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恐怖の島 または女賊ヒルメの災難 その2 (三人称)

 『魔の五人』を乗せた湖賊船が、カエルと人間と冒涜的な何かの混合生物に蹂躙されているころ。


 「明りを灯せ! 全員武器を持て! 二人組になって周りを良く見張れよ!」


 リュウス湖でほとんどありえない完全な無風。

 獲物であるマルギルスの客船どころか、隣の船すらぼんやりとしか見えない濃霧。

 その、濃霧のスクリーン越しには、巨大な何かに襲われているらしい船や仲間たちの声が遠く響いてくる。

 『水の竜』の船長は船乗りとしても賊としても熟練者であったが、どれ一つとっても未知の異常現象だった。それでも、部下たちの動揺を少しでも鎮めるためにとりあえず行動する指針を出したのは賢明と言えた。


 そんな彼らを、容赦なく新たな異変が襲う。


 「な、何で動いてるんだっ!?」

 「風もないのにっ……」


 そう、『水の竜』は前進を再開していた。ただし、帆はうなだれ船員の操作もなく。


 「船長! こりゃ一体どういうことだい!?」

 「分かるわけがないだろうがっ!」


 鉄線鞭に手をかけたヒルメが殺気立った顔で船長に詰め寄るが、それを聞きたいのは船長の方だった。


 「う、うわぁぁっ!? 船長! し、下を見てくれ!」

 「今度は何だ!?」


 船尾にいた船員が恐怖の声を上げた。船長やヒルメ、湖賊たちは内心嫌がりながらも、彼が指差す湖面を見下ろす。そして当然のように、やっぱり見なければ良かった、と思った。


 「ひ……人、か!?」

 「きょ、巨人……!? でも足が……」

 「あ、ああ……も、もうわけわかんねーよ!?」


 水面には巨大な影が映っていた。全長は『水の竜』を大きく超える。

 そいつ・・・は、長い両腕を伸ばして『水の竜』の船尾を掴んでいた。足は一本しかない。それが大きく左右にくねって魚のように推進力を生み出して……そうだ、あれは足ではない。尾びれだ。

 そいつ・・・は、間違いなく『水の竜』を後ろから押して運んでいるのだ。


 霧の向こうから、カエルのような鳴き声と人間がゲラゲラ笑う声、何かが水に落ちる音が聞こえた。雷鳴のような轟音も。それはもしかすると、仲間の船が何者かに捻りつぶされた音かもしれない。


 「うわぁぁぁっ!? もう嫌だ! 降ろしてくれ! 船長! 俺はもう降りる!」

 「馬鹿野郎! どこに降りるってんだ!」


 何かの限界を越えたのだろう。船員の一人が喚き散らしながら船長の胸ぐらを掴んだ。口から泡を飛ばし、その目に理性はない。


 「そ、そうだ! 引き返そう!」

 「ボートで逃げるぞ!」


 掟と恐怖と略奪の快感で固められていた規律は、それを塗り潰す恐怖にたやすく崩壊した。何人もの船員が、脱出のため駆け出そうとした瞬間。


 「降ろせ! 船長! おろっ」


 最初に船長に掴みかかった船員の口から、にょっきりと生えたものがあった。


 「そんなに降りたきゃ降ろしてやるよ。どうだ嬉しいか、ああ?」

 「あっ……が……」


 船員の背後に立ち楽しそうに言ったのは『狂剣』シガンだった。船長の目の前で、船員の口から飛び出したのはシガンの剣の切っ先である。


 「人が聞いてるんだぜ? 何とか言えよ、なぁ!? おいぃ!?」


 シガンは船員の後頭部に突き刺した剣で彼の身体を持ち上げ、何度も突き上げた。

 人型の旗のように、船員の身体はシガンの頭上で舞う。


 「うう……」

 「ひでぇ……」


 凄惨な光景に眼をそらし口を押さえるのは、シガンと仕事をしたことのない湖賊だ。『狂剣』の所業を知る多くの湖賊や船員は、自分がシガンの次の標的にならないことを祈っている。


