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呪文書庫

 呪文の使い方は全て私の頭の中にあった。

 20年以上前、『D&B』のルールブックをもとに、当時のゲームマスターと二人で無駄に細かく決めていった設定だ。


 『見守る者』も、良くまああんな小汚いノートで内容を理解できたものだ。


「……まずはやってみる、か」


 大きく息を吸って目を閉じる。

 これから行うのは、自分の心の中に潜り、本能と無意識のさらに奥、『混沌の領域』から呪文のエネルギーを解放する作業だ。

 規則正しく呼吸しながら精神を集中させる。

 まずは、心の中――『内界』をイメージする。


 闇に包まれた空間。


 その闇の中にぽつりと立つ自分。


 自分自身の姿を克明にイメージするというのは普通なら案外大変なことだ。しかし、すぐにもう一人の自分――魔法使いのローブを着た――が闇の中に浮かび上がった。これが『ジオ』の能力ということなのだろう。

 『内界にいる仮想の自分』と『牢獄に立っている現実の自分』を慎重に重ね合わせていく。

 両者が完全に重なり、現実の自分が仮想の自分に溶け込むイメージができてから、ゆっくりと目を開ける。


 ……闇だ。


 本当なら見えるはずの牢獄の光景はない。仮想の自分が着ていたローブ姿である。

 ここは自分の心の中、『内界』なのだ。

 右手をあげ、闇を照らすランタンをイメージする。

 すぐにランタンが現れ、赤みの強い光が周囲を照らした。


「凄いなこれ……リアル過ぎる……うおっ!?」


 ランタンの重さや熱さ、油の匂いがあまりにリアルで、一瞬動揺してしまった。

 動揺……というより疑念が生じたことで、『内界』が揺らぐ。

 異常な気持ち悪さが全身を襲った。四方八方から引っ張られるようだ。


「はぁ~……。ふぅーー……」


 焦りながらも呼吸を整え、意識を集中させる。なんとか揺らぎは収まったようだ。


「危ない……」


 ここはまだ『内界』だからイメージがぶち壊れても気持ち悪いで済むが、もっと段階が進んでからこんなことになったら、仮想の自分ごと現実の自分の意識が消し飛んでしまうだろう。……誰だこんな危険な設定にしたのは。

