ラウリス奪還戦 その一 (三人称)
出陣式から数日後。
リュウス湖の北岸、領都シルバス郊外。
『リュウス同盟軍』が集結していた。兵士・騎士・傭兵・戦族・ドワーフ・義勇兵が約二千。食料や燃料を運ぶ輸送部隊や治療師、従軍神官、商人なども含めれば三千に達する集団である。
『喪失戦争』以来、十年ぶりの光景であった。
廃都ラウリスに最も近い都市であるシルバスで合流した彼らは、隊列を整え行軍を始めていた。
これだけの人数、しかも十数の集団からなる部隊であるから、目的地へ向かって歩くというだけで大変な苦労がある。
動き始める順番は? 隊列とルートは? 偵察はどの部隊が担当するか? 偵察結果の伝達方法は? 休憩はいつか?
遠征に慣れた良民軍の精鋭、特に情報伝達と統率に優れた熟練士官たちが同盟軍全体の神経となって働いていなければ、大きな問題が起きていただろう。
「先行した部隊からの報告では、予定の行軍ルート上に暗鬼や魔獣の姿はなかったようです」
長い長い軍列の中央部。
軍馬に跨った一部隊がいた。同盟軍総指揮官ソダーンとその部下たちである。
部隊の中でも抜きん出て精悍な軍馬を操るソダーンに、偵察部隊からの報告が届いていた。報告を上げたのは、ソダーンの隣を進むソラスだ。
「うむ。……この分でいけば一日目は予定通りの距離を進めそうだな」
ソダーンは深い皺の刻まれた顔を少しも緩めずに呟く。剣や槍の他に、鋼鉄の杖も馬の鞍に固定されている。
「それにしても壮観です」
第二即応大隊の指揮官であり、ソダーンに残された唯一の実子でもあるソラスはしみじみと呟いた。視線の先は、(まあまあ)整然と行軍する、装備も出自も様々な混成軍団だ。
『喪失戦争』ではまだ実戦に出ていなかった彼は、こんな軍団を見たことはなかった。
「もう一度、見られるとはな」
ソダーンにとっては二度目の光景だ。しかし、一度目に見たのは、リュウスに迫る暗鬼の軍団を迎撃するため、つまりただ生き延びるための軍団だった。それを卑下するつもりは、もちろんない。ないが。
「しかし、あの時とは全く意味が違う」
「そうなのですか?」
「出陣式でマルギルス殿がおっしゃっていただろう?」
実直な顔で聞き返す息子を見て、ソダーンは内心『これからはもう少し政治向きの話もしてやらねばな』と思った。
「これは、防衛ではなく攻撃だということだ。人間が初めて、暗鬼を倒すために連合した。彼の言う通り、成功すればこの戦いは歴史に残る」
「おお……」
ソダーンは『もっとも失敗しても残ることは残るだろう』とは口にしなかった。
息子には言えない本音はまだある。
『私が十年かけてできなかったことを、マルギルス殿は一年足らずで成し遂げた、か』。
ソダーンの人生は、前半はリュウス王国からの独立を目指し始まった内乱、後半はリュウス同盟を守るための暗鬼との戦いだった。もう五十年近く、戦場で剣を振るってきた。三人いた息子を二人戦いの中で失ってもいる。
それもこれも、リュウス王国の圧政に立ち向かった父が残した、『お前がリュウスの民を護るのだ』という遺言を護るためだった。
必死に良民軍を鍛え、リュウシュクを中心とした防衛網を構築することはできた。だが、そうやって得た一時の安定が、『大人しく廃都に篭っている暗鬼をわざわざ攻撃する必要はない』という消極論の根拠となってしまうとは皮肉だった。
十五年前、カルバネラ騎士団が単独で無謀な作戦(アンデッドに飲み込まれた要塞を奪還するという、例のアレ)を敢行し壊滅的な被害を受けてから、その雰囲気はより強くなっていた。
ラウリス奪還を本当に望んでいるのはもはや難民たちだけなのだ……誰もがそう思っていたはずなのに。
『マルギルス殿はなぜ、こんなことができると思えたのだ? リュウスの都市はともかく、戦族や東方の蛮族、ダークエルフにドワーフまでも従えて……。確かに彼の魔法とやらは神話のような力だが。私があの力を持っていたとして、彼のように振る舞えただろうか……』
ソダーンは軍馬に揺られながら、片膝をさすった。巨鬼の棍棒で足元を薙ぎ払われ死にかけたが、この痛む膝を代償に命を拾ったのだ。
「素晴らしい。父上……いえ、司令官のこれまでの尽力の賜物ですね」
「なに?」
物憂げに黙り込んでいたソダーンに、ソラスは言った。ソダーンは眉をしかめ息子を見る。ソラスの表情は誇らしげだった。