 「答えられねぇのは口が悪いからか? それとも頭が悪いのか? そんなモノはいらねぇーよなぁ!?」


 シガンは片手で船員を突き上げたまま、逆手の剣を無造作に二度閃かした。船員の首が切断され、首なしの胴体が甲板に転がり鮮血が雨のように降る。


 「ど、胴体がっ」


 転がった死体を目にしてしまった若い湖賊が、裏返った声を出した。犠牲者の胴体は首を切り離されただけでなく、腰の部分で両断され二つの肉塊になり果てていたのだ。『狂剣』シガンの恐るべき剣技と残虐性。

 あふれだした臓物の異臭が、悪夢のような周囲の光景の中で逆に現実味を感じさせる。


 「……なあ教えてくれよ? どうしてこいつは俺に話をしねぇんだ? お前分かるか?」

 「ひ、ひぃっ!?」


 船員の首を串刺しにしたままの剣先を別の船員に突き付け、シガンが真面目腐った顔で聞いた。大きな刀傷と不気味な入墨で飾られた顔と、その表情のミスマッチ、さらに口の奥から剣先を生やした哀れな男の首を眼の前に差し出され、船員は硬直する。


 「シガン! もう良いだろう! お前らも持ち場につきな! 逃げられるわきゃないんだよ! 男なら根性見せな!」

 「は、はいぃぃっ!」

 「りょ、了解っ!」


 不気味過ぎて現実感のない状況よりも、目の前の狂人の刃の方が怖いらしい。湖賊や船員たちはヒルメの怒鳴り声に正気を取り戻していた。いや、現実の死の恐怖が異常事態への不確かな恐怖を塗りつぶしたと言うべきだろう。


 「……手間ぁかけさせやがる」

 「あんたやけに落ち着いてるね。何か考えでもあるのかい?」


 片手を振り、船員の首を湖面に投げ捨てたシガンが唾を吐いた。無残な惨殺現場に顔色も変えず、そのシガンにヒルメが聞く。


 「あのデカブツは俺たちをどこかに運んでるんだろう? そりゃあつまり、誰かが俺たちに用事があるってことだ」

 「誰かって……マルギルスか? マルギルスと交渉でもする気か?」


 船長も、この異常事態においては正気の誰よりも頼もしく見える『狂剣』の言葉に、少しだけ生気を取り戻していた。


 「マルギルスか誰か知らねーが。誰か……つまり人間なら殺せるだろうが」


 遺体の衣服で曲刀を拭い鞘に戻しながらシガンはこともなげに言った。船長は息を飲み、ヒルメは笑う。


 「ははっ! それもそうだねぇ。せいぜい、しおらしくして油断してもらおうかい」


 ヒルメは良民軍や敵対ギルドの暗殺者、魔術師とも戦ったことがある。相手が格上であればあるほど、こちらが見せた弱みを素直に信じて罠に嵌るのだ。船を押していく巨人や他に影が見える化け物には勝てないだろうが、人間が相手ならいくらでも殺しようがある。そう思えた。




 「くそっ。まだ霧から出られないのか」


 『水の竜』の船長は苛立っていた。水中の巨人に押されるまま、自慢の湖賊船は霧の中を進んでいる。時間の感覚もあやふやだ。

 もはや、周囲に仲間の船の影もなく、悲鳴や不気味な怪物の声も聞こえない。


 「嫌になるね、まったく」


 ヒルメも妖艶な美貌に疲労の色を濃くしていた。巨人がすぐに船を沈めたりしなそうなことが分かったのである程度の余裕は出ていたが、それでもこの緊張状態が続くのは苦痛だった。


