創造祭 その二
特別製の杖を床に置き、両手を胸元で重ねた金髪の美人が私の目の前に跪いている。
私の背後からはモーラが、美人の背後からはレイハが、手に汗を握って私たちを見つめていた。
「宮廷魔術師、か」
これまでにクローラやセダムから聞きかじった知識によれば、宮廷魔術師とは国の魔術に関する施策や課題に対処する最高責任者であり、場合によってはその魔術を使って直接戦場に出たり王の護衛なども務めるという。やることとしては今までの『魔術顧問』と同じだが、顧問が魔術師ギルドから派遣された人材であるのに対し、宮廷魔術師は王直属の家臣という扱いになる。
しかも、魔術師ギルド自体からも脱退しているとなれば、クローラは名実ともにジーテイアス国の人間、というわけだ。
「君はもともと外の人々と私の繋がりを保つために、あえてギルドに籍を残しておいてくれたんだもんな」
「ええ。そしてその役目は、もう必要ないと分かりましたわ。貴方はもう、リュウスの人々からの信頼と尊敬を勝ち得ましたもの」
クローラは膝をついたまま言った。その穏やかな眼差しを見るに多分、彼女自身からの信頼と尊敬も、私は得ることができたのだろう。
出会ったばかりのころの不審と嫌悪の眼差しからは想像もできないな。
「マルギ……陛下?」
「ああ、うむ。おほん」
クローラはやや剣呑な目つきになっていた。私は慌てて咳払いする。
姿勢を正し、精いっぱい威厳のある態度と声でこの『儀式』を果たすことが私の義務だろう。頭の中でもう一人の私が何かわめいているような気がしないでもなかったが、それはいつものように無視だ。
「超級魔術師クローラ・アンデル殿。ジオ・マルギルスの名において、貴方をジーテイアス国最高の魔術師と認め、宮廷魔術師の職に任ずる」
「大役、謹んで拝命いたしますわ」
床の杖を捧げ持ち、クローラに返すと彼女は華のように笑った。
「おめでとうございます、陛下! クローラさん!」
「主様……奥方様っ……レイハは嬉しゅうございます……!」
「うん。ありがとう」
モーラとレイハの祝福の言葉も受け、私は胸が熱くなるのを感じた。
そりゃあそうだ。私が知る限り、日本でもセディアでも最高の女性が私を認め、生涯の忠誠を誓ってくれたのだ。いま感じている気持ちが、『誇らしい』ということなのだろう。
ただし、だ。
「安堵しましたわ。ジオ……とは、もう呼べませんわね」
「!?」
「あっ……」
立ち上がったクローラが笑みを浮かべたまま言った。その言葉の意味するところを悟って、モーラとレイハが息を呑む。……そうじゃないか、と私は思っていたんだが。
「私はセダムたちのように器用ではありませんもの。これからは、君臣の礼を弁えることをお約束しますわ」
「……」
そう、そういうことだ。
仲間たちについては、プライベートな場では以前と同じ態度で接してくれるよう私から頼み、そうしてもらっている。だが、正式に私の『家臣』となった以上、そういう一種の【馴れ合い】はできない……これがクローラという女性なのだ。
「で、でもっ!」
「お考え直しください、奥方様っ!」
「お黙りなさい。この国の魔術師の長、王の臣として、範を示す責任が私にはあるんですわ」
モーラとレイハ、特にレイハは顔を青ざめさせ、縋り付くように訴える。だがクローラは冷たい声でそれを一蹴した。
「でも奥方様は主様のお妃に……!」
「それが余計だと言うんですわ! この人を……いえ、陛下を妻として支えることは別の女でも……それこそ貴女やモーラでもできましょう! なんなら、北方の王国の姫あたりを娶り同盟の証とすることもできます! しかし、陛下が迷った時に背中を蹴飛ばすことは! 万々が一、悪の道に向かいそうな時に耳を引っ張ることは! この私にしかできない! 私だけの役割なんですわ!」
なおも訴えるレイハへ、クローラは激しい口調で宣言した。彼女の貴族としての倫理観は、『妻とは善悪利害関係なく夫を肯定し協力するもの。もしくは政略結婚の道具』というものなのだ。
