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『魔法使い』のいる世界 その一(三人称)

 後世の歴史書にも載る『魔法使いの演説』から十日ほど過ぎ、リュウス地方に冬が訪れていた。年の終わりと始まりを二日間かけて祝う『創造祭』まであと二週間である。


 空には雪が舞い、風は刺すような冷たさだ。『創造祭』のころにはすっかり大地が白く染まるだろう。ただし、リュウス地方ではこの寒気が暗鬼の行動を妨げる女神シュギネアの恩寵と信じられている。実際、これまで冬期には暗鬼の襲撃はほとんどなかった。

 だから、冬になれば暗鬼を恐れずに済む……とリュウスの人々、特に都市の外で暮らす人々は考えていた。のだが。


 リュウス第三の都市、シルバスに近い森。森で暮らす者たちの小さい村がある。ある猟師の家に、狩りに出ていた長男が飛び込んできて叫んだ。


「親父! 大変だ、暗鬼だ、暗鬼を見た!」

「ひっ!?」

「何だと!?」


 粗末な家には猟師の男と妻、まだ幼い次男、長女の四人がいた。穏やかだった空気が凍りつく。猟師は驚愕しながらも無意識に弓を手にとり、妻は蒼白になった。


「東の古老の大樹のあたりだ! 小さいのが五・六匹いた! 多分、まだ村には気付いてないみたいだ!」

「そんなに近いのか……!」


 最近、父親に負けない猟師として成長してきた長男は、震えながらも的確な報告をした。古老の大樹は、村から森の奥へ猟師の足で数刻ほど踏み入った場所にある。


「そ、そのあたりにいたということは、一日か二日でこの村も見つかるな」

「びえええっ」


 的確ということはつまり、絶望的な報告だった。小鬼が五・六匹だけ、ということは絶対にないだろう。猟師は二十年ほど前、当時住んでいた村を暗鬼に滅ぼされたことがあった。その時も、最初に見つけた暗鬼はごく少数だったが……翌日、村を取り囲んだのは百匹以上の群れだった。男は自分の記憶と予測に気分が悪くなった。

 四歳の長女は怯えて泣き出した。それを抱く妻も似たような表情だ。今年、リュウス地域では暗鬼によって千人以上の人間が殺されているし、そのことは全員が知っているのだ。


「お、おしまいだわ……逃げましょう!」


 妻が叫んだ。確かに領都シルバスまで逃げこめれば大丈夫だろうが、それには村の子供や老人を連れて冬の森を二日間歩かねばならない。その間に暗鬼に見つかったら終わりだ。


「くそっ! もうこの時期なら大丈夫だろうと思っていたのに……」

「どうするんだ親父!?」

「……」


 男は歯を食いしばって考えを巡らせる。


「ぼくが暗鬼をやっつけてやる!」

「馬鹿なこと言うんじゃないの!」


 九歳の次男が、顔を真赤にして叫んだ。薪割り道具の手斧をとろうとしたところを、母親に引っ叩かれる。


「早く逃げましょう! 大事なものだけ持って! あんたも手伝いなさい!」


 母親は震えながら、なけなしの財産や家財をかき集め始める。


「いや待て。お前は急いでシルバスへ行け。このことを連絡するんだ!」


 男は長男に、僅かな財産を袋に詰めまくる妻とは違う命令をした。

 長男が走れば、シルバスまでは一日。シルバスの軍が村に到着するにはそれから二日かそれ以上。三日間……暗鬼に発見されずに済めば良し。でなければ村の防壁を頼りに守り切るしかない。

 ただし、仮にシルバスの騎士や兵士が間に合ったからといって、暗鬼に勝てるとは限らないが。


「シルバスの騎士や軍隊なんてあてにならないだろ!? ――あ!」


 だが、今は。


「呼ぶのはシルバスの軍隊じゃない」

「そうかっ、魔法使い様! マルギルス様が!」


 長男の顔が明るく輝いた。彼ら父子は、あのリュウス大会議でのジオの演説を直に聞いていたのだった。その後の市をあげての大宴会では、吟遊詩人が高らかに歌い上げる魔法使いとその仲間たちの英雄譚に、二人そろって感涙したものである。


