暗鬼
私はモーラを幻馬に乗せ、その手綱を引いて歩いた。
セダムについてしばらく進むと、残り2人の冒険者と合流できた。
リーダーがレンジャーであるセダム。
木の上から飛び降りてきた密偵のフィジカ、魔術師のクローラに戦士のテッド。待機していた神官戦士のトーラッドと戦士のジルク。
彼らはレリス市の冒険者ギルド(やっぱりあるんだ)に所属しており、モーラの父親イルドからは依頼を受けたことがあるそうだ。また、イルドがドワーフ製の(ドワーフもやっぱりいるようだ)武具や道具を取り扱っている関係での付き合いもあるのだとか。
昼食をとりながら話を聞くと、イルドはユウレ村にたどり着いてすぐにモーラを救出するために冒険者を集めたという。普段は、それだけの実力があるパーティはユウレ村にはいないのだが、たまたま別の仕事のために滞在していたセダムたちが名乗りを上げたそうだ。
「けいさ……警備兵とか、騎士とか、国の兵士などはあてにできないのですか?」
私が素朴な疑問を口にすると、「イルドはあえてそれをしなかった」という返事だった。ユウレ村はとある騎士団の領地なのだが、もし騎士団がこの事件を知った場合、モーラの安全は二の次にして山賊を壊滅しかねないということだ。
「テロリストとは交渉しない、ってことですかねぇ」
「? 彼らは全体の治安を保つのが一番の目的だからな」
セダムは物憂げに答えた。どうでもいいがこの人はレンジャーという職業のわりに理知的だな。海外の自然科学ドキュメンタリーに出てくる大学教授のような雰囲気がある。
「逆にいや、今までどおり積み荷の3割で満足してればあいつらも安泰だったはずなんだがねぇ。あ、お嬢ちゃん、茶ーくれや」
「はーい」
と、モーラに給仕をさせるジルクは、パーティの中で最年長らしい。といっても、私と同年代だ。
ちなみにモーラは、言われるまでもなく皆のパンにマスタードを塗ってまわったりお茶を注いだりと、甲斐甲斐しく働いている。日本では10代の女の子と接する機会などほとんどなかったので苦手意識があったが。こんな良い子なら娘にほしかったな……。
「こっちの事情はそういうことだ。……で? そろそろあんたの話をしてくれないか?」
しみじみしている私に、セダムが静かに言った。……私より10歳は若いだろうに、誤魔化すことが許されないような迫力がある。潜ってきた修羅場の数が違うとこういうことになるのだろう。
「あ、はい。ええと……」
私はモーラが作ってくれたサンドイッチを無理やり飲み込んでから話し始めた。
「……と、いうわけです」
「………」
私はモーラにしたのと同じ説明をした。冒険者たちの反応は予想通りというか。『胡散臭ぇ』という顔だ。
「そもそも、魔力のない魔術師など存在しないんですわ!」
魔術師クローラが、もう我慢できない、とばかりに不機嫌そうに言った。私のようなローブではなく、身体にフィットしたズボンとシャツの上からマントをつけている。アンデル、という家名も名乗っていたから貴族の出身なのかも知れない。
しかし魔力がない、か。ジャーグルにも言われたがほんとにどういうことだ?
「私もそれをお聞きしたいのですが。このあたり……ええと、セディアの魔術師さんたちは魔力が目で見えているのですか?」
『見守る者』は異世界のことをセディア大陸、と呼んでいたのを思い出して聞いてみる。私も一応、呪文を使えば魔力を見ることはできるはずだが、『D&B』ではそれが魔法を使うための条件なんてことはない。
「見えるに決まっているでしょう! だいたい貴方は杖すら持っていらっしゃらないじゃないの!」
「んぐ……。しかし、その石像と荷物がぷかぷか浮いてるのは魔術ではないのですか?」
干し肉を齧りとってから、神官戦士のトーラッドがのんびりと言った。武骨な鎧に盾とメイスで武装しているが、おっとりした物腰の青年だ。
「……それは……」
「ちょっと、待って」
クローラが何か反論しかけると、それを低い声が遮る。
「暗鬼……いたよ」
帰り道の斥候を務めていたフィジカが、とても詰まらなそうに報告した。
「うじゃうじゃ居やがるな」
「小鬼に巨鬼、岩鬼まで……」
私たちは山道の途中、木々が途切れて視界がとれる場所に移動していた。
青い空の下、地平線まで見渡せるのは気持ちが良い。山の麓には平野がひろがっていて、街道らしき線が左右に伸びているのが見えた。問題なのは、ここから20メートルほど下った谷間を禍々しい暗鬼の軍団が行進していることだ。私たちは立ち木や岩に潜んで谷間を見下ろす。
最も数が多いのが小鬼。『D&B』などのゲームの知識でいうならばゴブリンだろう。小柄な体格に短い角、大きな耳。小鬼に混じって彼らを統率しているらしいのが巨鬼。これが、私が呪文で作り出したオグルに良く似ていた。そしてひときわ目立つのが、象ほどの巨体を揺らしながら進む岩鬼。短く太い脚に肥満体、長い腕、顔の前部を占拠するイノシシのような鼻と牙。これはトロールか。幸い、岩鬼は見える範囲には一体だけだ。しかしその一体が、谷間を埋めるほどの巨体に丸太を束ねたような棍棒を担いでいるから始末に悪い。
