リュウス大会議の日 その一(三人称)
リュウス大会議当日。今年の開催地であるリュウシュク市。
通常、大会議の日は祝日とされ、リュウス同盟各地から多くの人々が開催地に訪れる。ギルドや神殿から無料で飲食が提供され、各地の芸人が集まり、人々は晴れ着を着て広場で歌や踊りを楽しむのだ。大会議自体は午後から日没まで続き、会議結果はすぐに布告人によって人々に伝えられる。この内容が目出度い話であった場合(例えば税金が下がるとか)、当然ながら人々のテンションは一層高くなるのだ。
で、あれば、今年は。
リュウシュク市はこの十年間で最高の盛り上がりを見せていた。職人街の通りでも、朝から着飾った人々が神殿や広場などの催場へ急いでいる。
「お母さん! 早く早く!」
「はいはい」
小さな男の子が、母親の手を引く。顔は興奮と喜びで真っ赤だ。嗜みを見せてゆっくり歩こうとする母親の顔も、笑みに溢れている。
「早くいかないと、『聖薬茶』がなくなっちゃうよ!」
「大丈夫よぉ、たくさんたくさん用意してあるって、前にギルド長さんがおっしゃってたじゃない」
人々の目当ての一つが、男の子の言う『聖薬茶』の無料配布だった。神聖樹の葉から抽出されるお茶である。葉に含まれる魔力が作用することで、人体の回復力を高めるという効果は実証されており、『一杯飲めば一年は無病息災』と言われる大変な貴重品だ。もちろん、『喪失戦争』以降は幻のお茶となっていたのだが。
「それにしてもレイティア王女様はお優しいねぇ! 聖薬茶を無料で何杯でも飲んで良いなんて!」
「廃都を奪還しただけじゃなく、『ラウリスの慈母』が復活したっていうのは本当なんだなぁ。本当に夢のような話だよ」
母子と並んで歩く近所の夫婦も、滅多にないほどの上機嫌だった。その夫婦の会話へ、男の子が突っ込みを入れる。
「レイティア様もだけど、マルギルス様がえらいんだよ!」
「おお、そうそう。マルギルス様なぁ。大魔術師っていうのは、本当だったんだな」
「こんな大英雄様がいらっしゃるなんてねぇ。創造神様は、私らを見捨てておられなかったんだねぇ」
「違うよー! マルギルス様は、魔法使い! 魔術師より凄いんだ!」
幼いといっても、普段は父親の職場で大人と混じって働く少年はそれなりに世間の噂も聞いていた。生まれた時からリュウシュクだけでなく、世界全体にどんよりと漂っていた嫌な雰囲気が、『魔法使い』によって吹き払われた……それを最も強く実感しているのは、彼のような子供なのかも知れなかった。
リュウシュク市内に点在する広場。
普段から市が立ち賑やかな場所だが、今日は騒ぎの桁が違っていた。多くの人々が、聖薬茶や、振る舞い酒を求めて臨時に設置されたテントに群がっている。
「押すんじゃない! まだまだ酒も聖薬茶も残ってる!」
「そこぉ、割り込むなぁ!」
声を枯らし、身体を張って群衆の交通整理をする良民軍の兵士たち。彼らの顔にも、普段の威厳より興奮と喜びが浮かんでいる。
「ああ、クソっ。俺も奪還戦に参加したかったぜ」
「まったくだ」
一万に近い良民軍の中でも、奪還戦に参加したのは一部の精鋭たちだけだ。若い兵士たちは、真面目に仕事をしながらも軽口を叩き合う。
「しっかしマルギルス様はすげーよなぁ。連合軍つったって、実際のところはあの御方一人で暗鬼もやっつけてラウリスを奪還したようなもんだろ?」
「ああ、魔術師ギルドの魔術師全員でかかってもそんな凄いことはできないよな」
「お前ら、真面目にやれよ!」
その二人の兜を、年配の上司がごつりと小突いた。
「マルギルス様は確かに英雄だが、今この連中を怪我させないように整列させてはくれないんだぞ!」
「は、はいっ。すんませんっ」
歌声や歓声、陽気な楽曲に満ちた大通りを見下ろす宿屋の一室。『ソレール市から来た甘味の行商人』一行が借り切った大部屋である。
ジャドと名乗る中年男は、広場から調達してきた無料の『聖薬茶』を飲み込んだ。
「美味い……というか何というか。味は良く分からんが、身体に良さそうなのは確かだな」
「そうですね……」
部屋には他に数名、ジャドの部下がいた。皆同じく、聖薬茶の入った盃を手にしている。彼らの表情は、リュウシュクのほとんどの人々と違い、物憂げである。
「魔術師ギルド本部で管理してる神聖樹からはもう、こんな葉は採れないらしいな」
「いや、採れないわけじゃないらしいですけど。数が少なすぎて、貴族や大金持ちしか手に入れられないんすよ」
