『王様』になった日
私たちは特にトラブルもなく、ジーテイアス城に帰還していた。
もう秋は終わり、乾いた冷たい風が吹き荒んでいる。
一ヶ月ぶりに、ジーテイアス城主塔に飾られた『導星』の紋章を見た時は、心からほっとしたものだ。
イルドやジルク、サンダールたち留守を任せていた人々に特に変わりはなかった。ただし、相変わらずジーテイアス城周辺の工事は順調過ぎるほど順調に進んでいるらしい。
建築の家のヴァルボ棟梁によれば、既にレリス市―ジーテイアス城―戦斧郷を結ぶ街道は完成し、戦斧郷からフィルサンド側へ抜ける工事の進捗も順調だという。イルドからも、すでにこの新しい街道を使って何組もの隊商が貿易に励んでいるとの報告があった。
「実に順調だな。ちょっと心配になるくらいだ」
私は久々に主塔の自室でくつろいでいた。傍らのモーラが淹れてくれたシル茶が実に美味い。
「ジオさんって本当に心配性ですね……」
メイド服姿のモーラが苦笑する。今は仕事中だが、二人きりの時は『陛下』と呼ばないでほしいと伝えてあった。
「心配っていうか。調子良く見える時に限って、裏で危険なイベントが動いてたりフラグが立ったりするものだからなぁ」
「またヘンなこと言い出して……。ジオさん、もう王様なんですから。悠然と、偉そうにしてないといけないんじゃないですか?」
まあ、確かに少し気は抜けていた。あの演説の後、クローラに大分大胆に忠告されたお陰かも知れないが。そんな私に、モーラは両手を腰にあててビシっと意見した。……最近モーラが厳しい気がする。
「悠然と偉そうはともかく……とりあえず、明日は気を引き締めないとなぁ」
「そ、そう、ですね」
明日。明日は私の戴冠式の日である。
もともとこの世界において『王』というのは北方の王国にただ一人なのだ。その北方の王国が、大繁殖などの混乱によって乱れ、一つ、二つと小勢力が分離独立して、新たな王が生まれてきた。
まあ、紆余曲折あって、現在では、例えばラウリス王や西方の王国の王などは、『正当な北の王から統治権を預かっている』という建前になっている。ちなみに、そうした建前を整えて『王法』の権威を守ったのが、例の『法の神殿』なのだ。
つまり私は、北方の王国の了解を得ていない野良の『王』ということになる。実質的に北方の王国から政治的に無視されてきたリュウス地域……つまり田舎だからできた荒業だ。
そういう事情だから、本来の戴冠式などは望むべくもないのだ。ただ、やはり何からのけじめは必要だという(主にクローラからの)意見により、我が国オリジナルの戴冠式を行うことになったのである。
「まあ、どうせほとんど身内だけの式なんだ。私はともかく、モーラは気楽に構えておいてくれて良いからな」
「気楽にできませんよぉ」
ここでモーラは眉を『ハ』の字にした。可愛い。いや、困った顔になっている。それもそのはず。
「どうして私が、戴冠式でジオさんに王冠を授けるなんて、大事な役目をしなきゃならないんですか? トーラッドさんとか、クローラさんで良いじゃないですか」
そういうことなのだ。
本来の『王法』に則った戴冠式をやるのなら、法の神殿から高位の神官を呼ばにゃならない。しかし、野良の王である私のところに来てくれる神官などいない。
では、誰にその重要な役目を任せるのか? と、イルドたちと議論した時……私には、適任者はモーラしか思いつかなかったのだ。
「最初に君と出会ったから、戦う覚悟を決めることができたんだ。私はモーラのためなら、王様でも何でもやれるからね」
「……も、もう! そういう、やらしいことはクローラさんに言ってあげてくださいっ!」
顔を真赤にした(当然、可愛い)モーラは、ぶんむくれながら新たなシル茶を淹れてくれた。
翌日。
主塔の建つ、『上の中庭』。その中央に、立派な石造りの石段ができていた。
石段の天辺には、白いドレス姿のモーラと、王冠を捧げ持つイルドが控えている。私は、大魔法使いの杖を片手に主塔を出て、目の前の石段に向けてゆっくり歩きはじめた。
「マルギルス! マルギルス!」
「我らが王! 我らが導!」
左右には、整列した兵士たち。
いまや、私の『国民』となった村人や使用人たち。クローラはじめ、城のメインメンバーも全員揃っている。来賓も多かった。戦族、カルバネラ騎士、戦斧郷のドワーフ、レリス市の重鎮、フィルサンドからはアグベイル。
例の演説の時とはまた、別種の緊張感に生唾を飲みつつ、『なるべく悠然と、偉そうに』歩く。私は、戻ってきてからイルドたちと相談したジーテイアス『国』の新体制を思い出していた。
ジーテイアス国人員配置
宰相 イルド(マルギルス家家令を兼任)
外交官 エリザベル
外交官補佐 三名(エリザベルの元部下)
魔術顧問 クローラ(魔術師ギルドからの出向)
探索顧問 セダム
諜報官 シィルオン
諜報官補佐 ガイダー アリル
書記官 ノクス
会計官 リード(エリザベルの元部下)
会計官助手 五名
護衛官(非公式) レード
護衛官付き戦族戦士 十名
