レイハの報告その他
ラウリスへの帰途の途中。
野営のたき火の前でライル・フィム・ランデルは私に女性を紹介すると言い出した。それもラウリス王族を。
「ええ、その、ラウリスの民は貴族も平民もみなマルギルス様のお陰で帰還の希望がもてたわけですから、どんなことをしてでも貴方様のご希望をかなえたいと……」
疲れの滲む青年の表情を見る限り、本人も気が進んではいないようだ。そりゃそうだ。
ただ同じ分だけ、責任感や覚悟も伝わってくる。思いがけずラウリス難民たちに降り掛かった怒涛の運命を考えれば、これも理解できる。
運命とか軽く言ったが……実は私の思いつきが原因なんだよな。
普通の人間ならば、ただの思いつきでここまで人の――それも多くの――生活を激変させるほどの影響を世界に与えることは難しいだろう。
それを、意図もせずできてしまう……まったく今更だが『大魔法使い』の力とは恐ろしい。
不純な気持ちなどなかったが、私にとってラウリス奪還というのはあくまでも目的のための手段でしかない。
「気を使ってもらってすまないが。頭と顔が良くてスタイルも抜群で最高に信頼できる美女ならもう間に合っている」
「さ、左様ですか……で、ではっ」
が、しかしこうなるとやはり、知らん顔するわけにはいかないな。
「ライル」
「は、はいっ」
必死の形相でにじり寄るライルの肩に手をのせ、視線を合わせる。
彼の端正な顔にはよく見ると皺が多い。千人以上の難民をまとめるため毎日悩みまくった、という顔だ。
「君には全て話しているわけではないが、ラウリスの奪還とその後の安定は私にとっても十分利益になる。今回の偵察任務でもいろいろ貴重な情報が入手できたしな。つまり」
私が彼くらいのころなんて、せいぜい職場の人間関係くらいだよな、悩んだのなんて。尊敬の意味も込めて、彼の肩を少し強めに叩き、掴む。
「だから女性なんか差し出さなくても私は君の……ラウリス市民の味方だ。安心しなさい」
「っ!? ……マ、マルギルス様っ……う、ううっ……うくっ……」
「……君は頑張ってるよ。大したもんだ」
「あ、あっ……ありがとうっ……ございますっ……」
何かがライルの中の『たが』を外してしまったのだろう。青年は私の手を掴んで嗚咽を漏らしはじめた。今まで周りに頼りになる人間があまりいなかったのかもしれないな。
少しは青年の心を軽くできればいいんだが。
そして、彼やラウリスの人々に『魔法使いが余計なことをしたせいで……』と思われないよう頑張らないとだ。
一夜明け、私たちはレリス市に帰還した。
クローラやモーラたちを含めたジーテイアス城使節団が滞在しているのは、評議会に提供してもらった屋敷である(実はコーバル男爵の屋敷だった物件だ)。
その食堂に仲間たちを集め、まずは不在中の出来事を確認する。
「ふ、船の準備は後二日で完了する予定です。見積もり大分安く済んだのですが、商人の方たちがどうも……マルギルス様によろしくと」
「評議会議員への根回しも問題ございません。皆さん、とっても親切にして下さいました」
「魔術師ギルドとの調整も終わっておりますわ」
ノクス、エリザベル、クローラがそれぞれ簡潔に報告してくれたところでは、リュウス大会議へ向かう準備は順調だったようだ。
この前まで猟師の村で暮らしていた書記官ノクスに大型船チャーターの任務はどうかと少し心配だったのだが、イルドの教育が良いんだろうな。
エリザベルとクローラも自分の役割りをしっかり果たしてくれていた。
「三人ともご苦労だったな。さて……」
私は三人に労いの言葉をかけると、最後の報告者を見る。
彼女はいつものとおり、私の傍らに片膝を着き頭を垂れていた。
「レイハ、例の件はどうだった?」
「はっ。流れの主たるマルギルス様にご報告いたします」
密偵頭レイハの報告とは、湖賊対策についてだ。
「ハリドとその側近二名については抹殺いたしました。彼奴のアジトから必要な情報は全て押収し、レリスの盗賊ギルドと協力して各種の符丁と連絡方法も解析完了しております」
「うむ。ハリドのことは外部には?」
「レリス盗賊ギルドのマスター以外には漏れておりません」
レイハの報告は予想通りだ。この手の仕事に彼女が失敗したことはない。
世間の権力者(私もその端くれに属してしまうわけだが)が聞いたら羨ましさでハゲそうな話だな。
しかし、暗殺という日本にいたころの私にとってはそれこそゲームの中の話だった行為を他人に命じ、実行させたわけだが。
なんというか、思ったほどには『こない』な。殺人という禁忌自体すでに経験しているからか、ハリドとその部下が死んだと聞いても、私の心に悲しみや哀れみはほとんど生じなかった。
