鉄格子を挟んで
2月26日
読み易さの改善ため、行間等の修正をしました。
「やばいやばいっ」
まったく本当に、ゲームのようにはいかないものだ。
本来なら真っ先に救出しなければならない同じ境遇の女性を、砦の探索にかまけて数時間放置してしまった。なんかもう日が暮れそうになっている。
ジャーグルの私室で回収したローブとブーツを身に付け、背負い袋を肩に引っ掛けた私は慌てて牢獄へ走った。息を切らせて牢獄の建物に飛び込み、鉄格子の向こうの女性に声をかける。
「すいませんっ。大丈夫ですかっ!?」
「いやぁぁぁぁっ!」
女性は物凄い悲鳴を上げた。
「え!? いや、大丈夫ですっ。私は怪しいものじゃありませんっ!」
「いやぁっこないでぇっ! この化け物っ!」
「ん?」
化け物、という女性の声と視線が私を素通りして、背後に向いていることに気付いた。恐る恐る振り返ると……。
「グルォ?」
「……あのう、本当にすいません。信じてもらえませんか? 私は山賊や暗鬼とかいうものの仲間なんかじゃあないですし、貴方に危害を加える気なんかないんです」
「……」
可能な限り牢獄の奥へ引っ込み身を縮める女性に、私は必死に話しかけていた。
実に間抜けなことに、私の背後には護衛のオグルもいたのだったのだ。もちろんもう追い出したが、オグルを見た女性は完全に警戒しきっている。
良く見れば、女性というより少女だ。白人の年齢は見た目では分かり辛いが、10代中盤くらいだろうか? 栗色の髪をショートにした活発そうな娘だが、今はこちらに噛みつかんばかりの形相だ。
「本当に、あれは私が呪文で作りだした従者なんです。何も危険はありませんから」
「……暗鬼を作るっていうことは暗鬼の仲間なんじゃないですか……?」
やはり、『暗鬼』はこの世界独特の概念のようだ。オグルと似た存在のことをそう呼んでいるのだろうが、山賊や娘の反応を見ると相当恐れられているようだ。それに、ジャーグルの台詞から考えても、私の使う『魔法』と彼らが言う『魔術』には色々と違いがあるようだ。ジャーグルのアイスアローとやらを【無敵】のバリアで無効にできなかったのもそのあたりが理由かも知れない。
「ですから、私はここから遠く離れた国からきたばかりでして……このあたりの魔術とは違う魔法を使う魔法使いなんですよ……」
「……信じられません」
「だいたい、山賊の仲間だったら牢に入れられたり殴られるわけないじゃないですか。貴方も見ていたでしょう?」
「それは……」
このカオスな状況だ。少女だって、いきなり得体のしれない男に助けると言われても信用できないだろう。もっとも、頭から聞く耳もたないという風でもないので、根気よく話し続ければ何とかなりそうではある、が。
しかし、だ。
これが四十路のおっさんではなく、キャラクターシートにあったとおりの銀髪の美青年『ジオ・マルギルス』だったら簡単に信用してもらえたのだろうか? ……いや、私には彼の能力があるじゃないか。【魅 了】でこちらに好意を抱かせれば話しもスムーズに……。
「どりゃぁっっ!!」
「ぎゃあっ!? 何やってるんですかっ!?」
頭に浮かんだ行動の、自分史上最悪の醜悪さに私は私に対して激怒していた。渾身の力で鉄格子に頭を叩きつける。当然激痛が走るがそんなことは関係ない。むしろ激痛が必要だ。【魅 了】は単体にしか効果はないが、相手を魅了し言うことを聞かせるという、つまりは心を操る呪文だ。他人の心を呪文で操る……これほど身勝手で残酷な行為はそうないだろう。そんな選択肢が一瞬でも頭に浮かんだ自分が情けない。これはゲームではなく現実だというのに。
「話をっ! 聞いてっ! もらえないからってっ! 私の馬鹿野郎っ!!」
見知らぬ少女の前でこんな醜態をさらすなど、正気の沙汰ではないのは分かっていた。
だが、たった今私の心に浮かんだ邪念は、今、完全に断ち切られねばならない。そうでなければ、私は魔法の力に溺れ自分の欲望のために他人の人生を滅茶苦茶にして恥じない卑劣漢になってしまう……そんな恐怖が私を突き動かしていた。
「ちょっ、ほんとに止めて下さいっ! 血が出てますよっ!?」
「はあっ……はあっ……は、はい……。 うぐっっ!?」
当たり前だが額がぱっくり裂けたうえに、あふれ出した鮮血が目に入って私は悶絶した。
「もうっ! 一体何なんですかっ!?」
「いや、もう、ほんとすいません……え?」
血まみれになった顔面をローブの袖で拭っていると、その手に柔らかい布……ハンカチを握らされた。
「それで押さえておいてくださいっ」
反射的にハンカチで額を押さえながら顔をあげると、少女が鉄格子の傍まで寄ってきていた。鉄格子の隙間からハンカチを渡してくれたのだろう。
「あ、ありがとう……うう……」
背負い袋の中のポーションのことも忘れて私は少女に礼を言い、へたり込んだ。
「…………」
「…………」
少女は可愛らしい顔を思い切り顰めてこちらを見下ろしていた。唇が見事な『へ』の字になっている。呆れてはいるが、逆にそのお陰で私に対する恐怖心は薄れたようだ。少なくとも激昂はしていない。これはチャンスだ。
「お見苦しいところを見せまして……」
「え、ええ、まぁ……」
「信じろとは言いません。……しかし、まずは話だけでも聞いてもらえませんか?」
「ううん……」
少女は腕組みしてしばし考え込み、すとん、と鉄格子の向こうに座り込んだ。少し脚を崩している。
「分かりました。聞きます」
