リュウス大会議の日 その二
リュウス大会議が、ついに始まった。
中央良民軍司令部の大広間には、上等な絨毯が敷き詰められ、壁には所属勢力の紋章や歴史を描いたタペストリーが飾られている。会議用の机は円形に並べられ、丁度中央部にあたる絨毯には、リュウス湖を象った刺繍が施されていた。
私はレイティア王女やソダーン司令ら、リュウス同盟の重鎮たる人々の間の席で悠然と会議の行方を見守っている。……いや、まあ、そういうフリをしている。この日のために、三ヶ月近くもあれやこれやしてきたのだ。これまでの皆の苦労が報われるかどうか、あと数時間ではっきりするとなれば……もう、喉がカラカラだ。
それにしても、昨夜遅くに『北方の王国からの使者が会議でとんでもない要求をしようとしている』という情報が入った時は焦った。
それを教えてくれたのは、シルバスの盗賊アリルだ。どういう成り行きなのか良く分からないが、彼女は今やリュウスの盗賊ギルドと私たちとの連絡役のような立場になっている。つまりこの情報も、盗賊たちが気を利かせてご注進してくれた、ということだな。
時間もなかったし、どうすべきかかなり迷った。いざとなったら、私の魔法かレイハの技術で『急病』にでもなってもらうか……と思っていたところで、元シルバス男爵ことシィルオンが、自分が説得すると名乗りを上げてくれたのだ。使者はまだ会場に入っていないが……ダークエルフたちからの報告によれば、彼はうまいこと使者であるポーリネン子爵に取り入ることができたらしい。こういう、裏技っぽい交渉ごとができる人材は貴重だな。彼を仲間に勧誘した私の目は確かだった。
ちなみに、念の為に西方の王国の使者の方にも、エリザベルを向かわせている。
「……以上で、本年の暗鬼被害についてのご報告を終わります」
「ううむ……」
「いかんな、これは……」
諸都市からの情報を集計した、暗鬼の出現数や被害についての報告が終わった。広間がざわつく。暗鬼の襲撃事件は大小含めて二十数回。被害者は千人以上。村一つが全滅したこともあったという。件数自体も、『喪失戦争』から十年間の平均よりもかなり増えているらしい。これには居並ぶ重鎮たちの顔色も悪くなる。私もだが。
その後は、各都市間での税額の変更やら、細かい条約の修正やら、例年通りの報告が淡々と続いた。やはりと言うべきか? 少しずつだが、食料が値上がりしている……人口増に生産が追いつかなくなりつつある状況があるようだ。
単純に生産効率でが悪い、ということではなく、食料生産に割り当てられるリソースのバランスの問題だろうということは、各種の報告で何となくわかる。暗鬼は、いつどこから表れて襲撃してくるか分からない。その暗鬼に備えるために農地を増やすこともままならず、兵士を常備するコストばかりが増大するという悪循環なのだ。
居並ぶ首脳陣たちも、それに気付いているのだろう、ますます暗い表情だった。
北方の王国と西方の王国の使者二名が入場し、席についてもその雰囲気は変わらなかった。
入場の時、ポーリネン子爵の背後にちらっと見えたシィルオンが凄いドヤ顔してたから、例の要求については何とかなったようだ。西方の王国の使者の方は、ポーリネン子爵とは全く違う年配の紳士で、エリザベルとにこやかに挨拶していたからあちらも大丈夫らしい。
「では、ここからは本年の重要な出来事について報告と検討を行います」
「……!」
「おおっ」
「ようやくかっ」
司会の声は、まるで天上の楽曲のように沈んだ空気を払った。
事前の予定にあったように、ここからは『本年の重要な出来事』の時間だ。すなわち、『廃都ラウリスの奪還』『神聖樹の復活』『魔術師ギルドによる対暗鬼ゴーレムの開発』、そして『魔法使いマルギルスによるジーテイアス建国と、リュウス同盟との対暗鬼同盟締結』。目白押しだな。
まずは、ラウリス王女レイティアが立ち上がった。
彼女はいつもの柔らかくも良く響く声で、ラウリスの復活を宣言した。
「……私、レイティア・ラウラ・ラウリスは正式にラウリス王位に就いたことをご報告いたします。これは、ラウリス王国の復活宣言でもあります。私はラウリス女王として、皆様とともに繁栄の道を歩むことを歩むことをお約束いたします」
「ラウリス万歳!」
「レイティア女王万歳!」
相変わらずの美貌と気品。そして、奪還戦で自ら部隊を指揮し、弓を引いたという実績も備えている。彼女が女王となることに異論など出ようはずもない。大広間には拍手と歓声が響いた。
ちなみに、ポーリネン子爵はぽかんとレイティア女王の美貌に見惚れ、西方の王国の使者氏は冷静に会議の行方を見守っている。
「今日、ここに至るまでリュウス同盟諸都市の皆様から頂いた温かいご支援、忘れることは決してありません。そして、何よりも……大魔法使いジオ・マルギルス様の絶大なるご助力と、深い慈愛のお心に最大の感謝を捧げるものでございます」