ジャドの呟きに、部下の若者が答えた。
「北方の王国じゃ、神聖樹の葉を一枚使った秘薬が、金貨千枚以上だしな。それが、今日だけにしても無料配布とは……」
「ラウリスからはこれまでの支援の礼ってことで、リュウス同盟の全勢力に『葉』を数百枚の単位で進呈するらしいですよ」
「そりゃあ、景気の良い話だ。景気が良すぎて寒気がする」
ジャドは首を竦めた。
実のところ彼は、北方の王国で宰相を務める人物配下の密偵である。フィルサンド防衛戦以降、魔法使いジオ・マルギルスについての情報は大小全て集めて、宰相の下へ送ってきている。
ただし、ラウリス奪還の成功や、神聖樹の復活を彼らが知ったのは数日前だ。さすがに、まだその情報は北方には届いていない。
「これを知ったら、大将はともかく、王家や魔術師ギルド、それに諸侯会議はどうするんでしょうね」
「……間違いなく神聖樹の利権を奪おうと動くだろうな。そんなことになったら……」
「ヤバイっすよ」
「北方の歴史が終わる……」
宰相マルールの信任厚い密偵長の分析に、部下たちも顔を青ざめさせる。リュウス同盟がただの都市国家の寄り合い所帯なら、何も問題はない。数十倍の国力を持つ北方の王国が、最終的には全てを奪って『平和』になるだろう。最悪でも、西方の王国あたりと紛争になるくらいだ。
だが。
「あの魔法使いを万一にも怒らせたら……」
「王都に隕石が降る……」
そう、リュウス同盟は無力な小勢力などではない。
天から無数の隕石を降らせ、竜巻を起こし、ドラゴンと巨人の軍団を操る『大魔法使い』とともにあるのだ。
「とりあえず、大会議の結果を見届けたら俺は大急ぎで戻る。この情報は、必ず、ジオ・マルギルスという男の恐ろしさと一緒に伝えなきゃならん」
「……そうですよね。ただ……今日、大会議に出席する北方の貴族が一人いますよね? あいつは大丈夫でしょうか……」
「……」
部下の若者が不安そうに言った。ジャドも思わず黙り込む。
例年、リュウス大会議の場には儀礼的に北方の王国と西方の王国、双方から使者が参加する。北方からは、王国内の中小貴族の連合であり、リュウス同盟とも経済的な関係のある『諸侯会議』から使者を派遣する習わしである。
ジャドが仕える宰相と諸侯会議は政治的にはライバルといっても良い関係であるが、かといって今回その『使者』がやらかしてしまった場合、代償があまりにも大きすぎる。
「確か今年の使者はポーリネン子爵だったな。……確かにあの男はアホだからな……」
ジャドは華美な服装の優男の姿を思い出し、げっそりした。実のところ、リュウス大会議への出席は、諸侯会議の中で全く重要視されてはいない。単なる儀礼上の役目である。ただ、一応は他国の重要行事への参加であることから、若い貴族の箔付けなどに良く利用されるのだ。
「フランド伯爵が抑えてくれると思ったんだがなぁ。まあ、いくら何でも……あの魔法使い相手にヘンなことは言わんと思うが……」
「た、隊長!」
大部屋の扉を蹴破る勢いで飛び込んできた部下が叫んだ。ジャドの背筋に嫌な汗が浮かぶ。
「ポ、ポーリネンの野郎が!」
午後になり、リュウス大会議の開催が全市に向けて宣言された。
会場である良民軍司令部の前、大広場に集まった人々の興奮はますます高まっている。ただそんな中にも、静かな心で会議の行方を見守る人間も存在した。
「おっちゃん、酒さけ! どんどん注いでくれ!」
「わかったわかった。飲みすぎるなよ」
軽食と酒の屋台の主は、真っ赤な顔の若者に淡々と名物の自家製カクテルを注いでやった。この日の会計は、全て良民軍持ちである。
「……まさか、こんな日を迎えるとはなぁ」
楽しげに踊り歌う人々、次々に発表される会議の結果。
そんな騒動を見つめる屋台の主は五十を越えているだろう。左腕は義手で、右足も引きずっている。彼は元良民軍の兵士だ。
「イフリ隊長。グフカ、ジムス……お前らも生きてればな……」
遠い昔、暗鬼との戦いで無残に散った仲間の顔が、主の目に映る。ひな鳥よろしく注文してくる若者たちに、手際よくカクテルや揚げ物を配りながら、主は密かにため息をついた。
「それとも、マルギルス……様が、もっと早く来てくれれば……」
そろそろ日も傾きかけてきた頃。良民軍が『北方の友人』のために用意した高級宿の前。
さすがにこのあたりの人々は、多少上品にこの祭りを楽しんでいた。そんな人々をよそに、物陰から宿の出口を見張る怪しい一段があった。