少女の表情はまだ固いが、話を聞く気になってくれたようだ。大人しく私の言葉を待っている。彼女に借りたハンカチで額を拭いながら私も何となくその場に正座した。あ、そうだ。
「あの、ハンカチありがとうございます。洗濯してお返しします」
「い、いえ、別に……」
「話の前にちょっとすみません」
私は横に置いた背負い袋に手を突っ込むと、真鍮のボトルを取り出した。チェーンでカップも附属している。
「? お酒……?」
「いえ、これはヒーリングポーションといって傷を治すためのものです」
細かく言えばこのボトルは『ポーションサーバー』というマジックアイテムで、10回分のポーションをまとめて保管できるという便利な品だ。
「それじゃあ早く飲んだ方が良いですよ」
「?」
あ、額の傷のことを言っているのか。忘れていた。
「いや、貴方に必要かなと思いまして。どこかお怪我はないですか?」
「私は……」
少女は逡巡した。表情からして、どこか痛めているという感じだが……。
「ああ、もちろん毒などではありませんので。じゃあまず私が飲んでみますね」
カップに薄桃色で甘い香りのする液体を注ぎ、一気に飲み干す。何だか物凄く甘口の酒のような味だが……確かに体力が回復しそうな気がする。
「おぉ……治った」
額の裂傷はたちまち塞がった。今更だが、ファンタジーだなぁ……。
「さあ、遠慮なくどうぞ」
私はカップに再度ヒーリングポーションを注いで、少女に差し出した。
「でもそんな高いものを……。ちょっと足を挫いてるだけですし」
「これは貴方を怖がらせたお詫びのようなものです。本当に遠慮しないでください」
「……」
少女はまだ迷っていた。私を信用できない、というよりは彼女自身が言ったように経済的な面で遠慮しているように見える。
「それにこの後、貴方を家まで送り届けるときに足が痛くては大変ですよ? ……仮に私の助けがいらないとしたら余計にね」
「そ、そう、ですね……。それじゃあ……あの、お代は後で必ず払いますから」
あくまでも義理堅いことを言いながら少女はカップを受け取り、ポーションを飲んだ。「……ふぅ」
少女の表情からみるみる険が取れていく。
「あ、全然痛くないっ!」
痛みがなくなったようで、さっきまで庇っていた脚をぴんと伸ばして喜んでくれた。ワンピースの裾がひらひらして、健康そうな腿までちらちらする。……もういい年した大人だから別にどうも思わないが、年頃の娘さんがそう脚を見せるもんではないと思う。
「!?……わわわっ!? すいませんっはしゃいじゃって」
礼儀正しく視線を逸らしていると、少女は赤くなって裾を押さえた。何とも可愛らしい姿だ。
「効いたようですね、良かった」
「え、あ、ありがとうございましたっ。あの、酷いこといってすみませんでした」
「信じていただけるんでしょうか?」
「と、とりあえず、私を助けてくれるということは、信じますっ」
十分である。
しかし良かった。日本なら、初対面だろうが常識さえあればある程度の関係はすぐに築ける。それはお互いに共通の社会で生きている、共通のルールを守っているという前提があるからだ。その常識が全く通用しない異世界において、とにもかくにも一人の人間とコミュニケーションがとれたこと(ジャーグルや山賊は除外して良いだろう?)に私は安堵していた。
「えっとまず、ここから出してもらえませんか? 鍵は持ってるんですか?」
「あ、そうですね。ちょっとお待ちください」
安心するのはまだ早い。ここまできたら、まずはこの子を無事に家に返すのが私の最初の目標だ。私は立ち上がると、『内界』の自分を第2階層へ下ろしていく。
「この呪文により今触れている鍵は開くも閉じるも自在となる。【魔力の鍵】」
詠唱のとおり閉じるにも開けるにも使える便利な開錠の呪文を使うと、鉄格子の鍵はがちゃりとあっけなく外れた。
「わ、凄い」
少女は目を丸くしながら鉄格子を潜った。背筋を伸ばしてから、ぴょこんと勢いよく頭を下げる。
「レリス市の交易商人イルドの娘、モーラと申しますっ。いろいろとっても失礼しましたっ。どうか、よろしくお願いしますっ」
うちの会社の新入社員にも見習ってほしいくらい気持ちの良い挨拶だった。
「魔法使いジオ・マルギルスと申します。こちらこそよろしく」
牢獄から出てすぐに、オグルたちに指示して城門や周辺の警戒をさせようとしたら、モーラに怒られた。「他の人にも暗鬼の仲間って思われちゃいますよっ!? 戦族の人に狩られちゃいますよっ!?」とのことだ。また知らない用語が出てきたが、ここは素直に従うことにする。
「この呪文により半径3m以内の魔力を虚無へ戻す。【魔力解除】」
対魔法戦では不可欠な【魔力解除】は常に3回分準備している。そのうち1回分を使って【鬼族小隊創造】の効果を解除すると、オグル6体は蜃気楼のように揺らめいて消えた。
「ほ、本当に暗鬼を魔術で作ってたんですね……」
「オグルです。それに魔術じゃなくて魔法ですけど……」
とにかくいろいろと確認しなければならないことが多すぎる。
通用門をしっかり閉ざしてから、落ち着いて話ができそうな主塔へ入ることにした。途中、モーラは中庭に転がっていたジャーグルに気付いた。まぁ見ていて気持ちの良いオブジェではない。
「あの……これは……?」
「ここの賊どものボスだったらしい魔術師ですね」
「でもこれ石像ですけど」
「私が魔法で石像にしました」
「……へー……」
隣を歩いていたモーラが一歩離れた。
幸い、逃げだされることはなかった。