま、ハルが店の外に出て来ていた。
コウキを見つめる目に恐怖は宿っていない。
ただ、見つめている。
何を思ってなのかコウキは分からなかった。
だが、家路につく前に自分でも分からないまま、ハルに近づき口を開く。
「無事なら着物をただせ。…悪かったな……」
そう言い、ハルから目を離すと家に向かって歩き出した。
・ ・ ・
コウキはハルの言葉によって、少しだけ過去の出来事を思い出していた。
「…冷たい顔のコウキさんが、…本当のコウキさんなんですか……?」
ハルの問いかけで、過去の記憶から、現在の状況に頭を切り替える。
問いかけられたことについて、コウキは口を開き、一旦閉じて、また開いた。
「どれも俺だ。避けたければ、避けて構わない」
「…避け…たくないです。冷たくても優しいです……。笑顔の時のコウキさんより……」
「……そうか」
「そうです……。本当の顔で、本当に優しい…、そんなコウキさんが私は…好きです」




