シルバスの三日間 三日目①(三人称)
朝。魔法使いジオ・マルギルスがシルバスに到着してから三日目。
シルバスの大広場の様子はいつもと違っていた。
「おおい、そこの椅子はもっと右だ!」
「そこには幕をひくから、印をつけておけ!」
「酒も料理も山ほど必要だぞ! このあたりの酒場を全部押さえろ!」
シルバス騎士団の監督のもと、多数の兵士が『式典』の準備に励んでいたのだ。
大広場は、宰相の屋敷や騎士団の本部、神殿などが集まるシルバスの文字通り中心である(男爵の屋敷だけは町の大分外れに追いやられていたが)。
劇団の公演や貴族の演説などに使われる舞台はもともと用意されているが、それをさらに拡張し盛大に飾り立てようということらしい。
「魔法使い様が野豚に贈り物をする式典だっけ?」
「いや、フィリィネ様と魔法使いの婚約発表じゃなかったか?」
「野豚男爵の公開処刑って聞いたけどな……」
作業している兵士たちをとりまくシルバス市民たちは、口々に噂を囁きあう。
式典の内容は、宰相からの布告では『魔法使いと男爵様の友好関係を示す式典』となっていた。しかし、シルバス男爵の奇行はシルバス中に知れ渡っており、今現在の行方すら正確には分からないとなっては誰もそれを信じていない。
「そうか、マルギルスの奴めは大人しく出席すると?」
「はっ。どうも、あやつはあやつで何か考えているようですが」
騎士団本部の窓から大広場を見下ろしながら、騎士団長と副長が話している。
彼らはマルギルスのもとへ、『男爵家代表フィリィネとの面会式』への招待状を送っていた。その返事――慎んで招待を受けるという――が届いたところだった。
「ふん! 大方、その場でフィリィネ様との交際……場合によっては婚約の公表でもするつもりだろうよ!」
「男爵の評価がここまで下がった状況ですと、市民どもは歓迎するでしょうな。神殿や商人ギルドなども……」
男爵の姉、フィリィネに執着する騎士団長は歯ぎしりして床を蹴った。自分にとって魅力的なものは他人にとっても同じ。そこに何の疑問も持っていない。
「忌々しい……。まあ、私が豚から男爵位を継承し、豚とマルギルスを抹殺すれば奴らももう黙るしかあるまい」
神殿の神官たちは男爵と騎士団長の勢力争いに干渉しない方針だった。ただし、(男爵の名を使い)重い税や兵役をかけようとすると、あれやこれやと文句をつけてくる。シルバスの経済を握る商人、職人、船主の各ギルドも似たような態度だった。
権力闘争の邪魔にはならないが、無視することはできないし排除は難しい。ただし、男爵位さえ掴んでしまえばどうにでもなる……と、騎士団長ロバルドは唇を歪めた。
「そうですが……宰相やフィリィネ様がどう動かれるか?」
副長は少し心配そうに言った。
これまで宰相もフィリィネも中立の立場であった。特に宰相は黙々と行政を取り仕切りシルバスを支えてきた。……実際のところ、宰相の判断の半分は男爵の姉のフィリィネが助言していることなのだが、それは誰にも知られていない。
「それもだ! 私が男爵にさえなればどうにでもなる! そう、どうにでもな……」
シルバス男爵の身柄はすでに確保している。現在は快適な部屋に待機中だ。マルギルスに対しては、彼の魔法の力の源である『杖』を押さえている。マルギルスは何とか杖を取り戻そうとするだろうが、今のところ実力行使の気配はない。フィリィネに接近して政治的な力で取り戻そうとしているのだろう。
だがその前に……。
昼前。
騎士団出入りの商人ロルグが久々に騎士団本部を訪れていた。表向きはそうだが、実はロルグはシルバス盗賊ギルドの連絡員である。
「やはりまだお前のところのギルドマスターは戻らないのか?」
「は、はぁ。我々も混乱しています」
気弱そうな顔をさらにしかめて、ロルグは頷いた。
大湖賊ハリドに招集されたシルバス盗賊ギルドのマスターは予定の日を過ぎても戻る気配がなかった。襲撃するはずだったマルギルスが平気な顔でシルバスに到着しているのだから襲撃は失敗したのだろうが……。
「ふん、ハリドも存外役に立たんな! それよりも、マスター不在だからといって私との協力関係を疎かにして良いと思っているのか?」
