恐怖の島 または女賊ヒルメの災難 その1 (三人称)
『狂剣』シガン。
リュウス湖を荒らし回る湖賊の中で最も凶暴な男だ。大湖賊ハリド直属の湖賊船『水の竜』の切り込み隊長でもある。
実はハリド傘下の湖賊に、船を駆り獲物を探し回っているような『専業』は少ない。多くは各都市盗賊ギルドに所属する商船や漁船、または生活が苦しい時期のみ止む無く略奪を行う貧しい漁村に所属する小舟である。
その中で最初から水上戦闘を行うために建造されたシガンの船は、大湖賊ハリドの巨大な力の象徴であった。
「もうそろそろか」
『水の竜』の舳先に仁王立ちし、リュウス湖の湿った風を受けながらシガンは笑った。自分たちを先頭に、二十隻近い湖賊船が同じ方向へ進んでいる。
もう数刻もすれば、この水平線の向こうから『獲物』の姿が見えるはずだ。
『獲物』。魔法使いマルギルスがシルバスへ向かうため手配した客船のことだ。
レリス市のスパイからの情報によれば、客船には『輝く浮き彫り細工』をはじめ、『動く石像』など多数の魔具が贈答品として積み込まれている。価値としては金貨数十万枚とも百万枚以上とも言える、文字通り財宝の山だ。
大湖賊ハリドはあっというまに傘下の盗賊ギルド幹部や船長を集め、マルギルスの船を襲撃するよう命じた。
湖賊たちの集合場所は年ごとに変更されるが、今年はたまたまマルギルスの船の航路に近い小島であったことも幸運だった。何よりも凄まじいのは、一都市の闇を牛耳る盗賊ギルドの幹部をたった一日で全員招集するハリドの組織力だろうが。
「くくっ。こいつを襲わなきゃ嘘だろ……」
シガンは屈強な男であった。赤銅色の上半身を肉体を露わにしている。肩と胸、顔までを異様な入れ墨で飾り、背に二本の曲刀を固定していた。
大きな刀傷のある口元を大きく歪めた笑みは、狂剣の名に相応しい凶悪である。
この数年、リュウス同盟の人々は大きくなりすぎた湖賊を警戒し、財宝を船で運ぶことをしなくなっていた。どうしてもという場合は、事前に盗賊ギルドを通じてハリドに通行料を支払うのだ(一応、自都市や良民軍の軍船に護衛を依頼するという選択肢もある)。
そういうわけで、最精鋭の実戦部隊として鍛え抜かれたシガンとその船が本領を発揮する機会は実に久しぶりであった。
『大湖賊ハリドが魔法使いを恐れた』『あれほどの財宝を積んだ船が見逃された』という噂が流れば、ハリドと湖賊たちの恐怖による支配が大きく揺らぐことになる。
今回ばかりは、いくらマルギルスが通行料を支払おうと護衛を引き連れようと、見逃すという選択肢は湖賊にはなかった。
「暗鬼崇拝者を倒したのはホントだろ? 少しは用心した方が良いんじゃないかい?」
シガンの後ろに立っていた女が声をかけた。
女の名はヒルメ。『水の竜』が拠点としている都市国家ジラルスの盗賊ギルドに所属する盗賊である。ハリドからの命令で編成された大襲撃部隊へ、助っ人として編入された身だ。
肌も露わな軽装鎧姿は妖艶とすら言える。一方、腰にぶら下げた鋼線製の鞭が、彼女の残忍さを象徴していた。
彼女はシガンほどには今回の襲撃を楽観していなかった。盗賊ギルドに集まる情報には『隕石を空から落として暗鬼の軍団を滅ぼした』だの『自分に歯向かう人間を石像にした』だのという与太話が多いのは事実だ。一方で、マルギルスの行く先々で暗鬼や暗鬼崇拝者が出現し、それらが全て倒されているのも間違いない。ヒルメが特に気になっているのは、『反抗的な冒険者を豚に変えた』という噂だ。噂の出処がレリス市の盗賊ギルドであるだけに、何かしらの真実を含んでいるのではないか……?
