城の若者たち
翌日。
私は執務室で書類仕事に精を出していた。イルドが次々に目の前に差し出す書類を確認し、印章を捺しまくる。ほとんどは定期の報告書なので頭は使わないが、その分せわしない。
「わんこそばみたいだな……うぉっ!?」
一枚の書類に捺しそうになった印章を、ギリギリで止めることに成功した。ふう、と冷や汗を拭う。
「ど、どうされました?」
「……またエリザベルの悪戯だよ……」
「あー」
ジーテイアスが誇る敏腕美少女外交官エリザベルが提出してきた(正確には、他の無数の書類に紛れ込ませていた)書類をつまみ、ひらひらとさせる。それで、イルドには事情がわかっただろう。
「あやうくうっかりで結婚するところだった」
そう、エリザベルが完璧に作製し、後は私の印章を捺すだけ、という書類の名は『婚姻誓約書』だった。
「ははは……あの方の場合、ぎりぎり悪戯ですませられるが、あわよくば結婚まで持ち込むことも可能という線を狙ってきますからね」
「恐ろしい子だ。……ふぐぉ」
昨日からどうも結婚という単語に縁がありすぎる。もともと恋愛問題には縁が薄かった私の頭は、もうパンク寸前だ。
「むん!」
「ど、どうされましたか?」
私は両手で思い切り自分の頬を叩いた。その痛みで無理やり取り戻した理性によって、一つの強い決意を固める。私は国王として、今やるべきことをやらねばらないのだ。
「とりあえず、一旦全部忘れよう」
「は?」
「春になったら、北方の王国や西方の王国と対暗鬼同盟について交渉しなきゃらないんだ。例の神代図書館も探さなきゃだし。だから、この冬はジーテイアス国内の体制をしっかり整えることに集中する」
「そ、そうですね」
クローラ、というか結婚のことは国内が落ち着いたら考えよう。そうしよう。
午後。
私は先見山の麓の森を切り拓いた新しい練兵場に視察にきていた。練兵場は二つの区域に分かれている。一つはだだっ広い運動場。もう一つは、同じくらいの広場のあちこちに材木や岩の障害物を設置した模擬戦場だ。この形式を提案したサンダールによれば『暗鬼との戦いならば平地よりも山や森林、村など多彩な地形での経験が必要になりますぞ』とのことだ。
私はサンダールに連れられ、その模擬戦場全体を見下ろせる櫓に登った。
「さあ、ここからなら全体が良く見えますぞ、陛下!」
「なるほど。これは村に攻め込んだ暗鬼を駆逐する、というような設定なのかな」
「仰せの通り!」
模擬戦場はちょっとした村のような姿になっていた。先に中に入って待ち受けている第三中隊が暗鬼役で、それを兵士役の第一中隊と第二中隊が交互に攻撃する段取りらしい。
上から見るとよく分かるのだが、村の入口に集結した第一中隊は五十名ほど。村のあちこちに身を隠す第三中隊は十人くらいだ。……あ、こっちに向けて手を振ったのはディアーヌだな。
「暗鬼側の方が圧倒的に少ないが……」
「第三中隊はディアーヌ殿率いるシュルズ族の猛者たちですからなぁ。これくらいでも恐らく第一、第二中隊では勝てぬでしょう」
「なるほど。さすがシュルズ族」
確かに、第一第二中隊の兵士たちの多くはもともと戦闘経験のない若者たちだ。それに比べて、シュルズ族の戦士といえば何年もフィルサンド公爵軍と戦ってきたのだから、経験には雲泥の差がある。
「では……はじめぇぇぇぇい!!」
「ランガー!」
「突入、突入!」
サンダールが物凄い大音声で模擬戦の開始を告げた。第一中隊の兵士たちが一斉に村へ突入していく。
久々の遠見のレンズで模擬戦場を眺めれば、兵士たちの動きが良くわかる。第一中隊長のジルクは村の入口付近に本陣を置き、指揮に徹することにしたようだった。
一方の第三中隊、シュルズ族の戦士たちは……あまり動きがない。多くは村の奥の方で身を隠している。村内に突入した兵士たちの顔や動きに困惑が表れた。
「あ、いたぞぉ!」
「ダヤー!」
と、少数に分かれて村内の制圧を進めていた兵士に、数名のシュルズ族が襲いかかった。個人の力量では圧倒的にシュルズ族が上だ。たちまち、二人、三人と兵士が木剣で打ち倒される。
「こっちだぁ!」
「応援頼む! 相手は三人だ!」
「囲め囲め!」
「王様に良いところ見せるんだ!」
兵士たちの連携もそれなりのものだった。呼び子や掛け声でお互いの所在を確かめあい、シュルズ族の戦士たちを包囲するように続々と集結していく。
「くそ、撤退撤退!」
「走れっ!」
シュルズ族の戦士たちといえば、多数の敵を前にひるんだように背を向けて逃げ出していた。
「ようし良いぞ!」
「倒すんだ!」
「ボーナスもらったぁ!」
……いや、しかしこれは……。村の一方の端へ三名のシュルズ族戦士を追い詰めた第一中隊の兵士は三十名ほどか。一方、村の奥に潜んでいたシュルズ族の残りの戦士たちは、影のように密かに素早く、村の入口を目指していた。本陣から指揮をしていたジルクが慌てているのも見える。
「ダヤー!」
「我が君のために死ねぇぇぇ!」
「うわ、きたぁ!?」
「くそ、やっぱり奇襲かっ!」