「……う、うむ」
レイティア王女、いや女王は私に向けて深々と頭を下げた。大きな拍手が再び巻き起こる。現実として、私がいなければラウリス奪還にはあと何十年かかかったかも知れないから仕方ないが……背筋がムズムズする。
「……では、『ラウリスの慈母』の活用につきましては以後、委員会に一任させていただくということで……」
ある意味、ラウリス奪還以上の重大事件である神聖樹の復活。葉や枝が魔具や秘薬の材料となり、近くに住むだけで病気治療の効果もあるという神聖樹の扱いについては、専門の委員会を立ち上げて検討することとなった。経済の混乱を避けるため、当面、輸出などはかなり制限をかけながらやっていくつもりらしい。このあたりの冷静な判断は、さすがに交易でなりたつ同盟だけのことはあるな。
……なぜか、委員会の顧問に私の名前が入っていたのは少々解せないが。
続いては、レリス市魔術師ギルド支部長、ヘリドールの出番だった。なんか久々だな。
「マルギルス殿のゴーレムの有用性は、皆さんご理解いただけたと思う。我々、レリス市魔術師ギルドでは以前からの取り決めに基づき、マルギルス殿から技術の提供を受け、対暗鬼ゴーレムの開発を行う予定だ。ゴーレムの配備先については、良民軍を優先するが可能な限り早期に全都市へ行き渡るよう尽力しよう」
「素晴らしいっ!」
「あのゴーレムが我が都市にもあれば安心だ!」
実際のところ、ゴーレム作製技術の提供については遅々として進んでいないのだが……良くあそこまで自信満々な顔で言えるな……。
まあ、これについては私がなかなか生徒たちに指導できていないのが理由だし、早くリュウス同盟の人々を安心させた方が良いのも確かなので文句も言えない。これが終わったら、生徒たちと一緒に頑張らないとなぁ……。
「また、様々な調査により、自然の魔力が強い場所から偶発的に暗鬼が出現する可能性が高いことが判明している。これより、魔術師ギルドは総力を上げてそうした場所を特定していき、暗鬼の出現を早期に察知できる体制作りを目指したい」
「……そ、それができたら大分楽になるな」
「魔術師ギルドもちゃんと働いてるようだ」
……おい、その情報は私が暗鬼崇拝者から聞いたことだろう。まあ、彼らが自発的にその情報を活用して暗鬼対策をしてくれるなら、それに越したことはないが。
最後は、私からジーテイアスの建国と、対暗鬼同盟締結を要請する番だった。ここについては、事前にほとんど筋書きができている(シナリオライターはエリザベルだ)ので割と気楽だった。
特にハプニングも何もなく、出席者全員の熱烈な賛成の声と拍手で、私を王とする、ジーテイアスという国の建国と、対暗鬼同盟の締結は認められた。さすがに、一つ節目を越えたということで、私も大きく胸を撫で下ろす。
……が、問題はその後なのだった。
「マルギルス様ぁぁぁ!」
「我らの大英雄!」
「リュウスの守護者!」「大魔法使い!」
「うおおおおおお! マルギルス様!」
「マルギルス! マルギルス!」
「竜の主マルギルス!」
私は司令部前の大広場を一望できるバルコニーに一人突っ立っていた。
リュウス大会議の結果は、リュウシュク市内に集まった人々へ随時布告されているらしいのだが、特に重要なことについては代表者から直接伝えることになっている。つまり、私は自分の言葉で、大広場を埋め尽くす群衆に……そして、リュウス同盟全体、さらには北や西の大国に対して『建国宣言』とやらをせにゃならん、ということだ。
エリザベルやクローラ、シィルオンは各方面との打ち合わせなどで忙しく、会議中のシナリオを書くので手一杯だった。なのでここからは、私自身の言葉で話すしかない。
あー、胃が痛い。
「とはいえまあ、こりゃ私がやるしかないんだよな。……この呪文により……」
胃の上をさすりながら、私は【幻影投射】の呪文を使った。本来、自分の幻影を離れた場所に出現させて敵の狙いを逸らすために使うのだが、自分の姿や声を拡大するということもできる。
「おおっ! あ、あれがマルギルス様かっ!」
「凄ぇ、あれも魔法かぁっ」
「渋くて素敵!」
「凄い眼光だ!」
……一応、人々の印象に残せるようにと、私自身の姿を数倍拡大して頭上に投射し、声も増幅する。畏怖の声に混じって外見について何やら好意的な評価も耳に届くが……こういうのを『後光効果』っていうんだろう。
「親愛なるリュウス同盟、そして同盟外からも集まられた諸君。私が魔法使いジオ・マルギルスである」
「…………」
あれほど騒がしかった大広場は一瞬で静寂に包まれた。……そんなに静かに聞かなくても良いんですけど。
