突入
9レベル呪文【亜空間移動】。
自分を含む最大7名の身体を亜空間へ移動させる呪文だ。亜空間にいる間は物質界からの全ての影響を遮断できる。物質界からは知覚も攻撃もできないので防御面では完壁だ。さらに、亜空間での移動は物質界の障害物を全て素通りできる。6時間の持続時間の間なら何度でも亜空間と物質界を行き来できるが、その場合は必ず術者から3メートル以内にいなければならない。
と、つまり隠密行動には最適過ぎる呪文だ。
「まさに万能だな……」
「ま、魔法使い殿……あなたは神なのですか?」
ギリオンとグンナーが顔色を青ざめさせながら言った。
「冬の守護神アシュギネアの御使いでは?」
そこのリオリアさん、跪かないで。
「……っ。か、神ではないさ」
神扱いにはさすがに焦る。確かに『D&B』では神になるためのクエストに挑戦できるレベルではある。そんなことを言うわけにいかないし、彼らの表情からして一言ではとても納得できないようだ。
「とにかく……神とは面識もないし興味もない。私の魔法が神の力に見えるとしたら……それは諸君の信仰心が強すぎるせいだろう」
もう何を言っているのか自分でも分からない。どういうわけか感銘を受けている騎士3人の背後で、セダムとクローラがじっとりした視線を向けてくるのがむしろ救いだった。
実際、神とは程遠い。呪文の力は確かに強力だが、『D&B』の魔法使いには弱点が山ほどある。その一つが、呪文を『準備』できる数に限度があることだ。例えば、今日のために私が準備してきた中で、9レベル呪文がどうなっているかというと。
【呪文名】 使用可能回数/準備数
【隕 石】 2/2
【完全治療】 1/1
【時間停止】 1/1
【全種怪物創造】 1/1
【死を撒く言葉】 1/1
【混沌の障壁】 1/1
【亜空間移動】 0/1
【無 敵】 0/1
このようになる。
『準備数』の最大は魔法使いのレベルに応じて増加し、私の場合は各レベル9回だ。そして使用回数が0になっている呪文は今日はもう使えない(【無 敵】も砦を出発する前に使った)。もちろん、8レベル以下の呪文もしっかり厳選してそれぞれ9回分ずつ準備している。
贅沢を言えば【完全治療】をあと1回くらい用意したかったし、応用範囲の広い【変 身】も準備したかった。……このあたりがつまり、『D&B』の魔法使いの限界なのである。
「では諸君。進もうか」
呪文の効果時間だって無限ではないのだ。
セダムを先頭に谷底を歩く。
谷は意外と複雑で奥深く、いくつかの枝道があった。分かれ道にあたるたびにセダムが周囲を調べ、暗鬼の軍団が行軍してきた痕跡を見つけてくれる。岩や瓦礫で多少歩きにくくても、亜空間にいる間は障害物にはならない。お陰で、2時間ほど歩いたところで無事に暗鬼の拠点を発見できた。
「岩鬼がいるぞ……」
「それよりあれは何ですの?」
谷間の最奥部だった。断崖に囲まれた、野球のグラウンドほどの広場には、象くらい……4・5メートルはある巨体の岩鬼が一体、そのまわりに小鬼が数十体いた。どうも、岩鬼に食事をさせているようで小鬼たちは猪のような生き物を数匹運んでいた。もちろん、亜空間にいる我々には気付いていない。それより、私もクローラと同じで断崖に設置された巨大な門が気になった。高さ10メートルはあるだろうか? あのサイズなら岩鬼も悠々通れるだろう。
「何って、門だろ」
「だから、何で門があるんだってことだよっ」
「あれは暗鬼たちが作ったものでしょうな」
兄妹漫才に対してグンナーが説明する。セダムも同意しているから、そうなんだろう。確かに、構造自体はシンプルだが前衛芸術みたいな紋様や装飾が不気味だ。
「しかし、暗鬼の巣が『発生』したのはごく最近のことだったのでは? あんなものを造り上げる暇はないと思う……が?」
「どう見ても、2、3日で造ったものじゃないだろう。……10年前か……その前だろ」
確か、この地域で最後に暗鬼の巣が発見されたのが10年前だ。その前ということは、150年前の暗鬼との戦争のことか。
「まぁ何でもいーや。とありあえず、あの岩鬼をぶっ殺して門の奥に突撃すれば良いんだろ?」
「その通りだが、それは私に任せてもらう」
「……分かってるよ」
おぉ、勝手に突撃していくかと思ったが、ギリオンも少しは成長してくれたのか?
