『次はどうする?』
「とっとと出てこい!」
「早くしろよウスノロ!」
鉄格子の外から、薄汚い三人組が騒いでいた。
髪は金や茶で、顔だちや体格からしてどう見ても白人種だ。革鎧に、斧や剣を背中や腰に吊っている。
まぁなんというか、見るからに山賊だなぁ……。
「……」
冷静ぶってみても実のところ身体は硬直してしまっていた。
成人してから喧嘩などしたこともないし、不良に絡まれたこともない。
一方、目の前の3人は明らかに暴力沙汰に慣れきった、粗暴な態度をありありと見せている。
「ったく、手間とらせんじゃねーよ」
私が自分では鉄格子を開けられないことに今気付いたかのように、1人の男が鉄格子の鍵をあけて入ってきた。
「あの……っ!? げぁっ」
身構える間もなく、そいつは容赦ないパンチを腹に叩きこんでくる。
【無 敵】は武器と魔法への耐性を付加する呪文だ。つまり、生身の拳によるダメージは防げない。
腹に激痛が走り息が詰まる。
「こいつってんだよっ」
声も出せない私を、三人組がよってたかって牢獄から通路に引きずり出す。
短い通路を引きずられながら一瞬視界に入ったのは、隣の牢に閉じ込められた若い女性の姿だった。
「……あ」
一瞬、女性と視線が合ったが、言葉を交わすような余裕はなかった。
「お前はこいつの始末が終わった後でじっくり可愛がってやるからよ!」
「ひぃぃっ」
代わりに男が下卑た声をかけ、女性が悲鳴を上げるが、恐怖と苦痛でパニックになっていた私は何もできない。痛みだけでなく、情けなさに涙が滲んだ。
通路の先の扉を抜けると、そこは重厚な石壁に囲まれた中庭だった。正面の石壁に沿って、これも石造りのどっしりした塔が建っている。
粗野な男たちがあちこちに居て、私を見て嘲笑したり罵声を浴びせてきた。
「エセ魔術師さんだぜぇー」
「魔術で逃げてみせろよー!」
「さっさと埋められちまいなぁ!」
エセ魔術師とはどういうことだ? と考えても当然答えなどでない。私は中庭の中央あたりに跪かされた。
するとようやく彼らが暴行の手を休めたので、目だけで周囲を観察することができた。こういう光景については心当たりがある。多分、ここは砦とか城の中だ。しかも山賊のアジト、というところだろう。まるでゲームの一場面だが、当事者になってみると、とてもではないが楽しむ気分にはなれない。
数分そのまま押さえつけられていると正面の建物からローブを着た男が出てきた。左右の手に一本ずつ杖を持っている。
神経質そうな、頬のこけた顔に口髭、尖った鼻。
どうやらここは山賊のアジトではなく、悪の魔術師の砦だったようだ。
「貴様はいったい何者だ?」
ローブの男が、甲高い声でいきなり聞いてきた。
「この杖をどこで手に入れた!? 貴様はアーファルサールに関係があるのか!?」
こちらが答える前にさらに早口で質問を浴びせてくる。良く見れば、彼が持つ杖のうち一本は、私のものだった。
ウィザードリィスタッフ。ジオが36レベルに達した記念に、当時の財産の半分を費やして作成した強力なアイテムだ。
「わ、私は……ぁ……。わ、私はジオ・マルギルスというただの魔法使いです。杖は私物ですし、アーファル何とかのことは全くわかりません」
自分の名前――日本で会社員だった私の――を口にしそうになって、言い直す。そうだ、私は異世界にいるのだ。あの、安全で清潔な日本の法律も警察も倫理も私を守ってはくれない。
「嘘をつくな! 貴様には魔力がないではないか! 貴様は魔術師ではない!」
「は?」
魔力がない?
