笑顔が見たいな
1時間の即興で書いたので、完成度は多少は大目に見てください(汗)
僕の大好きな彼女は滅多に笑わない。いつも眉尻を下げて、困ったような顔をしている。形の良い唇も話す時以外に動いたところを見たことがないーー滅多に笑わないと言ったけれど、本当のところを言えば、彼女が笑ったところを僕は見たことがないのだ。
たまらず、僕がその訳を問いかけてみると、彼女は吐息混じりに答えた。
「何も面白くない訳ではありません。ただ、感情を表に出すことが得意でないのです。もしも、このことが貴方にとって不利益をもたらすのであれば、本当に申し訳ないと思っております」
得意じゃないなら仕方ないだろう。不利益って訳でもないから、そんな傷ついたような表情をするのはやめて欲しい。利益の有無じゃなくて、僕まで傷つきそうだ。
笑顔が見たい。ただ、それだけなんだ。
君の心の美しさはよく知っている。人の悪口を言わない、優しい言葉遣い、人以外の生きものをも慈しむ、驕らず相手を立てる、……こんな風に褒めると目が泳いで頬を赤らめる、その様子も可愛らしい。
そんな彼女を、僕は愛さずにはいられない。華奢な体躯の内を溢れんばかりの慈愛で満たした彼女を、僕は愛している。他の誰よりも大切にしたい。……彼女から他の誰よりも特別に思われたいーーそういう欲望もあるのかもしれない。他の誰も見たことのない彼女の笑顔を僕だけに向けて欲しい。
それを踏まえた上でも、やはり彼女に笑って欲しいと思っている。あまりに気負い過ぎているから、いつか彼女は自分自身の善性に押しつぶされてしまうような、そんな予感がするから。だから、もっと気楽に肩の力を抜いて笑って欲しい。
しかし、実際に彼女に笑ってもらうにはどうしたら良いのだろうか。思いつく範囲で試してみよう。
まずはダジャレ。
「もっと、ましなシャレを言いなしゃれ〜」
「…………」
「八日に何かようかい?」
「…………」
「猛暑はもうしょうがない」
「……はっ! わかりました。これは同音異義語を用いた言葉遊びなのですね」
「……あのー」
「『しゃれ』と言いな『しゃれ』、『八日』と『ようか』い、『猛暑』と『もうしょ』うがない、…………これらの言葉が掛けられていたのですね。そうでしょう?」
「いや、僕はダジャレの解説をして欲しかった訳じゃなくてだな……」
「謙遜することはありません。これはとても言語学的に意義のあることであると、私は思います。同音異義語どうしを一つの文に纏めあげる難しさを考えれば、貴方はとても素晴らしい言語感覚をお持ちなのでしょう。私は今日、深く感銘を受けました」
「…………良かったね」
失敗である。下手にスベるよりも酷いぞ、これは。
次はくすぐる。
くすぐる。くすぐる?
異性間でやるにはかなりハードルが高い行為じゃないのか、くすぐるって。足は地に着いているし、脇は、その、なんだ、より親密なボディタッチな行為である訳で……。
いや、しかし、やらねばなるまい。「据え膳食わぬは男の恥」という危険思想はさておいて、笑わせると一度決めた以上はやり遂げたい。それこそ、男を通すために(滅茶苦茶なことを言っているのは自分でもわかっている)!
僕は気配を消しながら彼女の背後からジリジリと距離を詰めていき、今にも脇に手を差し込もうとした瞬間。
彼女はこちらを振り返り、頬を赤らめながら、
「貴方の希望に添えず申し訳ありませんが、その、肉体的接触は今はお控え願えませんか。心と身体のまだ準備が整っておりません。もし、そのような状態で貴方の期待を損ねてしまうことになってしまったら、私は……」
つ、次、行ってみよう!
お次は映画だ。
彼女がバラエティ番組を観ていて笑ったところを見たことがないため、今巷で話題のコメディ映画を観に行くことにしたのである。彼女は僕の誘いに快く応じてくれて、一緒に劇場へと足を運んだ。
それから約二時間後、劇場を出た後で彼女は言った。
「良い映画でしたね。最後の主人公の心情の吐露にとても感動しました。観に来られて良かったと思います。私を誘っていただき、本当にありがとうございました」
「……ああ、そうだね。こちらこそ誘われてくれてありがとう。喜んでくれて嬉しいよ」
充実感があったとはいえ、これもまた失敗である。……迂闊だった。コメディ映画というものは基本的には観る者を笑わせるシーンが多いのだけれど、全体の中でシリアスなパートが終盤にあることが多く、結果として感動でシメとなってしまう。そういう構成が悪い訳では決してないけれど、今の僕にとっては都合が悪い。
次の方法は、と考え始めたが、困ったことに何も思いつかない。もっと方法はいくらでもあるはずなのだろう。しかし、今の僕ができる範囲だと、このあたりが限界だ。限界を迎えるのがあまりに早すぎる。自分の乏しい発想力と行動力をここまで恨めしく思ったことはない。
僕が心中で頭を抱えていると、
「どうかされましたか? お顔の色が優れないようですが」
彼女に心配されてしまった。僕は大丈夫だと返したけれど、
「言いたくないのでしたら無理に打ち明けることはありませんが、可能であれば、どうか私にお話ください」
体調ではなく内面を訊いてくるあたり、彼女は鋭い洞察力を持っていると思った。
「ここしばらくの貴方は私にとても優しく接してくれました。……いえ、今までがそうでなかったということではなく、これまで以上に、という意味です。私自身は嬉しく思いますが、貴方に無理をさせていないかが心配で」
彼女の眉尻が下がっていく。僕の見たくない表情だ。
僕はこれまでの、彼女を笑わせるためにしたあらゆることを打ち明けた。自然な形で彼女に笑って欲しかったこともあるけれど、僕の中で意地みたいなものがあったことは否定できない。けれど、そんな意地も彼女の為なら平気で捨てられる。
僕から話を聞いた彼女は、少し首を傾げながら、
「そうだったのですか。私の為に手間をおかけしてしまいまして、申し訳ありません。けれど、私は決して普段から緊張して過ごしている訳ではないのです。他ならぬ貴方の傍では、私はとても気を抜いてしまっています。それこそ言葉通り、『気の置けない仲』なのでしょうね」
そうなのだろうか。
「ええ。私は感情を表に出すことが得意はありませんが、何も思わないことはないのです。例えば、……貴方の傍に居て心地良さを感じる心は紛れもない本物。それでも、貴方が不満に思われるのであれば、貴方のお力が必要です。ですからその時は、」
と、彼女は白魚のように美しく整った手先を僕に差し伸べた。
「一緒に頑張りましょうね。……なんて、……ふふっ」
…………あれ、今、君……?