戦場にかかっていた橋
『マルギルス万歳! マルギルス万歳!』
私はラウリス万歳、と叫んだはずなんだが。
高さ五メートルほどの指揮所から見渡す限り、二千近い兵士や戦士、随行の商人たちは私の名を連呼している。目を凝らすと、号泣しているものも結構いた。
……まあ一応、リュウス同盟での私の立場を強固にするという目的からすると、良いことではあるんだろう。
とりあえず、目下の懸念事項は別にあった。
「マルギルス様ぁ!」
「レ、レイティア殿……落ち着こう? 一回落ち着こう?」
「んーマルギルス様ってばぁー!」
そう。美しい王女から熱烈なキス攻撃を受けている、ということだ。
焦って身体を離そうとするが、レイティアは見かけによらない腕力で私の首っ玉に抱きついてくる。
「どうしたんですかっ!? チューですよ、チューー!」
どうしたもこうしたもない。
十年間の難民生活が終わり、故郷に帰れるという感動で我を見失っているんだろう。青い瞳にはハートマークが浮かんでいる(ように見える)し、豊かな胸を大胆に押し付けてくる。そこまでは良いとしても、唇をタコみたいに思い切り突き出して『チューしましょー!』などと叫ぶのは如何なものか。
小学生のようにしか見えない。
まあそのお蔭で、理性を保てたとも言える。
「いやだから落ち着きなさいっ!」
「むぎぃー!」
止む無く、片手で王女の顔を押さえるが、一向に正気に戻る気配がない。それにしても、王女様がして良い顔じゃないな。
「い、いやあ良かったですな!」
「これほどの大勝利は歴史上初めてだ! ハハハ」
「……」
指揮所にいる連合軍の重鎮や文官たちは、必死にこちらを無視しようとしている。隣のソダーン司令など、呆れたようにため息をついていた。……まあ、彼らにしてみれば関わりたくないのも当然だろう。
幸い、抱きつかれた時、大きくよろめいて後退したお蔭で指揮所の下の兵士たちからは死角になっているが……。
「ちょっと、王女! はしたないわよ!」
「わわわ……レイティア様っ……」
ペリーシュラ女史とライル青年だけは王女をたしなめようと声をかけてくれているが、まあ聞く耳持ちゃしねえ。
「……」
救援を求めて視線を巡らせるとその先には……にこやかなクローラがいた。
……これは、怒ってる顔だぞ。私は詳しいんだ。
「良いから離れなさい。危険だから、ね?」
「もぉー! 誰も言わないから自分で言っちゃいますけど私これでもかなり可愛いしおっぱい大きいですよ?」
あ、クローラの額に青筋が浮かんだ。青筋ってあんなにはっきり見えるんだなぁ……。
彼女の手にある大魔法使いの杖が火を噴くか、あるいは私の耳が引き千切られるか? 背筋を凍らせる私の前で、クローラはおもむろに片手を顔の横にあげ……「パチリ」と鳴らした。
その瞬間、タコみたいに唇を突き出す王女の背後に、なんか謎の女ダークエルフみたいな影が出現していた。
「ほらほら、いまなら処……へひっ」
影は速やかに王女の頸動脈を圧迫して気絶させ、流れるような動作でその身体を担ぎ上げると指揮所を飛び降り、走り去った。……一秒にも満たない早業である。
「……」
どうすんだこれ?