「魔法使い様が……で、でも本当に来てくれるのかい? 魔法使い様の国って、ずっと東にあるんでしょ?」

「うえぇぇん!」


 長女を抱きしめる妻は懐疑的に言った。実際、馬と船を使ってどんなに急いでも『魔法使い様の国』からこの村までは七日はかかる。


「まほうつかい様ならきっとたすけてくれるよ!」


 うなだれていた次男が、幼い顔を紅潮させて叫んだ。彼はまだ『魔法使い』を直に見たことはないが、父と兄から伝え聞いた英雄譚は脳裏に焼き付いている。


「どちらにしても、まずは俺たちの手で村を守らにゃならん」


 猟師は自らの怯えを押さえつけながらしっかりした声で宣言した。この世界セディア、どんな辺境の小村でも暗鬼の襲撃に備えて防壁は張り巡らせてある。相手が小鬼だけであるなら、数十体の群れに襲われても数日は耐えられるはずだ。だが、暗鬼たちの中に巨鬼が存在していたり、小鬼の数が多かったら……? 十分あり得る話だが、だからといって他に選択肢はない。


「……大丈夫だ、魔法使い様なら何とかしてくださる! ……お前は早く行け! 俺は村長に知らせて、皆で村を守る!」

「ああ、分かった……絶対にすぐに魔法使い様を呼んでくる! だから待っててくれ!」


 長男は顔に決意を浮かべた。慌ただしく最低限の装備を身につけるや駆け出す。シルバスまでは、一日。だが、暗鬼が村を襲うのは一刻後かもしれない。




 もう日が沈もうというころのシルバス。

 大門を警備する兵士たちは、普段より忙しく働いていた。本格的に雪が積もる前にと、多数の商人や農民がシルバスを出入りするからだ。そもそも、引継ぎの報告書を作ったり、通行税を係官と集計したりと、ただ門の前で突っ立っているわけではない。その中でも、決まった時間に確実に門を開閉するのは重要なことだった。


「鐘が鳴ったな。よし、さっさと門を閉じて引き上げるぞ!」

「了解!」

「今日も疲れたなぁ……」


 都市内では神殿が鳴らす鐘の音で時間を区切る。その鐘が夜の訪れを告げるのを聞いた兵士たちは、てきぱきと作業を始めた。長い歴史を持つシルバスの大門は金属製の両開きで、これを閉じるのは中々の力仕事である。


「隊長!」

「ん? どうした?」


 重い音を立てて閉じようとしていた門。その音に混じって見張り役の兵士が隊長を呼んだ。


「こっちに近づいてくる奴がいます! 一人です!」

「こんな時間にか?」


 門の隙間から外を見れば、確かに小さな点のような影が見えた。日没近くだというのにあれが人だと分かったのか、と隊長は密かに見張りの技量に感心していた。それほどの距離がある。このままだと、人影は門の向こうへ閉め出されるだろう。


「どうします?」

「うーん……可哀想だが規則だしな……」


 部下から聞かれるも、隊長が困ったように顎を撫でるのは当然だ。

 シルバスでは最近、前騎士団長の犯罪行為が暴かれ、騎士や兵士は領民から厳しい目を向けられている。大門の開閉という都市の防衛に関わる重要な業務を疎かにするわけにはいかなかった。


「じゃあこのまま閉じますか。なあに、どうせ下らない用事ですよ」

「確かに、この前必死に走ってきた親父を入れてやったらただの忘れ物だったしな……」

「た、隊長! でも例の新しい規則がありますよ」

「む」


 別の兵士の唐突な発言。だがその言葉は、隊長と他の兵士たちの雰囲気を一気に引き締める。『例の新しい規則』は、彼らにとってそれだけの意味があるのだ。


「そうだな、アシュギネの思し召しということもある。おい! 念のために確認だ!」

「はっ!」


 頷いた隊長は、見張り台に向けて大声で命じた。


「おーいそこの男! 止まれ!」


 見張りの兵士は職業柄鍛え抜かれた大声で人影――この時には既に、猟師らしき若者であることが見て取れた――を制止した。人影は大人しく立ち止まり……へなへなとへたり込む。


