水槽の脳はTRPGの夢を見るか?
守護聖人にして暗鬼教大司祭ツアレスは十年前、自らの精神を『外』へ常駐させるための儀式を行った。
それは『ラウリスの杖』で自分の体を神聖樹の幹に縫いとめ、神聖樹の魔力を利用するという異常な行為だ。
結果として儀式は成功した。
ツアレスは暗鬼の王に自分の意志を伝えたり、暗鬼の王の記憶や意志に干渉できるほどの力を手にした。
暗鬼の王を通じて、ラウリスを占拠した暗鬼たちをある程度統率することすらできていたという。
ただしツアレスの精神は『外』に行ったきりとなってしまった。肉体的には廃人である。つまり守護聖人としての彼は実質死亡したのである。
当然、彼の表向きの職場である『法の神殿』は大変な騒ぎになった(既出だが法の神殿の公式見解では、ツアレスは暗鬼の群れから人々を守ろうと戦い倒れたとされている)。
ちなみに現在の『法の神殿』にも多数の暗鬼崇拝者が潜伏しているが、『聖人』レベルの地位についている者はいないそうだ。
もしツアレスに十分な時間があれば状況はより悪くなっていただろう。そう考えると、老魔術師アルガンの奮戦には頭が下がる思いだ。
ともあれ、『外』で活動していたツアレスも、二か月前に私に倒されてしまった。らしい。
暗鬼崇拝者たちは『外』からのツアレスの指示が全くなくなったことと、ラウリスの暗鬼の変化によって異変を悟った。
そのため、ラウリスから最も近いスラードを拠点としていた司祭、ザルザムが調査にやってきたのだ。
「……ツアレスとラウリスに関わる大まかな情報はこのようなものでございます」
大司祭亡き後、暗鬼崇拝者最高幹部であるザルザムは平伏したまま言った。
「「……」」
「まあなんというか? 良かったな?」
何とも言えない微妙な顔を見合わせるレードとセダムに、とりあえず声をかける。
「良かった、か。そりゃあそうだな」
「……」
セダムは何とか自分を納得させたようで、顎を撫でながら呟いた。一方、でかぶつの方はまだ口元を歪めている。
「……他にもいるだろう。司祭どもが」
「おお、そうだな」
健在であるはずの三人の司祭についても、ザルザムに聞いたみた。
北方の王国のホーバン司祭は現在聖都の盗賊ギルドの幹部として活動しており、盗賊ギルドを通じて聖都の要人の中から信徒を増やす計画だそうだ。
残る二人については、ウェルスンにシレールという名前と、西方と東方にいるということ以外はザルザムにも分からなかった。
「我らは『伝える者』……ツアレスからの指示を受けた場合以外、ほぼ個別に活動しておりましたので。遠方の仲間についてはほとんど承知していないのでございます」
ザルザムはとても申し訳なさそうに言った。
悪人面……というか邪悪面でそういう表情をされるとかなり迫力がある。
「とりあえずスラードに残っている部下と、ホーバンの情報を全部吐け。それから殺す」
「おいおい……」
レードは極めて事務的にザルザムに宣言した。私は彼の鎧の一部をぺたぺた叩きながら宥める。
きてしまったか、この問題が。
ザルザムは呪文が破られるまでは、絶対に私への忠誠を忘れることはない。二度と他人を傷つけるなと命令すれば、一生それを守るだろう。
しかしだからといって、彼がこれまでしてきた悪事が帳消しになるわけでもない。
これがただの捕虜ならば、例の賊徒共の場合と同じなんだが。
「実際問題、司祭としてのザルザムの人格は既に死んでるようなものだからなぁ……」
「だから許せと? くだらん同情か」
「いやそれもあるがな……」
忠誠心に満ち溢れた(金色の輝く)瞳でこちらを見つめるザルザムを処刑するというのは、たしかに少々良心が痛まないこともない。それもあるのだが……。
「そいつはマルギルスの命令を何でも聞くんだろう? あんたの暗鬼崇拝者狩りに協力させたらどうだ?」
顎を撫でるセダムが、やや憂鬱そうに提案した。私が躊躇していたことだ。多分、私に代わって言ってくれたのだろう。
「ふざけるな」
「いや、そもそもあんたたちの好きな巫の預言だって暗鬼を利用していたものだろう? 効率を考えれば、こいつほど便利な協力者はいないぞ?」
「……」
理路整然としたセダムの説明に、レードは奥歯を噛み締めてそっぽを向いた。
最近何となく分かってきたのだが、彼がこういう態度をとるときは大体『理解』はしているのだ。
「セダムが言ったように、お前の部下や同僚を狩ることに協力できるか?」
「我が神マルギルス様のご命令とあれば喜んで!」
「だそうだ」
結局、レードはギリギリと歯ぎしりしながらも頷いた。
私たち三人はザルザムを待機させ、今後のことを相談することにした。
「さて、いろいろと新しい知識を得ることもできたところで、やるべきことも見えてきたな」
「ふむ?」
私が水を向けるとセダムはすらすらと『やるべきこと』を並べていく。
ツアレスの儀式で『神体』にされかかったラウリスの神聖樹を浄化すること。
ツアレスのミイラを処分し、『ラウリスの杖』を奪還すること。
