『魔法使い』のいる世界 その三(三人称)
暗鬼の襲撃に怯える小村。
不安を爆発させた村人たちの前に突如、一人の中年男が現れた。金糸で飾られた豪華なローブに、不思議な鉱石のはめられた杖を携えている。地味で冴えない容姿と、大貴族でもなければ着れないような衣服に奇妙な杖という組み合わせ。
「な、何だっ!?」
「誰だっ!?」
ほとんどの村人にとっては初めて見る顔だ。中年男を取り囲む、あるいは距離を置くような形になるのは仕方ないだろう。
「ブルルッ」
「う、馬ぁ!?」
混乱状態の村人たちは、中年男の背後の見たこともない巨大な馬の存在にやっと気付いた。青白い炎のような光に覆われて、どう見てもこの世のものではない。
「あ、あ、あんた一体……!?」
「うおおぉ!」
動揺する村人の輪をかき分けて飛び出した男がいる。猟師のハンクだ。彼と、彼の息子だけは『あの場』に居たのだ。
「まっまっまっ! 魔法使い様! 魔法使いジオ・マルギルス様ですよね!?」
「いかにもその通り。ジーテイアス国王にして大魔法使い、ジオ・マルギルスである」
平伏するハンクに向かって、中年男はやや胸を反らせて言った。額に一筋の汗が浮かんでいるが、それに気付く余裕のある者はいない。
「魔法使い様!」
「マルギルス様! 助けてください! 暗鬼がくるんです!」
「この子たちだけでも!」
「まほうつかいさま、村を助けて!」
突如村に現れた中年男……ジオ・マルギルスの周囲には村人たちが平伏していた。大人も子供も老人も数十人、村の全員である。
「安心してほしい。シルバスからの伝令で状況は知っている。私は暗鬼を殲滅し、この村を救うためにやってきたのだ」
「本当ですか!?」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「襲撃の前に到着できて本当に良かった」
村人たちは心からの感謝の言葉を捧げた。
一方、大魔法使いとして村人を安心させるため悠然と振る舞いながら、ジオも内心安堵のため息をついている。
「魔法使い様、私の息子がシルバスへ助けを呼びに行ったのです。息子は無事に着いたのですねっ!?」
ハンクは厳つい顔を感動と安堵でくしゃくしゃにしていた。暗鬼がうろつく冬の森を一人で行かせた息子が心配でならなかったらしい。ジオは跪くハンクに視線を合わせ、微笑んだ。
「ああ、シルバスで彼に会って話を聞いた。貴方のお子さんは立派に仕事をやりとげたよ。もちろん、無事だ」
疲労困憊はしていたがね、とジオは付け加えた。
「こ、光栄です、魔法使い様!」
「それにしてもお早い……いえ、有り難いのですが……もしかして、もともとシルバスに滞在なさっていたのですか?」
感涙にむせぶハンクの横から村長が聞いた。シルバスから魔法使いの国までは早船と早馬で六日はかかる。これほど早く本人がやってくるとは、誰も思っていなかったのだ。
「いや、私はジーテイアスに居たのだが。『緊急連絡網』のお陰でね」
「?」
『緊急連絡網』。味も素っ気もないネーミングではある。
リュウス大会議において対暗鬼同盟を締結してから、各都市と協議して実現させた仕組みだ。実際の仕組みは非常に乱暴というか大雑把である。要するに、各都市に『幻馬』と、専門の担当者を常駐させ、ジーテイアスまで暗鬼発見の報告を届けるというわけだ。
もちろん、通常三日間である『幻馬』の呪文の持続時間は『永続化』の呪文で一ヶ月間に延長している。
細かいことを言うならば、シルバスやリュウシュクというジオが滞在した経験のある都市については、『幻馬』の伝令を受けてから『瞬間移動』でその都市まで移動し、そこからは『幻馬』もしくは『飛行』などで現地まで向かうことにしている。今回のケースはまさにそれで、暗鬼の発見から二日かからずにジオは現地に到着できたことになる。
根本的な手段はジオの呪文頼りではあるものの、各都市で担当部署を新設したり軍の規則を変えたりと、リュウスの人々の努力あってこその連絡網だ。将来的に各都市にゴーレムが配備されることで、ジオの出動を待たず各都市で対処できるようになることも期待されている。
