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野豚男爵の冒険 その3(三人称)

 ジオ・マルギルスの乗った船がシルバスの港に着く数刻前。

 より細かくいえば、シルバス男爵が貧民と騎士団を煽り暴動を発生させた日の深夜。


 いまや暴徒と化した貧民たちは、港に集合していた。

 漁船や商船も多く立ち寄るシルバスで、港は男爵の屋敷前の大広場に次ぐ集会の場所なのである。


 その港は、あちこちにかがり火が焚かれ禍々しく照らし出されていた。市街との出入り口には即席のバリケードが築かれ、棍棒や粗末な槍で武装した労働者や貧民が守っている。


 物々しい港の広場の中央、男が樽の上に乗って叫んだ。


 「我々は野豚男爵の横暴にもう耐えることはできなぁい!」


 張りのある美声だった。その声に煽られ、周囲を取り囲む貧民――いや暴徒が拳を突上げ、叫ぶ。


 「そうだそうだ!」

 「あいつの豪遊のためにどれだけの苦労をしたか!」

 「俺の息子は兵隊にとられっぱなしだ!」


 やせ細った男たちの目には激しい怒りがあった。

 この世界セディアにおいて、確かに貴族や領主は特権階級である。だがそれは、外敵(主に暗鬼だが)から領民を守るという義務を守った上のことだ。戦いを嫌い遊び呆け、重税をかけてくる領主を慕う民などいない。

 これまで暴動や反乱が起きなかったのは、宰相ヨルスがその手腕でぎりぎり領民の生活を成り立たせていたからだ。また、男爵の姉の評判が高いということもある。


 「野豚男爵を許すことはできない! やつを引きずり下ろすんだ!」


 声も顔も良い男が続けて叫ぶ。それに対して、一人の労働者が大声で聞いた。


 「でもよぉ! いくら何でも騎士団には勝てないんじゃねーか!?」

 「それについてはシィ……いや、我らが同士から説明がある!」


 いつの間にか暴徒たちのリーダーに収まっていた美形の男は、そういうと樽から降りた。代わりに樽に登ったのは……。


 「何だお前は?」

 「ブクブク太りやがって……お前も男爵の仲間じゃねーのか!?」


 そう、罵声を浴びるのも当然の肥満体の青年だった。身なりは見すぼらしい労働者風だったが、どう見ても貧民の体型ではない。


 「ち、違うですぅ。あ、あっしは男爵の悪ふざけで、毎日毎日無理やり豚のエサを食わされた哀れな下男なんでげすうぅ。うぅうっ……辛かったよぉ、苦しかったよぉ……」

 「お、おう……」

 「ほんとかよ……」


 青年は泥と涙と鼻水で不細工な顔をさらにぐちゃぐちゃに歪ませ、樽の上で器用にうずくまって泣きわめいた。

 その様子があまりにも無様というか、悲惨であったため、周囲の人々も気まずそうに口を閉じる。


 「うっうっうっ。でもあっしは気付いたでげすよ。男爵をやっつける良い方法に!」

 「何!?」

 「本当だろうなぁ!?」


 その言葉に暴徒たちは引き込まれる。彼らは気付いていなかった。その青年が野豚男爵ことシィルオン・シン・シルバスだということ……は、まあともかく……。青年が泣きじゃくりながら話している声が、先ほどの美形の男(もちろん騎士ガイダーだ)の声よりもよほど良く響き何百人といる彼らの耳に届いていたことに。


 「皆さんも噂には聞いてたでげしょ? あの、レリス市で暗鬼教徒デモニストを倒し、フィルサンドでも五万の暗鬼の軍団レギオンを焼き払ったという魔法使いのことを!」

 「魔法使いマルギルス様か!」

 「魔法使い様が、確かもうすぐシルバスにいらっしゃるって話だったぜ!」


 シルバス近辺では、ジオの悪評と名声では名声の方が優勢だった。警戒すべき理由のある権力者でなければ、名声の方を信じるものが多い。中には悪評を支持する者もいたろうが、この流れでそれを口にすることはできなかった。


