ラウリス奪還戦 その六 (三人称)
廃都ラウリスの大通りに、人外の『声』が高らかに響き渡った。
『アアアアアルァァァーーー!』
ゴリラのように前屈し、長い前腕と短い脚で身体を支える本体。その首があるべき場所、そして両肩から『生えた』三体の妖鬼が奏でる魔術詠唱だ。
三つの喉から溢れ出す不気味な叫びは、絡み合い、響き合って、いっそ美しいとすら感じられる。この世界の魔術師ならば、その声にラウリスを満たす魔力が激しく反応しているのが分かるだろう。人類側の最先端魔術であるペリーシュラの共晶術など、暗鬼にとっては容易い――そう、見せつけるかのようだ。
巨大暗鬼の頭上には、数えきれない炎の刃が無秩序に浮かんでいる。切っ先はもちろん地上の人間たち。
「伏せろぉ!」
ギリオンの叫びに、カルバネラ騎士やドワーフ戦士たちは反射的に従った。地面に身を投げ出し、盾車や建物の陰に潜り込む。
ドドドド!
全ての炎の刃が解き放たれた。赤い軌跡を描いて地上へ降り注ぐ。
建物に触れた刃は、爆音とともに破裂し火炎を撒き散らす。人間を吹き飛ばすのに十分な破壊力だ。
「ぎゃあっ!?」
「うわああぁぁぁ!」
大通りに展開していた騎士とドワーフたちにも、容赦なく降り注ぐ炎。
運悪く直撃を受けた騎士は、四肢をばらばらにされ即死する。炎は周囲の者にも襲いかかった。
「熱いっ!?」
「み、水! 水をぉ!」
廃屋に挟まれた大通りは火の海となった。
密集陣形でなかったのが幸いだった。騎士とドワーフのうち、哀れにも直撃を受けて即死したのは十数名だろう。ただし、全体の三分の一ほどがすでに戦闘不能の重傷だ。
「こ、後退! 後退! 負傷者を連れて後退!」
「り、了解ぃ!」
顔をあげて惨状を確認したアルノギアが叫んだ。
「グルオォォォォ!」
巨大暗鬼は、胸元に開いた牙の並ぶ口をひろげ吠える。ズシ……と、重い足音を響かせ騎士たちを追い始めた。
歩きながら大木のような腕を振り回せば、廃屋の破片が撒き散らされ騎士たちの背中を打つ。
『暗鬼によって人間の軍が蹂躙される』
暗鬼や人間側の規模は違うが、この十年間だけでも幾度も繰り返された光景だった。
ただし。
少しだけ、いつもと違う点もある。
「急げ急げ!」
騎士とドワーフは大通りを百メートルほど後退する。そこには既に、バリケードが設置されていた。単純な作りではあるが、木材の骨組みに鉄板を貼り付けたドワーフ特製である。
事前に演習でもしていたようなスムーズさで、彼らはバリケード内に吸い込まれていく。
「うおらぁぁ!」
「もう少し、頑張って!」
「……よし、塞げ!」
それぞれ両肩に重傷者を担いだギリオンとリオリアが、最後にバリケードの隙間から飛び込む。その隙間も素早く盾車で塞がれた。
ラウリス内部への進撃の途中で、こうした準備を整えていたのだ。これも、アルノギアの作戦の一部である。
いつもと違うことの一つは、これ。暗鬼と戦う側に、十分な準備と覚悟が備わっていたことだ。
「負傷者は荷車で後方へ移送だ!」
バリケードの内側ではすぐに負傷者の応急手当や搬送の準備が始まった。その他動けるものは、小隊ごとに再集結し、次の指示に備える。
「くそったれが! あのデカブツ……どうしてくれよう……!」
「お、落ち着いてっ……みんな再編成を急いで! 終わり次第、第一中隊は左右に展開、ドワーフたちと機械弓の準備を!」
「さっさと弦を巻き上げるんじゃ!」
「痛い痛い!」
「大丈夫だ、すぐ癒し手のところまで連れてってやる!」
歯噛みして、巨大暗鬼を睨みつけるギリオン。アルノギアは青ざめながらも指示を出し、騎士団も戦闘の家の戦士たちも必死に動く。
「グルウオォォォ!」
巨大暗鬼の咆哮は、わずかだが遠くから聞こえた。
巨体と引き換えに、移動速度は低下しているのだろう。全力で後退した人間とドワーフに置き去りにされていた。
『アルウウァァァーーー!』
ドドドド!