その後、速やかにレリスに帰還しラウリス奪還戦への準備をはじめること。
戦族にザルザムを預け、北方の王国の司祭たち暗鬼崇拝者を狩るよう依頼すること。
ツアレスの正体など世間に大きな衝撃を与える情報は拡散しないよう、ひとまずライルたちに口止めすること。
「まあこんなところか?」
「…………そうだな」
「寝てるのか?」
「いや起きてるって」
セダムの提案にちょっと遅れて頷いた私の肩をレードが小突いた。彼の力だとほとんど殴った、に近いが。
「それで良いと思う。明日の朝、必要な呪文を『準備』してやってみよう」
多分、神聖樹に施された儀式の効果を解除するのは『祓い』の呪文でいけるだろう。
コーバル男爵が死んでしまったように、神聖樹も枯れ果てたり崩壊する危険性はあるが、まあこのまま放置するよりはましだろう。
予定の日程ぎりぎりだし、早くレリス市に戻ってラウリス奪還だけでなく、リュウス大会議への準備も再開しなきゃならん。
ザルザムの身柄については、レードと耳目兵たち戦賊に任せよう。
と、いう現実的な行動についてちゃんと頭はまわっていた。
「…………」
ただし、正直なことをいえば私の脳の多くの部分は先ほど受けたショックを受け止めるのに動員されていたのだ。
落ち着け。私は分かっている。この感情も、その『対処法』もだ。
『作り物の世界』『神の台本通りに進む物語』。
ザルザムが語った、暗鬼崇拝者が気付いた『世界の真実』。
セダムやレードは『ふうん』とか『アホか』みたいな顔で聞いていたが、私には似たようなことを感じた男に心当たりがあった。
『もしゲームマスターがいるとしたら、かなり性格が悪いな』
『これがTRPGなら絶対に今後出会うことになる重要NPCだ』
『私達が挑んでいる世界の命運をかけた冒険』
そうだよ私だよ。
もちろん、本気でゲームと現実を混同していたつもりはない。だが、ことあるごとに『これがTRPGなら』『これはフラグだな』などと考えていたのではなかったか?
いや実際のところ、現代の地球においてもそういう話はあった。
いわゆる『シミュレーテッドリアリティ仮説』というやつである。
『世界が宇宙人(や、神とか異次元人とか)がコンピュータ上に構築した仮想世界で、その住人である人間はAIに過ぎない』。
あるいは。
『貴方は実は事故で肉体を失い脳だけとなって水槽の中で生きている。貴方が存在していると思っている世界は、脳へ送り込まれる電気信号が生み出す幻想である』。
こうした仮説を科学的に否定しようとしても、『いやそれは仮想世界がそういうふうにできているだけだから』と言われてしまえばどうしようもない。
私も若い頃や、こういう仮説を聞いた時にはかなり考え込んだものだ。
特に少年だったころは、ザルザムやツアレスじゃないが結構な虚無感なども感じた。
もちろんそんなものは、生きているだけで否応もなく自分の世界に雪崩込んでくる『現実』というやつの前に霞んでなくなるわけだ。
だからといって、『シミュレーテッドリアリティ仮説』という理屈そのものが消滅するわけじゃない。
実際、先ほどの私は一瞬だがザルザムの語る『気付き』に納得しかけていた。『ああ、そうだったのか』と。
大体、『異世界転移』というご都合もいいところの超常現象を起こせる存在を私は知っているのだ。
『この世界は『見守る者』が貴方の脳内に作り出した仮想空間です』と言われても…………否定できん。
「おい。さっきからどうした?」
「てっ!?」
「少し疲れてるんじゃないか?」
仏頂面で黙り込んでいたところ、背中を馬鹿でかい手のひらでぶっ叩かれた。
レードの横からはセダムも少々心配そうに覗き込んでいる。
彼らを見ているうちに、過去の自分や今の自分の考えが収束していく。
「いや、何でもないよコノヤロウッ」
お返しにレードの脇腹を強めに小突くが、こちらの拳が痛くなっただけだった。
ごちゃごちゃと様々な思考を働かせていた頭の中が、いまはすっきりしていた。
別に、『こんな良い仲間が仮想のわけがない』とかそういう話ではない。
暗鬼崇拝者の教義を自分なりに咀嚼し、自分なりに明確に否定することができただけだ。
何年前のことかもう記憶にないが。
ある日ふと、『そういえばそんな話もあったな』と、シミュレーテッドリアリティ仮説のことを思い出した時、昔のような嫌悪も虚無感もまったく感じなかった時にたどり着いていた『対処法』だ。
これまでの人生でも、この世界にやってきてからも。私が悩み選んできた選択、私の意志そのものは私だけのものだ。
『世界が作り物』というのが真実だったとしても、それは私の意志が生じる『仕組み』を説明しているだけであって、『真偽』や『価値』には関係ないのだ。
言葉にしてしまえば安っぽいが、四十二年間生きてきた経験に裏打ちされた『実感』には、それなりの重みもある。
「…………うむ。納得できる」
凄く不審そうに顔を見合わせるセダムとレードをよそに、私は自分の結論がぶれていなかったことに満足して頷いていた。