これでハリドに従属していた各都市の盗賊ギルドの首根っこを押さえることができた。ハリド自身の秘密主義が今回はこちらに味方したわけだな。
感じたのはむしろ、このような事務的な感想だ。
「すでに、ハリド傘下の諸都市の盗賊ギルドに偽の命令を下しました。計画通りでございます」
「そうか、ご苦労だったな。四姉妹にも私が感謝していると伝えてくれ」
「感謝などもったいのうごさいますっ! そ、それにこのレイハナルカ、主様の願いを叶えることができず……」
「ん?」
レイハの美貌は悲しげに歪んでいた。頼んだ仕事は完璧だったと思うが……と、いや、そうか。
レイハがハリド暗殺の任務に出発する直前、可能なら降伏させてくれと付け加えたのだった。
「ハリドのことか? それは気にするな。素直に降伏するような奴ではないことは分かっていたんだ」
「……」
レイハはうつむいてしまった。
「マルギルス? 貴方にとっては小物でしょうが、大湖賊ハリドといえばリュウス同盟に最大の悪党ですのよ? その悪党を命がけで倒してきたレイハに対して敬意が欠けているのではなくて?」
「普通なら英雄と呼ばれてもよいほどの偉業だと思いますよ。我が君の成されたことに比べれば地味ですけど……」
「むぅ」
クローラとエリザベルの指摘で、私もはたと気付いた。
いかんな。『レイハなら当然』とか。彼女のあまりの有能さに甘えてしまっていたようだ。
忠実なダークエルフの前にしゃがみ、その手をとる。
「すまないな。私が勝手な注文をつけたのに、それを軽く扱ってしまった。あの注文のせいで君たちがより危険になったというのにな。それでも、私の願いを聞いてくれようと努力したのも分かっている。結果は残念だが、君は何も悪くない。本当にすまなかったな。そして、ありがとう」
「あ、主様……」
顔を上げたレイハの紫の瞳は潤んでいた。
彼女は私の手にもう片手を添え……。
「?」
「いいえ、主様。どのようなことでも、流れの主様の願いを叶えるのは従属する者である私たちの義務であり、歓びなのです。そ、それに失敗したのですから、厳しいお叱りを……罰を受けるのは当然でございます」
痛い。なんだ? と思ったらレイハが彼女の手を包んだ私の手を外側から押さえていた。凄い力だ。ちょうど、私の指先を押さえつける形になっているので、私の指先が彼女の手の甲に強く食い込んでいる……痛くないのか?
「ちょ、レイハ?」
「どうか、主様。無様で哀れな下僕に厳しい罰をお与えくださいっ」
なんだか凄い熱心に罰を欲しがってるぞこの子は?
というか、肉厚な唇をわななかせる、切なげな表情の色気がヤバイ。こちとらこの数日、男だらけの探索行から帰ってきたばかりだというのに。
ライルを励ました時と似たシチュエーションだったが、レイハの反応は予想外もいいところだ。……やはり若い女性との付き合い方は分からん。
「どうか心ゆくまでこの御手で私をお嬲りくださいっ」
「いや落ち着いて」
「そこまでそこまで! いい加減になさいっ!」
掴みかからんばかりの勢いのレイハと私の間に、クローラが強引に割って入ってきた。
うむう、おしか……いやナイスタイミング。
「しかし奥方様っ……」
「しかしではありませんっ! レイハ? 主に謝罪させてなお自らに非があるとは、かえって主を貶める行為と心得なさいっ!」
「は……ははっ! 申し訳ございませんっ」
両手を腰にあてて仁王立ちしたクローラの大喝は、一発でレイハのおかしなテンションを吹き飛ばしていた。ついでに、私の中で久々に頭をもたげた欲望も。
「ま、まあそういうことだ。レイハ、本当に気にしなくて大丈夫だからな?」
「しょ、承知いたしました、主様……」
レイハは最後にもう一度だけ深々と頭を下げてから定位置に……私の死角を守る位置に立った。
「……マルギルス? 貴方も王になろうというのですから、もう少々くらいは家臣への配慮を頼みますわよ?」
「う、うむ……」
「そうですね、我が君はもっと乙女心に配慮されるべきですわ」
「そういうことは申しておりませんわ!」
振り返ったクローラが形の良い眉を『きりり』と吊り上げて小言を言った。
エリザベルから追加された要求は幸いクローラ自身が却下してくれたが。
「……確かに。何だっけ? 『頭と顔と身体が極上な女は間に合ってる』のは嘘じゃなかったな?」
「私はもう少し上品に言ったと思うが」
ここ数日で最高に皮肉気に口元を歪めたセダムの台詞には、私もまったく同感だった。