その場にいた、クローラ以外の全員の心の声が聞こえたような気がした。当然、その雰囲気を一掃するのもクローラだ。
《パンパン!》
彼女は両手を打ち鳴らし、高く澄んだ声で告げる。何事もなかったような真顔だ。
「さあさあ、皆様方! 負傷者の治療に戦死者の収容、戦功の記録! やることは山積みでしてよ! 一段落したら……宴ですわ!」
宴は、夕暮れから始まった。
死屍累々のラウリスにはまだ入れない。会場は郊外の平地だ。大きな篝火があちこちに設置され、大量の酒に食べ物が運び込まれる。
兵士たちはそれぞれの所属も関係なしにあちこちで輪になり、酒を酌み交わしたり大声で歌い、踊る。軍に同行してきていた商人はここぞとばかりに嗜好品を売り歩き、吟遊詩人は陽気な楽曲を奏でた。
私は『盟主』として一段高い貴賓席を用意され、そこにぽつりと座っていた。
左隣の総司令官の席に座るはずのソダーンは、戦功確認の事務が終わらないとやらであちこち駆けずり回っているらしい。右隣には、レイティア王女が座る予定だったのだが……どこにもみあたらないなぁ。
ちなみに、クローラやセダムも同じく、戦後処理の事務仕事に追われていて不在だ。
「大魔法使いマルギルス様に敬意を!」
「ありがとう。貴殿の武勲にも感謝を」
私の前では、どこかの都市の部隊長が自慢気に活躍を語り、私を称えていた。もう何人目か覚えていない。これは正式な論功行賞とは関係なく、戦勝の宴の慣例のようなものらしい。……会社の忘年会などでも、重役どもに偉い順に酒をついでまわったが、あれと似たようなものだろう。
「マルギルス様、まことにおめでとうございます」
「うむ」
次に私の前に立ったのは、指揮官や兵士ではなく商人だった。ごく普通の中年男性だが、妙に風格があるな。
「……主様。この者、北方の密偵でございます」
いつの間にか私の背後に控えていたレイハが囁いてくれた。なるほど。
「直属の雇い主までは不明ですが、ご命令とあれば調べて参ります」
続くレイハの言葉に、私はこっそり首を振る。……彼女のおかげで、連合軍に同行した商人や娼婦などの中にあちこちからの密偵が紛れているのは分かっていた。それらの素性まで一々洗っていては、さすがの『謀略を生業とする氏族』でも過剰労働になる。
あちらからアクションが無い限り、もう放置だ放置。
「私、ソレール市のしがない甘味屋、シャドと申します。ラウリス奪還という偉業の成された場に居合わせられたこと、一生の誇りにいたします」
「ありがとう。……しかし、甘味とは珍しいな」
普通、こういう時の密偵はもっと一般的な業種に偽装するのかと思っていた私は思わず声をかけていた。シャドと名乗った商人(密偵)は、愛想の良さそうな笑みを浮かべる。
「暗鬼との戦いでは皆様、精神を消耗しますからな。甘い物を口にすれば、少しは慰めになるかと思いまして」
「なるほど」
「お陰様で、儲けさせていただきました。……その御礼と、マルギルス様への敬意の証としてこちらを受け取っていただけたらと」
シャドは恭しく、装飾された小さな木箱を差し出した。私が頷いたので、素早くレイハが進み出て箱を受け取る。
「……うっ」
「主様、異常ございません」
私の背後で跪いていたレイハに気づいていなかったのだろう、シャドは一瞬顔を引きつらせていた。これでレイハとの格の違いに気付いて、余計なことを考えなくなってくれれば良いんだが。
「ほう、これは美味そうだ。ありがたい」
レイハから受け取った箱の中身は、彩りも綺麗な砂糖菓子だった。私自身は甘いものはあまり好まないが、なにせ我がジーテイアス城は、ウーマンパワーでもってる城だ。クローラ、レイハも甘味好きだし、リュウシュクで待ってるモーラや少年少女たちへの良い土産ができたな。
「マルギルス様にそういっていただけて、甘味屋としてこれ以上の名誉はございません」
「勇敢な戦士たちに安らぎを与えてくれたことにも、感謝しよう」
相手は密偵だが、彼が甘味屋として貢献してくれたのも嘘ではないだろう。私は割と本気で礼を言った。
「……恐れ多い! 何しろマルギルス様はゆくゆく、ラウリスの王、そしてリュウスの王になられ、セディアそのものすら掌中にされる方! そんな偉大なお方に……」
「……」
「……ひ?」
一言多い。
単なる社交辞令だろうが、ラウリスの王はいま禁句だっつうの。案の定、背後のレイハの雰囲気が一気に剣呑になるのを感じる。
……いや、単なる社交辞令?
