ラウリス奪還戦 その三 (三人称)
「急げ、急げ!」
「装備は全部捨てて良い! 走れぇぇぇ!」
整然と南下するレリス傭兵隊と、その後からあたふたと走るラウリス義勇兵の姿があった。
もちろん、義勇兵たちのさらに後からは、金色の目をギラつかせた漆黒の怪物ども――暗鬼の大群が迫っている。
「ギギィッ!」
「グガアッ!」
「ひ、ひぃぃ……!」
「くそおっ!」
気のせいか、これまで彼らが見てきた暗鬼よりも体格の良い小鬼や巨鬼。その咆哮に、ギラつく金の目に込められた憎悪は、あれほどの闘志と使命感に燃えていた義勇兵たちの心を侵食するほど強烈だった。
さらに、義勇兵たちの上空には巨大な翼で旋回する翼鬼の影もあった。偵察では、翼鬼はラウリス城を中心に三百体は存在するはずである。そのうち、いま義勇兵たちを襲っているのは、ペリーシュラの巨大魔術から生き残った数十体だろう。
そして、彼方に見えるラウリスの慈母の根本、ラウリス城からは黒い雲のような『本隊』が飛び立つのが見えた。
「キヒィィィ!」
「うわっ、うわぁぁぁー!」
「離せぇぇっ!?」
速度でいえば、飛行する翼鬼には敵わない。一体、二体と急降下してきた翼鬼の脚、その鉤爪に捕らえられ上空へ連れ去られる義勇兵も出てきた。
「……ファイヤアロー!」
「ギビャッ!?」
騎乗を許されていたクローラは、軍馬の鞍の上で身を捻り、上空へ火の矢を放った。初級の魔術であるが、成人男性に致命傷を与える威力はある。巨体ではあるものの非常に軽量である翼鬼はその一撃で墜落していく。が。
「キリがありませんわっ」
「とにかく、あそこまで急ぎましょう!」
「……ですわねっ」
同じく軍馬で並走するライル青年が叫び、クローラも唇を噛み締めて頷く。とはいえ、義勇兵たちを見捨て、前方を走る傭兵隊を踏み潰して駆けるわけにもいかない。可能な限り魔術で義勇兵たちを援護しながら、『あそこ』を目指すしかなかった。
『あそこ』。
囮部隊の面々が命がけで駆ける先には……巨大な土の壁があった。
土の壁。
人間どもを追い立てる暗鬼たち、この地方の古株には見覚えのない物体だろう。高さは五メートル程度だった。長さは、盆地の端を東西に分断するほど……差し渡し数キロはあろうかという長大さである。
「囮部隊、予定ラインを越えたぁ!」
「よし、援護射撃開始だ!」
土壁は幅も三メートル以上という堅牢さだった。
その上で待機していたのは、中央良民軍第二即応大隊の面々。平たくいえばリュウシュクの最精鋭である。
射手たちに号令したのは、布に包んだ『リュウシュクの槍』を手にするソラス。
土壁の上に一列に並んだ射手が強弓を引き、矢を放つ。熟練の射手たちはソラスの矢継ぎ早の指示に正確に反応し、一射ごとに射角をずらしながら暗鬼たちに矢の雨を降らしていった。
「俺はもう、頭がついてきてないぜ」
「安心しろ、自分もだ」
ソラスの左右を護るように立つ、細長いのと幅広いのの二人組。良民軍でも最強の兵士であるウォッドとダリーだ。
「この土壁、マルギルス殿が何かぶつぶつ言ったと思ったら勝手に盛り上がってきたんだぜ?」
「それをいうなら、自分たちみんなが透明になってここまで暗鬼に気付かれずに接近できたのがおかしい」
何年も暗鬼との最前線で戦ってきた二人の戦士が、そんな気の抜けた会話を交わしてしまうほどに、この戦いは異常であることは確かだ。
もちろん、ジオがぶつぶつ言ったのは『大地を変える』の呪文である。
「いやそもそも、『慈母』があんな風に復活するのがありえんだろ。この現代に神話みたいなことが……。ん! 二人とも真面目にやれ! もうレリス傭兵隊が到着するぞ!」