 「せ、船長! 船です!」

 「おおっ」


 見張りの船員が大声で報告した。進行方向にうっすらと大型船のシルエットが近付いていて来る。


 「こりゃ、マルギルスの船だな……」

 「ここが目的地ってわけかい。でもやけに静かだねぇ」


 船長がいうとおり、霧の中から出現したのはもともとの『獲物』。ジオ・マルギルスの客船であった。船体には見覚えがあるしレリス市の紋章も掲げている。それは間違いない。だが。


 「誰も顔を出してこねーじゃねーか。動いてもいねえし」


 シガンが詰まらなそうに言った。

 水中の巨人の影は、『水の竜』と客船が横並びになるまで近づいたところで消えていた。それでも、湖面に停泊していたように見える客船に人の姿が全く見えない。ある意味、この状況にとても似合った存在……幽霊船のようである。


 「あんたたち、ちょっと様子を見てきな」

 「えっ」


 ヒルメは湖賊の下っ端に命令した。彼らは当然嫌そうな顔をする。それはそうだ。


 「別にマルギルスを殺ってこいっていってんじゃないよ。むしろ、中に誰かいたら、そいつの足でも舐めて媚を売ってきな。『私たちは降伏します』ってねえ」

 「へ、へい……」


 降伏という言葉が似合わない、邪な笑みを浮かべるヒルメの言葉に指名された下っ端たちは渋々頷いた。もともと、(シガンほどではないが)情け容赦の無さで知られるヒルメに逆らうことなどできない。


 結局、三名の湖賊が客船に渡り偵察することになった。


 おっかなびっくり客船に乗りこんだ湖賊たちが甲板上を探索したが、乗員も財宝も何一つ発見できなかった。大声でそれを報告してきた湖賊たちへ、ヒルメは無慈悲に船内の偵察を命じる。


 偵察隊が松明を片手に、死にそうな顔で船内へ入ってから数十分。

 沈黙だけが彼らの成果だった。


 「ねえ。この際、ここから火矢を撃ち込んであの船沈めちまったらどうかねえ?」


 思案顔のヒルメがシガンや船長に提案した。

 偵察に出した湖賊たちや、彼らに託した伝言のことなど綺麗さっぱり忘れたという顔だ。相手は降伏など認めるつもりはなく、客船に誘い込もうとしているとしか思えない。と、彼女なりに状況を観察して、「相手の一番嫌がりそうなこと」をやってみようと思っただけである。


 「馬鹿が。中のお宝はどうするんだよ。それにあの巨人が戻ってきてこの船を沈められたら終わりだ」


 シガンの反論も一応理にはかなっている。もっとも、理屈よりもこの男の場合は、客船で待ち受けているであろうマルギルスかその手下を切り刻みたくて仕方がない、ということであるが。


 「仕方ねえな」


 シガンは自ら客船へ乗り込むことにした。ただし、狡猾な彼は、万一にも船長たちが逃げ出さないよう、鉤付きの鎖と接舷攻撃用の渡し板を釘で両船をがっちり固定させることも忘れない。

 自分も逃げられなくなるとは考えないのが、『狂剣』たる証だ。




 「ほんっとに気味が悪いねぇ。マルギルスって奴は何を考えてるんだか」

 「さあな」


 客船の甲板に乗り込んだのは、シガンにヒルメ、そして湖賊の精鋭十二名だった。そのうち七名は高級品である石弓を構えている。残りの一名は正式な位階こそ持っていないが、魔術師だ。