「い、いえいえ! 滅相もない! 残るメンバーで団長様にはご協力させていただきますよ」
「うむ。それで良い。まず、いつもの一座を貸せ。継承式の前に場を暖めてもらう。それからな……」
どう見ても気乗りしない様子の連絡員に、団長は喜々として自らの計画を語った。
「ふう……しかし実際、困ったもんだなぁ……」
騎士団本部を出たロルグは額の汗を拭った。
ロバルドはマルギルスを排除するつもりで、盗賊ギルドの協力を求めてきた。『仕事』として複雑なことではないが、実行するとなると多大な危険がある。
もしも、(現在ギルド内で囁かれているように)マルギルスがハリドの襲撃船団を壊滅させられるような力の持ち主であれば、騎士団などに義理立てしている場合ではない。
実際、現在の盗賊ギルド内では『騎士団長とマルギルスの争いになるべく関わらない』という方針が出されているのだ。
「あ、ロルグさーん!」
内心頭を抱えながら歩くロルグに華やかな女の声がかかった。簡素なドレス姿でも明るい美貌としなやかな肢体が目立つ娘……踊り子アリルだった。
表向きは裕福な商人と有名一座の踊り子であり、実際は盗賊ギルドメンバーである二人は歩きながら会話する。盗賊としての基礎教養、符丁を用いての隠密会話だ。
「お前は男爵の様子を探ってたんじゃないか?」
「それがさー男爵ったらもう、滅茶苦茶なのよ! あのね……」
アリルは腕利きの密偵だったし、ロルグも連絡員とはいえギルド内では一定の地位を持つ。その二人がそれぞれ知ることを報告しあい、混沌としてきたシルバスで生き残る道を探る。
「……それでね。実は男爵と……マルギルスからちょっとした依頼があってさ」
「失礼します! 団長! シルバスの盾を回収してまいりました!」
「おお、そうか!」
騎士団長室に朗報が届いた。
シルバス男爵が屋敷からの逃亡時に持ち出し、魔法使いに奪われる前に隠したという『シルバスの盾』を発見できたのだ。
騎士団に捕獲された男爵は当初、命の保証がないので隠し場所は秘密といっていた。しかし、ロバルドが『シルバスの盾を渡し、継承式に協力するなら命は助ける』と『約束』したため、隠し場所を白状したのだった。
貧民街にほど近い井戸の底に隠したという言葉は、真実だったようだ。
「うむ……確かにシルバスの盾だ!」
ロバルドは部下から受け取った輝く円盤をかざして喜んだ。
形状からいえば小型の円盾に過ぎない。だが、そこに秘められた魔力は、ロバルドにもはっきり理解できた。シルバスの盾は、通常の盾としても魔力によって高い防御力を発揮するがそれ以上に、毒を中和し怪我を癒す力を持つのだ。
「これがあれば、最早誰も私が男爵を継ぐことに文句は言えない。神殿の発言力もさらに削れる。完璧ではないか」
団長は細く長い髭を弄りながらご満悦であった。
夕刻。
すっかり大舞台が整った大広場には、盛大にかがり火が灯されていた。
吟遊詩人や楽人たちが陽気な曲を奏で、あちこちに大テーブルには無料の酒と料理が山のように並べられている。
舞台にはすでに男爵の姉フィリィネ嬢と宰相が豪華な椅子に腰掛けていた。その前で芸人たちが華麗な舞や曲芸、演劇を披露している。
「神官長様! 商人ギルドマスター様! 壇上へ上がられます!」
舞台へは次々にシルバスの有力者が上がっていき、決められた席へついていく。
黒く塗られたシンプルな杖を携えた『魔法使い』ジオ・マルギルスは舞台の袖で呼び出しを待っていた。とても憂鬱そうな顔である。
「あー、緊張するな」
「私がお傍におります。何も心配ありませんよ」
可憐なドレスに銀の杖を手にしたツインテールの少女、エリザベルが優しく声をかける。『大魔法使い一行』として大々的にシルバスに上陸したことを考えると、この式典に二人きりというのはいかにも寂しい。騎士団長が他の護衛の同行を認めなかったのだ。
「シルバス騎士団団長にしてシルバス最強の剣士! ロバルド・ザーベル様!」
明らかに一人だけ装飾多めの呼び出しで、騎士の正装をしたロバルドが舞台に上がった。
「おお、騎士団長様」
「やっぱり強そうだな」
舞台を囲む市民たちからの反応は、よくも悪くもないといたところか。