「それに、魔術師と暗鬼狩りだけでも手強いのは間違いないよ」
「……くくっ。それだけの奴らを嬲り殺してお宝を奪うのはさぞかし楽しいだろうよ。あいつらも久しぶりに働けて嬉しいだろうぜ」
シガンは厳つい顎で『水の竜』と並走する湖賊船を指した。そこに佇む五人の男を。
彼らは一様に黒い仮面を着け素顔を隠していた。手には杖――魔術師の杖を携えている。
「『魔の五人』。まああいつらがいればねぇ」
ヒルメは肩をすくめて呟いたが、その声には隠しようもない畏怖と高揚があった。そもそもセディアにおいて個人が持てる武力の最高峰は魔術である。
『ファイヤアロー』や『アイスアロー』といった初級呪文でさえ、数秒の精神集中と発声だけで武装した兵士一人を確実に殺害できるのだ。
『魔の五人』と呼ばれた彼らは、所属する支部はそれぞれ違うが全員正式な魔術師だった。ハリドが数年をかけて『素質』を持つ魔術師を探し出し、特殊部隊として訓練したのだ。普段は仮面を外し、それぞれ魔術師として生活している。
彼らは全員が中位以上の魔術を使用できる。彼らが人間同士の戦いに参加するというのは、剣や弓で戦う戦場にマシンガンや手榴弾を手にした軍隊が殴り込むようなものだ。実際ヒルメは数年前、末端のアジトを襲撃してきた百名以上の良民軍兵士が、『魔の五人』の魔術で焼き殺されるさまを見たことがある。
……それが味方だと思えば、ヒルメの高揚も当然であろう。
「手持ちの軍船も全部出してんだ。ぼやぼやしてると、美味しいところを持ってかれるぞ」
「そいつは願い下げだねぇ。しばらくコイツに血を吸わせてないんでね」
腰の鞭を撫でながらヒルメは血に飢えた笑みを浮かべた。
湖賊たちの情報と計算は正確だったようだ。
シガンとヒルメのやり取りから二刻ほどたったところで、湖族の大船団はレリス市の紋章を掲げた船を補足していた。
もちろん、後ろから追いかけていくわけではない。予め航路は把握していたのだから、待ち伏せに近い襲撃である。
こちらに気付いたマルギルスの船は慌てて回頭を始めたが、もう遅い。
「あれが詐欺師殿の船か。早くやつを引きずりだしたいぜ」
「何が最強だ。ふざけやがって」
『魔の五人』に船の扱いはできない。船員たちを激励しながら、獲物が魔術の射程に入るのを待つ。彼らもまた『魔法使い』の噂など頭から否定していた。魔術という最先端の知識を糧にしているだけでに、それ以上の力の存在など認める気にもなれないのだ。
「俺は男なんかどうでもいい。アンデル嬢をこの手で……ひひっ」
「いそげいそげ! シガンの馬鹿にとられちまうぞっ!」
マルギルスと行動をともにする女魔術師の名が出た。なにしろクローラ・アンデルはその出自と能力と美貌によってリュウス同盟中の魔術師に知られている。セディア最強の力を思う存分に振るって他者を踏みにじる……その快感の虜となった『魔の者』が下卑た欲望を向けるの当然であろう。
「ダークエルフの女も手下にしてるんだろう、マルギルスとやらは」
「ダークエルフといえば美女に決まっているな。詐欺師には勿体無い」
「ああ、我らで可愛がってやろう」
リュウス地方にはほとんどダークエルフは住んでないが、彼らの伝説的な密偵の技術と美貌は知れ渡っている。その持てる技能上、人間の闇社会と関係の深いダークエルフ、とくに女性は彼らのような悪党にとっては極上のトロフィーであるのだ。
「まったくとんでもないヤツだな、マルギルスってのは」
「女たらしの才能だけはかなわんな」
仮面を外せば、それぞれの都市で高い地位を持つ男たちだ。その彼らから見ても『詐欺師』マルギルスは過ぎたる物を持ちすぎていた。
彼らは杖を握る手に力を込め、嫉妬と憎しみの炎を直接マルギルスに浴びせる瞬間を待ち望む。
しかし。
「おいどうした!? さっきから全く距離が詰まらないぞ!」
前方の船を睨む魔術師たちの口から不満と不審の声が漏れた。忙しく船上を駆け回る船員も困惑している。
今回の襲撃に参加している湖賊船はどれも高速の大型船だ。逃げる相手は方向転換の影響で速度が全く出てない。
……にも関わらず、先ほどからレリス市の紋章の船の姿は全く大きくなっていなかった。
「か、風がっ」
「何?」
船員が呆然と背後のマストを見上げた。先ほどまでリュウスの風を受け大きく膨らんでたはずの縦帆が、今や力なくうなだれている。