なお、幻馬に代わる情報伝達手段もペリーシュラを筆頭とする魔術師たちが研究中だ。
「大体状況は分かった。とりあえず片付けてこよう」
「は、はい」
ジオは村長から現在の村の状況を聞いて頷いた。
重症を負った男に回復薬を渡してから村の門に向かおうとするジオに、ハンクや村人たちが口々に声をかける。
「魔法使い様! よろしくお願いします!」
「何かお手伝いできることはありませんか!?」
「本当にありがとうございます!」
若干頬を引きつらせながらも、ジオは鷹揚に彼らに手を振り出発しようとする。が。
「魔法使い様! お一人でいかれるのですか? 『暗鬼狩り』がご一緒なのでは!?」
「『黄金の炎妃』という凄い美女が付き従っておられるんですよね!?」
「お、俺は『麗しき闇風』さんに一目会いたくて……!」
「……誰?」
村人たちから聞き慣れぬ名(?)が飛び出したので足を止めてしまう。それは、吟遊詩人の英雄譚に出てくる魔法使いの仲間だった。特に若い男どもは、期待と憧れに満ちた目でジオを見ている。
ジオは一瞬口をぽかんと開けたが、それを見咎められる前に咳払いで誤魔化した。
「んんっ! い、急ぎで来たのでね。まあ大丈夫だ」
「は、はあ」
実際、某『黄金の炎妃』女史や某『麗しき闇風』嬢は、仮にも国王であるジオが一人で遠征することに大反対ではあった。が、『瞬間移動』の呪文が単体対象であるため、今回は緊急性を考慮しての単身出張である。
ジオは村人が恐る恐る開けた門の外に出た。村の周囲は僅かだが木々を切り開いて耕地になっている。数体の小鬼の死体が転がっている。
村人たちは門の奥から魔法使いをじっと見詰めていた。興奮と興味で一杯の顔。
「まほうつかいさま、かっこいい!」
「すごいなぁ、本当にすごいなぁ」
ラザたち子供も目を輝かせている。
「ではまず、村を守る者たちを呼ぶとしよう。……君たちの味方だから、驚かないようにな」
ジオは念の為村人に説明してから呪文を唱えはじめる。
「この呪文によりオグル六体で構成された一個小隊を無から生み出し三日の間支配下に置く。【鬼族小隊創造】」
「グルウウッ!」
お馴染みのオグル六体を生み出し使役する呪文。ジオの周囲を守るように、筋骨隆々たるオグルが六体出現した。赤褐色の巨体の身長は二メートルを越える。凶悪な面構えだが、戦斧や槍、棍棒を手に整然と直立する姿にはどことなく威厳が漂っていた。
「あれが魔法使い様の従僕の『赤の六戦鬼』か!」
「なんて頼もしいんだ!」
「あのせんき一人で、きょきをなんじゅっぴきもやっつけるんだよ!」
「……」
オグルたちは黙々と村を警備する配置についた。またも村人たちの口から聞き覚えのない単語が飛び出したが、ジオは礼儀正しくスルーしていた。口の端がヒクついているが。
「つ、次は暗鬼どもを見つけないとな」
ジオはまた呪文を唱えた。『怪物創造』。オグルに続いて出現したのは、赤い目と黒い体毛を持つ狼、『赤瞳狼』。数は九頭。魔法的な能力はないが、高い知能と鋭い嗅覚を持ち広範囲の探索には適役だった。
「ひぃぃぃっ!?」
「な、なんてデカイ狼だっ!?」
森の住民にとって狼は暗鬼以上に身近な脅威だ。見たこともないほど巨大で恐ろしげな赤瞳狼たちを見て、村人たちが怯えたのも無理はない。
「村の周辺に暗鬼がいる、探して報告してくれ。なるべく見つからないようにな」
「ウォンッ」
しかし、ジオが平然と赤瞳狼に命令し、忠実な猟犬のように狼たちが一斉に森へ駆けていくのを見た時、怯えはそれに倍する感動と歓喜になった。
「あ、あの狼も魔法使い様の下僕なんだな!」
「本当に無から怪物を作り出して操ることができるんだ……!」
「英雄だ! リュウスの守護者だ!」
「だから言っただろ! 魔法使い様なら大丈夫だって!」
魔法使いへの信頼が暗鬼への恐怖を上回ったのだろう。村人は大人も子供も門を飛び出し、ジオを取り囲んだ。
「いや、うん。そうだな、なのでちょっと行ってくるから。シルバスの騎士団もあと半日くらいで到着するから。いや私が赤ん坊に触っても何も良いことはないと思うよ。あ、嫁はいまのところ考えてないな。お礼も結構。いやいや……」