護衛官付き耳目兵 二十名
司令官(兼第一中隊長) サンダール
第一中隊 兵士八十六名
第二中隊長 ジルク 副隊長 テッド
第二中隊 兵士八十名
第三中隊長 ディアーヌ
第三中隊 シュルズ族戦士 五十名
メイド長 モーラ
メイド アンナ 他五名
大工 ゼク
使用人頭 サム
使用人 十五名
密偵頭 レイハ
密偵補佐 フィジカ
密偵(兼メイド) ダークエルフ四姉妹
厩舎頭 一名
厩舎助手 一名
城付神官 トーラッド
医務官 サリア
医務官助手 三名
城付鍛冶師 ドォーバ(戦斧郷からの派遣)
鍛冶助手 ドワーフ五名
宿屋経営 ロイス(セダムの妻)
宿屋スタッフ 二十九名
生徒 ログ テル ダヤ
国民
『淵の村』『薬の村』『奥の村』 四百名程度
『シュルズの村』 百五十名程度
『国』としてはいかにも小さいが。
それでも、立派なもんだ! 私のような異世界からきた魔法使いと一緒に、暗鬼と戦おうという人間が(まあ村人たちは少々違うが)これだけ集ってくれた……いかんな、早くも涙腺がやばい。
ふらつかないよう必死に脚を踏ん張り、私は石段を登った。
眼の前に立つ、天使のように可憐なモーラの前に恭しく片膝をつき、頭を垂れる。モーラは大きく深呼吸した。イルドが捧げ持つ王冠を取り、私を見下ろす。
「今日、ここに創造神に申し上げる。創造神に代わり、我らを統治する者の名を……」
モーラの可愛い口から、古風な言葉が流れる。このあたりは、流石にフリースタイルとはいかないということで、クローラやエリザベルがしっかり台本を作ってくれたらしい。
「その者は我らの誰よりも貴く、我らの誰よりも強く、我らの誰よりも賢い……」
少女の身ながら、ジーテイアス城の家事全般を指揮し、全員の生活を快適に保つ努力をしてきたモーラだ。城の全員が彼女を可愛がり、慕っている。その彼女が、良く伸びる声で歌うように口上を述べる姿は、客観的にいっても美しかった。
居並ぶ兵士も使用人も、来賓たちもその姿と声に魅入られたように静まり返っている。もちろん、私もだ。
「……ぃやだよぉ」
その声が、突如途切れた。
驚いて顔をあげると、モーラは王冠を胸に抱きしめ、俯いていた。私とイルドくらいにしか聞こえないだろう小声で、何かを呟いている。
……ジオさんが王様になっちゃうの、嫌だよぉ。ジオさんと二人で静かに暮らしたいよ……。ジオさんは本当は王様になんかなりたくないのに……。ジオさんが傷つくの、見たくないよぉ……。
「……」
大粒の涙をぽろぽろ零しながら、か細い声で呟くモーラに、私は胸を押さえた。これがそうか、『胸が張り裂けそうな痛み』というやつか。
止めよう。モーラを泣かせてまでしなきゃいけないことなんて、何もない。
「モ……」
腰を浮かしモーラに声をかけようとした私が止まったのは、彼女の横のイルドの表情を見たからだった。
イルドは黙ってモーラを見守っていた。彼の目には、動揺も悲しみもなく……ただ、娘への愛情と信頼だけがあった。……やっぱり私はモーラの父親になんかなる資格はない、な。
「モーラ」
「……ぅっ」
最初と同じ姿勢に戻った私は、顔だけ彼女に向けて優しく声をかける。石段の下の人々も、流石に不審がって少々ざわめくが……そこは、クローラたちが抑えてくれているようだ。
「モーラ。……『次は、どうする?』」
慰めも叱咤もしない。私はただ、彼女に聞いた。彼女自身の選択を。
そうか、これは、そういう言葉だったんだな。昔散々、GMに言われた、次の行動を尋ねるだけの言葉。彼らも、こんな気分で口にしていたのだろうか。どのような選択肢を選ぼうが、いつかは『望んでいた結末』にたどり着くと信じて、相手の背中をそっと押すための、魔法の言葉だ。
「ジオざぁぁん……」
モーラは、大きく見開いた瞳で私を見つめた。
彼女は大きく鼻をすすり、一度だけ、目元をぐいと拭う。そして、大きく息を吸った。
「創造神なんか、関係ないです!」
先ほどまでとは打って変わった、激情に溢れた声。もちろん中身はアドリブだ。
「私たちはこのお城に、暗鬼と戦うために集まりました!」
彼女の茶色の大きな瞳には輝きがあった。涙が反射しているのだろう。美しかった。
「暗鬼と戦うのは怖いです、痛いです、逃げたいです! でも、ジオさんは私たちに『希望』を見せてくれました! 暗鬼に怯えず、みんなが平和に暮らせる世界を作れるという、『希望』です!」
モーラは猛々しいとすら言える笑みを浮かべ、王冠を両手で持ち上げた。
「『希望』のために私は、私たちは! 身も心も全てをジオさんに捧げます! その、私たち全員の……暗鬼と戦う者全ての名において……ジオ・マルギルスを『王』と認めます!!」
シンプルだが洗練されたデザインの『王冠』が、モーラの手で私の頭上に載せられた。
「ありがとう、モーラ」
私も、モーラに負けずに好戦的な笑みを浮かべ、立ち上がった。
この日、私は『王様』になった。
そして多分、今日こそが、私が本当にこの世界に生まれた日でも、あるのだろう。
次回から新章となります。