まだ森の中なので木々に遮られて全貌は分らないが、全ての暗鬼を合わせたら数百体はいるだろう。
「しかしゴブリン、オグル、トロールって可愛いレベルじゃないな……」
背負い袋から取り出した『遠見のレンズ』という、名前のとおり望遠鏡として使えるマジックアイテムで彼らの姿を観察しながら私は呟いた。見ているだけで、体中から嫌な汗が浮き出てくる。
確かに、彼らは『暗鬼』だ。姿形はゴブリンやオグルという言葉で説明できるが、そこから想起される使い古された雑魚的なイメージはまったくない。身体全体がタールでも塗りたくったように黒く濁っている。ギラギラと殺意に輝く目。レンズ越しに見詰めるだけで、まるで人間全てを殺し尽くすことしか考えていないような憎悪をひしひしと感じ取れた。山賊やモーラがあれほど恐れた理由も今ならよく分かる。生身の生き物ではなく、魔物とかアンデッドといわれた方が納得できるくらいだ。
それでも彼らを『群れ』ではなく『軍団』と呼んだのは、明らかに規律を感じられる整然とした行軍をしているからだ。
指揮官らしい、小鬼に担がせた台座に座る巨鬼を中心に隊伍を組んで進んでいく。
「……あのまま谷を進んだら、どっかで森を出るな。あいつらユウレ村を襲うつもりだな」
ジルクが呟いた。モーラが「ひっ」と小さい悲鳴を上げる。
「ここからなら、やつらより先に村に戻れる。警告くらいはできるだろう」
「警告はできても避難は間に合わないでしょうね。白剣城へ救援を呼びにいった方が良いのでは?」
セダムとトーラッドが次の行動を相談している。しかし、警告や救援が間に合ったとして、あの軍団に勝てるのだろうか?
「森を抜けたら二手に分かれるか。とにかく急ぐぞ」
「……あ」
私は何もしなくて良いのだろうか?
山賊の砦では、『次はどうする?』という台詞を思い出したお陰で行動できた。だがそれは、いわば降りかかる火の粉を払っただけだが、今度は自ら戦いを選ぶのか、という場面だ。
正直にいえば、『やれるかどうか』は問題ではなかった。おこがましい話だが、私は『やってもいいのかどうか』考えていた。つまり、この暗鬼の軍団を私が殲滅してしまっていいのかどうか、ということだ。
懸念はいくらでもあった。
根本的には、私をセディアに転移させた『見守る者』の思惑が分からない、というのがある。ここで私が暗鬼を倒すことが、この後もっと大きなイベント……それは悲劇かも知れない……の引き金になるのでは?
あるいは、良くあるダークファンタジーのように、この世界においては暗鬼こそが正当な人類であるとか?
また、ここで暗鬼の軍団を倒すことで私自身の立場が激変する可能性も高い。ないとは思うが英雄のような扱いは耐えられないし、悪くなることだって十分考えられる。『禁忌の魔法がどうとか』よくある話ではないか。
そもそも彼らが本当にユウレ村に攻撃をしかけるかどうか、証拠はないのだ。同じ知的生命体(とはとても思えないが)として、相互理解の努力をすべきではないのか?
……と、いうのが私の中の理性的な部分からの意見ではあったのだが。
不確定の未来への怖さも不安もある。これがゲームではないということは何度も実感させられた。
そう、私は『D&B』のキャラクター、世界を何度も救った大魔法使いジオ・マルギルスではない。42年間、平和と話し合いがあらゆる暴力よりも尊ばれる国で、ぬくぬくと生きてきた人間である。
そんな人間が踏ん切りをつけるには、理由というものが必要だ。
「あのう、被害、は?」
「ん?」
「もしこのまま暗鬼たちが村を襲ったら、どの程度の被害があるのでしょう?」
私の問いに、テッドが苛立たしげに答えた。
「あの数の上に岩鬼までいるんすよ!? 全滅っすよ、全滅!」
「……そんな……」
救いを求めるようにセダムや冒険者たちを見るモーラと、誰も目を合わせようとしない。
「わ、分かりましたっ」
私は緊張に裏返った声で言った。
「ジオさん……」
モーラが不安そうに呼ぶ。袖を引かれた気がして視線を下げると、彼女の手がローブの袖をきつく掴んでいた。
「大丈夫。私が何とかしますっ」
さっき、モーラのことを娘のようだ、と身の程知らずにも思ったのは私だ。
だったら今だ。後でどれほど後悔しようと、今、大人として私は動かなければならない。
英雄でも罪人でも、好きに呼んでくれ。
「……すいません! ちょっとお腹が痛くなったので! 先にいっていてくださいっ!」
私はモーラを振り払って、きた道を戻り始めた。せめて彼女たちから見えないところで呪文を使おう。
……まぁ、減らせるリスクは減らすのも大人というものだ。