「はじめに、少し私自身のことを話させてもらいたい。私が三百日ほど前に、この地へ辿り着いたのは、ほんの偶然の事故のようなものだった」
もうそんなに経つんだよなぁ……。色々あったよ本当に。
「まったく見知らぬ土地へ漂着した私を、しかし、この地の人は温かく迎え入れてくれた」
モーラ。最初は少しばかりぎこちなかったが。彼女が初めて『信じます』と言ってくれた時の嬉しさを、忘れてはいない。
「だが同時に私は知った。この地が、暗鬼という恐怖にさらされていることを」
暗鬼。この世界の外からの侵略者。和解も理解も不可能な人類にとっての『絶対悪』。こいつらさえ居なければ、私はこの世界で、のんびりだらりと楽隠居生活ができたのになあ。
「暗鬼が、この地をいかに蹂躙してきたか、その歴史も知った。一方、諸君らがただ暗鬼に怯えるだけでなく、素晴らしい技術と勇気をもって戦い続けてきたことも、この身をもって知った」
セダム、クローラ。ギリオンたち騎士団。良民軍。魔術師たち。戦族。名も知らぬ兵士たち。彼らはずっと、暗鬼という恐ろしい敵と戦ってきた。私みたいに他所からもらった圧倒的な力で簡単に薙ぎ払うのではない。命を削る戦いに身を投じてきた彼らを、私は心の底から尊敬している。
「私は少しばかり大きな力を持っている。だが勇気においては、諸君らに到底かなわない。そんな私が、諸君らの暗鬼との戦いにこの『力』を貸すことを、どうか許していただきたい」
「うおおおおお!」
「マルギルス様ぁぁ!!」
「ありがとう! ありがとうございます!」
「マルギルス! マルギルス!」
私は手にした大魔法使いの杖を一振りして、静粛を求める。
「だが私の力は、諸君らの日々の生活の間に紛れ込むには少し大きすぎる。よって、私は、私とともに暗鬼と戦う道を選んでくれた者たちとともに、新たな国、『ジーテイアス』を建国する!」
《ドッ》
再び湧き上がった人々の声が、物理的な大波のように私の身体を叩いた。……想像していたが凄い圧力だな……。正直、脚がガクガクしてるんだが。
一応これで、建国と同盟の報告ということでは演説を終わりにしても良いところなのだが……もう少し、話したいことがあった。
「諸君の寛大な心に感謝する。しかし、これも知っておいて頂きたい。私が諸君に感謝し、尊敬していることはまだあるということを」
「……??」
今度は微妙なざわめきが起こった。人々の頭上に『?』マークが浮かぶのが見えるようだ。
「感謝と尊敬。それは、諸君が今まで積み重ねてきた歴史に対してのものだ。『喪失戦争』の前からも、諸君はずっと永い間、暗鬼と戦い続けてきた。それは、兵士として実際に血を流した者のことでもある、が……その後ろで麦を育て、布を織り、家を建て、品々を商い、子を守り育てた者……全員だ。諸君らは全員が、自分自身の戦いを戦い抜いてきた。その積み重ねの先にこそ、今回のラウリス奪還、そして今日の日があることを、誇って欲しい」
人々は、私が何を言っているのかと、若干困惑しながらも真剣に耳を傾けてくれている。実は、どうも以前からちょくちょく気になっていたのだ。大魔法使いという、降って湧いたような『力』によって暗鬼との戦いが進んでいくことに対して、依存的になったり自虐的になるものがいるのではないか? と。
「諸君らの中には、辛い敗北の記憶を抱えている者も多いだろう。自分は無力だったと思いこんではいないか? 否だ! 確かに敗北は敗北、被害は被害、悲劇は悲劇だ。それは変えられない。だが!」
私自身、妙に感情的になっていることは自覚していた。だが、多分、彼らにこんなことを言えるのは私だけなのだ。
「過去の事実は変えられないが、『過去の意味』は変えることができる! かつての敗北も挫折も、もしいま貴方が、貴方の隣の誰かが、笑っていられるのであれば、それは『積み重ねた敗北や挫折の先にやってきた』のだ! 過去の失敗を、過去の死を、ただの失敗に、ただの悲惨な死にしておくかどうか、それは貴方次第なのだ!」
私の脳裏には、かつてレリス市で見た石碑が浮かんでいた。『喪失戦争』で、レリス市内に暗鬼が侵入した時、戦って全滅した市民兵を慰める石碑だ。レリス市の人々の心が折れて復興を諦めていたら? 彼らの死は『ただの死』に堕ちていただろう。
死に意味がある。それ単体では、それこそ何の意味もない言葉だ。だが、その死に対する私たちの認識と行動は、確かに過去の死の意味を変える、はずだ。
「今! もし貴方が幸せを感じているならば、それは貴方自身が積み上げてきた戦いの結果だ。私は最後にほんの少し、手助けしたに過ぎない。そして、私はそれができたことを……心から、嬉しく思う。どうかこの先も、ジーテイアスという隣人として、貴方たちを手助けさせてほしい!」
《ドドッッ》
私の自惚れでなければ、それは歓喜の爆発だった。




