冬の一日
私はジーテイアス城の練兵場を見下ろす櫓の上にいた。いつぞやディアーヌたちの戦闘訓練に利用した、村を模したセットが立ち並んでいる。
あのときのように兵士たちがいるわけでもなく、静まり返った練兵場の土は踏み固められた雪と土でまだらになっていた。
建国歴1301年が始まり、一ヶ月ほど経っている。
リュウス地方の冬も終わりが近い。
「……寒いな!」
とはいえ、まだまだ風は冷たい。
久々の濃い青空の下とはいえ、早く自室に戻ってモーラの淹れてくれた温かいシル茶を飲みたい。
「これくらい我慢なさいな。セダムを見習ったらいかが?」
世紀の大告白を経ても、隣に立つ金髪美人は相変わらずだった。まあ、これくらいでなければ魔法使いの恋人は務まらんということだ。多分。
「……どちらかといえばレイハの根性の方が凄いが……」
「滅相もございません! 従属する者として当然のことでございます!」
背後に片膝をついて控えるレイハは、相変わらずの軽装黒革鎧姿だった。暗褐色の艶めかしい肌に鳥肌ひとつたっていないから強がりではないようだが、見てるほうが寒くなる。
「おーい。そろそろ始めたいんだが?」
櫓の下からセダムが苦笑しながら言った。
その手には、美しく磨かれた黒檀の弓が握られている。
「あ、すまん。こっちは大丈夫だ!」
「じゃ、いくか」
セダムは私たちに向けて片手をあげると、セットの村へ向けて歩き出した。背の矢筒から三本の矢を抜き取っている。
遠見のレンズで覗き込んでも彼の表情や足取りは自然そのもので、散歩しているかのようだった。
「……む」
その、悠然とした歩みの最中セダムは無造作に一本の矢を弓につがえ、放った。歩きながらである。射る方向を見もしない、でたらめとも思える射法であったが。
「グギャ!?」
その矢は小屋の陰に潜んでいたゴブリンの肩を射抜いていた。
「おおっ」
「お見事ですわ!」
私とクローラはそろって称賛の声をあげた。私が呪文で創り出したゴブリン(もちろん、小鬼を想定した標的だ)がどこに潜んでいるのか、当然セダムには教えていない。ゴブリンたちにも、できる限り隠れセダムが接近したら襲うように命令している。
「ギャヒッ」
「グヘェッ!?」
村の通りをゆったり歩きながら、セダムは矢を射続けた。その矢は一本残らずゴブリンの肩や足を貫く。あまりに早く的確な射撃。ゴブリンたちは物陰から飛び出そうとした瞬間、悲鳴をあげて地面にぶっ倒れていく。
「これは……。セダム殿の弓術、恐るべし」
レイハが真剣な顔で呟いた。額に一筋の汗まで浮かべている。『D&B』換算で二十レベルの彼女がここまで絶賛するとは……。
確かに、歩く速度もリズムも変えぬまま、(恐らく)ゴブリンの姿が視野に入った瞬間に視線も向けず正確に矢を放っているのだ。絶技、としか言いようがない。
中には、盾にした丸太ごとぶち抜かれたゴブリンまでいたのだ。
しかも、倒れたゴブリンたちは生きてはいるものの、全身を硬直させてピクリともできないでいる。
「私から見ても、彼の技量は飛躍的に向上していますわね。いつのまにこれほどの修練を積まれたのかしら」
「いや、割と空いた時間にちょこちょこ練習してるのは知ってたが。……私の贈り物のお陰、ってだけではないよなあどう見ても」
そう、彼がいま使っている弓は、私が冬ごもりの間に作製したマジックアイテム『ロングボウ+3 パラライズ』なのである。『D&B』で『+3』というのは、通常と比べ命中率が15%、ダメージが3点上昇するかなりの高級品だ。しかも『パラライズ』とあるとおり、この弓から発射した矢は命中した相手を一時間麻痺させる効果を持つ。
ディアーヌの『神剣』がノーマルソード+3相当であることを考えれば、この世界では超がつく高級品といって良いだろう。
ちなみに、セダムがわざわざ急所を外してゴブリンを射っているのはパラライズの効果の検証という意味もあるが、私が、最近訓練の度にゴブリンやオグルを殺すのに罪悪感を感じ始めたためでもある。なんかもう少し良い方法を考えよう……。
「主様の仰るとおりでございます。……いまセダム殿は己の全ての感覚を使って空間を把握し、『射る前に中てる』域に達しておられます。飛び道具に関してのみ言えば、私も及ばぬ境地かと」
「まぁ……」
レイハの解説にクローラは感嘆した。無意識だろうが私の腕を強く抱き、セダムの妙技に見入る。『相変わらず』ではあるのだが、やはりたまにこういう隙が出るな……まあ柔らかいし、悪くはない。
「次でラストだな」
セダムは村の反対側、出口に差し掛かっていた。左右から二体のゴブリンが挟み撃ちにする予定の地点だ。
「あら?」
まだ出口まで十数メートルという地点で初めてセダムは立ち止まった。
何故か上空に向けて二本の矢を連続で放ち、すぐに歩き始める。いや、これは……バトルマンガで弓矢を使う敵がたまにやる、アレか?