「ちゃんと答えろよおらあっ!」
「ごふっ!?」
思わず間の抜けた声を出した私の腹を、横にいた山賊が思い切り蹴り上げた。
「がふっ……おっ……!? ごぉぉぉ……」
「ひゃひゃひゃっ。情けねぇなぁ!」
「とぼけるならもっと根性入れろよぉ!」
痛すぎて頭の中が真っ白になる。これほどの暴力を受けたのは42年生きてきて初めてだ。そして暴力以上に怖いのが、そのことに何の良心の呵責も覚えていないであろう、彼らの下卑た笑い声だった。
「この杖にも何の魔力も感じない……だがっ。これは確かに魔術だ!」
ローブの男が杖を振り回すと、私と男の間の地面に稲妻が降り注いだ。青白い雷光の輝きが眼を焼き、一瞬遅れて轟音が響く。
「うわっっ!?」
「ひぃぃっ!?」
稲妻自体は一瞬で消えたが、光と音の衝撃に私と三人組は尻餅をついていた。稲妻が地面を撃った衝撃波に押されたせいだ。周りの山賊たちも呆然としている。
「スゲェ……なんだあれ……」
「あんな魔術見たことねーぞ……」
くそ。ウィザードリィスタッフに『準備』してあった【稲 妻】の呪文か。『D&B』のマジックアイテムは比較的簡単にその使い方が理解できるようにできているので、彼が扱えても不思議はないが……。杖にも魔力がない、とはなんだ? 痛みと恐怖でまともに思考できない。
「魔力のない魔道具とは一体なんだ!? アーファルサールの魔道師どもでなければ、賢哲派の馬鹿どもが開発したのか!? 吐け!」
「吐くもなにも…… げふっ!」
三人組とローブの男は阿吽の呼吸らしい。またしても殴る蹴るの暴行が私を襲う。
「ふん……そうか、分かったぞ。貴様、私を舐めているな? この大魔術師ジャーグル様を」
「ごほっ。舐めてないですっ……がっっ」
身体を丸めて三人組の暴力に耐えるしかない私に、ローブの男……ジャーグルはキレたようだ。
三人組に命じて、ぼろぼろの私を立ち上がらせる。左右から両脇を抱えられているので身動きもできない。
「ハァッ!」
ジャーグルはもう片手に持っていた彼の杖を突き上げ、何やら気合の声をあげた。
「アイスアロー!」
杖の先から何かが飛び出して……私の肩に突き刺さる!
「がっ……ぎゃあああっっ!!」
肩に熱いものが突き刺さる激痛。見ればしかし、刺さっているのは氷でできた棒……矢だった。
魔法だ! 魔法で氷の矢を撃ったのだ!
おかしい、私の魔法は? 【無敵】は魔法を無効にするはずだ! それともこれはよほど高レベルの魔法なのか!?
「どうだ、本物の魔術の味は? 氷漬けにされたくなければ、本当のことを話すんだな!」
「さすがジャーグル様だぜぇー!」
「こんな奴もうやっちまえよぉ!」
「……ぐっ……ぅぅ…」
ジャーグルの声も山賊どもの声も耳に入ってこない。肩の内側が切り刻まれるように痛い。生れて初めての暴力と激痛に混乱しきった頭にあるのは、恐怖と……怒りだけだった。
もう痛いのは嫌だ。殺される? 死にたくない。助けて。逃げたい。
何で私がこんな目に? 私は何もしていないのに。
『次はどうする?』
唐突に。
混乱の極みにあった私の思考を切り裂いて、懐かしいゲームマスターの言葉が蘇った。
そうだ。こんなピンチは何十回も乗り越えてきたのだ。
『ゲームの中ではな』という自分への突っ込みを無理やり抑え込み、私は事態を打開する方法を考え始めた。苦痛も罵倒も全て無視する。初めて感じる『命の危険』が私の集中力を異常に研ぎ澄ましていた。即座に、呪文を使うしかないと結論する。
頭の中に高速で流れていく、『準備』済の呪文のリストの中から一つの呪文を選択した。完全にジャーグルの動きを止め、さらに山賊たちへも十分な威圧を与えるための呪文だ。恐らくジャーグルが呪文書も持っている以上、逃げるための呪文という選択肢はない。もちろん彼を即死させるような呪文も除外だ。