「……子爵はまだ出てこないのか? もう会議はとっくに始まってるんだぞ」
「まあ、北と西の使者の口上は最後の方ですから……」
そう、高級宿は北方の王国『諸侯会議』からの使者、ポーリネン子爵の宿であり、それを見張るのは宰相の密偵隊長、ジャドとその部下たちである。
先ほどからしばらく見張っているが、ポーリネン子爵は会場に向けて出発する気配もない。逆に、踊り子や道化師が宿に入っていったが、いくらなんでもそれにかまかて、任務を忘れているわけではないだろう。いや、いっそ忘れてくれている方が……。
「それにしてもポーリネンって野郎は正気なんですかね? そんな権限もないのに、リュウス大会議で『神聖樹の所有権を北方の王国に寄越せ』と要求するとか」
部下が、自分でも信じていないような口調で言った。だが、それが念の為ポーリネン子爵一行に潜入させておいたジャドの部下からの緊急連絡の内容なのだ。
我儘で傲慢で短絡的、という北方の王国貴族の悪い部分を凝縮したような性格で、おまけに今回が初の公式任務とあって無駄に張り切っているポーリネン子爵が、『神聖樹の利権を単独交渉で手に入れた』という手柄を求めて暴走しているというのである。
「子爵の側近も同類らしいからな。目先の欲で完全におかしくなってやがる。……最悪の場合、『始末』してでも止めるぞ」
ジャドは決死の覚悟で宣言した。このリュウシュクにいて、間近にその情報を聞いても『魔法使い』の恐ろしさが理解できない愚か者の尻拭いを、命がけでするつもりなのだ。
「で、でも。あのマルギルスって人、結構優しそうじゃなかったですか? ポーリネン子爵様が多少無茶言っても、笑って許してくれるかも……」
「そうかも知れないが。そんな賭けにのることは……あ?」
宿の出口が、にわかに騒がしくなってきた。
ジャドや部下たちが目を鋭くして見つめる中、豪華な衣装に身を包んだ貴族とその取り巻きらしき男たちが姿を表す。さらに。
「だーっしゃっしゃっしゃ! さすがポーネリン子爵様ですなぁー! さすポリ!」
「はっはっは。君ほど愉快な男とは出会ったことがないよ」
「「……???」」
宿から出てきたポーリネン子爵……金髪の優男……の隣には、まるまる太った小男がいた。小奇麗な身なりだが、大きな鼻といい膨らんだ頬といい……。
「誰だ、あの豚は?」
「いやほんとマジでポーリネン子爵様なら、将来の諸侯会議を、いやさ北方の王国を、まだまだ! 大陸全土を任せても安心ですなぁ!」
「君きみ、いくらなんでも褒め過ぎだよぉ」
何がどうなっているのか。小男……(まあ、シィルオンなのだが)は、完全にポーリネンの心をキャッチしていた。先ほど、ジャドたちの前で宿に入っていった道化師が、彼の変装姿なのだ。護衛兼助手として同行していた盗賊娘アリルは、踊り子の衣装のまま、げんなりした顔だった。
「そんな最強無敵のポーリネン様だからこそ、うちのマルギルスちゃんもね、後でじっくりお話したい、っつーことなんすよぉー!」
「うむうむ。この僕は諸侯会議でも今後どんどん勢力を増していくからね。そんな僕と今のうちによしみを通じておこうとは、マルギルスというのもまあまあ賢いじゃないか」
「いやいやーポリ様には敵わないっすよ! そういうわけですから、今回の会議では、ポリ様はドーン!と構えて頂いて! あとでキレイなおねーちゃんも交えてマルギルス様とお話しましょう!」
「分かった分かった。確かに、いきなり全て寄越せといっても、愚か者たちは反発するだけだろうしね」
「「…………」」
まるでこちらに聞かせているかのような大声で、ポーリネン子爵の行動を掌握したことを話す小男。彼や子爵一行が豪華な馬車に乗り込もうとしていても、ジャドたちは呆然と顔を見合わせるしかない。
「見たな? 聞いたな?」
「!?」
ジャドたちが隠れる建物の間、その奥の闇からハスキーな女の声がした。愕然と振り返るが、鍛え抜いた彼らの目でも、闇を見通すことはできなかった。
「マルギルス様は北とも西とも争うつもりはない、と仰っている。……だというのに貴様らは……いや」
宰相の密偵団の誰一人、気配も悟らせなかった女の声は、一瞬だけ苛立たしげになった。
「この後、マルギルス様が全市民、そして諸国へ向けての演説をなさる。そのお言葉、その御心をしかと、貴様らの主へ伝えろ」
「わ……わかっ……た……」
ジャドとその部下たちは、安堵と畏怖でぐちゃぐちゃになった頭を、激しく上下に振った。