暴政の悪評自体は男爵の我儘ということにして押し付けているものの、それに反比例して騎士団長の評判が上がるというわけではない。もちろん、軍事面での評価は確かなものではあるし、治安を守るものとして信頼はされているが……別に人気者ということではないようだ。
「愚民どもめ。すぐに思い知らせてやるわ」
毒づきながら騎士団長は席についた。
舞台に向かって正面にフィリィネ、その隣に宰相。
舞台の右側の列に騎士団長から神官長、各ギルドマスターが並ぶ。騎士団長の背後には豪華な『杖』を持った魔術師と、十名以上の騎士が立っていた。
舞台の中央ではまだ薄衣を纏った踊り子が華麗な舞を続けている。
「大魔法使いジオ・マルギルス様! 外交官エリザベル様! 壇上へ上がられます!」
「……い、行くか」
「はい。我が君」
生唾を飲み込んだジオは、左手でエリザベルの手を取って舞台へ上がった。
「おー! 魔法使い様だ!」
「レリスの守護者! シルバスの守護も頼みます!」
「マルギルスさまー!」
ここに集まっている市民たちは概ね魔法使いに対して友好的だった。騎士団長よりよほど多くの声援が集まる。もっとも、そのたびに当人の頬は引きつっていたが。
魔法使いは正面のフィリィネに一礼してから、向かって左側に用意された席にエリザベルと並んで座る。
丁度、騎士団長やギルドマスターたちと向かい合う位置だ。
「……」
魔法使いと外交官が席につくと、数名の騎士が無言でその背後に立った。
「さあさあ、皆さん。本日はめでたいフィリィネ様と魔法使い殿の会談の式。まずは喉を潤し、心をほぐそうではありませんか」
舞台上に全ての出席者が揃ったことを確認した宰相が、人の良さそうな笑みを浮かべて言った。言ったが、内心ではわざわざ酒を飲んでから会談することに首を傾げている。この段取りは騎士団側から提示されたものなのだ。
「さあ、魔法使い様。どうぞどうぞ」
「うむ……」
見事な踊りを見せていた踊り子……まあ、アリルだ……が、マルギルスをはじめ出席者たちに次々と高価な赤い酒を注いでいく。
「では私が号令しよう。……シルバスの永遠の繁栄のために!」
「シルバスの永遠の繁栄のために!」
騎士団長が高く盃をあげて叫べば、出席者も市民たちも唱和した。そのまま酒を呷る。
「さて。シルバス市民の諸君! そしてお歴々! 本日は宰相殿のいうとおり、フィリィネ様と魔法使い殿の面会の式である……が! 私はあえてここで、皆に宣言したい!」
騎士団長ロバルドは舞台の中央に仁王立ちし、高らかに宣言した。
「私、騎士団長ロバルド・ザーベルは正統なる資格と正式の手続きのもとに、シルバス男爵の位を、現シルバス男爵から継承する!」
「……!?」
ロバルドの言葉に、市民はもちろん居並ぶ有力者たちも硬直した。うすうす、そういう騎士団長の野心を知っているものも居ただろうが、まさかこうも堂々と宣言するとは。
「な、なんだってー」
魔法使いジオ・マルギルスも驚愕した。あるいは、驚愕しているように見せかけようとした。まあとにかく、そういう努力はしたようだ。
神官長やギルドマスターたちは、非常に困惑したものの声をあげようとはしていない。フィリィネと宰相も同様だった。ただし、フィリィネと宰相の表情には緊張とともに余裕もあったのだが。
「我が君……。まぁっ! 何という不忠でしょうか!? 歴史ある男爵家の名を、騎士団長ごときが奪おうとは!? 『王法』にかけて、許されません!」
一瞬、残念な目で魔法使いを見たエリザベルは、悲痛な表情で叫んだ。凍えるような悲憤と、斬りつけるような鋭さを備えた完璧な叫びである。
「むっ……小娘が! 王法? 正統な手続きを経ると言っただろう? 私は現男爵の要請で、男爵位を譲り受けるだけのことよ!」
エリザベルの叫びと視線に怯んだロバルド。だがすぐに大声で言い返した。
「出てこい!」
「ははぁーーーっ!」
ロバルドの呼び声に、芝居がかったった男の声が応える。同時に、舞台に飛び出してきた丸い影は……。
「てめぇーらひれ伏せい! こちらにおわすは、これからシルバスの正式な支配者になられるお方だぜぇい!」
掌を前に突き出して叫ぶのは、豪華なローブにラッピング……身を包んだ肥満体の青年、シルバス男爵その人であった。
三日目だけは二分割になります。