ラウリス奪還戦 その二 (三人称)
『ラウリス奪還戦』は始まっていた。少なくとも、人類――リュウス同盟軍にとっては。
赤竜の南端、山岳と平地の境目あたりだ。
まばらになった山々に囲まれた盆地に、『廃都ラウリス』は存在する。
盆地の中央のいびつな湖に沿うように広がる市街。湖の北岸に接する山の斜面に築かれたラウリス城。
ラウリス城の中央部を貫き、天へ伸びる巨木は……。
無限の魔力を生み出す、創造神から人類に与えられた最大の恩恵と呼ばれる『神聖樹』。そのうちの一本、『ラウリスの慈母』と呼ばれたそれは、半ば枯死し、幹と枝だけの姿だったはずだ。
「あ、あぁ……し、神聖樹……『ラウリスの慈母』が……」
「本当に……復活、している……なんて美しい……」
黄金の髪の王女と、黒髪の魔術師ギルド支部長が呟く。二人の目には感動の涙があった。
そう、『ラウリスの慈母』は蘇っていた。
幹や枝の傷は完全に回復し、緑の葉が城と市街を天蓋のように覆っている。幹や葉からは、時折何か輝く粒子が吹き上がり風に舞う。可視化するほど濃厚な魔力だ。
「……俺たちの慈母が……」
「こんな光景を父上たちにも見せたかった……」
「マルギルス様が本当にここまでしてくれたのか……マルギルス様こそ救い主だっ」
当然、王女に付き従うライル青年をはじめとするラウリス義勇兵たちも、感涙にむせんでいる。
彼らは全員、突如出現した暗鬼の軍団に襲われ、家も家族も奪われ難民として惨めな生活を強いられてきた十年間を過ごしてきた。同じ難民でも、ラウリス帰還を諦め、別都市や村の住民になった者も多い。
王女やライルを始めとする指導層の奮闘が無ければ、これだけの数の兵士が奪還のために集まることすらできなかっただろう。
その境遇から抜け出せる……その確かな実感が、彼らに全身が震えるほどの闘志を与えていた。
「……分かってはおりましたが……。こうして実際に見てみると、凄まじいですわね」
王女と支部長に並んで『慈母』を見詰めるクローラも呆然としている。もっとも彼女の場合、半分はジオの魔法の威力に対する感慨だ。
レイティア王女を旗頭とする、『同盟軍囮部隊』はラウリスから一キロほど離れた岩場に陣を張っていた。それだけ離れていても、慈母の威容は十分目に入るのである。
囮部隊の構成は、ラウリス義勇兵三十名、レリス傭兵隊二百名、リュウシュク支部魔術師六名、そしてクローラとレイハだ。
普通ならここまで接近する前に、偵察役の小鬼や移動範囲の広い翼鬼に発見され、襲撃を受けていただろう。
彼らは、ジオの呪文【上位透明化】によって暗鬼に発見されることなく移動していたのだ。大盾を並べ杭を打ち、周囲に転がる岩も利用して即席の防塁を築くことにも成功している。
現在は呪文の効果は切れている。しかし、遠目にラウリス市街を観察しても、たまにうろつく暗鬼たちは、まだこちらに気づいていないようだった。
だからこそ、防塁の陰から慈母を仰ぎ見る王女や義勇兵たちが感涙にむせぶ余裕もあるわけであるが。
「さあ……そろそろ、はじめましょう」
「はっ」
涙を拭ったレイティア王女がライルに声をかけた。ラウリス王家のかつての威光を示す、繊細な装飾の施された軽装鎧姿だ。背には、同じく優美な長弓に矢筒。さすがに、おっとりした美貌も引き締まっていた。
「注目!」
ライルが片手を上げると、義勇兵や傭兵たちが姿勢を正し、王女に視線を向けた。
「レリス傭兵隊の勇猛な戦士の皆様。そして、同朋たるラウリス市民の皆様。これより、私ども同盟軍囮部隊は、ラウリス奪還作戦の先触れとして暗鬼への攻撃を開始いたします」
王女の声は楽の音のように美しく響いた。長い防塁を護る兵士たち全員に届くほどに。幼い頃から育ての親に施された発声術が、初めて本当の意味で役に立っているのだ。