「誤解があるようだな」
レイハの殺気に気付いたシャドが冷や汗を浮かべる。そのレイハを片手で制してから、私は彼に声をかけた。
「ご、誤解でございますか?」
「ああ。多くのものと同じ誤解だな。……私の目的は、暗鬼から人々を守ること、それだけだ。仲間のため、必要があって一つ国を興すことにはなったが……」
シャドがごくりと生唾を飲み込むのが分かった。恐らく彼も、その先が聞きたくてわざわざあんなことを言ったのだろう。仕事熱心なことだ。
「それで十分だ。ラウリスの王にもリュウスの王にも、それ以上にもなる気は一切ない」
「さ、左様でございますか……。ご、ご無礼を……」
シャドは明らかに安堵したように見えた。彼の背後にいるのが北方の王国のどんなお偉い様か知らないが、ちゃんと伝えてほしいものである。
その後も十人近く、指揮官やら代表やら、一兵士やら、密偵やらと声を交わして。ようやくその流れが途絶えて一息ついた私は、あることに気付いた。
「そういえば、戦族を見かけないな」
レードや彼直属の戦士に耳目兵は、私たちに用意された天幕に引っ込んでいるのは知っている。だが、カンベリス率いる戦族百名以上が、見渡す限りどこにもいない。あれだけ目立つ連中だから、見落とすはずはないのだが。
「彼らは宴に参加しておりません。それどころか今夜にも退去するつもりのようです」
すかさずレイハが耳打ちしてくれた。
正直、戦功でいえば(おこがましいが、私を除けば)一番であろう戦族が、戦勝の宴にいない? 彼ららしいといえばそれまでだが、ここで何もしないではそれこそ『盟主』失格というものだろう。
私は宴会場を抜け出し、レイハだけを連れて戦族のキャンプ地へ向かった。
たどり着いた時には既に撤収寸前である。こういう時、彼らの組立式移動住居は強い。いや、もともとそのための組立式なんだろうが。
私が近づくと、当然のようにド派手な甲冑が出迎えてくれた。戦将カンベリスだ。
少し意外だったのは、他の戦族たちも片膝をついて敬意を表してくれたこと。数カ月前、彼らに狩られる寸前だった私としては感慨深いな。
「何か用事か?」
カンベリスの簡潔な言い方は相変わらずだ。もちろん、黒髪の精悍な顔に敵意はないが。
「うーむ」
宴会の誘いにきました、とは言いづらい雰囲気だな。一般社会とは交わらないというのは、彼らが選んだ流儀ではあるのだか………。
……いや、そうか。
「大した用事じゃないんだが」
「だから何だ?」
私はカンベリスに、そして戦族たちに軽く会釈して言う。
「ラウリス奪還に協力してくれて感謝する。ありがとう」
「……。そうか」
百戦錬磨の戦将は、唇の端を少し歪めて頷いた。どうも、微笑のつもりらしい。
「ありがとう、だってよ」
「あの大魔法使いが……」
「……ちっ」
カンベリスの背後に控える戦族たちからは、小さなざわめきが起きた。
驚いたように私を見つめる者、不愉快そうに顔を背ける者もいた。
「礼を言われるためにやったわけではないがな」
カンベリスは、よく通る重い声で言った。私というより、後ろの戦士たちに聞かせるような声だった。
そう、彼らは彼らの意志と法のもと、戦ったのだ。何でもかんでも扱いを平等公平にすれば良いってもんじゃない。
ただそれはそれとして。私が彼らに感謝するのは、私の勝手だろう。
「分かってるさ。こういうのは、気持ちの問題だからな」
「お前にそんなことを言われるようになるとは、世の中分からんものだ」
「それは私の台詞だろ……」
私たちは何となく目を合わせた。
最初に会った時、圧倒的に格上に思えた彼だが。僅かでも気持ちが通じた……ような気がする。
そこに。
「おおい! あんたたちぃ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
知らない男たちの声が響いた。
見れば、十数名の兵士が酒や食べ物を手に歩いてきたところだった。ずいぶん賑やかな一団だ。ガラガラと、荷車を引いている者までいる。
何だ何だ?