「ギャヒッ!?」
「ゲッ」
「やっぱり!? いやアレより凄いな!」
案の定、無造作に出口へ歩いてきたセダムを狙って左右から飛び出してきたゴブリンは、天から降ってきた矢に背中を射抜かれて転がる。
……セダムはゴブリンが隠れている場所を見抜いただけでなく、彼らが自分を襲ってくるタイミングや位置まで予測して、その地点へ正確に矢を落としたのだった。
「おいおい、いつの間にそんなスゴ技身に付けたんだ!?」
「さすがはセダムですわね!」
「人間の技に感服したのは久しぶりです」
訓練が終わると私たちは櫓を降りて、セダムへ称賛を浴びせた。
「なに。大魔法使いの一の側近としちゃ、これくらいはできなきゃな」
タオルで汗を(大してかいてないが)拭いながら、セダムは片目を瞑った。嫌になるほど様になっているが、いまはそれが誇らしい。
「そうだな、友人として頼もしい限りだ」
「……なら、良かったよ」
私はセダムの肩をばしばしと叩いた。本当は親友とか、何なら弟といっても良かったんだが……さすがに素面でいうには恥ずかしい。
「セダムの努力と技量は認めますけれども、『一の側近』とは聞き捨てなりませんわね?」
男同士で肩を組み合っていると、クローラが細い眉を吊り上げた。そこに食い付くのか。
「……良いだろ? お前には『想い人』の座があるみたいだしな」
「なっ……!?」
一応、秘密のはずなんですがそれは。
「ぞ、存じませんわっ!」
「奥方様っ!?」
クローラは顔を赤くして立ち去っていく。レイハも慌て後を追う。
「やれやれ……」
「なあ」
まだ肩を組んだままのセダムが、真剣な顔で囁く。
「俺にあんなことができるようになった理由だがな。どうも、ある時期から身体……骨も肉も目も耳も、全部の調子がすこぶる良いんだ。というより、見かけは同じなのに子供から大人になったみたいに、『成長』してる気がする」
「……どういうことだ?」
セダムはこの話を私にだけするつもりだったようだ。クローラの金髪が視界から消えるのを待って続ける。
「心当たりは一つだ。前に、あんたの呪文で身体を強化したことがあったろ? あの時の感覚に近い」
「【肉体強化】か……。だがあの呪文は持続時間が決まってるんだぞ」
「たぶん、呪文の効果が続いているというより、切っ掛けなんだと思う」
【肉体強化】は対象者の肉体的能力を倍加する呪文だが、その効果はあくまで一時的なものだ。この世界の人間には、『D&B』のルールではありえない副作用(?)が生じるとでも言うのだろうか?
「俺が気になってるのはクローラだ」
「ん?」
確かにクローラにも【肉体強化】をかけたことはある。
「あいつの魔力、最近になってありえないほど増えたんだろ?」
「いやいや、あの呪文はあくまで肉体強化の……」
「俺の父親の仮説だが」
セダムはようやく私から離れ、ごきりと首を鳴らした。
「魔術師……魔力が感知できる人間には、俺たち普通の人間とは違う『魔力を感知する器官』が備わってる。その器官があんたの呪文で強化され、魔力量が増えたんだと思う」
「……普通の人間とは違う器官がある……?」
つまり魔術師は人間ではない? いや、突然変異または亜種のような存在ということか?
「まあ、だから悪いってことじゃあないんだが」
「そりゃそうだ」
衝撃的な話ではあるが、だからクローラや魔術師たちを見る目が変わるということではない。
「ただ、少し気をつけて見てやっておいてくれ。あいつは、俺にとっちゃ妹みたいなもんだからな」
「ああ、ありがとう」
セダムの忠告に私は頷いた。
彼の戦闘力が劇的に向上したのはもちろん喜ばしいしが、本当に頼れるのはこういう知恵なんだよな。
「ところで、この大した弓だが。なんとかパラライズとかいう名前は野暮だからな。『氷の鷹の爪』って呼ぶようにするぜ」
「お、おう……」
片眉を軽く上げたドヤ顔を見るに、真面目に言っているらしい。
まあ、どんなにイケメンで頭が良くて強くても、こういうところがあるのが人間だよな……。
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