 「そう! そのマルギルス様は、明日、シルバスに到着される!」

 「明日!?」

 「だから明日まで港を俺たちで封鎖して、マルギルス様がいらっしゃったら直接男爵の横暴を訴えるんでげすよ!」

 「そうか!」


 直接騎士団や衛兵と戦う必要もなく、やってくる『英雄』にお願いするだけ。

 昼間からの狂騒で疲れ果て、夜のかがり火で昂ぶり、巧みなアジテーションで炎上した貧民たちの頭には、あまりにも魅力的な考えに思えた。




 怒りと欲望のまま暴れていた暴徒が、目標を与えられた急造の兵士となった港の一角。

 古びた倉庫の小部屋で、暴徒のリーダーことガイダーがシルバス男爵の喉を締め上げていた。


 「どういうことなんですかねぇシィルオン様?」

 「うごごごごごご、うごごごご!」

 「ちょっと説明してもらえませんかねぇ? どうして私がシィルオン様を倒せと演説せにゃならんのですか?」

 「うごご! ごごご! ごほごほごほ」


 「ちょっと、いい加減にしなよ!」

 「おや、すいません」


 窒息寸前だった男爵を床に落とし、ガイダーは声をかけてきた女を見た。踊り子のアリルだった。一般的な町娘のドレスを身に着けている。


 「げほっげほっ! 危うく護衛に絞め殺されるところだった!」

 「惜しかったね。それより、約束どおり調べてきたよ」


 約束。シルバス男爵は脱出前に、盗賊ギルドの密偵であるアリルに一つ依頼をしていたのだ。


 「ロバルドはあんたのところの家令を使って小細工するつもりね。家令の娘さんが今、騎士団の屋敷に捕まってるよ」

 「やっぱりな、くそ。気の毒に」


 アリルへの依頼とは、男爵が脱出した後のロバルドの動向を探ることだった。もともと、盗賊ギルドから男爵へ貸し出された密偵であるアリルには、簡単に探り出せることだ。

 アリルによれば、ロバルドは娘を人質にして家令を脅している。男爵とジオの会談の場で、家令にジオを襲わせようという計画だった。


 「噂じゃ、マルギルスは人の心を覗いたり操ったりするっつーが……もしそうだなら意味のない計画だな」

 「んなの噂でしょ。それより、ほんとにどういうことなのよ?」

 「そうですよ! 貧民から逃げてただけなのに、何でこういうことになるんですか!?」


 詰め寄ってくる騎士と密偵に向けて、男爵は無駄に偉そうに胸を反らして言った。


 「まあ成り行きだな! いだぁっ!?」

 「こらなにをするー」


 アリルはにやつく男爵の顔面に見事なストレートパンチを決めた。ガイダーは、とても平坦な声でそれを咎める。


 「いや、貧民どもと騎士がぶつかって騒ぎになったのまでは偶然だが、それからちゃんと策を練ったんだよ!」

 「……まあ、言ってみなよ」


 殴られた赤くなった頬を、『ふひひ』とか笑いながら撫でて。アリルに凄い目で睨まれてから、男爵は語り始めた。


 「あそこまで騒ぎが大きくなっちまったらもうどうしようもないからな。それを利用することにしたんだ。とにかく、ロバルドよりも先にマルギルスに会うという当初の目的には大分近づいてるだろう?」


 確かに、当日になれば騎士団が厳重に警戒していただろう港は、現在暴徒の――つまり男爵の制圧下にある。


 「マルギルスがくるのが分かってんだから、ロバルドだって貧民どもを皆殺しにはできねーだろ?」

 「まあ、そうかも知れませんね」

 「そんでもって、明日一番で俺がマルギルスにあって、ロバルドの悪事をあることあること・・・・・・・・ぶちまける! いま聞いた家令の娘の話なんて、最高のネタだしな」

 「それで、どうなるってのよ?」

 「知らん。マルギルスが何とかしてくれるだろ。何せ、『良い奴』だからな」

 「……」


 騎士と密偵は、呆れ果てたというように顔を見合わせてため息を付いた。

 だから、男爵がごにょごにょと口の中で呟く言葉には気づかなかった。


 「いざとなったらロバルドの馬鹿を道連れに豚にでもされるかぁー、ふひっ」




 男爵主従(と密偵)が危険な相談をしているとき。

 シルバスの中央部に建つ宰相ヨルスの屋敷でも、深刻に話し合う男女が居た。


 「このような時に暴動とは……しかも男爵様も行方不明……」


 白髪の頭を抱える品の良い老人が、宰相ヨルスその人。


 「あの子にも困ったものですね」


 ヨルスの対面のソファに腰掛ける女性は、フィリィネ・シルバス。今年三十歳になるシルバス男爵の実の姉である。温厚そうな美貌だが、平均よりはややふっくらとした体型だ。シルバスの人々からは慈愛に満ちた美女として親しまれている。

 フィリィネは男爵の屋敷ではなく、花嫁修業の名目で宰相の屋敷に住んでいたのだ。もちろん、男爵から少しでも力を削ぎたい騎士団長ロバルドの差し金である。


 「明日にはマルギルス殿が見えるというのに、港を封鎖されているとは。ロバルド殿は動かぬし……兵士を使って彼らを排除するべきでしょうか?」

 「いいえ。それは悪手でしょう。今は、動揺が貧民街から広がらぬよう治安維持に務めるべきですわ」


 宰相は縋るような顔でフィリィネに聞いた。フィリィネはそれに優しく、しかし断固として答える。

 普段の、政治には全く関わろうとせず裁縫や音楽に勤しみ、時に奉仕活動に励む男爵令嬢しか知らぬ者には想像もできない光景だった。


 「しかしこのままでは、男爵様の身が危ういのでは……」

 「心配ありませんよ。あの子はああ見えてとても頭が良いんです。普段はサボっているのですから、こういう時くらいは必死になってもらわないと」


 二人きりの時にだけ、フィリィネはその卓越した頭脳で宰相に助言していたのだ。宰相ももちろん無能ではないが、これまでシルバスの経済や治安が破綻しなかったのは実のところフィリィネの功績である。

 シルバスに潜入し、男爵や騎士団長の恥部を暴いてきたダークエルフ達でもここまでは調べきれなかったのだ。


 「もし、ロバルド殿がこの暴動を機に男爵家を排除するほどの覚悟がおありでしたら……あの子ともども、この身を処刑台に上げるのもやむ無しでしょう。おそらくそうはなりませんが」

 「そ、そのようなことは、老骨をかけて許しませぬ!」

 「……何にしても、こうなっては誰が無理に動いても余計に傷口が広がるだけです。全ては……」


 この時、姉と弟の口から同じ言葉が漏れていた。


 『魔法使い次第』と。


次回から主人公視点で状況が解決(?)に向けて動き始めます。

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