「り、了解っ! あ?」
「おわっ!?」
長剣と戦槌、それぞれの獲物を構え直した二人の兵士の前、つまり土壁の真下から飛び出してきた影があった。
軽やかに壁の上に着地したのは、露出度の高い革鎧に暗褐色の肌、紫の髪の美女。レイハである。その腕には気絶したレイティア王女が抱かれていた。
「なっ、ななっ!?」
「その方はレイティア王女!? 一体……」
「ご無礼」
レイハの常識はずれの運動能力と出現の仕方に、度肝を抜かれた男三人が目を剥くが。レイハは彼らをちらりと見て会釈しただけだった。即座に土壁の逆側へ飛び降り、駆け出していく。
良民軍の隊列を抜けた後方には、ジオやソダーンら同盟軍の中枢が陣取る急ごしらえの指揮所があるのだ。
「あ、あれは確かマルギルス殿の護衛? 密偵だったか?」
「ダークエルフか……俺たちは何回間抜け面をさらさにゃならんのだ?」
「慌てるな! まだ余裕はある!」
「負傷しているものは皆で運び上げろ!」
防壁に辿り着いたレリス傭兵隊が、第二即応大隊の面々の下ろした梯子を伝って土壁を越えていく。遅れていたラウリス義勇兵たちも、ようやく土壁にたどり着きそうな距離まで接近していた。
土壁からの的確な援護射撃により、無数の小鬼や巨鬼の追撃速度もわずかだが鈍っていた……。だが、やはり翼鬼どもを振り切ることはできなかった。
「キヒィィィィ!」
「ヒイィィアァァァ!」
「くそ、射て射て! 各個に翼鬼を落とせ!」
「た、助けてくれぇ!」
最初の数体が、土壁を登ろうとしていた傭兵の背中を鉤爪で斬り裂いていく。必死の射撃をあざ笑うように上空へ退避していく姿には余裕すらあった。
あと数分もあれば、ラウリス城から飛びだった二百近い『本隊』が到着するのが分かっているからだろう。
「私が、最後ですわ! 合図を!」
汗だくのクローラがライルとともに土の壁に立った。黄金の髪はさすがに乱れていたが、その気品と気迫は損なわれていない。残念ながら軍馬を引き上げる余裕はなく、止む無く土壁と平行に走らせているが。
「承知した!」
すでに土壁の向こうには、暗鬼しか存在しない。
ソラスの合図で、待機していた二名の兵士が第二即応大隊の軍旗を高く掲げ大きく振った。
「あ、旗が!」
土壁から百メートルほど後方に建てられた指揮所。二階くらいの高さの展望台に、見張りの声が響いた。
ソダーンを筆頭とした良民軍、諸都市軍の司令官や、ヘリドールら魔術師ギルドの重鎮、そして当然ジオが頷く。
「この状況なら……『あの』呪文かな」
「どうするんだ? やっぱり隕石落とすのか?」
遠見のレンズで、はらはらしながらレイハやクローラの後退を見守っていたジオは呟いた。額の汗を拭う。
「なんでもかんでも隕石隕石じゃあ、あんまり良くないんじゃないかな」
「何でだ? 一番効率的だろ」
やや退屈そうにジオの護衛を勤めていたセダムに、ジオは肩をすくめる。
「まあ、ワンパターンというかマンネリというか。……いや、とにかくあの状況なら他の呪文が適切だ」
そういい切ると、ジオは待機していた兵士……ケルー、サッコ、ライの新兵三人組に命じる。
「こっちも旗を振ってくれ。三回だ」
「りょ、了解っす、マルギルス様!」
新兵たちは真剣な表情で、豪華な旗を持ち上げた。
真紅の豪華な生地には、星と書物が刺繍されている。ジーテイアス城の紋章だ。その導星が、三度翻る。
『旗を三度振ったら引き続き土壁上から暗鬼を攻撃』。
