偵察終了
完全に枯死することだけは避けようとしていた神聖樹は、若々しい葉を繁らせた完全な姿を取り戻していた。
瓢箪から駒、というのだろうか。
リュウスの象徴であると同時に、資源としても世界に類をみないほどの貴重な存在が復活してしまったわけだ。
現代日本でたとえると、日本海で超巨大油田が発見されたようなものか? 今だとレアメタルとかか?
今更だが、セダムが心配した意味がよく分かった。そりゃあ、荒れるだろうな、あちこちがいろいろと。
あくまでこれはラウリスの問題であって、『他国』『善意の第三者』である私たちには関係ない……で、済ませられればそもそも今ここにいないだろう。
「おふ……」
「ま、とりあえず帰ってから心配しようぜ?」
胃のあたりをさする私の肩をセダムが叩いた。
そもそもの目的である、暗鬼戦力の偵察とラウリスの杖確保は果たしている。
その上、『喪失戦争』や暗鬼崇拝者の真実まで知ることができたのだ。
そろそろ潮時だろう。
「じゃあ、気をつけてな」
「……」
「ははっ! このザルザム、必ずやマルギルス様のご命令を果たす所存でございますぅ!」
現地解散の挨拶をしたのは、レードたち戦族の面々と、ザルザム。
彼らは、暗鬼崇拝者たちが使っていた隠し通路で先に脱出してもらうことになっている。
ザルザムに協力させ、彼が太守としての権限を駆使して暗鬼崇拝を広めていたスラードの町の暗鬼崇拝者を狩るためだ。
彼らは一度、戦族の『宿』と連絡をとり戦力を整えることになっている。そこで、他の戦士長か戦将と交代できれば、レードはこちらへ戻ってくる予定だ。……あんまり戻ってくる気なさそうだが。
「せっかく組織の長が味方になったんだ。上手くやれば他に全く被害を出さずに暗鬼崇拝者だけを密かに始末できるはずだ。できるだけ穏便な手を使えよ?」
「何度もやかましい。……分かったといっただろう」
スラードは結構な都会だと聞いた。
その中で戦族たちが好き放題に暴れたら、彼らの悪評がさらに広がることになる。余計なお世話であることは承知でついクドクドと意見してしまう。
「ご安心ください我が神マルギルス様! 無知蒙昧な暗鬼崇拝者ごときこの下僕ザルザムが一網打尽にしてご覧にいれまするぅ!」
「……まあ、頼む。穏便に一網打尽にしてくれ」
戦族一行を見送ってから、私たちはラウリス脱出にとりかかる。
メンバーは私、セダム、ライルに加えて暗鬼崇拝者の捕虜になっていてたシルバスの冒険者五名。
「この魔法の効果範囲からは絶対に離れないように」
「は、はいっ! ……う、うわあっ……」
例によって【亜空間移動】の呪文を使い亜空間へ入る。
リーダーのマイズはじめ冒険者たちは、急に周囲の光景が水に滲んだようになったことに驚きの声をあげた。
「諸君、恐れることはない。これがマルギルス殿の魔法の力なのだ。これで我々は暗鬼に見つかることなく移動できるのだよ」
「えええ……そんなことまでできるなんて……」
「噂どおり……いや噂よりずっと凄いや」
何故かライルが自慢気に冒険者たちに説明した。
マイズが確か二十八歳か。シルバスの冒険者ギルド数年修行し、最近ようやく自分のパーティを持つことができたと言っていた。そのためかパーティ全員かなり若く、少年のような戦士や神官たちは目をキラキラさせて私を見ていた。
あまり純真な目で見ないでほしいのだが。正直に希望を言うわけにもいかないので、さっきから厳めしい表情を崩せない。
「噂なんてあてにならないなぁ」
「ええ、隕石を落としてレリス市やカルバネラ騎士団を脅したなんてありえないですよね」
……レリス市外での私の評判の一端か。貴重な情報を耳に入れてくれて有難い限りだ。ひそひそ話のつもりだろうが、聞こえてるんだよなぁ。
そういえばレリス市所属でない冒険者と会うのはこれが初めてだったな。
命を救った報酬というわけではないが、せめて私たちについて好意的な情報を流してほしいものだ。
「おぉ」
「慈母が……神聖樹が……本当に……!」
【亜空間移動】による移動はやはり安全だった。
来たときと同じく、暗鬼たちにも全く気付かれていない。
亜空間からなので風景は滲んで見えるが、それでもラウリス城外から見上げた『ラウリスの慈母』は圧巻だった。
敷地ごと城全体を覆うように広がった枝と葉。時折うっすら輝く魔力の粒子が飛び散るのと合わせて実に荘厳で神秘的だ。
「こ、これでラウリスは蘇ります! マルギルス殿、本当に感謝いたしますっ!」
「なにこの程度はどうということもない。リュウス全体のためでもあるからな」
「リュウス全体なんて……やっぱり大魔法使い様は視点が違うんですね」
道中、ライルは神聖樹を振り返り振り返り、何度も感動しては私に頭を下げまくる。
私はなるべく大魔法使いらしく威厳を持って応じ、それを聞いた冒険者たちが尊敬の眼差しを向ける。
