野豚男爵の最期
シルバスの『継承式』から数日経った。が、私はいまだにシルバスに留まっている。
悪党を倒してめでたしめでたし――では終われないのが現実というものだ。
滞在場所は、高級宿から男爵の屋敷に移っている。私は上品に装飾された『新男爵』の執務室で彼女たちからの報告を聞いていた。
「暫定ですが、騎士団の再編成は終わりました。ロバルドと共に犯罪を重ねていた騎士は、全て強制労働の刑としております」
「不正に手を染めていた役人や商人たちへの、処分の言い渡しは近日中に……」
「なるほど」
ふくよかで母性を感じさせる『女男爵』と、宰相ヨルスの手際は確かに見事だった。継承式直後から、混乱しきったシルバス全体を統率し治安を回復させている。
彼女たちも、ロバルドの目から隠れつつ、いざという時のために独自の準備を整えていたのだ。まともな下級騎士や役人と密かに連絡をとっていたのだという。
強者の目を欺きながら周到に反撃のチャンスを狙うというやり方は、確かにシルバス前男爵と似ているな。
……とはいえ、女男爵殿の方は前男爵のことを愚弟として完全に見限っていたらしいが。
「ロバルドの残党が大人しかったのも、領民がすぐに私たちを支持してくれたのも、マルギルス様のご威光のお陰です。ありがとうございました」
「全てフィリィネ殿と宰相殿の人望と努力の結果だろう」
女男爵殿……フィリィネ嬢が穏やかに微笑んで一礼した。
私自身は継承式以降何もしていないわけだが、抑止力としては有効だったらしい。フィリィネ嬢も宰相殿も、連日徹夜で政務に励んでおり顔色は良くない。居るだけで彼らの助けになれるというなら、もうしばらくシルバスに滞在しても良いのだが……。
「ふひっ……や、屋敷の運営費用の調査が終わったぜ……もう勘弁してくれぇ!」
報告書の束をもってきた前男爵……いや、そう、確かシィルオンが悲鳴を上げた。
「勘弁? 男爵家嫡男としての責任をか弱い乙女に押し付けた愚弟が何を言っているんです?」
「あがーっ!?」
「ま、まぁまぁフィリィネ様……そのくらいで……」
そのシィルオンの顔面を、フィリィネ嬢が掴んで締め上げる。肥満体の青年が今度は苦痛の悲鳴を上げ、宰相がとりなす。……この数日で何度も見た光景だった。
「貴方の所為でまた私の婚期が遠のいてしまったんですからね? 『追放』になる前にしっかりと後始末くらいはしていきなさい」
そう、シィルオンは、フィリィネによってシルバス追放刑を言い渡されていた。この処置は神官長や各ギルドマスターなどの有力者や一般の領民も納得済み……というより歓迎している。
継承式でロバルドをはめるための仕掛けとはいえ、シィルオンは悪名を高めすぎてしまった。権力闘争で圧倒されていたからとはいえ、ロバルドの横暴を止められなかったという責任もある。
特に後者は、下手をすればシルバス男爵家自体の存続に関わる失態であり、彼を無罪放免とするわけにはいかなかったのだ。……もっとも彼自身、私のところに転がり込んで来たときからそこまで想定していたようだ。
「ふひっ! 報告のたびに姉に顔面を潰されそうになるとかありえん!」
「……報告はそれだけですか?」
「慈悲がない! あー、そうだ、盗賊ギルドからも連絡きてた。ロバルド派の盗賊は全部処分したとさ。それと、今後は男爵家を陰ながらお護りするとかなんとかかんとか」
「あまり露骨にされても困りますが、今はとにかく最大限利用させてもらいましょうか」
継承式から数日経った。つまり、大湖賊ハリドの隠し港で私たちがさんざん脅した盗賊ギルドの幹部たちも、それぞれの拠点に戻っている(もちろん、レイハたちダークエルフとは合流している)。
その脅しはしっかり効果を発揮しており、シルバス盗賊ギルドのマスターたちも絶対に私と――私と友好関係にある勢力とも――敵対しないことを硬く誓いあったらしい。