 客船一つ制圧するには本来過剰な戦力である。


 「ドアを開けろ」


 船内へ続くドアの前に一行が立ったとき、無人だったはずの甲板に声が響いた。


 「まあ待ちたまえ」

 「!? お前らは……」


 湖賊たちを左右から挟むように船べりに立っていたのは、五人の男。全員、顔に不気味な仮面を着け、手には杖を握っていた。


 「『魔の五人』。何でここにいる?」

 「ふふう。勧告にきたのだよ。降伏勧告だ」

 「何だあ?」


 《ゲコッ》


 いつもと変わらない、人を見下すような五人の魔術師の言葉にシガンが目を細めた瞬間、奇妙な鳴き声が聞こえた。


 《ゲコゲコッ》

 《ゲロッ》


 「……なんっだいそいつらはっ!?」

 「ひ、ひぃぃぃっ!?」


 ヒルメも、湖賊たちも悲鳴を上げた。

 『緑の化け物』が、次々に船べりに這い上がってきたのだ。

 一応、四肢と頭部を備えた人型ではあった。だが、釣り鐘のような形の頭に丸く大きな眼球、口元には無数の触手。ヌメリのある緑の皮膚を持った化け物などこの世界セディアの何処を探しても存在しないだろう。

 『緑の化け物』は五体。それぞれ『魔の五人』の背後に立ち、喉を鳴らしている。左右に大きく離れて配置された眼球はくるくると動いており、何処を見ているのか良くわからない。


 湖族たちも『魔の五人』も知る由もないが、緑の化け物の正体は『コプルッグ』。カエル人間とでも言うべき『D&B』に登場するモンスターで、レベルは六。オグルと同じレベルであり必ずしも強敵とはいえない。だが、その邪悪な知性と特殊能力によってプレイヤーたちから恐れられている。

 コプルッグの特殊能力。それは……。


 「そんなに驚いて……

 「お前たちに彼女たちの美しさは分からないようだな」

 《ゲコッ》


 シガンすら脂汗を浮かべて硬直する中、『魔の五人』は実にリラックスしていた。それどころか、背後に立つコプルッグの身体を愛おしそうに撫でたり、抱きついたりしている。コプルッグの方も何となく気持ちよさそうに見えた。

 これがコプルッグの特殊能力、『魅了』である。


 「そ、そいつら雌なのかいっ!?」


 論点はそこではない。それは分かっていたが、あまりに異様な魔術師たちの言葉と態度にヒルメは思わず突っ込んでいた。


 「見れば分かるだろう!」

 「うるさいぞババア!」

 「売女は黙ってろ!」

 「年を考えろ!」


 『魔の五人』から返ってきたのは想像を遥かに越えた罵声の嵐だった。


 「な、何なんだよ一体さぁ!?」

 「……お前ら、マルギルスに付いたのか?」


 逆上するヒルメを無視してシガンが彼らに聞いた。その声は低く掠れている。シガンを知る者であれば、それが爆発寸前の殺意によるものだと分かっただろう。


 「ふむ、そういうことだ」

 「マルギルス様は素晴らしい!」

 「私たちにこんな素敵な恋人を用意してくれたんだからな!」

 「お前たちもハリドなど見捨ててマルギルス様に忠誠を誓うがいい」

 《ゲコッゲコッ》


 「あ、悪夢だ……」


 湖賊たちの誰かが呟いた。その場の正気の者全員から合意を得られるであろうその呟きは、実は正しくなかった。


 「あっ!?」


 シガンたちが蹴破り突入するつもりだった船内へ続くドアが開いたのだ。

 ドアの向こうに見えたのは、壁。

 いや、壁ではなくそれは一人の男の肉体であった。標準サイズのドアを実に窮屈そうに身を屈め甲板に姿を表したのは、シガンが子供に見えるほどの巨漢。

 我知らず、シガンは歯を食いしばり、その隙間から唸りのような声を出していた。


 「……てめえ……」


 上半身は剥き出しで、下には革のズボンとブーツ。そして右手に大剣をぶら下げている。壁のようにも見えた肉体は凄まじい熱と力を秘めた筋肉の塊だった。しかも薄っすらと脂肪ものっているところが、その肉体の実戦性を思わせる。日焼けした肌には、いくつもの幾何学的な文様が入れ墨されていた。


 「……シガン、とかいうのは誰だ?」


 超巨体の男は面倒くさそうに聞く。

 そう、湖族たちにとっての悪夢は、まだこれからなのだった。


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