「どうした、さっさと答えよ!」
「だんまり決め込んでんじゃねーよっ!」
「がふっ」
背中から蹴られて前のめりに地面にぶっ倒された。顔面や腹を打って息が詰まるが、歯を食いしばってジャーグルを見上げる。
私は驚くほどの冷静さで呪文を唱えた。
「彼はこの呪文により石像に成り果てる。【石 化】」
『内界』の構築も『魔道門』の通過も最初よりずっとスムーズだった。ジャーグルや山賊から見ればぐったりして何か呟いているだけの私は、第5階層『魔力付与師の呪文書庫』にある呪文の力を解放していた。
「それならもう一度私の魔術を……へ?」
何が起こったのか、ジャーグルも山賊たちも最初は分からなかっただろう。
私にはジャーグルの両足首が靴ごと変色……石の灰色になっているのが見えた。
「足がっ……何だこれはっ!? 動かないっ。うわっうわわわわっっ!?」
足首の変色、つまり石化は容赦ない速度で脛、膝、腿とジャーグルの身体を侵食していく。
ローブも肉体もまとめてだ。
腰まで石になった時点で本人や山賊にも何が起きているか理解できただろう。
「どうなってんだ!?」
「石だっ……ジャーグル様が石になってくっ!」
「動かないっ!? 私の身体が動かないっ!」
両脚も完全に石化したジャーグルは真っ青になって叫んでいた。私を取り押さえていた三人組をはじめ、周囲の山賊たちもうろたえきっている。
「殺せぇっ! そいつを殺せっ!」
ジャーグルの絶叫と同時に、背中に何かが触れたのを感じて振り向いた。
「……な、なんだこいつっ!」
山賊が、剣を突きだした姿勢で硬直している。どうやら【無敵】の呪文がやっと役に立ったらしい。
「この野郎っ!」
「なんでっ刺さらねーんだよっ!?」
三人がかりで斧や剣を滅茶苦茶に叩きつけてくるが、私の身体を覆うバリアに阻まれ、軽い衝撃すら与えられない。
もしここで彼らが冷静になり、素手で押さえつけたりしてきたら私もここで終わっていたかも知れない。
しかし山賊たちにそこまでの余裕はなかったようだ。
「ぁぁーーーーっ! やめて、やめてっ! とめてっ! たすけっっ………」
その時にはジャーグルの顔は恐怖に歪みきっていたが石化の侵食はまったく容赦なく進む。数秒後、彼は無残な表情のまま完全に石像へと成り果てていた。
こんな呪文を人間に使うことについて最初は罪悪感もあったのだが、それほど同情は沸かないな。……一度石化させても、別の呪文で元に戻せるし。私は少し余裕を取り戻し、胸を撫で下ろしたが……途端に肩の痛みが復活し顔を顰めた。
「はぁっ……。はぁっ………ぜぇぇっ……」
砦は静まり返っていた。聞こえるのは私の荒い呼吸音だけだ。一分ほどか、それとももっと短かったかも知れない静けさのあと、一人の山賊が恐る恐るジャーグルに近づいた。
「……お、おい……」
「ジャ、ジャーグル……様?」
不自然な姿勢で固まったジャーグルに触れると、ジャーグルだった石像はゆっくり倒れた。
人間大の石像なので結構な音が響く。
「ほんとに石になってる……」
「あ、あいつがやったのか……?」
転がったジャーグル像に集まっていた山賊たちの視線が、私に向いた。もちろん、さっきまでの侮蔑ではなく、恐怖と不安に歪んだ顔でだ。
下品なことにざまぁみろと思ったが、しかし肩の痛みでそれどころではない。
とにかく一刻も早くこいつらを追い払いたい。
となれば……となれば……痛みで頭がまわらない。
『次はどうする?』
最も古いTRPG仲間であり信頼するゲームマスターの問いかける声が、また聞こえたような気がした。