シュルズ族たちは最初の三名を囮に使ったのだ。面白いように見事に引っかかり分断された第一中隊。個人の戦闘力で勝るディアーヌ以下七・八名のシュルズ族戦士は、あっという間にジルクたち第一中隊の本隊を全滅させてしまった。いやジルクは結構粘ったんだが。
「おいおい、酷いな」
「ああいうのを、『子どもの球蹴り遊び』と申します。……面目ござらん。まだまだ、兵士たちには戦場というものが分かっておりませぬ」
サンダールは見事な髭を扱きながら、無念そうに言った。
まあ、上から見てる分には若い兵士たちの動きは稚拙だった。しかし、障害物が多く情報が制限された状況では、目の前の敵のことしか考えられなくても無理もない。と、いうか。
「何だかどこかで見たような光景なんだよな」
日本にいた頃のマルチプレイのオンラインゲームとかでな。
「どのような人間でも、自分が勝っていると思っている時には一番視野が狭まりまする。それを克服するのが訓練なのですが……」
「いや、それを実感できただけでも兵士たちも成長できたんじゃないのかな」
うん。私にも、とても良い教訓になったよ。
「我が君ぃ!」
その後、何度か組み合わせを変えて模擬戦を行ったがディアーヌ率いる第三中隊の全勝だった。訓練後の訓示を終えた私の前にディアーヌが飛び出してきて、赤い瞳でじっと見詰めてくる。
「俺たち、強くなっただろ? もっともっと、我が君の役に立つように鍛えるぜ!」
「……そうだな、良く努力しているようだ。それに、若い兵士たちの見本になるような戦い方をしていたしな。立派だったぞ」
「えっ」
ディアーヌは私の褒め言葉に一瞬ぽかんと口を開けた。あれ、何か不味ったかな? だがその心配は杞憂だったようだ。
「えへへっ。それ、良かったんだ? 我が君も気に入ってくれたんだ? へへっ」
「姫は……いや隊長は、正面から戦っても勝てるけどそれじゃあいつらの訓練にならねぇ、っていって色々と作戦を考えたんですぜ」
「良かったですね、姫!」
「姫じゃねえ隊長だろ!」
褐色の肌を赤くしたディアーヌが物凄く照れまくっている横から、副官が解説してくれた。そうか、この子もちゃんと成長してくれてるんだな。
「ああ、ディアーヌが自分のことだけじゃなくジーテイアスのみんなのために考えてくれたことが何より嬉しいよ」
「あったりまえだろ! シュルズもジーテイアスも、我が君のためにあるんだからさ! そのためなら俺は何でもするんだ!」
「……う、うむ」
ディアーヌは赤い目を輝かせて断言した。なんだかその瞳の奥にグルグル渦が見えるような気もする。……成長というよりスケールアップなのか、これ。
模擬戦の後、怪我をした兵士たちを治療院へ運ぶというので私も同行することにした。
治療院の状況も確認しておきたい。シュルズ族の『医の頭』ことサリアを医務官に任命して以来、任せっぱなしだったからな。
「まあ大変。大丈夫ですか?」
「なあにこれくらい、かすり傷ですよ」
「消毒しますね、染みますよ」
「いたたたっ。もうちょっと優しくしてくださいよー」
木造新築の治療院、その治療室は結構な広さがあり十数人を一度に収容できる。怪我をした兵士たちはそれぞれ寝台に寝かされ、手厚い治療を受けていた。……うら若い娘さんたちから。
「どういうことなの」
「毎日毎日、兵士が山程怪我して運び込まれるんですよ? 仕方ないからシュルズ族だけじゃなく他の村からも若い子に手伝いにきてもらってるんです」
恰幅のよい中年女性、サリアが私の疑問に答えてくれた。なるほど、白衣の天使というわけか。
「前に魔神さ……陛下がおっしゃったように、あの子たちには手伝ってもらうだけじゃなく、治療や看護のやり方をきっちり教え込んでますからね。一年もあれば一人前に育ててみせますよ」
「頼もしいな。期待してるぞ」
「そういえば、陛下が魔法で育ててくださった薬草ですけど。普通の薬草と同じ効果があるのがはっきりしました」
魔法というのは、『植物支配』の呪文のことだ。肌荒れ用軟膏を作製してもらった時、薬草自体が貴重ということだったのでこの呪文で薬草を巨大化してみたのである。あの薬草が大丈夫だったということは、他の有用な薬草についても、在庫を心配する必要がなくなったということだ。
「それも朗報だ!」
「宰相様から、どうにか薬を大量生産できないか相談を受けてまして」
さすがイルド、抜け目がないな。まあ我が国の財政基盤を強化するためだ、頑張ってもらおう。
「痣が一杯……かわいそうに」
「ふっ。これも国を、君を守るためさ……!」
それにしても、娘さんたちの治療を受けている兵士の嬉しそうなことといったら。ディアーヌにボコボコにされたばかりなのに、逞しいなぁ。
しかし、彼らがもし結婚するなんてことになれば。ジーテイアスという国で、初めて赤ん坊が生まれることになるわけか。
そう考えれば、目の前のにやけた若者たちの姿も許せないこともなくもない。
「あ、お嬢さん僕ちょっと目まいが……膝枕してくれませんか?」
「もう、しょうがないなぁー」
……許すけど、サンダールに言って明日からの訓練はもうちょっと厳しくしてもらおうかな!