「領都シルバスに何用か!? 暗鬼に関わることならば手を二度振れ! でなければ一度だ!」


 『暗鬼の出現に関わる情報はあらゆる任務、規則に優先しジオ・マルギルス並びに中央領民軍へ連絡すること』それが『例の新しい規則』の一つであった。


「う……あ、ぁ……!」


 消耗しきった若者は、もちろん暗鬼の出現を伝えにきた猟師の息子だ。鍛えた猟師の足でも一日はかかる行程を、その半分で走破してのけたのだ。彼は最後の力を振り絞り、大きく腕を二度振った。


「!?」

「あの男を連れてこい! 伝令準備、急げっ!」


 一瞬の驚愕。だが兵士たちは瞬時に動き出していた。





「団長! 暗鬼の小部隊が出現しました! 場所はニア村東方! 小鬼のみ五・六体の目撃報告です!」

「何だと!」


 伝令が真っ先に駆けつけたのはシルバス騎士団の本部であった。

 不正の限りを尽くした(まあ間違いではない)前騎士団長の後任は、実直そうな中年男性だった。重要な来客の対応中で応接室にいた騎士団長は、その来客も捨て置き立ち上がった。


「すぐに良民軍へ知らせろ! 早船を出せ!」

「はっ!」

「待機中の中隊はすぐ出撃させるぞ! 他の連中も非常招集だ!」

「まだ暗鬼の規模が不明ですが……」

「情報は後からでも入ってくる! 今は動かせる全戦力を使うつもりでかかれ!」

「ははっ!」


 シルバスの女男爵フィリィネは前騎士団長での人事の失敗を反省し、現騎士団長には叩き上げの有能な人材を登用していた。女男爵の期待どおり、報告を受けた瞬間から戦場にいるような緊張感と責任感を漲らせている。ただし当然ながら、最悪の事態も想定し顔色は悪い。重要な来客を放置していることを失念するほどに。


「騎士団長、ご苦労です」


 来客、つまりシルバスの新たな女男爵であるフィリィネは、自らも手早く装備を整えながら指示を出す騎士団長へ柔らかい声をかけた。丸い輪郭の顔に優雅な笑みを浮かべている。


「こ、これは失礼しました、フィリィネ様っ」

「いいえ。暗鬼への対応は最優先。何も問題ありませんよ。ただ、大事なことを失念していませんか?」

「失念……あ!」


 フィリィネは慈愛と賢明さで早くもシルバスの民から絶大な支持を集めている。その女男爵からの指摘に、こわばっていた騎士団長の表情が目まぐるしく変わった。最初は、領主の前で失敗したことに対する動揺、だが次に浮かんだのは……。


「そ、そうでしたっ! ジーテイアス王に……マルギルス様にもお知らせしなければ!」


 先日の大会議で、リュウスの全都市はジーテイアスつまりジオとの対暗鬼同盟を正式に締結していた。大会議後の防衛担当者間の協議で、暗鬼の出現情報があった場合の対処も決めていた。すなわち。


「ではさっそく例の伝令を!」

「はい、よろしくお願いしますね」


 騎士団長も、女男爵も暗鬼には何度も絶望を味わわされている。暗鬼との戦いは、どんなに上手くいったときでも大きな被害しか生まなかったからだ。


 だがいま二人の顔に浮かんだのは、あの猟師一家や、衛兵たちと同じ感情だった。

 その感情の名は、希望という。


大変、大変お待たせしました……!

このエピソードはその三まで連日投稿いたします。

なお前回更新分の感想返しについてはもうしばしお待ちください……。

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