いい加減疲れたころ、セダムが耳打ちしてきた。
「暗鬼の様子をみていたが。さっきまで丸まって動かなかったやつらが動き出しているな」
「やっぱりそうか?」
「ああ、間違いない。全体的に動きが活発になってる」
セダムの報告は私の観察の結果を裏付けていた。……どう考えてもこれは、神聖樹が復活して魔力を生成しはじめた効果だろう。
「……急いで帰った方がいいな」
行きにも見た市民たちの無残な姿に手を合わせて進むと、無事にラウリス市街を抜けた。さらに一時間は歩き、十分距離を置いてから亜空間から出る。
「さて、すまないが君たちはここから歩いてもらう」
「分かりましたマルギルス様、ライル様! なるべく急いでレリスに向かいます!」
五人の冒険者は元気よく答えた。そう、彼らは所属しているシルバスではなくレリス市へ向かうことになっていた。
これはライルが、彼らを個人的に雇いたいと言ったからだ。何でも『信じられない苦難を共にした冒険者にしか任せられない仕事がありまして』とのことだった。
実を言えば【幻馬】の呪文も多めに『準備』してあるので、彼ら全員を連れて一気にレリス市に戻ることもできたのだが。ライルの表情や口調にどうも何か思惑がありそうだったので任せておいた。
幻馬での移動を遮るものもまた、なかった。
セダムが言うにはこの世界の空には何種類かの飛行モンスターも徘徊しているそうだが、今回は遭遇判定の目が良かったんだろう。
……おっと、いかんいかん。私まで世界の真実とやらに毒されてしまう。
その夜の野営地。
久々の『夕餉の卓布』で旅先とは思えない豪華な夕食を終えると。
「マルギルス様、実はお願いがございます」
真剣な顔のライルが話しかけてきた。敬称がいつの間にか『様』になっている。
「神聖樹のことかな?」
「はい」
ライルは昼間の歓喜と興奮など忘れたかのような、疲れた顔で頷く。……そういえば彼は、故郷を追われたラウリスの難民の面倒を十年もみてきたんだよな。
青年貴族のお願いは、『ラウリス奪還がリュウス大会議で決定されるまで、神聖樹の復活は秘密にしてほしい』というものだった。
「理由を聞いても?」
「今の私たちはレリス市やリュウス同盟に寄生しながら生かされているような存在です。当然、ラウリス奪還が成ったとしてもすぐには状況は変わらないでしょう。そんな私たちが完全な神聖樹を守っていくためには……準備のための時間が必要なのです」
「なるほど」
これまで善意や義務感でラウリス難民を支援してきた組織や個人が、神聖樹という存在によって態度をがらりと変えることは十分あり得る。
またしても現実的で生臭い話だなぁ。
「当り前だが、いつまでも秘密にはできないし、神聖樹の恩恵をラウリスが独占するというのも現状では無理だぞ?」
「承知しています」
いざとなればジーテイアス城の戦力……いや最悪の場合でも私と……レードあたりが居ればラウリスの暗鬼を駆逐することだけはできるかもしれない。
しかしそれでは当然、奪還後の治安維持や復興の支援は到底無理だ。
どうしても周辺都市の財力や労働力に頼ることになる。その時、難民だったラウリス市民から提供できる代償はほとんどなかったのだ。昨日までは。
「これまでの恩義、これからの支援への感謝として相応の利益はレリス市や諸都市に提供するつもりです。ですがこれは……完全な神聖樹は利権としてあまりにも巨大すぎるのです」
ライルは貴族らしい端正な顔に深い苦悩をにじませていた。リーダーというやつは大変だよな。わかるよ。
「最悪の場合、ラウリス市民でさえ分裂する可能性があります。せめて、ラウリス市民の中だけでも結束を図り、事態に対応する時間をいただければと……」
ああ、そうか。ライルがマイズたち冒険者を雇うといい、シルバスに帰すことなくレリスに直行させたのはこのためか。
「ああ、承知した。神聖樹については君たちの用意が整うまで秘密にしておこう。君たちの都合のいいタイミングがきたら連絡してくれ」
「あ、ありがとうございます、マルギルス様!」
ぶっちゃけこの事態の原因は私だしな。
「本当に、マルギルス様にはお世話になりっぱなしで……。このご恩は誇りにかけてお返しすると、ラウリス市民を代表してお約束します」
「いやそこまで気にしなくていい。それよりもリュウス大会議や、将来の暗鬼対策で協力してくれ」
「それは無論のこと! ……その、ところで」
ずずず、とライルは平伏した姿勢のままにじり寄ってきた。
これまでよりもさらに一段、真剣さを増した顔で、口元を手で隠すようにして囁く。
「マルギルス様はまだ独身であられましたね? 女性のお好みはなにかございますか? 噂では胸が大きい女性がお好みということですが……ラウリス王族の女性たちなんかは皆さん大層……」
「おいまて」
そんな噂まで流れてるのか? これも湖賊の陰謀か?