拳の代わりとばかりに、三体の妖鬼が再び巨大魔術を行使した。豪雨のように降り注ぐ炎。爆発音と衝撃が騎士たちを揺らす。
しかし、今回の彼らは魔術攻撃に備えていた。盾にしたバリケードの鉄板は大きく揺れたものの、破られずに耐えた。左右の建物も、石造りの頑丈なものを選んでいる。
二回目の炎の雨は、人間とドワーフに直撃することはなかった。
「……よ、よし、大丈夫だ! このまま相手を引きつける!」
「了解!」
アルノギアの声にも力が篭った。
「やつが接近してくれば、左右から機械弓で脚を狙う。あの距離から魔術を撃たれても耐えられる……ふうぅ」
バリケードの陰でアルノギアは呟いた。ゆっくりした前進を再開した巨大暗鬼を観察しながらだ。
「機械弓は対岩鬼、対巨鬼用だけど……あれに効くの?」
「……分かりません。身体のつくり自体は、岩鬼とそう変わらないように思えますし……。それに特別製の矢もあります」
「そ、そうだねっ」
「おう、任せんかい! 戦斧郷、戦闘の家の名にかけて、こいつをブチ込んだるわ!」
ドワーフの射手が、銛に近いサイズの『矢』を片手に不敵に笑った。その鏃はギラギラと鈍く輝いていた。魔凝石を用いて鍛えた、大型暗鬼用の特別製である。
「後は、あのデカブツがのこのこやってくるまで耐えるんじゃぞ!」
ドワーフはバリケードから飛び出し、左右の路地に設置しておいた機械弓へ向かった。
巨大暗鬼がバリケードを破壊しようと接近したところで、左右から機械弓で脚を攻撃する。
それが、アルノギアの作戦であった。元々は、ラウリス市街で確認されていた岩鬼対策である。
「グルァァァァア!」
「くそっ! ノロノロしてんな! さっさと来いよ!」
「こっちの作戦に気づいている? まさか……」
カルバネラ騎士団とドワーフたちが築いた陣地まで、三十メートルほどに接近した巨大暗鬼は、そこで立ち止まっていた。
あと十五メートルも進めば、機械弓による狙撃が行える。
「あの暗鬼の魔術は、本陣からも見えているはず。時間を稼げばマルギルス殿がきてくれると思ったんですが……」
「アル!」
気弱げに呟いたアルノギアを、ギリオンが怒鳴りつけた。
「俺たちはカルバネラだぞ! いつまでも魔法使い殿に助けてもらうわけにいくか!」
「そうですけど、現実的には……!」
『ギギギギギギイイイイイ!』
二人の騎士団長候補が始めた言い合いは、初めて聞く『音』で遮られた。
「な、何だぁ!?」
「あの暗鬼ですかっ!?」
すぐにバリケードの貼り付いた二人、いや騎士とドワーフ全員が見た。
『ギギギギギギギギィィ!』
金属的な音の発生源はやはり巨大暗鬼だった。
三体の妖鬼は両手を高く挙げ、これまでの詠唱とは次元の違う異音を発している。その『音』に導かれた魔力が凝縮し、上空に巨大な炎の塊を生み出していた。騎士たちが避難したバリケードそのものを飲み込んで余りある大きさだ。……それはさらに、大きく、天を覆うほどに膨れ上がっていく。
「まずいよっ!」
「た、退避! 退避ぃ!」
巨大暗鬼が生み出そうとしている火球。
いつの時点で『作製』が終わり、いつ自分たちに向けて投げつけられるのか?
一秒後なのか、十秒後か?
誰もがその予感に怯え、後退しようとした瞬間。
「くっそがぁっ!!」
ただ一人、前に跳び出す者がいた。
巨体に全身鎧、盾に剣。――ギリオンだ。
「ギリオン兄ぃ! 危ない!」
「兄貴! 無茶だよ!」
「うるせぇぇぇ! 俺はカルバネラだぁぁぁぁ!」
ここで勇敢さを示すことが、騎士団長候補としてのアドバンテージになるとか。そういうことを考えている顔ではなかった。
「うおおおぉぉ!」
異世界だろうが、日本だろうが。
人は生きている限り、こうした選択をせざるを得ない場面に出逢う。
例えるなら、対岸が見えない断崖のようなものだ。その先に進めれば、『何か』を得られる『可能性』はある。だが落ちれば全てを失う。
この時、多くの人は後退るだろう。跳ぶのは、賭けるのは、もっと確実な場面で良い、と。
だが、極一部の人間は、跳ぶ。そうして跳んで、なおかつ運良く向こう岸へ着地できたものが、後の世に呼ばれるのだ。――勇者、と。
確かに、暗鬼が巨大火球の生成に集中しているこの瞬間であれば、そこまで辿り着いて攻撃できるかもしれない。攻撃できれば、暗鬼の集中を乱し火球の生成を止められるかもしれない。
レードやレイハといった、この世界の基準を越えた戦闘力と判断力を持つ者がこの場にいれば、そのように判断したかもしれない。
もちろん、ギリオン本人は別にそこまで考えていなかった。というよりも、何も考えていない。
とにかくギリオンは剣をかざし、巨大な火球を生み出そうとしている暗鬼に突撃していった。
誰が見てももちろん、無謀であり蛮勇だ。
「兄貴ぃ!」
「若に遅れるなぁ!」
「白き剣に勝利を!」
「やってやるわぁぁぁ!」
しかし人は時に、理屈を越えた感情に動かされる。
リオリアが、第二中隊の騎士たちが、ドワーフの戦士たちまでが、ギリオンに続いて駆け出していく。
繰り返すが、『対岸が見えない断崖』に跳び出すことができるのは、稀有な素質ではあるが、一般的にそれは無謀であり、待っているのは『死』だ。
いつもの暗鬼と戦いであれば、ギリオンのような素質を持つものが居たとしても、結局は破滅が待っている。
そう、いつもならば。
「はあっはあっ! も、もうちょっと待ってろ……待てつってんだろぉがぁ!」
全力疾走するギリオンの目に、自分を――自分たちを押しつぶさんとのしかかってくる炎が映り……。
ゴオオオオオオッ!
突撃をはじめた騎士たちを包み込むかと思えた火球は、見えない天蓋に遮られたように、視界を埋め尽くして広がっていった。
ギリオンたちには火の粉一粒、落ちてこない。
「ど、どうなってんだ?」
「遅くなって、すまない。ちょっと別のところで『巣』の相手しててな……」
呆然と周囲を見回すギリオンの目の前に、いつの間にか黒いローブの男が立っていた。
「被害も出てるし、今の突撃はちょっと無茶だったと思うが、まず一つだけ言うとすればだ――」
黒ローブの男。
そう。この日の、暗鬼との戦いにおいて、いつもと違っていたことのもう一つ。
大魔法使い、ジオ・マルギルスは、ギリオンたちに振り返り、ぎこちない微笑みを浮かべた。
「良く、頑張ったな」