「ラウリス義勇兵の皆様には、特に申し上げておきます。この任務を完全に成し遂げることこそが、ラウリスのためにお集まりくださった皆様……大恩人たるマルギルス様への義務とお思いください」
「……くっ」
「ううっ……」
王女レイティアの言葉に、ラウリス義勇兵たちは真剣な顔で頷く。中には、改めて涙を浮かべる者すらいた。
不可能と思っていたラウリス奪還、そして帰還。何の義理もない『大魔法使い』がその先頭に立っていると聞いた時から、ラウリスの難民はジオに絶大な恩義を感じていた。そしていま、現実に故郷を目前にし、しかも故郷の象徴である慈母も復活している。
これで、彼らの心が滾らないわけがない。
「任務において重要なのは、どれだけの暗鬼どもを引きつけられるか、です。ここに宣言いたしますが――万一、私より先に後退した者がいれば、私に背中から射たれるとお思いください」
「おおっ!」
「レイティア王女のために! ラウリスのために!」
峻烈極まりない王女の言葉。しかしそれは、ラウリス義勇兵たちを心の底からの鼓舞していた。
「攻撃……開始!」
王女の号令が響く。待ちかねたように、義勇兵やレリス傭兵たちが構えた弓から多数の矢が放たれた。
とはいえ、防塁からラウリス市街までは弓矢の射程距離ではない。第一次攻撃のメインは……。
「六連式共晶術! 準備!」
「了解!」
魔術師ギルドリュウシュク支部長ペリーシュラと、その高弟五人だ。
黒髪に眼鏡の支部長を中心に魔術師たちが杖を掲げる。虹色の光線が六本の杖を繋ぎ、空中に巨大な魔術文字を描いた。
「共晶術ギガファイヤーアロー!」
ジオが聞けば、恐らく何か失礼な感想を持ったであろう術名。だがその威力は確かだった。民家ほどの大きさの火炎球を生み出し、ラウリス市街へ着弾させている。
「ギャウッ!?」
「グギィ!?」
市街の端を歩いていた不運な小鬼が数体、火球の直撃を受けて焼き尽くされた。容赦なく拡散した火炎は、周囲の小鬼や家屋を燃え上がらせていく。威力そのものはジオの【火球】に遠く及ばないが、攻撃範囲は相当なものだった。
「ギギィィ!」
「キシャァァ!」
さすがに暗鬼たちも、市街から離れた場所に築かれた防塁と、そこに人間たちが陣取っていることに気付いた。
そうなれば、そこは暗鬼。
後先のことなど何も考えず、絶叫を上げて駆け出していく。もちろん、人間たちに向かって、だ。
「来たぞぉ! 狙えぇ――射てっ!」
市街のあちこちから出現し、三匹、五匹と少グループに分かれて突撃してくる小鬼たち。まず射掛けたのはレリス傭兵隊だった。
傭兵隊長フーリの命令一下、見事な斉射を見せる。
「ギッ!?」
「グギィィッ」
ほぼ一直線上に降り注いだ矢の何本かが、小鬼を射抜いていく。
集団戦において、弓矢による攻撃の要点は、一本一本の矢の命中率などではない。指揮官が指定する範囲にどれだけの数の矢を降らせるかだ。
フーリは傭兵隊の装備する長弓の射程距離と傭兵たちの技量を正確に把握し、『暗鬼がこのあたりに到達したら射つ』というラインを設定していたのだ。傭兵の射手たちは命令を忠実に実行し、フーリが指定した地点へ矢を放ち続ける。
ラウリス義勇兵たちも、傭兵たちほどの統率はないものの水準以上の技量で矢を放っている。
「これは……。お見事ですわね」
「人は見かけによらないわ」
クローラとペリーシュラが称賛の視線を向けたのは、優美な弓を構えたレイティア王女だった。たおやかな外見に似合わぬ王女の強弓は、突進してくる小鬼の胸や額を正確に射抜いていた。
これも、難民キャンプで王女が受けた訓練の成果である。
「素晴らしい技量、覚悟ですわ。……お二人とも」
クローラはセディア世界において、魔術師としても貴族としても間違いなく上位に位置している。だが、ペリーシュラとレイティアは、(リュウス地域に限るとはいえ)それぞれの分野の本当の頂点だ。
最近、ジーテイアス城内での自分の役割について不安を感じていたクローラは、軽く唇を噛む。