彼らにしてみれば、女男爵に協力することで、直接私と接触することなく恩を売れるチャンスとも思っているのだろう。
「マルギルス様、シルバス男爵家は貴方様に大恩を受けました。これからシルバスはマルギルス様率いるジーテイアスの忠実な同盟国として尽くしますでしょう。さしあたって、こちらをお納めください」
「これは?」
フィリィネは改めて礼を言い、一本の巻物を差し出した。
重厚な革で保護され、金箔銀箔で装飾した豪華な品だ。シルバス男爵家の紋章も貼り付けられている。
「ジーテイアス建国と、ラウリス奪還作戦についての支持を表明した誓書です。これをリュウシュクや大会議での交渉にお役立てください」
「それは有難い。感謝する」
この後は、リュウシュクというリュウス同盟の最大戦力を握る都市国家との交渉になる。リュウス同盟三大都市の一つ、シルバスの誓約書はとても役に立つだろう。私は深々と頭を下げた。
「じゃ、じゃあ俺はこれで……」
「ああ、ちょっとお待ちなさい。マルギルス様」
弟を呼び止め、フィリィネ嬢は私に言う。
「これは個人的なお願いなのですが。この愚弟を、マルギルス様のご一党にお加え願えませんか?」
「ふひぃ!?」
「……」
事前に何の相談もしていなかったのだろう、シィルオンは素っ頓狂な声を上げる。
確か彼は多少の財産を他の都市でこっそり保管しており、それを使って隠遁生活を送るつもりだといっていた。
別に私がとやかく言うことでもないし、それで良いだろうと思っていたのだが……しかし、ふむ。
私は、この数日のシィルオンの行動を思い出した。
「シィルオン殿が良ければ、是非仲間になってもらいたい」
「正気か!? あがががーっ!?」
フィリィネ嬢に今度は横っ面を鷲掴みされたシィルオンは驚愕の表情をこちらに向けている。
「まあ、正気だよ。多分な。……シィルオン殿の智謀は我が陣営にはない『種類』のものだ」
「しゅ、種類?」
「私の仲間はみんなとても優秀で頭も良いが……シィルオン殿のように……ええと、柔軟な発想は苦手でね」
政治政略面においてのブレーンであるクローラやエリザベルは、考えが正道過ぎる。いや別にそれは良いことなんだが。エリザベルには多少腹黒いところもあるが、それでもやはり公爵令嬢という『恵まれた』環境が、考え方のベースになっている。
彼のような、泥臭く俗物的な考えた方の人間が一人くらい居たほうが陣営としてバランスが良くなる気がするのだ。
もう一つ利点をいうならば、彼はシルバスおよびリュウス同盟内の盗賊ギルドとのパイプ役になるということだ。
それに何より、私は彼のことを気に入ってしまっている。
会社員時代、出世コースから外れて若い社員に陰口叩かれるような先輩が、自分を道化にして職場の空気を良くしていたのを思い出すんだよなぁ。
「どうかな? とりあえず……相談役としてジーテイアスにきてもらえないか?」
「い、いやそのそれは……本気で? 良いんすか? 俺みたいなのでも?」
「シィルオン殿の能力はしっかり見せてもらった。自信を持ってくれ」
「お、お……おふぅ……」
フィリィネ嬢のアイアンクローから解放された青年は床に膝をつき、さめざめと涙を流した。
「ん、なこと、んなこと……初めて言われた……っす……。みんな、みんな……俺のこと豚だって……馬鹿だって……」
馬鹿はともかく豚は根拠ない中傷ではないだろうと思ったが、黙っておく。こうして、シィルオンは仲間になってくれた。
湖賊退治から始まってシルバスの内紛処理まで、ひとまず上手くいったようだ。
新しい仲間を加え、私たちは次の目的地、軍事都市リュウシュクへ向かった。
間が空いた上に短くてすみません。シルバス編はこれで締めとなります。