「何用だ!?」
戦族たちは、驚いたように立ち上がり彼らを呼び止める。
よく見れば、兵士たちは良民軍や傭兵、諸都市の兵など雑多な構成だ。
「いや用ってほどじゃないけどよ」
代表らしき壮年の兵士が口を開いた。彼を含め全員笑顔だし、喧嘩を売りに来たわけではなさそうだ。
「あんたらが帰り支度してるって聞いたからよ。せめて、土産くらい持って帰ってもらおうと思ってさ」
「そうそう!」
「一番勇敢だった部隊になんもないんじゃなあ!」
「良い肉持ってきたぜ!」
「もちろん酒もな!」
兵士たちが引いてきた荷車には、戦勝祝いの酒や嗜好品が積まれていたらしい。それを、わざわざ戦族に渡しにやってきたのだ。
「……我々は暗鬼狩りに報酬は受け取らない」
「はぁ?」
カンベリスは淡々と言った。さすがに、友好的な兵士たちも顔を顰める。これは流石に、頑な過ぎる。一言忠告しようと思ったところで。
「だが、戦友からの贈り物なら、謹んで頂こう」
「っ!?」
異形の鎧の戦将は、驚くほど恭しく兵士たちに一礼した。逆に兵士たちの方が息を呑む。
「そ、そんなに硬くならんでも」
「だよな! い、一緒に戦った仲間だもんな!」
ぎこちないものの、笑顔を取り戻した兵士たちは、戦族に『贈り物』を引き渡した。
「……ど、ども」
「戦将殿がいうなら……頂こう」
「お、う、美味そう」
戦族たちも、どこか照れたように酒や食料、菓子などを受け取っていく。
「お前と会ってから、おかしなことばかり起こるな」
「迷惑かな?」
「……いや」
私とカンベリスは、ぎこちなく交流する兵士と戦族を見つめる。
「我々は北へ戻る。例の元司教が張り切ってくれているしな」
私が【精神支配】の呪文で下僕にした暗鬼崇拝者の幹部、ザルザムのことだろう。彼は北方の王国の大都市スラードの太守でもあるという立場を活用し、戦族たちの暗鬼崇拝者狩りに協力している。
「順調らしいな? あと何年かしたら、戦族の使命を完遂してしまうんじゃないか?」
「だと良いが」
「ヤツも言っていただろう? 暗鬼崇拝者の司祭は三人残っている。特に、北方の王国で盗賊ギルドのマスターをやっている司祭がやっかいだ」
「そうか……」
「正直に言えば、東も気になるしな。まだまだ獲物は残っている」
呟くようにいった戦将の顔は、無表情だった。もしかしたら、彼も私のように『戦将』という仮面の重さを感じているのかもしれない。
「ジーテイアスの建国が一段落ついたら、私もすぐに手伝おう」
「……有り難いな。巫様もお前に会いたがっていた。そのうち、また『宿』に招待しよう」
そう、『知識を保管する女』こと、真のエルフである巫とも、また会わねばなるまい。
戦族だけではない。私にもまだまだ、やることは山積みだなぁ。
「できれば息子には、暗鬼も暗鬼崇拝者もいない世界を見せてやりたいものだ」
「!? あんた息子がいるのか? ていうか結婚してるのか!?」
「妻子がいちゃ悪いか?」
戦族の強者をまとめる戦将と、大魔法使いがしょうもない世間話を始めた姿を、兵士と戦士たちが不思議そうに見守っていた。