ジオが暗鬼を退治に森の奥へ向かうのに、数分はかかった。
「魔法使い様がお戻りになったぞぉー!」
「……ふぅ~~っ」
「やったぁぁぁ!」
「良かった!」
待ちに待った見張りの大声が村に響いたのは、わずか数刻後である。
万一に備えて弓や槍を握りしめていた男たちは、これまでの人生で一番大きなため息を吐き出す。子どもたちも躍り上がって喜び、村を支配していた緊張と絶望は完全に吹き払われた。
「……というわけなので、もう安心してくれたまえ」
ジオは村人たちに、暗鬼はすべて倒したこと、周囲に暗鬼の巣は存在しなかったことを伝えた。
当然、平伏する村人たちは何度目か分からぬ感謝と感動の声をあげる。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「本当に……」
「なんて偉大な方なんだ!」
「ははは……まあそのへんで」
ジオは片手で『まあまあ』と村人たちをなだめるが。村人のボルテージは高まる一方だった。幻馬にまたがって村を去る機会を逃したジオが突っ立っていると。
「まほうつかいさま!」
村人の輪から飛び出した小さい影があった。ラザだ。
「ん? どうしたんだね?」
「僕も、まほうつかいさまの国へ連れて行ってください! 僕もあんきと戦う!」
「こ、これっ! ラザ!」
「申し訳ありませんっ! 息子がご無礼をっ!」
興奮で目をキラキラさせ、拳を握りしめて叫ぶラザ。その小さい身体を、後から飛び出してきたハンクと妻が抱きしめた。ハンクと妻の顔には恐怖の色がある。『大英雄』を称賛することと、その怒りを買うのを恐れることは別物なのだ。
「……君の名前は?」
「ぼく、ラザです! 九さいです!」
ジオは少年と両親の前に片膝をつき、少年をまっすぐ見詰めた。
「どうして暗鬼と戦いたいんだい?」
「おかあさんや妹をまもるんです!」
「……そうか」
少し考え、ハンクとその妻を、そして村人たちを見回したジオは少年の肩に手を置いた。
「ありがとう、勇敢だな」
「うん!」
「でもな、君のお父さんやお兄さん、村の人たちもとても勇敢だったんだぞ。そして、ちゃんと暗鬼と戦ったんだ。私と同じにね」
「……え?」
「魔法使い様?」
大魔法使いの言葉に、少年だけでなく両親や村人たちも驚いたような顔になった。
「お兄さんは、暗鬼のことを伝えるために必死で走った。寒くて危険な道をね。シルバスの騎士も驚くほどの体力と勇気だよ。そして、お父さんや村の男たちは暗鬼に立ち向かった。お母さんたちだって、君たちを必死で守ったはずだよ」
「う……うん。あ、はい。」
ジオは彼なりに懸命に考えて語りかけたようだが、一途に思い込んだ少年の心には、今ひとつ響かなかったようだ。
「魔法使い様っ……! 私は、私は、あのリュウス大会議での演説を聞きました! それで、それで……私たちがやってきたことは無駄じゃなかったと……私たちも戦わなければと……!」
「ううっ……」
一方、それはハンクや大人たちにとっては琴線を直撃する言葉だったようだ。ハンクも、一緒にラザを抱きしめる妻も、村人たちも涙を浮かべ、嗚咽を漏らす。
「貴方たちの勇気には本当に頭が下がる。いや、そもそもこの厳しい森の中で子供たちを守り健やかに育てているということを、まず尊敬する。……ラザ。君も、君のお父さんたちも、もうとっくに暗鬼と戦うための仲間なんだよ」
「は、はいっ! お父さんも兄ちゃんも、そんなにすごいんですねっ」
「まぼうづがいざま゛あ゛!」
「うれ、嬉しいですっ!」
「俺たちのことをそんなに認めて下さるなんてっ……!」
「お、おう」
ラザは少し困惑気味だった。ただ、『大魔法使い』が直に称賛した父親に対する目には確かに尊敬が浮かんでいる。
一方の大人たちの感動ぶりはこれまで以上で、ジオは大宴会を開こうとする彼らを説得するのにずいぶん手こずった。
建国歴千三百年の終わり。
『対暗鬼同盟』成立の直後に起きた暗鬼襲撃として、後世に語り継がれる事件であった。