ジーテイアスの仲間たちはその二つの要素をクローラが兼ね備えていると考えていたが、彼女は自分自身に別の『役割』があると信じていたのだ。
……これが、クローラという女なんだよなぁ……。
「……」
「ジ、ジオさん! 良いんですか? 何とか言ってあげてください!」
「主様っ!」
さっきから口を『へ』の字にして黙りこくっていた私にモーラとレイハが詰め寄ってきた。クローラは胸を張ったまま、こちらを見つめている。
その目の端に雫が浮かんでいるのを認識した私の心臓が、ズキリと痛んだ。
「……」
三人には悪いが、私は黙って自分自身に問いかける作業に集中する。
クローラの言うことには一理ある。というか理しかない。
いつも彼女は迷う私の背中を押し、誤りを正してくれてきた。王直属の家臣として助言をする宮廷魔術師という役割は、彼女のためにあると言って過言ではない。
クローラは王妃となってその役目が果たせなくなることを恐れたのだろう。……まあそれはあくまで、彼女が男女の愛情を私に感じているという仮定での話だが。
「問題は、私なんだよな」
思わず声に出たが、まったくそうだ。
クローラがどうとか、国の都合とかいう前に、私自身の気持ちはどうなんだよ?
友愛、家族愛? それは間違ってはいない。
しかし、クローラの涙を見てから、私の心臓は煩く脈打ち、手にじっとり汗が滲み、足元はふらふら、頭はくらくらして、視界が狭まってクローラの顔がぼんやりとしか見えない。
くそ、これはもう二十年も忘れていた感覚だ。
「おりゃー!」
「ぐおっ!?」
「あっ」
懐かしい感覚に戸惑っていた私の背中に衝撃が走った。私はよろけてクローラの肩に捕まる。……モーラが私の背中を蹴ったのだ。
なんで??
「ほら! ジオさんの背中くらい、私でも蹴っ飛ばせるんですから!」
「お嬢様……」
「モーラ……」
モーラは涙目で私とクローラを睨んでいた。
「……!」
最初に暗鬼と戦うのを決めたのも、モーラのこんな目を見たからだったよな。
ことここに至ってようやく私はふんぎりをつけた。
四十過ぎたダサいおっさんや、平和ボケのサラリーマン、そして大魔法使い。全てのペルソナをかなぐり捨てる時だ。
「ク、クローラ、さん」
「はひっ」
クローラの両肩を掴み、青い瞳を見つめる。私の形相は酷い有様だったのだろう。彼女は怯えたように、裏返った声を出した。
「君も知ってるとおり、本当の私は頼りない普通の男に過ぎない。こんな私を、部下として支えるという君の気持は本当にありがたい。だがっ。私は……」
「陛下……それ以上はいけません、わ……。私が何ために、超級になったと……」
胸のうちから溢れる感情をうまく言葉にできないでいると、クローラは顔を背けて小さく呟いた。
彼女だって、私のためを思って王妃ではなく宮廷魔術師になるという道を選んでくれたのだ。彼女の意志を尊重すべきではないのか?
いや、ダメだダメだダメだ!
「なんでも良い! 君が愛しいんだ! 私のたった一つの我儘だ! ずっと一緒にいてくれ!」
「……狡い人……」
理性が飛んだ私はあまり筋の通らない告白をしながら、彼女を強引に抱きしめた。クローラはされるがままだった。これ以上ないというほど、温かく柔らかな肢体。それが胸の中で小さく震えている。
紅い唇から艶やかで湿った吐息が漏れる音が、私には聞こえた。
「貴方が望んでくださるのなら……。身も心も……私の全ては貴方のもの」
私の胸に美貌を押し付けたクローラの細い声。
「ずっと、お慕いしておりました。心から」
お陰さまで拙作のコミカライズが決定しました!
マンガアプリ「マンガUP!」にて、4月2日から連載開始です。
作画は因幡シホ先生。
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