「突撃の前に、あの門の奥を調べておこう」
一本のスクロールを取り出しながら私は言った。クローラが興味を露にして覗き込んでくる。
「あら、魔法にもスクロールがあるんですの? ……て、白紙じゃありませんこと?」
「今は白紙だが。……まぁ見ていてくれ」
白紙のスクロールを地面に広げると。
「あ、何か浮きあがってくるっ」
「……これは、地図ですかな?」
そう、これはマッピングスクロールというマジックアイテムだ。普段は白紙だが、一度広げると自動的に付近にあるダンジョンの地図が描かれる。
『ダンジョンズ&ブレイブズ』というタイトルからすると、ダンジョン探索というゲームのキモを台無しにするようなアイテムではある。しかし、30レベル以上のダンジョンは大抵、異次元にあったり魔法を通さない鉛の壁で覆われていたりして、マッピングスクロールは通用しない。逆に、『普通の洞窟や廃城を探索するのにいちいち時間をかけていらねー』という高レベルキャラクター御用達のアイテムなのだ。
「門の向こうはやはり地下通路か」
完成した地図をしげしげと眺めながらセダムが分析する。
「巣が岩鬼も生み出しているなら、それだけの広さがある地下通路を進めばたどり着けるわけだが……ここだな」
彼が指差したのは、地図の一番端、つまり地下深くに位置する大広間だった。確かに一番太い通路が門まで繋がっている。
「枝道や小部屋も多数あるようですわね。抜け道は……」
「どれも、岩鬼はおろか巨鬼も通れなさそうな細い道しかないな」
これが分かったのは幸運だったな。もし、広い抜け道が何本もあるようなら、先にそちらを塞がなければいけなかった。
「では、ここから突入するとしよう」
亜空間にいるのだから門なんか関係ない……わけではなく、視界の効かない岩の中を長時間進むとはぐれてしまうし方向感覚を失ってしまうのだ。目的にたどり着けなければ意味がない。
「呪文を使うためには一度物質界に戻る必要がある。その間、護衛を頼む」
「お? おおっ! 任せておけ魔法使い殿っ!」
「あたしがお護りしますっ」
兄妹は途端に喜色を浮かべ、セダムたちも私を中心に円陣を組んでくれた。
「私にはウィンドウォールという防御魔術がありますわ。少しの間なら岩鬼の攻撃も防げるはず」
長い杖を構えたクローラが横に立ち囁く。魔術は攻撃用という話だったが……つまり、広い意味で『戦闘用』ということなのだろう。
「では、物質界に移行する」
もちろん広場のど真ん中ではない。入り口付近の岩陰で物質界に私たちの身体を戻した。途端に、これまでシャットアウトされていた暗鬼たちから発する腐臭が鼻をついた。
腐臭が気になるが、肩に氷の矢を撃ち込まれたときよりはましだ。私は即座に『内界』の自分を6階層まで下ろす。
「この呪文により9メートル四方、合計32レベルまでの生物に死を与える。【死の凝視】」
「「……」」
呪文が終わっても、岩鬼が猪を両手で掴み腹部を食いちぎる光景に劇的な変化はなかった。騎士たちが固唾をのむ雰囲気が伝わる。
1秒ほどの間をおいて。
「グア……」
岩鬼の全身が一気に脱力し猪を取り落とす。そのまま膝をつき、スローモーションのように地面にぶっ倒れた。良く見れば周囲の小鬼たちもばたばたと倒れていく。
「!?」
「ギャアッ!」
「ギルルッ! ギウッ!」
岩鬼は倒れ伏したままぴくりともしない。死の凝視は合計32レベル以下の生物は問答無用で殺す呪文だ。『D&B』のゲームシステムでは、標的が魔法への抵抗判定に成功すればまったく効果がないので少し心配だったが、上手くいった。
「あ、あれで死んだのか……?」
「岩鬼を一睨みで……」
睨んで殺したわけではないのだが、いちいち説明している暇はない。突然の事態に慌てふためいていた小鬼たちが、こちらに気付いたようだ。
「ギャアッ! ガアアッ!」
「ギャウウゥゥ!」
剣や槍を振りかざし、突進してくる小鬼たち。背筋が凍るような殺意と憎悪の目はやはりおぞましい。
次の呪文の詠唱にはいった私の背後で、『ビシッ』という弓鳴りが聞こえた。セダムが矢を放ったのだ。
「グガッ!?」
先頭の小鬼の胸に矢が突き立ち、そいつはひっくり返る。
「ファイヤフェザー!」
さらにクローラの杖から炎でできた羽が数十枚発射され、次々に小鬼に突き刺さっていく。
「よっしゃぁこいやぁー!」
「魔法使い殿には指一本触れさせないっ!」
カルバネラ兄妹とグンナー副長も盾をかまえ私の盾となってくれる。が、彼らに小鬼たちが接触するまえに呪文が完成した。
「この呪文により、合計36レベルまでの死者をゾンビとして意のままに操る。【死体操り】」
倒れていた岩鬼(と数体の小鬼)が、私の呪文によって偽りの命を吹き込まれ、ゾンビとなって立ち上がったからだ。
「グルォォォォ……」
【死の凝視】は外傷を与える呪文ではないので、それで死んだ岩鬼たちが立ち上がっても一見おかしなところはない。
だが、彼の巨大な手足が振り回されるたびに景気良く吹き飛ぶのは、私たちを攻撃しようとしていた小鬼だった。
「ギャアッ! グギャッ!」
「グオォォッ!」
ゾンビと化した岩鬼、小鬼対残り数十体の小鬼という地獄のような光景が、目の前で繰り広げられた。
突然発狂した仲間より人間を殺すのが優先なのか、小鬼たちはしきりにこちらへ突進をしかけてくる。それを岩鬼が蹴り飛ばしなぎ倒し、ガードを潜り抜けたものにはセダムが矢を放ち倒す。
数分後には、正気(?)の暗鬼は全滅していた。ゾンビになった小鬼も共倒れだったが、岩鬼ゾンビは健在だ。
「この呪文により対象一体を塵となるまで打ち砕く。【破 壊】」
続けて使った呪文により、威容を誇っていた巨大な石造の門が、轟音とともに粉砕され塵と化していく。異空間からなら通行に問題はないのだが、せっかく作った岩鬼ゾンビは有効活用したい。
「いけ。中にいる暗鬼を全て殺せ」
「グルゥゥ……」
私の命令を受け、岩鬼ゾンビは鈍重な足取りで破壊された門の奥、洞窟の奥へ突入していった。
騎士たちは、もはや言葉もなく口を開けっぱなしだ。
……あ。
別に門を破壊しなくても、岩鬼ゾンビに開けさせれば良かったのではないか?
「んんっ」
セダムとクローラの何か言いたげな視線を誤魔化すように咳払いをする。
「では、突入しよう」
なるべく自信たっぷりに見えるよう祈りながら、私は言った。