ほとんど生まれて初めて、同性に対し嫉妬という感情を覚えたクローラ。その耳に、男たちの雄叫びが響いた。
「王女に負けるな!」
「ラウリスの誇りを見せろ!」
王女が奮戦すれば、男どもの士気も上がる。
「暗鬼に滅びを!」
「喰らいやがれ!」
防塁に到達し、這い上がろうとする小鬼を傭兵と義勇兵たちは槍で突き、剣でなぎ払う。
「暗鬼どもが無秩序なのはいつものこと。でもここまでまとまりがないのは、初めてね」
「……そうですわね」
防塁からやや後退し戦局を見守っていたペリーシュラが、クローラにささやく。
先ほどからラウリス市街から飛び出し防塁へ向かってくるのは、単独か少数の小鬼のグループばかりだった。
この戦いの場面だけを考えれば好都合であるが、それでは『暗鬼の本隊をラウリスから誘い出す』という囮部隊の任務を果たせない。
二人にふと生じた不安はしかし、傭兵隊の見張り兵の声で霧散した。
「上空に翼鬼多数きたぞぉ! それに市街から巨鬼と……岩鬼だぁ!」
「でましたね」
「はっ」
防塁の背後に設置された踏み台に立ち、王女は呟いた。視線の先には、市街の陰から現れた数体の巨鬼と、その倍はあろうかという岩鬼。巨鬼はそれぞれ、数十体の小鬼を従えている。岩鬼の巨躯の後ろからは、さらに多数の小鬼や巨鬼が続いているようだ。
そして、空には三角の皮膜を広げ、宙を舞う翼鬼の影。数える気にもならない数だ。
「共晶術スプレッドファイヤアロー!」
背後からペリーシュラの声が響き、無数の炎の矢が上空へ駆け上がった。
「ギャァァッ!?」
「シュギィィ!?」
魔術の炎は次々に翼鬼を貫き、火炎で包む。
飛行能力と引き換えに耐久性は低いのだろう、攻撃を受けた翼鬼は悲鳴を上げて墜落していく。それでも、まだ多数の黒い影は頭上を舞っている。
「ここまでですね。……隊長殿! ペリーシュラ師! クローラ殿! 後退を!」
「おう!」
王女の合図に傭兵隊長は頷き、傭兵たちに撤退の合図を出した。
囮部隊の火力の中心である共晶術は、一日に何度も使えない。この任務においては、ペリーシュラが二度共晶術を使用したら、即座に部隊全てが後退する計画になっていた。
だが義勇兵たちは新たな矢をつがえ、槍を構えて後退の準備をはじめない。
「何をなさっているの? 早く後退を!」
巨鬼の眼球を射抜き、徐々に接近する岩鬼へ新たな矢をつがえた王女にクローラが詰め寄った。
「申し訳ございません。これは、私たちラウリスの民の意思なのです」
「……何ですって!?」
王女はおっとりと目尻の下がった目を細め、決然と言い放った。隣ではライルが涙ぐみながら頷いている。
「私たちは、あまりにも多くの恩恵をマルギルス様から、リュウスの皆様からいただき過ぎています。ですから、私たちはラウリスの民として、この奪還作戦において最も多大な犠牲を払わねばならないのです」
「こうでもせねば、私たちはマルギルス様に顔向けできないのです。それに現実的に……『何の犠牲も出さずにラウリスを奪還してもらいました』というのでは、奪還後の外交にどれほどの悪影響が出るか」
王女の言葉をライルが補足する。
ラウリス奪還の戦いにおいて、ラウリス難民はリュウスの他勢力に多大な『借り』を作ることになる。その返済を、今のうちにできる限りしておこうというのだ。
ジオに恩義を返したいのも彼らの本心であったろう。だがそれ以上に、現実的な問題への対策として、彼らはラウリス奪回の『尊い犠牲』になることを選んでいたのだ。
「……王家の末裔というから、甘えん坊のお嬢様かと思っていたけれど……見直したわ」
「無能な王家でも、責任だけは果たしたく思っております」
クローラに遅れて王女の前に立ったペリーシュラは、感銘を受けていた。防塁に手をかけた巨鬼の顔面にファイヤアローを叩き込むと、くるりと振り向く。
「後退する!」