リュウス湖では滅多にない無風。多少、風が弱かったり逆風だろうが帆船は望む方角へ進むことができるが、まったくの凪ではどうしようもない。
「だがあっちは走ってるぞ!?」
別の船員が指差したとおり、逃げるマルギルスの船の帆は当然のように膨らんでいた。
「なんでいきなり風が……」
「それに……なんだかおかしい……!?」
船員たちはすっかり混乱していた。空気の匂いを嗅ぐように鼻を鳴らした船員の一人があっと叫ぶ。
「き、霧!? 急に霧が……」
風を失い湖面に立ち往生していた湖賊船団は、あっというまに濃い霧に包み込まれていた。先ほどまで晴天だったというのに、今は隣を並走しているはずの船すら判別できない。
「霧くらいであわてるなっ!」
「ええい……ファイヤウェポン!」
湖で生きているわけではない『魔の五人』には船員たちの恐怖は理解できなかった。魔術を使い、杖の先端を炎で包んで照明を生み出す。
「風もない、視界もないじゃあどうしようもないですぜ……」
「あっ、あれは多分、『水の竜』じゃないですかい?」
船長はさすがに多少冷静であったが、それでも流れる冷や汗を止めることができないでいる。その船長が船員の声で向けた視線の先には、小さな炎が灯っていた。
「そうだな……あの光から離れないようにしないとだが……」
風が止むということがほぼないリュウス湖の船は、基本的にオールを装備していない。よって動けないことには変わらないが、他の船と衝突したりはぐれることだけは舵の操作で避けられそうだとわずかに安堵した。
「おい船長! どうにかしろっ! せっかくの財宝が逃げていくぞ!」
「これだけの船を集めて、獲物を取り逃がしてみろ……ハリドに何をされるか分からんぞっ!」
「そう言われてもどうしようもないだろっ! あんたらこそ魔術師なら何とかしろっ!」
魔術師たちは激しく船長を責めるが、打つ手はない。
「魔術で風を起こしてもたかが知れて……ん?」
仮面を着けた男の一人が言い訳の途中でふと呟いた。
「へんな声がしたな」
「へんな声?」
これまで何十と人を殺し略奪を繰り返してきた魔術師と湖賊たちが、呼吸を合わせて耳を澄ませる様子はある意味滑稽だった。
が、聞こえてきたの『声』は滑稽どころではない。
《ぎゃぁぁぁあぁぁぁぁ……》
《ひぃぃぃ…………》
《たったすけ……わぁぁっ……》
風も波もない霧に閉ざされた湖を渡って聞こえてきたのは、魂消るような悲鳴だった。間違いなく、湖賊船団の男たちのものだ。
《ドオォンッ》
《ザバァッッ》
その他、正体不明の破壊音や、巨大な水音が何度も響く。
「……うぐっ……おぉ……」
船長が霧の奥へ目をこらせば、マストより太く長い蛇のようなモノが湖面から突き出していたり、それが他の船の船体に絡まっていくのがうっすらと見えた。
船長は激しく首を振る。あんなのは幻だ、と自分に言い聞かせながら。
「敵だ! 敵襲だ!」
「くそっ! お前ら武器を持て!」
『魔の五人』は炎をまとった杖を掲げ、湖賊たちを叱咤した。彼らが硬直しなかったのは、己が身につけた技――魔術への自信が根底にあるからだろう。
《ゲコッゲコッ》
《ゲコッ》
その自信も、すぐそばから聞こえてきた不気味な鳴き声に大きく揺らいだ。
「な、なんだ……」
「カエル……?」
セディアにもカエルは存在する。そのカエルにそっくりな鳴き声が、異様な音量で響いたのだ。そして。
ぺたり、と。
水かきのついた緑の皮膚の手が、船べりにかかった。
《ゲコッ》
手に続いてひょいと飛び出てきたのは、釣り鐘のように縦に長い緑の顔。
両側には丸く大きな目玉がぎょろりと突き出し、口にあたる部分からはイソギンチャクのような触手が伸びてくねっていた。
「う、うわぁぁっ! し、死ねぇっ!」
《ゲッゲッ》
一番近かった若い湖賊が、狂乱しながらも緑の怪物に向けて手斧を振り下ろす。だが、その斧は怪物の頭部直前でぴたりと静止していた。
「う? ……ううう……あー…………」
「ぎゃあっっ!?」
若い湖賊はくるりと振り向き、別の湖賊へとその斧を叩きつける。
《ゲコッゲコッ》
《ゲッゲッゲッ》
ますます混乱する湖賊たちを尻目に、怪物どもは船に乗り込んでいく。片舷に三体ずつ、六体のカエル面の怪物は、楽しげに合唱していた。
『魔の五人』も湖賊たちもセディアの誰も預かり知らぬことであるが、彼らは『コプルッグ』。『D&B』中級セットに登場するモンスターである。
もちろん、ジオ・マルギルスが呪文によって創造した怪物だ。