「父上や先輩方が今日までリュウス同盟を守ってきたからこそ、今のこの光景があります。我々良民軍兵士はみな、誇りに思っていますよ」
「……」
ソダーンは前方を睨んだ。
遠くに、異形の鎧の戦族たちが、古風な鎧のカルバネラ騎士団に続いて行軍しているのが見える。
ソラスの目に、社交辞令や慰めの色はなかった。同じ光景を見ている息子の、自分とは真逆の感想について父親は考える。
「つまり、私は過去しか見ていなかったということか」
「は?」
ソラスは、未来を見ていた。それは単なる願望ではなく、過去、現在と続く流れの、その先なのだろう。
過去とは、未来の一部である。ソラスはそれを直感で知っていたのだろう。
「もしかすると、マルギルス殿もかな」
「なんでしょうか、司令官?」
真顔で首を傾げるソラスに、ソダーンは再び視線を向けた。今度は、じろり、と。
「偵察隊に指示を。念の為、野営予定地点の周辺も索敵せよと。貴様たち第二即応大隊も先行し、安全を確保せよ。……我らが模範とならねばすぐに士気は緩む。きびきび動けよ」
「はっ!」
ソラスは見事な敬礼を残し、軍馬を駆けさせた。
ソラスの軍馬の鞍には、厳重な封印を施した長槍が固定されている。『ラウリスの杖』『シルバスの盾』に並ぶリュウスの秘宝『リュウシュクの槍』だ。
「本当にあいつに持たせて良いものかと、少し悩んでいたが……」
自分の曇った目には見えないものを見ていた息子の背中。それを見送りながらソダーンは少しだけ口元を緩めた。
「しかし、未来か」
見事な白髭に覆われた口元は、すぐに引き締まった。この戦いの先に目を向けた時、やはり息子よりも多くのものを見ることができたからだ。
「リュウス同盟が真の意味で団結したとき。北方の王国、西方の王国が果たして黙っているだろうか?」
凄まじい経済効果を生み出すであろう、『ラウリスの慈母』が復活したということもある。
リュウスの北と西に広がる二つの大国が、どんな介入をしてくるか……。
「まだまだ、若い者に任せておけん」
ソダーンは痛む膝に軽く拳を打ち付けた。
長い長い軍列の後方には、無数の荷馬車が続いていた。山程の食料や燃料を積んでいる。
三千人が十日過ごせるだけの物資だ。リュウス中の都市や勢力からの資金提供がなければ、とてもこれだけの準備はできない。もし、ラウリス奪還戦が長引けば、さらに追加する必要もある。
この長丁場に備えて、同盟軍は商人たちの同行も認めていた。軍用以外の、嗜好品や日用品を兵士たちが個人的に購入できるようにしているのだ。
名のある交易商人が派遣した荷馬車数台の隊商もあれば、単身荷物を担いで参加する行商人の姿もある。
「へい、ソレール市名物の干しブドウだよ。精がつくぜ」
「ああ。すまんな」
中年の商人が、戦族の戦士と取引を成立させたようだった。
隊列を離れた戦族が、甘味の幟を立てた荷馬車に気づいて声をかけてきたのだ。
商人は荷馬車に並んで歩きながら、器用に注文に応じている。
「驚きましたねえ。あの戦族まで一緒になってラウリス奪還を始めるとは……」
「まあな」
急ぎ足で軍列へ戻る戦族の戦士を見送りながら、下男が商人に声をかけた。商人は、温厚そうな顔をわずかに顰めて、前方を睨む。
「マルギルスってやつが何を考えているか、今ひとつ分からん」
「リュウスの王様になりたいんじゃないですかねぇ?」
下男の分析に、商人は曖昧にうなずく。そういう見方をしている人間はかなり存在していた。
「俺にはそれだけとは思えないんだ。……うちの大将も迷ってるらしい」
「大将が? そりゃあ」
下男は絶句した。
『大将』とは実は、北方の王国の宰相、マルール・ミニス・エンティスのことである。商人の正体は宰相マルールの密偵だった。
彼は以前、マルギルスがフィルサンドで暗鬼の軍団を壊滅させたことをマルールに知らせていた。
宰相マルールは、無数の権力者が醜い権力闘争を繰り広げる北方の王国においても、『猛毒』と呼ばれ恐れられている。そのマルールをして、『諸侯会議や悪徳公への対処など後回しで良い』と言わしめた最重要監視対象が、マルギルスなのである。
「フランド伯爵も盛んに接触しようとしているらしいですしねえ」
「西方の連中もだ。この戦いがどうなるにせよ……この先セディアは――」
熟練の密偵は、傾きかけた日を見上げた。うっすらと、黒い雲がかかりはじめている。
「――荒れるぞ」