「さあ、クローラ様もお早く。ラウリスの後のことは、私の妹やライルのお仲間に頼んでありますので……」
「愚かなことを! 貴方たちがここで生き残ろうが、全滅しようが大勢には全く影響ありませんことよ!? そのような無駄死にを……マルギルスは決して喜びませんわ!」
一方、クローラは柳眉をキリキリと逆立てて激怒していた。王女の肩を掴んで揺さぶるが、王女もまた眦を吊り上げた。
「こうでも! しなければ! 後々でラウリスがどれほど過酷な取り立てを受けることか! 『王女すら武器を手にとり戦死するまで戦った』という『犠牲』が、ラウリスには必要なのです!」
「そんなことのないようにするのが、外交でしょうに! それにレリスもマルギルスも決してラウリスを見捨てませんわ!」
「そんな保証がどこにあるのですか! マルギルス様が王家に婿入り……何なら私を妾にでもしてくだされば良かったのに!」
リュウス同盟でもトップに近いであろう美女二人が、鼻をぶつけるほど顔を近づけて口論する姿は、稀有な光景だったろう。
とはいえ、今は戦闘中だ。
「ギギギィ!」
「ぐはっ!?」
「グオォォォー!」
小鬼や巨鬼の叫びは彼女たちのすぐ足元から響き、岩鬼の巨体ももうすぐそこまで迫っている。
事前にラウリス側から話はしてあったのだろう、傭兵たちは申し訳無さそうな顔をしながらも、すばやく後退している。ラウリス義勇兵たちはもちろん、決意に満ちた顔で最期まで戦う覚悟を示していた。
「……ふう」
クローラは重々しく頷いた。その手には、大魔法使いの杖が握られている。この任務で使用する予定はないが、万一のためにとジオが彼女に持たせたのだ。
「そこまでのお覚悟、見事としか言いようがございませんわ。いくら言葉を重ねようと、貴方の決意を覆すことは不可能なようですわね」
「あ、ありがとうございます。マルギルス様には、どうぞよしな……へぶっ!?」
王女は礼の言葉を最後まで口にすることはできなかった。
いきなりクローラがブン回した大魔法使いの杖が、その頭部を直撃したからだ。
「レイハ!」
「はっ」
兜をふっ飛ばされ、頭から血を噴き出して倒れ込む王女の身体を、影に潜んでいたレイハがキャッチした。
そのまま後方……同盟軍本隊の方向へ軽やかに走り出す。
「な、え? レ、レイティア様ぁ!?」
平然とした顔で大魔法使いの杖を肩に担ぐクローラと、どこからか現れたダークエルフに連れ去られた王女。
想像を越えた光景に、ライルやラウリス義勇兵たちは目を白黒させる。
「言葉が通じないなら、こうする他ありませんわね」
大魔法使いの杖で肩を叩きながらクローラが平然と言った。その杖はくるりと旋回し、あと数歩で防塁に辿り着くであろう岩鬼へ向けられる。
「……稲妻!」
「グギャアァァァァ!?」
杖から発射された稲妻が、岩鬼の巨体を木っ端微塵に吹き飛ばした。かつてジオが作成したマジックアイテムである大魔法使いの杖は、三~五レベルの呪文を充填し、セディアの魔術師でも使用できるようにしてくれる。
はっきりいえば、この杖一本でもセディア最強を名乗って良いくらいの代物だ。
「うわぁぁ!?」
「あれがマルギルス様の杖の威力かっ」
「岩鬼が一発で……って……すごすぎるっ」
青白い雷光に薙ぎ払われ爆散した岩鬼や無数の小鬼。その光景に度肝を抜かれた義勇兵たちを、さらに別の雷が撃つ。クローラの鋭い怒声だ。
「今のは、同盟軍の盟主たるマルギルスの怒りと思いなさいませ! この上、作戦に背くのであれば私が盟主に代わりぶち殺しますわよ!? ……全軍、後退!」
危険が迫ればまず撤退。
交渉も脅迫も通じなければ最後は暴力。
貴族でも魔術師でもない、冒険者としての経験が、クローラにベストの対応を選ばせていた。
【稲妻】の威力とクローラの言動に、燃え盛る闘志と使命感を完全にへし折られた義勇兵たちが、彼女に従い後退したのは言うまでもない。