その意味が正しく伝わり、土壁の上では兵士たちが翼鬼たちへの攻撃を再開する。
「丁度良いタイミングだったな」
兵士たちの動きを確認したジオは展望台の最前に立ち、呪文を唱え始める。
ソダーンや各都市軍の司令官たちは、興味津々という顔でその姿を見守った。
「ふん。ようやくペテン師の本性が拝めるというわけか」
「ウィラート師……まあもうすぐ分かると思いますが」
一方、ジオたちから離れた指揮所の隅で、ぶつぶつ言うのは白髪の老魔術師と金髪の美形中年魔術師だった。中年魔術師は魔術師ギルドレリス支部長ヘリドール。老魔術師の名はウィラート。リュウシュク魔術師ギルド前支部長である。
冷たい呟きからもわかるように、ウィラートはジオの『魔法』を頭から否定していた。
「貴様やペリーシュラの小娘は騙せたかも知れんが、ワシはそうはいかん。この魔具があれば、どんな小さな魔力でも感知できる」
「はいはい」
自信満々にウィラートが掲げるのは、水晶球のような魔具。自分で言うように、高性能な魔力感知道具なのだが。
彼の不幸は色々あるが、何と言っても『ジオが魔法を使った場面を一度も目にしたことがない』ことだろう。それが嫌というほどわかるだけに、ヘリドールも複雑な表情だった。
「この呪文により、風は暴風、暴風は天へ登る竜となり我が意のままに駆け巡る。気象操作」
「……確かに全く、魔力が働いておらん……。では奴は、伝説の神王器でも使っているというのか……?」
自慢の測定魔具を覗いていた老魔術師が、歯ぎしりして呟く。だがその表情はすぐに激変する。
ゴオオオオオオオオオオ!
土壁の向こう。
叫びながら走る暗鬼どもの目の前に、黒い風が舞った。
風は渦を巻き、太さを増し、高さを増し、たちまち天まで届く黒い柱に変わる。
乾季に空き地で見かけるような、風の悪戯とは次元が違う。触れるものを斬り裂き、一瞬で天空へ巻き上げる本物の竜巻だ。
「ギギャァァァ!」
「グオォォ!?」
竜巻は一箇所に突っ立ってはいなかった。意志を持つ魔物のように動き回り、大地を埋め尽くすような暗鬼たちを巻き込んで吹き飛ばしていく。当然。
「ヒギィィィ!?」
「シヒィィアァァ!?」
上空を我が物顔で飛行し、地上の人間たちに殺到しようとしていた翼鬼の『本隊』も逃れる術はない。驚くほどのスピードと正確さで集団を追尾する竜巻が、あっという間に翼鬼どもを細切れに引き裂き、大地へばらまいていった。
「……」
「……あ、あ……うぉぉ」
「マルギルス殿……何度見ても魔法とは凄まじい……」
指揮所の司令官たちだけでなく、待機していた兵士たちもみな唖然として空を、竜巻が暴れまわるのを見詰めるしかない。この場にたどり着き、慈母が復活しているのを見てから何度も繰り返された神話的光景に理解が追いついていないのかも知れない。
「…………馬鹿な……馬鹿な……馬鹿な……」
両膝をつき、うなだれる老魔術師をヘリドールは気の毒そうに見下ろしていた。
「上空を飛んでる集団には隕石はあまり効果ないしな。ドラゴンでも良かったんだが……」
意識の片隅に設置されたコントローラーで竜巻を制御しながら、ジオは呟く。その口元は少し歪んでいて、周囲の『英雄』を仰ぎ見る目とはいささか不釣り合いだった。
「どうした、何か気に入らないのか?」
「……いや。大丈夫だ」
ジオは首を振った。
『せっかくこの呪文を使うなら、かーみーかーぜーのーじゅつー! って言いたかったなぁ。どうせセディアじゃ元ネタわかるやつもいないんだし……』
などと考えていたが、それは彼一人の胸のうちのことだった。