 もう一度深呼吸してから、ランタンを持ち上げ前方を照らす。

 柔らかい光が、目の前の『門』を照らし出した。


 これが『魔道門』。


 高さは3mほどだ。魔術的寓意を表す不気味な彫刻が無数に刻み込まれている。

 『内界』と『混沌の領域』の接点、出入り口、防護壁の象徴だ。

 この先は自分の意識でありながら、『混沌の領域』でもある。心理学的に表現するなら、本能や無意識の領域、さらにその奥の集合的無意識の世界とも言えるだろう。

 『魔道門』は招き入れるように開いて、石造りの下り階段を覗かせた。

 ランタンの明かりを頼りに、私はゆっくりと階段を下りていく。反時計回りの螺旋階段だ。

 自分の心である『内界』から『混沌の領域』へ意識を送り込むための通路。『魔道門』と同じく永年の修行で自分の心に構築したイメージである(という設定だ)。

 もし、門や壁、階段のイメージが不十分な状態で『混沌の領域』に意識を接触させれば、圧倒的な混沌に飲み込まれて廃人になってしまう。

 しかしさすがは36レベル魔法使いであるジオのイメージだ。壁の固さや冷たさ、色合いや空気の流れに匂いまで、まったく現実と区別がつかない。


 主観的には数十段下ったところで、扉のある踊り場に出た。ここが第1階層だ。

 扉にはプレートがかかっていて、ここが『入門者の呪文書庫』であると示していた。

 練習という意味ならここから1レベルの呪文を探して使っても良いのだが、今回の目当ての呪文は最下層にある。


 踊り場を過ぎて螺旋階段をさらに降りていく。


 2階層…4階層……7階層……8階層…。


「ついたぞ、第9階層……」


 『大魔法使いの呪文書庫』。

 見かけはこれまでの階層とあまり変わらない。

 しかし、壁一枚向こう側にごうごうと渦巻く『混沌』の圧力を強く感じる。

 いうなればここは『混沌』という無形のエネルギーの大海に、イメージという仮初めの形を与えた仮想空間だ。テクスチャの壁が崩れたら空間も私も虚無へ消えてしまう。

 ごくりと生唾を飲み込みながらもランタンをかざして近づくと、扉はやはり音もなく開いた。


 扉の向こうは巨大な書架が並ぶ図書室だった。

 広さはよく分からない。教室くらいだろうか。すぐ手前に、大型の書見台が9つあった。書見台にはそれぞれ分厚い書物が乗っている。

 この書物の一冊一冊が呪文のエネルギーの象徴だ。書見台に乗っているということは、それが既に『準備(チャージ)』されていることを示している。

 私は端から順番に書物の表題を確認していく。


 【時間停止(タイムストップ)】【隕 石(メテオ)】【全種怪物創造(クリエイトオールモンスター)】……【無 敵(インヴィンシブル)】。


「あったあった」


 探していた呪文の書かれた書物を見つけ、軽く触れる。

 見かけは数百ページありそうな分厚い書物だが、必要なページは一枚だけだ。書物は生き物のようにひとりでに目当てのページを広げる。


 さあて、いよいよここからだ。私は大きく息を吸うと、書物に書かれた呪文を読み上げる。牢獄にいる現実の私も同じ言葉を紡いでいるはずだ。


「この呪文により私の身体は今後6時間、通常の武器による攻撃と3レベル以下の呪文による攻撃を無効にする不可視のバリアによって包まれる……」


 ルールブックの説明文の内容に近いが、ここで呪文がどのような効果を発揮するか細かく指定するのだ。例えば攻撃呪文であれば、攻撃範囲や対象を指定することができる。


「……【無 敵(インヴィンシブル)】」


 最後に呪文のエネルギーを現実世界に解放するキーワードを唱えれば、呪文使用の手順は終わりだ。

 【無 敵(インヴィンシブル)】の書物は、まばゆく輝くエネルギーとなり、天井をぶち抜いて上……現実世界に向けて飛び去って行った。

 後には、まだ書物の乗った8つの書見台と、空になった書見台が1つ残っている。キャラクターシートとかステータスウィンドウで表現するなら、【9レベル呪文 8/9】といったところか。


 私も『大魔法使いの呪文書庫』を出て、螺旋階段を上って行く。ここで無理やり仮想の自分とのリンクを切断しても良いのだが、安全を優先してしっかり階層を上り『内界』まで戻った。

 『内界』で目を閉じ、現実の自分と仮想の自分を切り離していく。


「……ふうっ。戻った」


 目を開ければ、そこは牢獄の中だった。

 手枷をはめられた両手や、身体を見回す。薄らと白い霞のようなものが、膜となって体を覆っているのが分かった。目を凝らさないと分からないくらいだが、他人からは何も見えないはずだ。

 つまり、【無 敵(インヴィンシブル)】の呪文が発動している。

 9レベルの呪文にしては地味すぎるが、それでも効果は絶大なはずだ。


「本当に呪文……使えたなぁ……」


 体感では1時間くらいかかった気がする呪文詠唱だが、実際にはきっちり10秒しか経っていない。『内界』では時間の流れはあってないようなもので、どれほど急いでも1つの呪文を使うには10秒が必要になる。ゲームがもとになっているから仕方がないとはいえ、その10秒間はほぼ無防備になることを考えると呪文の使用は相当慎重にしなければならないだろう。

 いやあ、大変だ。

 ガンダルフが何でちょいちょいと魔法を使って助けてくれないのか良く分かった気がする。


 実際に呪文が使えたことを確認して気が抜けてしまったようだ。

 またしても5分ほどぼんやりしてしまった。

 しかしその平穏は他人の手によって破られる。

 騒々しい足音や話し声がこちらに近づいてきたのだ。


「おう、出てこい!」

「取り調べだ、取り調べ!」


 鉄格子の前で私を怒鳴りつけたのは、小汚い革鎧のようなものを身に付けた3人の男だった。


 ――ああ、うん。山賊だ。


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